僕は村上春樹が好きだ。
町田康とか舞城王太郎とか池澤夏樹とか、他にもいろいろな作家が好きだけど、一番好きな作家を選べと言われたらやっぱり村上春樹だ。
今回発売された新作『騎士団長殺し』も、マスメディアで恒例として取り上げられて騒がれている。
マスメディアで騒がれると当然、全く興味のない人の目にも付く。
そこで、職場でも今日たまたま『騎士団長殺し』の話題になった。
(正確には「たまたま」ではなく、ある意味では必然的ともいえる。マスメディアかく恐ろしや)
Bさん「本屋で大量に平積みしてますねー。自分も春樹は1冊も読んだこと無いけど」
Cさん「同じく1冊も読んだこと無いっすね…」
おそらく、この人達はそれを分かって言っているのだと思った。
僕を試すようにわざと言っていると思ったので、
とりあえず一言
Aさん「ほー・・・」
見事にスルーされた。それ以上なにか聞かれたりはしなかった。
おそらく「村上春樹に興味がない人」にとって、「村上春樹が好きな人」は得体が知れない人物だと思っているのではないか。
転職したばかりでただでさえ上手く馴染めていない職場の人たちとの断絶が深まった気がした。
しかしなぜ、ただ好きなものを好きだと発言することに引け目を感じなければならないのか。
なぜ「村上春樹が好き」だと言うことに引け目を感じてしまうのか。
あれ何が言いたいのかよく分からないんだよね。かと言って単純な娯楽小説と切り捨てることも拒んでるような感じだし。 ハルキスト自称するならその辺分かっててほしい、みたいな期...
俺も村上春樹好きだけど村上春樹が好きな奴ってメンヘラっぽいから関わりたくない 登場人物の誰とセックスしたいかとかどのセックス描写が一番よかったかとか そういうのならいくら...
自分にとっての星野源がそれ。 曲とか好きだったはずなのに、好きだったのかわからなくなる。 氏名を言葉に出すのも憚られる。 そんな感じになっている。
良い良い 挑発されてちゃんと反撃したのは偉い そこで黙ってサンドバッグになっていたらそのゴミクズどもがつけあがるところだった