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羊の夜をビールで洗う

シングルファーザーなプログラマーのワンオペ育児&暮らしのブログ。

卒業にまつわる二篇。

暮らし

ひさしぶりにお題でエントリを書いてみます。今週のお題は「卒業」。一つの話だと、微妙にボリュームが小さかったので、二本立てでどうぞ。

 

「卒業おめでとうございます。」

1回目の転職先が決まって、最初に入った会社の退職意向を直属の上司に告げる日。私は朝イチで、「重要なお話があるので、会議室にてご相談させて頂けないでしょうか?」と、Eメールを送った。

 

しばらくしてその上司に呼ばれて、3,4人用の小さな会議室に入るなり上司は、

「転職?」

と尋ね、私は「はい」と答えた。その後に続いた言葉が、この

「卒業おめでとうございます。」

という言葉だった。

 

このとき、2008年の8月。リーマン・ブラザーズが破綻したのが翌月で、さしずめ嵐の前の静けさ、といった世相の月だったけれど、当時の会社の経営状態は既にかなり悪く、社内には鬱々たる空気が漂っていた。そんな状態をお互い察しての、そういう言葉だったように思う。

 

そう言えばその後もしばらくは、元同僚たちがぽつりぽつりと会社を去っていく度に、フェイスブックのタイムラインでは「卒業おめでとうございます。」という言葉が飛び交っていたっけ。

 

学校の「卒業」には、次に開ける未来を予見させる、明るいイメージが強い気がするけど、会社の退職に「卒業」という言葉を当てるときには、「経営不振の会社からの」とか「ブラック体質の会社からの」というようなネガティブな枕詞を暗に含んでいることも多い気がする。それも全員揃っての旅立ちではなく、個がさまざまな理由とタイミングで行き詰まった状況から脱出するための、卒業。

 

それはそれで、おめでたいことなんだろうし、もちろん栄転や寿退社のような、心からおめでとうと言える卒業もあるのだろうけど、次はもうあんな意味で「卒業おめでとう」を言われる立場にも、言う立場にもなりたくないなぁ、と当時を振り返る私なのであった。

 

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「結婚記念日には会いたくないの。」

先週末の生活発表会の日は、面会日でもあったので、発表会のあと自宅で半日過ごした後の、帰り際の会話のこと。

 

「次に会う日はいつにしようか?」

「3月XX日の週の土曜日はどうかな?」

「あ〜、その日は予定があるねん。次の日曜日だったら、いいんだけど。」

 

そう、その日は私にしては珍しく二ヶ月も前から先約が入っていた。そう言うと、彼女は少し冗談っぽく笑いながら、次のように代替日を提案した。

 

「じゃあ、次の週の土曜日でどうかな?結婚記念日の日に会うのは、もう微妙な感じがしない?」

 

そうだった。最初に提案された週の日曜日は、前の奥さんとの結婚記念日。今年も開催されるワールド・ベースボール・クラシックの第一回で、福留がホームランを打って、日本が決勝に駒を進めた日だったので、まだちゃんと覚えている。

 

「あぁ、そっか。それはそうだよね。」

 

そう返したものの、私の方は、特にそのことを気にしてはいなかったので、始め意外に思って、そのあとに、そういうことを冗談っぽく切り出されたことに、少しだけ安堵の気持ちがやってきた。もう大分リコンを受け容れているんだ。

 

前に読んだ本では、リコンは必ずしも書類を出したときが区切りなのではなく、法的->経済的->情緒的、とプロセスを経るものなのだと読んだ。そのバランス感覚を取り戻していく過程には、大体二、三年ほどかかるらしい、ということも。

 

別居から数えると、そろそろ一年半。私たちのリコンも「情緒的」な離婚の段階にさしかかって、少しづつ卒業に向かえているのだろうか、とそんな兆しが見えるやり取りに感じたのだった。

 

今週のお題「卒業」

 

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