まぁー何だって揚げ足を取りたいのがオタクという「病」だ、僕もずっとこの言葉を使い続け、ずっとからかわれてきた。
しかし勘違いしないで欲しい。少なくとも僕の言う「啓蒙」とは、「知らないことを知らしめる」ことであって、「俺が正しい!」と連呼したい訳ではない。
しかし勘違いしないで欲しい。少なくとも僕の言う「啓蒙」とは、「知らないことを知らしめる」ことであって、「俺が正しい!」と連呼したい訳ではない。
「啓蒙」の語義を知らない人が多すぎる。
クラシック音楽は「啓蒙」があってこその文化だ。
あのマーラーはかつて「パクリ作家」と叩かれ続け、ブルックナーはそれ以下、見向きもされなかった。
それを指揮者や演奏家達が「啓蒙」して、今やスタンダードのレパートリーとなったのだ。
あの朝比奈隆も、晩年こそ「ブルックナーの権威」と評されたが、最初ブルックナーを取り上げた時はただレパートリーを増やすため、「食わず嫌いは良くない」という理由で始めたそうだ。
クラシック音楽は「啓蒙」があってこその文化だ。
あのマーラーはかつて「パクリ作家」と叩かれ続け、ブルックナーはそれ以下、見向きもされなかった。
それを指揮者や演奏家達が「啓蒙」して、今やスタンダードのレパートリーとなったのだ。
あの朝比奈隆も、晩年こそ「ブルックナーの権威」と評されたが、最初ブルックナーを取り上げた時はただレパートリーを増やすため、「食わず嫌いは良くない」という理由で始めたそうだ。
アニメオタクだって、かつてはお互いに「知らない」アニメを「知らしめ」合ったのだ。
「啓蒙」は、当たり前の活動だった。
今やオタクは右へならえ、勝てば官軍、内容よりも再生回数ばかり気にするようになった。
自分の感性よりもとにかく「多数派」でいることに必死になる。
文化的にも、いや政治的にも相当末期の状況だと思う。
日本アニメももう100年だ。そろそろそういう流れを押しとどめないと、この100年を祝うことさえもう難しいだろう。
僕は自分のできる範囲で、「師匠」などを啓蒙しようと頑張っている。
「啓蒙保育園」だぁ?そうだね、お前らがいるところは所詮「保育園」だね(笑)。
自分で認めてるやん(笑)。
自分の脳みそで考えられる人間がひとりでも増えますように。