劇場版SAOこと、『ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』を観た。
実はそこまで期待はしてなかったのだが、フタを開けてみればドアタリというか、「SAOの劇場版」としてこれ以上にないほど素晴らしい出来で非常に感心した次第だ。
これまでVRにフォーカスしてきたSAOがなぜARにフォーカスしてきたのか、そもそもここにきて劇場版でなにがしたいのか。そういった疑問に、かなり気持ちよく答えてくれた良作だった。少なくとも、アインクラッド編を読破・視聴した人の総決算として、この劇場版は実によいポジションに腰を据えている。
以下、忘れないうちにこの劇場版のよかったところを書き残していく。
ARというテーマについて
AR。それは、現実の世界においてはVRに匹敵、あるいは凌駕しかねない関心レベルの高さを誇る技術だ。
なによりポケモンGO。あれでARが一気に勢力を伸ばした感があるし、地方自治体が町おこしに起用したと考えるのも、どちらかといえばARだろう。PSVRが力をつけてるとはいえ、そうした時勢の中で、VRの筆頭格ともいえるSAOがなぜARに手を付けたのか? そこには関心があったのだ。
そして実際観てみれば、ARはSAOにおいて見事に「VRのカウンター」として描かれているように感じた。これは、SAOの世界において「VRが果たした罪」を鑑みれば、「そりゃそうなるだろうなぁ」と感じるレベルで自然な描写だった。
そう、単に時代に乗っかっただけではない。SAOの世界において、ARを描く理由は十分すぎるほど存在するのだ。VRの反動。それだけでSAO世界の人物が突き動かされるのである。
これだけで感心しちゃったので自分のチョロさは感じつつも、やはりこのあたりは上手いなぁと感じた。まずはそこ。
語られざる者たちの物語
アインクラッド編を見届けた人にとっては釈迦に説法だが、主人公・キリトはアインクラッドを解放に導いた英雄であり、その周辺にいた「攻略組」もまた、解放へと導く力となった存在である。
作中におけるSAO事件は相当な規模の事件であり、劇中ではなにやら単行本までできるレベルである。その本において「語られる」者たちがいる――つまり、その一方で「語られない」者もいるということ。同じ死の恐怖に晒され続けたというのに。
その代表格として劇中に登場するのが、
- AIの歌姫・ユナ――あるいはSAO被害者の一人「悠那」
- オーディナル・スケールランキング2位のエイジ――あるいはSAOで「活躍できなかった」プレイヤー、「ノーティラス」
この二人が本作のキーパーソンであり、キリトたち「SAO事件の光」に対する、語られざる「SAO事件の影」である。
彼ら「影」たちの怨嗟、すなわち「語られないことへの怒り」は、ともすれば茅場晶彦の心情よりもよっぽど我々の心に訴えかける。これは、あらゆる(ともすれば華々しい)フィクション中の事件における、全ての語られざる者たちの怒りでもある。
あらゆる英雄譚の影に存在し得る影。それを劇場版にまで据える魂胆には、ただただ感心した次第だ。同時に、常に「弱者」を生みかねない「俺TUEEE」構図の歪みも、間接的ながらその最たる本家の一つで描いた功績は、非常に意義深いことではないだろうか。我々は往々にして、愛する女も守れなかったエイジなのだ。
……もっとも、そんなエイジの手段は決して褒められたものではなく、そんな彼の姿勢を「辛い思い出を忘れようとするやつに負けるわけにはいかない」とキリトに一蹴される姿は、まだ世界には「強い英雄」が求められている証左なのだろう。事実、キリトは弱さも抱えつつも、それを補って余る俺TUEEEぶりを発揮する、(今となっては)稀有な主人公なのだ。
アインクラッドの総決算
いわば本作は、SAOの原点であるアインクラッド編の総決算とも言える。帰還者にとって、帰還したことがいわば呪いになり得ること、そして「犠牲者の遺族」が技術を持っていたらどうするか……そうした事柄をきっちり描く劇場版は、正直SAOという作品の評価を個人的に高めるものである。ただの英雄譚ではない複雑性を宿そうとする姿勢だけで、十分に賞賛したいものなのだ。
そうした「影の反動」の物語として、ARを土台に持ってきたのは素直に上手だと思うし、その上で一人の恋人のために全力を注ぐキリトが、ARという土俵の異なるフィールドでも「英雄」として君臨するシナリオラインは、実に綺麗なのだ。例えそれが、「東工大卒のギーク*1がラブラブカップルに敗れる」という、ちょっと切ない物語だとしても。
VRに立脚するSAOという物語のアイデンティティに、真っ向から殴り掛かるテーマを持ち出しつつも、それでも「SAOという物語」の正当性を証明する物語として、劇場版のシナリオは非常によくできている。初見組にはアレだとは思うし、ラストバトルは割と雑だと思うが、テーマ性の貫徹はキッチリなされたとは思う。そこには賞賛の声を贈りたい次第だ。
少なくとも、アインクラッド編を見届けた人には、「オーディナル・スケール」は観賞に値する物語だ。現代を反映しつつも、ソードアート・オンラインという物語が提示する希望は、間違いなく確認するべきだろう。
余談
- とはいうものの、やはりキリトとアスナのイチャラブ要素は強大。余裕のよっちゃんでキスシーンをぶち込む二人は割とハリウッド的。ポスターに描かれたイメージカットもどことなくハリウッドチックだしね。
- というか相変わらずアスナがぶっちぎりの正妻力を発揮するのがヤバい。あまりにも強い。事実上のセックスが多すぎるし、直後に見た『ラ・ラ・ランド』とくらべても「劣らねえなぁ…」と感じてしまうあたり、ヤバい。やっぱシコリティのユニバーサルデザイン……
- 本編のスタンスに並んで褒めたいのは、ヒロインズの描かれ方。アスナがキリトとくっついてるのは承知の事実として、その他のヒロインは「アスナを応援する」という立場に回ることで、めちゃくちゃ良好な友人関係を築いているのがただただ感心した。ヘタにキリト争奪戦を続けるよりよっぽど知性を感じられる。
- パンフレットに「リズは気がついたらおもしろおばちゃんポジションになってたねぇ」という高垣彩陽女史のコメントがあって泣いた。たしかにそんな感じだったけどさぁ!
- でもそれ以上に(よりにもよってユイに)「ついで」扱いされるシノンには泣いたよね。ものすごくいいポジションだったけどさぁ!
- 総じて、「SAO視聴勢には薦められるが、それ以外にはまるで薦められん」という感じ。いや、そういう感じでいいんですよ、劇場版アニメ作品って。少なくとも総集編を劇場で組まれるよりかは。
- 終盤の「みんな見ていたユナ」のカットは泣いた。バードというポジ、やっぱ進んでやりたい人がいるはずなんです。それが記憶に残っていることにキャラ愛が感じられる。
- ていうか神田沙也加さぁ!(銃皇無尽のファフニールにいたことを未だにおぼえている)(そういや松岡くん主演だったね!!)
*1:作中にて、このフレーズが劇中黒幕を端的に表現するキーワードになってしまう。悲しいことに。