第十七話

 「気に入らないね」

 マゴットはミダス川を隔てたセルヴィー侯爵領から吹く西風に銀に煌めく髪を抑えた。
 このところマゴットの第六感は、かの国に対してしきりと警鐘を鳴らしていた。
 だからこそ先月から数度にわたり自ら国境の偵察に乗り出していたのだ。
 しかしセルヴィー侯爵領から発せられる空気は間違いなく不穏であり、兵を集めている気配はあるにもかかわらず攻撃を開始する軍にあるはずの殺気がない。
 城下にあがる炊煙の様子で、マゴットはその数が百かそこらであると睨んでいたが、不思議なことにその後もマゴットの目に捉えられる変化は何一つなかった。
 あるいは偽装なのか、はたまた自分一人を狙った暗殺でも企んでいるのか?
 予定を一日遅らせて、マゴットは信頼のおける馬回りとともに偵察を続けた。
  
 「………しばらく戦場から離れて、私の鼻も鈍ったもんだね」

 そう遠くない未来にマゴットは予想外の成り行きに天を仰いで嘆息することになる。




 
 森から上がった警笛は斥候に出ているグリムルかセルによるものだろう。
 予想より完全に早い襲撃にバルドが歯噛みしたい思いに囚われる。
 (よりにもよってセリーナとセイルーンがいるときに―――――)

 「ミランダ、ジャムカ、ミストル、こっちからうってでるぞ!大将は早く餓鬼を逃しな!」
 「時間を稼いでくれ、頼む」
 「任せな」

 短い言葉を交わすと3人は短い口笛を吹き鳴らした。
 すると森のほうからピピピピ、と短いスタッカートをあげて同じく口笛がもたらされる。
 ジルコが仲間たちと事前に打ち合わせていた暗号だった。

 「ふん……たったの12人かい………舐められたもんだね」



 
 実はこれほどトーラスたちが早く到着したのには理由がある。
 その原因は実はマゴッットの前線偵察だ。コルネリアスの最強戦力が城下を離れているということは、潜入する兵士にとってまたとない朗報であった。
 なんといってもマゴットはセルヴィー侯爵領に住む者にとっては、最悪の厄神のようなものである。
 彼女がいるといないとでは、兵士の精神的抑圧の度合いが全く違うと言ってよかった。
 マゴットが帰らぬうちに侵入を果たすべく、トーラスたちは昼夜兼行で国境を横断し、北部森林地帯へ侵入を果たしたのである。
 とはいえ森林地帯の行軍は正規の騎士であるトーラスたちには困難を極めた。
 土地勘のない森林で東西南北を迷わずに、目的地へ辿りつくことは、騎士としては優秀なトーラスをもってしても至難の業であった。
 装備や食糧を十分に整えたつもりではあってもなお、日一日と減っていく食糧と野宿による体力の消耗がもたらすストレスはトーラスたちに重い重圧となってのしかかっていた。
 
 「もうすぐ目的地だ。がんばれ」

 半ば自分にも言い聞かせるように叱咤するトーラスは、次第に森が開けて太陽の差しこむ光が増していくのに気づいた。
 やはり間違いはなかった。もうすぐ近くに目標の農場はある。
 それではこのまま襲撃を開始するか、それとも休息をとって万を持して行動を開始するか。
 疲労に重くなった身体を休ませるほうへ思考が傾きかけたそのとき、耳障りな警笛が静かな森の眠りを破ったのだった。



 最初にトーラスたちを発見したのは樹上から警戒に当たっていたセルである。
 姿かたちはいくら野盗にみせかけていても、かつて厭と言うほど戦ったハウレリア騎士特有の身ごなしは完全には消えない。
 間違いなく奴らがバルドのいうセルヴィー侯爵家の尖兵なのだろう。

 「それじゃちょいと稼がしてもらおうかい」

 生死を問わずに金貨10枚、悪くない金額だ。
 仲間より先に美味しいところを頂いておくとするか。
 突然吹き鳴らされた警笛に動揺する兵士たちの背中に、セルは腰から引き抜いたナイフを狙い澄まして投げつけた。

 キン!

 乾いた音を立てて同時に放たれた3本のナイフのうち2本が叩き落とされる。
 反射的に剣を抜き放って迎撃したトーラスの仕業だった。
 
 「そこか!」
 「ちぃ!思ったよりやりやがる!」

 木々の枝から枝へと飛び移りセルはひとまず身を隠すことを選択する。
 ナイフ使いのセルにとって身の隠しようのない平野での集団戦闘は苦手だが、こうした森林での不規遭遇戦はもっとも得意とするところだ。

 「―――――それにとりあえず金貨10枚はいただいた」


 敵が姿を隠したと思うまもなく、ナイフを肩口に受けた騎士のひとりが膝から崩れるようにして倒れた。
 ナイフには即効性の麻痺毒が塗られていたのである。

 「くそっ!」

 呪詛にも似た言葉を吐き捨てると、一瞬の躊躇もなくトーラスは倒れた騎士に向かって剣を振りおろした。
 この任務に捕虜になるということは許されない。戦闘不能になったものには必ず味方がとどめを刺す。それが事前に決められた誓いであった。
 肉を断ち切る鈍い音とともに喉を切り裂かれた男はゴフッと口元から鮮血をほとばしらせて絶命した。

 「行くぞ。今さら退く理由は何もない」

 無言で頷いた兵士たちはトーラスの後を追うように農場へと飛ぶように駆ける。
 身体強化された彼らは一陣の風となって、森の木の葉を嵐のように一斉に巻きあげた。
 おそらくは不正規戦の傭兵が身を潜めた森からは一刻も早く出る必要があった。



 「おいでなすった!」

 最初の笛が鳴り響いた時点で子供たちは休憩小屋へ一斉に避難を開始している。
 このところおやつの合図を笛にしていたこともあって、驚くべきスピードで避難は完了しつつある。
 しかし唯一の誤算がセリーナとセイルーンの存在である。
 農場の作業者の収容は事前にそれと知られぬように訓練を施していたが、二人はこの非常時に自分が何をすべきかの判断がつかない。
 しかもセイルーンがバルドから離れることを嫌がったために、彼女を避難させるための貴重な時間が失われた。
 バルドは前もってセイルーンに説明をしておかなかったことと、自分の想定が甘すぎたことを呪った。

 「ミランダ!援護頼む!」
 「任せて!」

 目にもとまらぬ速さでミランダから矢が雨のように撃ち出されていく。
 弓に特化した身体強化のなせる技であり、これほどの速度で威力を両立させた矢を放てる人間は王国中にも5人とはいない。
 本来の戦い方であれば騎士として全身鎧を身にまとうトーラスたちにとって、この間接攻撃は非常に処理に困る厄介な攻撃である。
 通常であれば鎧の装甲の厚い部分で弾き返すのだが、野盗を装った軽装ではそれができない。
 もちろん鎧なしでも水準以上の戦闘が出来るだけの訓練をトーラスたちは積んでいるが今回ばかりは相手が悪かった。
 慣れない回避で一瞬の判断を誤った一人が重傷を負い、一人が軽傷を負う。
 トーラスにとって痛すぎる損害であったが、ジルコのほうもミランダほどの弓士を相手に実質一人の損害しか与えられなかったことに舌打ちしたい思いであった。

 (…………思っていた以上にやり手だね。姉御のような化け物出ないのが救いだが)

 「ジャムカ!ミストル!ここで止めるよ!森の連中と挟み撃ちにするまで踏みとどまりな!」

 わざと聞こえるように援軍の存在を誇張してみるが、トーラスたちが動揺する様子は全くなかった。
 それどころかバルドとセイルーンたちに狙いを定めたのか、さらに速度をあげていく。
 確かに子供などいくら捕まえても何の情報源にもならない。彼らが見た目の身分の高そうなセイルーンやセリーナに注目するのは当然のことだった。
 遅ればせながら背後からグリムルとセルが攻撃に参加するが6人対11人というハンデはジルコが考えていた以上に大きかった。
 ヒットアンドアウェイで戦うならばいくらでも撹乱する自信はあるが、それをするにはバルドと二人の少女の距離が近すぎた。

 「うわっ!」

 騎士たちの一人が前につんのめるようにして倒れ込んだ。
 踏み込んだ足が落とし穴に落ちたようにく脛まで地中に埋もれている。
 咄嗟にトーラスはあらかじめ設置されていた落とし穴であると判断したが、ジルコはそれがバルドの魔法であることに気づいていた。

 「よし!ここで押し返すよ!」

 突風ジルコの名にふさわしい剛腕の一撃が襲いかかると、さすがに騎士たちも速度を落として防御に専念しなくてはならなかった。
 それでも一撃を受け止めただけなのに全身に衝撃が残されるその重さは突風の名が伊達ではないことを告げていた。
 さらにジャムカが双刀を煌めかせて同時に二人の騎士を射程に収める。
 ミストルは膂力にものを言わせた連撃で一人の騎士を追い詰め、セルとミランダは撹乱するように正確無比な遠距離射撃を浴びせた。
 体格に勝る剣士のグリムルが一人の騎士を蹴り倒して戦闘不能に追い込むと、完全に戦線は膠着したかに見えた。


 「ご武運を」
 「あの世でまた杯を交わそう戦友よ」


 しかしそれが全くの幻想であったことをジルコは思い知る。
 膠着を装って騎士たちはそれぞれがジルコたち6人を完全に抑えこみ、トーラスへの手出しを封じた。
 包囲を抜け出し最大兵力であるトーラスがフリーハンドを得るのをジルコは止めることが出来なかった。

 「ちいっ!最初からそれが狙いか!」

 最悪トーラス一人が捕虜と情報を持ち帰ればよい。
 捨て駒として異郷の地に果てる覚悟はとうに出来ている。
 どこまでも冷徹な死兵の集団は今やバルドと二人の少女を完全に捉えようとしていた。


 「すまねえ!大将!なんとか凌いでくれ!」


 これほどに部下の心を掴んでいるトーラスが、それほど易しい敵でないことをジルコは誰よりも承知していたが、それでも祈る以外の手段はジルコには残されていなかった。


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