努力とは敗者が言い訳で使う言葉。
わかる気がします。
失敗した人の為にある言葉
努力して結果が出なかった時に人は
「努力したんですが…。」
と言います。
努力は自分の中でしかない評価。
頑張る事自体が美徳とされる日本。
結果には必ず努力という言葉が添えられる。
むしろ努力してなくても、努力を添えないと結果として認められない事もある。
例えば思い付きでパッと描いた絵が500万円以上の値を付けた時に、その作者は努力してたくさんの試行錯誤をしたと言うだろう。
そちらの方が見栄えが良い。
魅せ方が大事になる。
会社でも言い訳は努力した。と言う方が多い。
会社からしたら努力はしても、しなくても結果が欲しい。
それはどんな会社でもそうだと思います。
今話題のブラック企業でも。
ブラック企業でも必ず必要とされる能力の高い人物には必ず高い報酬を支払っていると思います。
能力の低い、結果を出せない人が安い報酬で働かせれ、結果を出せないから労働時間が長くなり、それに対して努力したのに!と会社や世間にいう。
一部の人間は自分の能力の低さに甘んじて、努力という言葉で自分を正当化して訴えていると思う。
美容院などでスタイリストになる為に2年や3年は修行という形で努力をする。
安月給で営業後も努力をする。
休みの日も講習などに行って努力をする。
ファッション誌を見ては最新のトレンドを見て学び努力をする。
接客なども勉強し努力をする。
いざ自分がお客様で行って、自分に似合わない髪型、要望と違う髪型にされた時、結果が出なかった時に、あなたは許せるのだろうか?
その美容師の努力を。相手の努力を。
笑顔で言えるだろうか?
「たくさんの努力の結果だからしょうがないよね。」
と。
結果なんだと思う。
自分自身が努力した側の場合は周りに認められたいだけで、
自分自身が努力をした人の犠牲にはなりたくないんだと思う。
元々努力なんてものは自分の中での自己満足でしかない。
自分を綺麗に正当化するための言い訳でしかないのかもしれない。
その言い訳を使わない方法があるとしたのならば、没頭や夢中だと思う。
没頭している人間には努力と言う言い訳は出てこない。
夢中になっている人もそう。
元々周りの目を気にしていないから。
自分でやりたいことを自分の意思でやっていて、自分の中での結果を求めているから。
そもそも没頭している人とそうでない人には努力に差がありすぎる。
努力にもレベルがある。
しかもその努力のレベルは自分の匙加減で決まる。
頑張れる人は頑張るなんて言わなくて頑張っているし、頑張ると自分を認めてないから頑張り続けれる。
そういうものだと思う。
努力をしている人を悪く言っている訳ではない。
努力を言い訳に使う人がダサいと言っているだけで。
努力を言い訳に使う人は、もちろん他人の努力の上での失敗にも寛容であるはずだ。
人の努力は知らない、自分の努力は認めろ!では世の中で取り残されても仕方ないと思う。
自分の思っていた人生にならなくても文句は言えないと思う。
勿論それに見合った報酬も貰えなくて当然だと思う。