みなさんはエゴサーチ(以下エゴサ)してますか?
エゴサーチ (egosearching) とは、インターネット上で、自分の本名やハンドルネーム、運営しているサイト名やブログ名で検索して自分自身の評価を確認する行為のことである
最近感じるのは「エゴサしても良いことないなぁ」です。
これをざっくばらんに述べます。
悪いことが書いてあればマイナス
悟りの境地に至った徳の高い達観者であれば、エゴサして自分の誹謗中傷を見つけても澄んだ瞳でスルーできるのでしょうが、大半の人はネガティブな感情を引き起こしてしまう。場合によっては後にひきずる。僕の場合も例にもれず後者です、最近ではあまりひきずることはなくなりましたけど。
エゴサってのはそもそも自分のポジティブな評判を漁る行為であって、目的は「どう褒められたか、認められたかを探る」であると考えます。そんななかで罵詈雑言見つけちゃったら目的にそぐわない結果を身に浴びることになって、不本意なんですね。
誹謗中傷、罵詈雑言の類をインターネットで公開している人が悪なのかといえばそんなことはなくて、各自自由に気持ちを発信した結果に過ぎませんので、これを声高に断じるのもまたナンセンスなのかな、と。もちろん、法的な手段をもって訴えることを退けるつもりはないですけどね。
それよりも、良いも悪いもごちゃ混ぜになった評判のサラダボールを開いて見るのは「行為」、エゴサする人は主体なわけですから、そこに何が書いてあっても責任というか...どんな気持ちを引き起こしても仕方ないのではないかと思うんですよ。だからもし僕がエゴサして悪口を見つけてしまっても「アウチ」と感じたとしてその責任は自分に帰結する、と。
承認欲求を満たしたい気持ち
これは否定しません。誰だって自分が公開した記事にどのような反応があるかは、気になりますよね。反応があればブログを継続するモチベーション、励みにもなります。事実、僕は1年半近くのブログ更新で記事へのレスポンスが少なからずの励みになりました。
しかし、過ぎたるは及ばざるが如しというのはまさにその通りで、過剰な承認欲求は過激なパフォーマンスに変貌を遂げることがあります。過激な言動で気を引いたり、相手を傷つけるような発言を恣意的に繰り返す、などです。
だもんで、エゴサにしてもそうですけど自分の評判漁りはほどほどにしておいた方が良いんですよ。足跡やブックマークのお知らせ通知がポップしたら、誰がつけてくれたのかな?くらいの軽い気持ちでいきましょう。常にアンテナ3本張り巡らせて「私ってどう思われてんの?ねぇ、答えてよ」的な心境に陥ると重症感が漂っちゃう。
エゴサ重症度は
- Google検索
- Twitter等各種SNSで検索
- 2ちゃんねるで検索
の順番に進むというのが所感。
解析や交流との境目
昨日のアクセス数はどうだったのかーとか、どんなクエリで来訪してるのかーとか。こういう「解析」の類はエゴサと棲み分けしたほうが良いですね。最初は解析するつもりでアクセス解析眺めてたら、いつのまにか建設的じゃない様相を呈して気づけばエゴサとか避けたい。アクセス見る場合は「何を解析したいのか」という確たる目的をもって望みましょう。
交流については例えばブックマークコメントが自分に対して何かを伝えようとしている場合は、それについて返答するなどのケースが考えられます。ただ、ちょっとここが危険でして、というのもブックマークコメントは基本何を書いても自由なので辻斬りもいるんですよね。下手に扉を開けたら魔物が飛び出してエンカウントする可能性もあるんで、僕は基本見ないです。
じゃあどうやってコミュニケーションとるのかというと、Twitterですね。これをコミュニケーションツールと割り切ってしまえば良いんです。記事公開して、その内容に対してどーしても一言伝えたいメンは正面からリプ飛ばしてくることが多いです。これに対して内容はどうあれ、僕は可能な限り向き合いたい。ウンコ投げられたら閉口しますけど、意見や批判の類でしたらそれについての所感は返答します。
ま、要するにブログとSNS、上手く使い分けましょうってことです。
まとめ
- エゴサはブログのモチベーションになりえる
- 暴言誹謗中傷でダメージ受ける危険性あり
- 評判漁り過ぎて炎上芸人と化す危険性あり
- SNSでエゴサは黄色、2ちゃんねるでエゴサは赤色サイン
- 解析や交流とエゴサを棲み分けよう
過剰なエゴサーチは毒にしかならない!
ちなみに僕のエゴサ活動は最近では自粛気味です。ネガコメって否定すべきものでも消せるものでもない、「言うな」とも言わない。判断するのは各自の自由ですから。
ただ、好きで魔物と出くわす人はいないと思う。
ドラクエやFFは魔物とエンカウントてレベル上げたりお金稼ぎますけど、インターネットは誹謗中傷暴言モンスターとエンカウントしてもダメージ負うだけで良いことなしなんです。
理想は承認欲求を捨てて「公開した記事なんてどうにでもなりやがれ!」の境地に至ることですが。ここは道半ばって感じ。