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No.13
- 回答日時:2011/11/29 20:25
よく「心が重い」「心が痛い」「心が折れる」「心で泣いて」と表現しますね。
心がどこにあって、どんなものか知っていて言うのではなくて
心というのは拒むもの。
厳しさに、優しさに、儚さに不安や挫折を拒ませるのが精神です。
理性と精神は成長する方向が違います。
それは挫折を知らずで掴めるものじゃないのかもしれない。
心が実現する、成功するなんてことばかりが
人生のお守りでも華でも何でもない。
飽きもせず何でもないのがいいならそれもいいのですし。
ただ順調なことはいくら真面目で正直でも面白みがないです。
No.12
- 回答日時:2011/11/28 08:44
人の心の、中では、頭と心が対立しています。
だから脳が思考してる時は、心が減少します。脳が休むと、心が多くなります。日本人の本質は、戦前まで情緒思考でした。しかし戦後の論理思考教育で、日本人は、別人のように変貌しました。しかし論理の頭より、情緒の心が、次元が精神性が高いです。日本人は、戦争に負けた結果、西洋の論理思考文化に染まり、日本人の心は、西洋文化に征服、占領されています。だから日本人が、愛国心を持つ事は不可能です。日本人は、昔の思考パターンを忘れています。明治維新までは、情緒思考でした。現代は、西洋の論理思考文化に染まってしまい、情緒が理解出来ません。学校教育で、伝統文化を必修科目にして、情緒思考を復活する事が必要です。現代人は、脳を刺激する事が、理屈、論理で理解する事が、常識だと思っています。だから脳に論理思考の宗教に憑依されてます。だから娯楽、芸術も理屈や論理で脳を刺激する、美的な知的な遊びです。脳を刺激するので、心がストレスになります。当の本人は、心の癒しだと錯覚しています。現代人は、情緒が理解出来ません。論理至上主義の宗教に支配されてます。昔の日本人は、理屈は脳を刺激してストレスになるので嫌いでした。だから娯楽や伝統文化は、心を癒す情緒があるものばかりでした。日本人は情緒思考に目覚めて、論理宗教から抜け出しましょう。そして脳の論理から情緒の心の時代の、新しい世界の手本になりましょうNo.11
- 回答日時:2011/11/25 07:49
No.4です。
ちょっと実験させて頂きました。質問者さんにはいやな思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。No.10で書いたように、無駄の無い情報からは心を客観的に測定できません。そこで質問者さんにNo.4で書いた予期しないであろう状況を与えてみました。No.10の「お礼」には質問社さんの心が客観的に測れる情報が含まれています。「手間で測る」というとちょっと抵抗を感じますが、心を客観的に測る為には少なくとも「無駄」は必要です。(ちょっと矛盾する表現ですが。)
No.10
- 回答日時:2011/11/24 23:54
No.4です。
この質問者さんの「お礼」には、心がこもっていないと感じます。
全てのお礼が同じ文章で、無駄の無い表現だからです。
無駄が無い表現からその奥にある隠されたものを推測するのは困難です。
もしかすると、これは、質問者さんが意図してわざとそうされているのでしょうか。
そうだとすれば、一連の単調なお礼にはある意味心がこもっているのかもしれません。
質問者さんがこの回答に別の種類のお礼か補足を書いてくれれば、お礼に質問者さんの心がこもっていたのかどうか、客観的にわかると思います。
この回答へのお礼
お礼日時:2011/11/25 04:39
ありがとうございます。
心って手間で計るものなのでしょうか。
私はあまり多くを書かず「ありがとうございます」で済ましてしまうことは多いです。
No.9
- 回答日時:2011/11/24 07:10
歌は言葉であり感情の起伏はさながら移ろい往く周期的な波の
形相を呈している.その波のエネルギーは聞く者の精神力動へ
と変換され反作用として過去の経験における叙情を再現する.
発する波とそれに応える双方向の波はやがて定常波となり崩れ
去りまた定常波となり余韻となる.これが心がこもった歌い手と
聞き手の作用反作用として考えられる.ただしお互いに似た様な
経験をもっていることが前提となる.つまり歌い手が容姿の好ま
しくない女性であって尚且つ選んだ歌が,美貌の小悪魔が男を
もてあそぶ歌であったりした状況ではまったく心がこもっていな
いと感じられるのだ.
昔ボクの母が聴いていた五輪真弓という女性歌手が歌う
”恋人よ”を今ボクが聴いている.この人にしてこの歌ありと
言わしめるほどの,人生と歌の一体感を覚えるのは何故だろ
うか.女はこの別れ話が冗談だよと言ってほしかった.しかし男
が別れ話を切り出すときにはよくよく考えた末でのことなのだ.
冗談どころではない.それでも女はたとえおとぎ話の中でもい
いから今までの幸せを続けてほしいと願うのだった.この二人
の擦れ違う様を全身から発する振動に換えて生きとし生ける者
のせつなさを優しく撫でるようにそしてみずからの過去をいた
わるように歌うのであった.
決して美女とは呼べないこの女性がボクの心を掴んで放さない
のはまさに心がこもっていると感じるからではないだろうか.
No.7ベストアンサー
- 回答日時:2011/11/23 12:51
>また客観的に分かるものでしょうか。
客観的にわかるものではありません。
ご質問の事例でいえば、オーディション審査員の主観的なフィードバックです。
歌唱やその他の音楽などの芸術は、客観的に優劣をつけるものではなく、主観的な満足度が重要です。主観的に「心がこもった」と感じてもらえるよう訓練する必要があると思います。とくに職業歌手にとっては聴衆の主観的評価が重要だと思います。
カラオケで楽しむ一般歌手は相手の主観を気にすることなく、自身が満足できるように歌うのが良いと思います。
No.6
- 回答日時:2011/11/23 11:38
心がこもっていないと言う意味は『意識して、上手く歌おうと言う作為が見え隠れしている。
』と言う意味が在ります。心がこもっていると言う意味は『上手いとか下手と云う事に、意識を置かないで、只無心に歌う事が出来た時です。』
その『無心』になるなり方をいっていると思います。ですが、その人やその時々での『乗り』は当然あると思いますが、心の使い方を言っていると感じます。
無我夢中とか、馬鹿になるとか、無意識的に出来るとか表現方法が沢山在りますが、そのうちのどれかだと思います。
No.5
- 回答日時:2011/11/22 04:11
歌手は、聴衆が自分の歌をこんな風な気持ちで聴いているだろうなぁ という想像で歌っています。
聴衆は、歌手がこんな風な姿勢、気持ちで歌っているだろうなという想像で聞いているわけです。
お互いこれらが一体になったような、あるいは、同調したような錯覚に陥るとライブが興奮のるつぼと化したり、お互いに深い感動に包まれたりするわけです。
ご質問の場合、ちょとややこしいのですが、
聴衆があなたの歌に心がこもっていると感じているとあなたが感じられるような、歌を歌っていない
ということなんです。
つまり、その歌手が、聴衆を通して、自分の歌に心がこもっていると自分が感じとれているかということです。
ここで、「心とは何か」というのはその歌手がまさに歌で表現すべきものなのであって、歌手が心とは何かなんて他人に問いかけるものではないのですよ。
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