日曜美術館「“暮し”にかけた情熱 花森安治30年間の表紙画」 2017.02.26


(常子)今日は雑誌の編集長として入って頂きたく参ったんです。
(花山)豊かな暮しを取り戻すきっかけとなる雑誌を作れるのなら。
私となら必ずできます。
始めましょう。
新しい雑誌作りを。
ハッハッハッハッ!朝の連続テレビ小説で主人公と共に雑誌を立ち上げるこの男。
よろしくな。
(常子)すてきな家ですね…。
平凡な一軒家に住む心優しい男の話だ。
モデルとなった実在の人物がいます。
天才編集長と呼ばれた花森安治。
まだ戦災の傷痕が残る1948年。
花森らが創刊したその生活誌はやがて100万部を誇る国民的人気雑誌となりました。
とりわけ人々の心を捉えたのは毎号表紙を飾る美しい絵の数々。
全て花森自身が手がけたものでした。
すご〜い。
そういう気持ちがすごく伝わってきますね。
亡くなるまでの30年間。
締め切り前になると一人部屋に籠もり一心不乱に描きました。
…っていうふうに思ってたみたいですね。
その表現は時代と共に大きく変わっていきます。
花森が伝えようとした事は何なのか。
秘められたメッセージを読み解いていきます。
「日曜美術館」です。
今日は戦後の暮しを変えたと言われる雑誌の編集長を務めた花森安治の作品を紹介します。
ほんとに暮しに密着した雑誌でその表紙は女性や主婦にとってほんとに特別な存在でしたけれども改めて作品見てもなんとすてきな作品かと。
優しい印象を受けますよね。
見ていて楽しくなるような。
でも何かそれだけではない時代の事を考えると花森さんの思いの強さや厳しさみたいなものも感じずにはいられないですよね。
まあ30年この表紙の絵を編集長でありながら描き続けた。
花森はこの表紙にどんな思いを込めたのでしょうか。
まずは原画からたどってみましょう。
花森の表紙絵に魅せられてきた人がいます。
最初に花森さんが作られてるこの雑誌に出会ったのがいつだったのかははっきりと覚えてないんですけど…。
幼い頃家にあった雑誌のバックナンバーを見て育ったといいます。
女優やモデルとして活躍する菊池さん。
一方編集長として雑誌作りにも携わりイラストからレイアウトまで全て手がけています。
何かやっぱり雑誌の表紙が絵本みたいだなと思って子供心に記事が何が書いてあるのかはあんまりよく分かんないんですけど私にとっては近い存在でした。
訪れたのは…花森の遺族が寄贈した表紙の原画が収蔵されています。
今回特別に見せてもらいました。
何か緊張しますね。
私この創刊号の…雑誌としては見た事があるんですけど本物の原画の力はやっぱりすごいですね。
何かわくわくしますね。
引き出しがいっぱいちょこっとずつ開いてて中からテーブルクロスみたいな…はみ出してたりとか。
この風景のあるおうちで暮らしたいなって感じが。
引き込まれる世界観だなあ…。
鮮やかな色どりのポットや鍋。
暮しの一場面をさりげなく切り取ったような情景です。
しかしこの絵が雑誌の表紙を飾ったのは1948年の事。
終戦から3年。
戦争の傷痕があちこちに残る時代でした。
そんな中花森は鮮やかな色にあふれた表紙絵を次々と描いていきます。
英字の看板が掲げられたエキゾチックな町並み。
果物であふれる店は瓦屋根です。
どこかにありそうでどこにもない不思議な世界です。
ろうそくが灯されたテーブル。
よく見るとテーブルクロスは手ぬぐいです。
和と洋が混じり合うモダンで斬新なテーブルセッティングです。
当時花森の描く表紙絵に力づけられたという人がいます。
母娘二人の苦しい生活の中母親がなけなしのお金で買っていた雑誌の表紙絵に憧れました。
花森さんは私にとって絵本の「花咲かじいさん」なんですね。
枯れ木に花を咲かせるそういう感じで何かこうぱっと心が明るくなる。
こんなお部屋の中で生活できたら夢のようだわと。
戦後間もない頃はみんな心が弱ってましたのでああどうしたらいいか分からないという中からの復興ですよね。
そういう時にやっぱり皆さん希望を持ちましょう夢を持ちましょうというそういう励まし温かな励ましというものが表紙に出てたと思うんですね。
こうした絵を手がけた花森とは一体どんな人物だったのでしょうか。
1911年明治44年。
花森は港町神戸の貿易商の家に生まれます。
幼い頃から父に連れられ週に一度は映画を見月に一度は舞台を見に行くハイカラな少年時代を過ごしました。
高校時代は手作りの服をまとい舞台俳優のような姿を披露するなど美意識の高い青年でした。
編集者を夢みるようになったのもこのころの事。
校友会雑誌の編集や装丁に才能を発揮しました。
そのころ日本は戦争の時代へと突入していきます。
花森は大学卒業と同時に召集を受け満州に出征。
しかし結核を患い療養生活を余儀なくされます。
復員後家族を養うために就いたのは大政翼賛会の仕事でした。
担当したのは国策宣伝のポスターや標語の制作。
花森の卓越したデザイン感覚と文才が買われました。
(玉音放送)1945年8月15日終戦。
その日花森は茫然自失のままがれきの町をさまよい歩きました。
花森の前に一人の女性が現れたのはその年の事でした。
私はどうしても女の人の役に立つ雑誌が作りたいんです。
豊かな暮しを取り戻すきっかけとなる雑誌を作れるのなら。
私となら必ずできます。
「とと姉ちゃん」のモデルとなった…「女性のための雑誌を作りたい」という大橋の願いを受け花森は編集長に就任。
記事の執筆のみならず文字のレタリングからレイアウトそして表紙の絵まで引き受けました。
創刊号の表紙に描いたのは鍋やフライパンが並ぶ光景。
そこには花森自身が戦後の闇市で見たある記憶が投影されています。
日々の暮し以上にかけがえのないものなどない。
花森がかみしめた思いが絵には込められていました。
すてきなおうちですよね。
こういうふうに調度品が飾ってあるおうちがもしあったとしたら。
でもきっと戦争が終わって今は何もないけれどこれから暮しは前向きに明るくなって希望があふれてるよ。
こういう世界がみんなのもとに待ってるんだよっていうそういう気持ちがすごく伝わってきますね。
物資不足の時代花森は絵に描かれたような豊かな暮しを自分たちでつくり上げるアイデアも誌面で紹介していきます。
これはリンゴ箱を利用して家具を作る方法。
大工仕事に不慣れな女性にも作れるよう写真を使って丁寧に説明しています。
童話の一場面のようなこちらの記事。
当時はまだなじみが薄かった洋風のソースを花森自筆のイラストで紹介したものです。
それぞれのソースを擬人化し特徴とそれに合う食材を分かりやすく解説しています。
(菊池)キャラクター化されたソースちゃんたちが単純にビジュアルで見て楽しいですね。
しかもこの絵本みたいなページの後にちゃんと作り方をすごく細かく書かれてるんですよね。
創刊号に花森が掲げたメッセージがあります。
戦後の荒廃した灰色の世界の中で彩りある暮しを大切にしてほしいっていうそういう強い思いを感じますね。
そうですよね。
さあ今日はそんな花森の作品を一緒に堪能して頂くのはプロダクトデザイナーの深澤直人さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
深澤さん花森は編集長でありながらこうした表紙の作品をずっと30年作り続けた。
深澤さんは花森のどんなところに惹かれますか?「暮し」って言葉を聞くと頭に浮かんでくるような雑誌ですよね。
面白いのはその手作り感っていうかそういう手で作った手で描いた雑誌みたいな感じが残っているってところが非常に優しいですよね。
手作り感っていうのはやっぱり何よりも優しさが出ますよね。
作家の太田治子さんもどれだけ励まされたかというふうにおっしゃってましたけれどもそうやって多くの人を30年近く共感しえたのはなぜだと思います?憧れ幸せに対する憧れみたいな。
生活感っていう事を非常に大事にしたんじゃないでしょうかね。
ですからまあ…新聞がこう垂れ下がっていたりとか引き出しの中から少し物が見えていたりっていう事自体は生活の中の営みが全部見えるわけですよね。
幸せの形ってこんな感じなんじゃないかなっていうような事をこう共有したいっていう願望があったんじゃないかなと思いますけどね。
それが何かフライパンであったり鍋であったり平和の象徴みたいな…そういったところを見逃してなかったんではないかなと。
VTRの中にリンゴ箱を使って家具を作るという。
分かりやすくしかも楽しく伝えているんだなあというふうに感じたんですけども深澤さんはどのように…。
ああいった廃材とか既存のものを使って椅子を作ろうっていうような活動は我々のデザインの世界では結構あったりもするんですけどもそういう中であれは単にそこにあった材料で作ればできますよって事を言ってるんではなくて私が見るとすごくデザインが美しいと思うんですよ。
そこまで彼は考えてたんではないかなと思うんです。
リンゴ箱というものだったら粗末な椅子が出来上がってもおかしくないですけど決して粗末ではなくて豊かな椅子が出来上がってるってところまでデザイン性っていうもの自体をあなたでもこれが作れますよみたいな事のヒントとして与えていた感じはしますね。
そこは私自身も非常に驚くところで「ああすごく美しい。
自分だったらこの椅子出来るかなあ」って思ってしまうぐらいよく出来てるなあと思います。
メッセージで込められていたのがあの言葉ですよね。
…というのが実にさりげなく書かれてましたよね。
その戦後っていう時にはやはりこうもう少し大きなものに対する批判精神とか考え方誰が幸せにしてくれるのよみたいな感じがその…政治的な思いになったり誰か何とかしてよっていう感じがあったと思うんですけども彼はそれをもっと生活の非常に細かいところから人を平和にしていこうっていうふうに考えたっていうそのきっかけをそこに持ったっていうところがユニークだったのではないかなと思いますけどね。
花森が大橋鎭子と共に立ち上げた雑誌社。
(菊池)こんにちは。
・おおこんにちは!よくまあ…小榑です。
(菊池)はじめまして。
出迎えてくれたのは花森の下で働いた…花森が編集長を務めた雑誌は今も続いています。
あるものが残されていました。
(菊池)この机…。
懐かしい。
うわ〜よく残ってたなあ。
使い古したそのまんま。
花森は表紙の締め切りが迫ると一人編集長室に籠もりました。
(菊池)描いてる姿は…。
あまり知らないです。
鶴の恩返しみたいな…。
見せてくれない。
いわば入室禁止みたいな。
ようやく絵が仕上がると毎回スタッフを集めて披露しました。
(小榑)「どうだ!」っていうような感じでね。
そうすると我々がみんなぞろぞろ集まって「わぁいい!」とかね「う〜ん」とか何とかこう言っているとそれをじっと花森さんいつも何となく感じてるのね。
そうするといつの間にかまたふ〜っと持ってってまた直したりしてんですよ。
じゃあ編集の方々の感じ方を感じ取って更にまた…。
(小榑)また直してますね。
花森は使う画材や描き方を毎号のように変えていきました。
絵の具を分厚く塗り筆跡を残した抽象絵画のような絵。
水彩絵の具を使い軽やかなタッチで仕上げたもの。
同じ人物が描いたとは思えないほどバラエティー豊かな作風です。
1950年代後半花森は表紙の表現を大きく変えます。
写真を使い始めたのです。
色とりどりの果物や野菜などが整然と並ぶレイアウト。

(菊池)雑誌を作る身としては何か…これはすごい何ていうか「悔しい!」みたいな。
何かこういうデザインって今もしこれが本屋さんに並んでたら一直線に手に取っちゃうだろうなって思うぐらいすっごく斬新だしいい意味で緊張感があるというか。
花森の撮影方法は並外れていました。
リヤカーいっぱいの野菜や花を運び込みそこから選ぶだけで一日が終わる事もありました。
リンゴが並ぶ表紙。
よく見ると光の方向や影の形が一つ一つ異なっています。
リンゴの置き方やカメラの位置を変えながら別々に撮影したリンゴを後で1枚に合成しました。
身近なリンゴでありながらどこか不思議なもののようにも見えてきます。
水玉模様の背景がおしゃれなこちらの表紙。
よく見ると模様はグリンピースです。
穴の開いたボードに一つずつ豆を詰めて撮影しました。
ものを俯瞰から捉える構図も花森が好んだレイアウトです。
真上から見るコーヒーカップやパン。
見る角度を変えるだけでありふれたものが新たな姿で迫ってきます。
花森が表紙を写真に変えた1950年代後半。
日本は大きく変わろうとしていました。
高度経済成長時代の到来です。
大量生産のものがあふれ人々はものを買っては使い捨てる便利な生活を享受するようになりました。
そんな中表紙の写真と共に花森が力を入れた連載企画があります。
市井の人々の唯一無二の人生に迫るルポルタージュです。
築地で働く魚河岸の競り人を取り上げた回。
毎朝3時に出勤する競り人を撮影するよう指示されたのが小榑さんでした。
撮ってきた写真を見た花森は突然怒りだしました。
相手が同じ仲間なんです。
同じ庶民とのコミュニケーションというか…
(小榑)その事を雑誌は表現をする伝える。
そのための写真なんです。
こう腹の底から絞り出すように叱ってくれましたよね。
花森の思いは表紙の写真にも通じると小榑さんは言います。
(小榑)花森さんの場合にはみんなをうならせたい「どうだこんな新機軸は」というような発想法で作ってるんじゃないんですよ。
(小榑)それが花森さんにとっての大切な表紙なんです。
(菊池)この時代とは思えない斬新さとかちょっとハイカラな感じ。
でもこの中で伝えている暮しっていうすごく地に足の着いた日本人の守るべき暮しっていうものとその両方がぎゅっと詰まってる感じが…。
深澤さんはこの花森さんの表紙写真どのようにご覧になりましたか?俯瞰で撮ってる部分が多いですね。
俯瞰というか正面…はい。
多分テーブルの上に置いてある食器とか料理とかっていうような事を人間が想像した時っていうのはそんな複雑に斜めからこう見てるような形ではなくこういうふうにはっきりと器が並んでるような状態でその食卓というものを例えば覚えてると思いますよね。
多分これがティータイムというみんなが共有してる生活の断面なんですよね。
その記憶をそのまま写真にできないかっていう事を考えていたんではないかなと。
非常にまあ強い表現力ですね。
人々の暮しに寄り添うルポルタージュの写真にもかなり力を入れてましたよね。
先ほどちょっと言葉にあった「その人の暮しや人生ににじみ出るような写真を撮れ」っていう。
すごいすてきな言葉だなと思うんですけれども。
あのルポルタージュにしてもこういう事をしているこの人が美しいじゃないかって生活の中で美しいじゃないかっていう事を見せたかったんじゃないかな。
そういうさまざまな生活を営んでる一人一人がいるっていう事をやっぱり自分も分かってそれを雑誌の中に組み込まないと暮しはいい方向にならないっていうふうな思いが…。
表紙のその写真の撮り方にしても警鐘を鳴らしていたのかもしれないですよね。
高度成長期にほとんどの人が流れていく中で「本来しっかりとした生活の営みっていうのはこういうところにあるんじゃないの?」っていう事をキャッチしてその流れていく方に自分も流れて編集者として乗っていくんではなくむしろここでしょうっていうような事を言いたかったんではないかと思いますよね。
「何で社会はこうならないんだ」とか「もっとこういうふうになればいいのにって自分は分かってるのに何でみんなそう気付かないんだ」みたいな事が表現者としては非常に重要で「分かってないなあ!」っていう事をだから自分が表現しようみたいなその表現のパワーになるみたいな事がそこを見せたかったんではないかなと思いますね。
雑誌は順調に部数を伸ばし続けちょうど100号を制作していたさなかの事でした。
花森は心筋梗塞で倒れます。
一時は命が危ぶまれましたが何とか一命を取り留めました。
はい。
花森の一人娘…2か月間の療養生活中付き添った藍生さんにある日花森は「スケッチブックを買ってきてほしい」と頼みます。
安静に安静にとずっと言われどおしできたのでもうそんな事しないで寝てた方がいいのにっていうふうに思いましたけどね。
人の言う事なんて聞く人じゃないですから。
その時のスケッチブックです。
最初のページに描かれているのは自画像。
ページをめくるとお見舞いの花や病室の窓からの風景に交じり繰り返し自画像を描いています。

(藍生)体の事とかを考えずに前へ前へって突っ走ってきたけどこういう結果になったらやっぱり自分の命も限りがあるというふうに思ったんだと思うんですよね。
退院して仕事に復帰した花森は再び絵筆を取り表紙絵を描き始めました。
それはさまざまな女性たちの姿でした。
シンプルな形と色で表現された女性たち。
その姿は時に伸びやかに時に静かな強さを秘めた存在として描かれています。
花森がこれらの絵を描いた1970年代。
女性の社会進出が進んだと言われた時代でした。
しかし女性を取り巻く環境はまだまだ厳しいのが現状でした。
学校を卒業し社会に巣立つ女性たちに向けてつづった花森の文章です。
この絵は3人並んでますけど同じ方向向いてるけど着ている洋服の色も全然違うし肌の色も微妙にみんな違ってて自分でいる事がすごく魅力的なんだよってすごく肯定してもらっていて…っていう事なんだろうなと。
やっぱりどの女性も何か強い気がするんですよ。
叱咤激励されているというか。
それは何かやっぱり女性が社会を変えるっていうそういう力を信じたいけれども君たちに託したいみたいな隠れたメッセージを私は感じてしまいます。
1978年1月。
再び襲った心筋梗塞により花森は帰らぬ人となりました。
66歳でした。
一人娘の土井藍生さん。
晩年の花森から一枚の自筆の絵を贈られました。
手作りの額で飾られたランプの絵です。
(藍生)父の一番好きなモチーフがそのランプという。
そのランプはどうして気に入ってたかって「世を照らす」という意味があるのでそれだから好きというふうに当人は言ってました。
そこにそういうメッセージを込めて描いてたんだろうと思うんですよ。
花森は表紙の絵にも繰り返しランプを描いていました。
その一枚一枚に込めたのは人々の暮しを照らす灯でありたいという願いだったのかもしれません。
1970年代以降の女性シリーズは私実家にあって母が読んでいたのを今も幼心にとてもよく覚えていて改めて見るともう完全に今の私たちにも響いてくると思いますよね。
本来その持ってる女性の美しさっていうのはどこにあるのかっていう事が非常に的確に捉えられているし独創的ですよね。
目は変わってますよね少し。
そうですね。
正面から見た目を横顔に描いていますよね。
具象のように感じますけれども抽象画を描いてるわけですからその女性の強さとか美しさ全てが含まれていますよね。
まあ欲しくなります。
(笑い)つい本音が。
もうほんとに優しさがあふれてるし。
最初に創刊した当時に生活の断片を切り取って描いていった時の絵とこの女性を描き始めた時の彼とは少し変わってきてるような感じがしますね。
むしろこれはもう自分が描きたい絵を描いてるっていう。
そこにもうやっぱり画家としての花森安治という人が病気をしたからかどうか分かりませんが多分それがきっかけにかなりはっきりと出てきてるんではないかなと思いますよね。
花森さんが女性が暮しの中心にあってそして幸福や平和の象徴なんだっていうのをほんとに強い信念を持たれてた方だったんだなというのをほんとに強く感じましたね。
結局最後まで仕事をした時にその一番中心のコアが見えてきたっていう感じなんじゃないでしょうかね。
生活の豊かさっていうものがどこに一体あるんだろうという事を突き詰めてた結果がこういう絵になるっていう事はなかなか想像つかないですけどもすばらしいなとやっぱり思いますね。
改めて花森さんの表紙の作品が今の僕たちに伝えようとしていた事というのは何だったと思われますか?日々の生活のこまやかな配慮みたいなものが結局は人類の大きな幸せみたいなものにつながっていくっていう事の一番その手前にある小さな事を怠らないでねみたいなそこにあなたの幸せあるのよみたいな事が言いたかったんではないかなと思いますね。
人間って単純な事で幸せを感じてると思うんですよね。
でそれはなかなか気付かないんですけれども例えば目玉焼きを焼いた時にその黄身が中心にちょうど来たみたいな時にあっうれしかったみたいな事だと思うんですけれども彼が描こうとしたのはそれを象徴化したライフスタイルっていうかそれがフライパンであったり時として女性の顔であったり暮しの中心を常に見せてあげようという努力を怠らなかったんじゃないかなと。
よく使う表現ですけれどもすごく大きな船タンカーみたいな大きな船のかじが少しずつこう方向を変えて正しい道筋に行くみたいな時に使うものっていったらほんとに小さなダイヤルなんですよね。
小さなダイヤルを回す事でその大きなタンカーがずっとこう船が動いていく方向を変えるみたいな事を彼は小さな暮しの断片からやりたかったんではないかな。
そこをやらずして何か全体がガッといい方に動くっていう事はなかなか簡単ではないと思うんだけど彼は自分ができる力でそこからそれを始めたんじゃないかなと。
まあ戦後ずっと提示し続けてそれが結局今の私たちにもとても深く刺さってくる。
改めて偉大…。
偉大ですよね。
偉大なんだけどすぐそばにいるみたいな感じだったんじゃないでしょうかね。
今日はほんとにどうもありがとうございました。
楽しかったです。
どうもありがとうございました。
今回は花森が高校時代を過ごした島根県の松江でゆかりの場所を訪ねていきます。
こちらもどうぞ。
2017/02/26(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「“暮し”にかけた情熱 花森安治30年間の表紙画」[字][再]

戦後、日本人の暮らしを変えたと言われる“国民的”生活雑誌がある。その表紙画を30年間自ら手がけたのは、天才編集長・花森安治。原画に秘めたメッセージとは?

詳細情報
番組内容
連続テレビ小説「とと姉ちゃん」花山伊佐次のモデルとなった編集長・花森安治。“とと姉ちゃん”こと大橋鎭子とともに、終戦まもない昭和23年に雑誌を創刊。30年間、現場の指揮をとりながら、雑誌の顔である表紙画を自ら描き続けた。美しい表紙画の数々は、戦後の痛手の中、新しい暮らしへと歩み出す人々を魅了し、力づける。その絵に、花森が込めた思いとは?女優の菊池亜希子さんや工業デザイナーの深澤直人さんと読み解く。
出演者
【VTR】唐沢寿明,【出演】菊池亜希子,日本民藝館館長・プロダクトデザイナー…深澤直人,花森安治長女…土井藍生,世田谷美術館・学芸部美術課長…矢野進,作家…太田治子,【司会】井浦新,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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