先日古本屋で、大森金五郎編『史籍解説』という小さな本を買った。これは戦前に作られた史籍専門の解題集(初版は1937年、三省堂。のち覆刻版が1979年に村田書店から出る。私が買ったのは復刻版)で、『古事記』だとか『吾妻鏡』だとかの書名を挙げたのち、巻数、内容、著者、編纂沿革、注意などの諸事項を簡単に解説している。収録書目は328点。
なお編者の大森金五郎は学習院大教授として有名な国史学者。早稲田大学での講義をきっかけとしてこの解題を編んでいたが、出版直前に死去してしまい、期せずして遺著となってしまったという(「はしがき」、「本書出版にあたって」)。
正直なところ、内容には誤りも少なくない。現在から見て間違っているのはともかく、初版刊行時(1937年)の水準からみてもどうなの?というところはままある。
また、『日本書紀』の次に江戸時代の『日本書紀通証』が出てくるように、古代・中世の史料と近世の和学者の著作が混ぜこぜで掲載されているのも―19世紀的な歴史学の在り方を伝えていてたいへん興味深いが―現代の読者はちょっととまどうだろう。ということで、いま普通に使うには向いていない代物だ。
およそ解題というのは、目録と違い、研究の進展に伴う内容の陳腐化の程度が大きい。今ならば、日本史専門の辞典の諸項目、あるいは『国史大辞典』から解題系の記事を抜き出した『日本史文献解題辞典』などを使うべきだろう。
だが、前時代の骨董品に見える『史籍解説』は、(大上段に振りかぶっていうと)デジタル人文学にとって大きな価値を秘めている。
本書は、同時代の史学者が手に取ることのできた、戦前に刊行されていた史料集をかなり網羅している。そして、当時の刊行物の少なからざる部分はパブリック・ドメイン化し、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。つまり、『史籍解説』には、今ウェブで見ることができる史料がたくさん記されているのだ。
ためしに第一篇「概説」の書目を挙げてみよう。これらの多くはデジコレ等で閲覧することができる。
- 大日本史
- 野史
- 本朝通鑑
- 国史大系
- 群書類従
- 続群書類従
- 続国史大系
- 改定史籍集覧
- 続史籍集覧
- 存採叢書
- 国書刊行会出版書
- 故実叢書
- 古事類苑
- 史料大観
- 史料通覧
- 日本教育文庫
- 日本古代法典
- 大日本租税志
- 日本田制史
- 大日本農史
- 大日本貨幣史
- 大日本駅逓志稿
- 稿本日本帝国美術略史
- 工芸志料
- 日本教育史資料
- 外交志稿
- 海軍歴史
- 陸軍歴史
- 日本戦史
- 古今要覧稿
- 本朝軍器考
- 読史余論
- 官制沿革略史
※今「大日本史」や「野史」を使うヤツなんているのか!?というのはさておき…
あとがき愛読と銘打ちながら、このブログには、ウェブでの史料をまとめた記事がいくつかある。かつて自分は、国会図書館デジコレの有象無象の山から、日本中世史の史料集を抜き出してリストアップできないかと試してみたことがあった。
そのときはいろいろな検索を試して使えそうな史料集をかき集めたのだが、あの時この『史籍解説』を知っていれば…と思う*1。
しかも、戦前の史料解題として、『史籍解説』には類書がない。戦前の国史学では、国文学と比べて解題に対する意識が低く、戦前版の『国史大辞典』(吉川弘文館)や『国史辞典』(冨山房)にも史料解題の記事は少なかった。戦前期において史籍専門の解題書は、この『史籍解説』以外現れなかったという(熊田淳美『三大編纂物の出版文化史』勉誠出版)。
研究書と比べて、史料翻刻は時代が進んでもあまり古びず、戦前、あるいは江戸時代のものでも十分に使用に耐える場合が多い。本書をたよりにしてデジコレの大海を探検すれば、簡単にウェブで一次史料の翻刻にアクセスできる。これは、図書館があまりにも遠方だとか、研究機関に所縁がないとか、海外に住んでいるとかの日本史を学ぶ人々にとって、大きな助けになるのではないだろうか。いわゆるデジタル人文学にもひとつの貢献をなすだろう。
だが、戦前の史料集がウェブで流布していることに批判的な意見もある。たとえば、鎌倉期の公家日記のひとつ「勘仲記」(「兼仲卿記」とも)に関していえば、戦前の史料大成版はミスの多い謄写本を底本にしているので、善本である自筆本を底本にした史料纂集版(現在刊行中)を使うのがもっともよい。ところがウェブ公開されてるからといって戦前の史料大成版をみな使うようになってしまえば、せっかく厳密に新訂版を出している意味がないではないか…という意見である。良くないテキストを流布させるなというのも一理ある。
だが、国会図書館でデジタル化に取り組んだ担当者はこう言う。
実際、戦前の日本の植民地になっていた時代の朝鮮に関する資料も利用が多いが、時代背景や、当時の日本人の朝鮮半島に関する知識や考え方などを知らずにそういった資料を読むことで、一方的な視点から書かれた内容を鵜呑みにしてしまう危険性はある。
それでも、逆に言えば、戦前の日本人が、朝鮮半島をどのように捉えていたのか、という資料が、容易に手に入るようになった、ということが、日本社会の知的活動を活性化する可能性に、我々は、いや少なくとも私は賭けたい。
―大場利康「図書館が資料をデジタル化するということ」(楊暁捷・小松和彦・荒木浩編『デジタル人文学のすすめ』、勉誠出版、2013)
デジタル化でウェブに出てきた史料は、悪い本ばかりではない。たとえば南北朝期の播磨国の地誌「峰相記」の最古写本(斑鳩寺蔵、永正8年写)は戦前に影印版が出ており、以下のようにデジコレで公開されている。
国会図書館のデジコレをはじめ、ウェブの世界には、意義や価値づけがされずただおびただしい資料がナマで放り出されているのが現状だ。そこに分け入り価値あるものを引き出すためのサーチライトとして、『史籍解説』のような戦前の古い解題書が役に立つのではないか。これが、今回の私のささやかな気づきだ。
……ところが、難点がひとつある。肝心の『史籍解説』自体が、デジコレでウェブ公開されていないのだ*2。戦後再刊されてしまっているからだろうか(覆刻した村田書店は1990年代に活動を停止しているように見えるが)*3。ということで、なんとも締まらないオチになってしまうのだった。
*1:といっても、私が書いた記事に挙げてあって、『史籍解説』にないものも多い。当時刊行中だった史料大成がないのはともかく、文科大学史誌叢書や大日本史料を挙げてないのは何事か、大森金五郎。また同時代人も指摘するように、仏書や地誌を丸ごと落としているのもよくない。
*2:なお、デジコレで公開されている大森金五郎述『国史概説』(日本歴史地理学会、1910)に付録として日本歴史地理学会編「国史問答」がついている。これは第1問~50問までは大森が史籍を解説したもので、『史籍解説』の第1篇「概説」とほぼ構成が同じであるため、種本となったものと思われる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/769275/105
これを使えば多少は『史籍解説』の代わりになるかもしれない。
*3:「保護期間満了であれば、現在の入手可能性の有無に関係なくインターネット公開可能であり、覆刻されているかは関係ない。大森金五郎”編”と表示されており、他の著作者がいる可能性があるので非公開なのではないか」と大場利康氏からご教示を得たので、本文の表現を修正した。