(139)『アイヌ紀行』イザ ベラ・バード
ベラ・
バード
イザ
(1831~1904)が、明治十一年通訳の青年と二人で東北・北海道を旅した。その著書の和訳『日本奥地紀行』の中で175頁のスペースを使いアイヌを記述している。『アイヌ紀行』とは筆者の勝手な命名、明治維新間もない頃の、英人女性旅行家の記述を部分的にご紹介する。スペースの関係で筆者が勝手に編集したから、厳密には原本にあたっていただきたい。
明治11年8月23日 アイヌ小屋(平取)にて、
私は寂しいアイヌの地にいる。旅行体験の中でもっとも興味があったのは、アイヌの小屋に三日二晩泊まり、まったくの未開人の日常生活を見たり、一緒に暮らしたことである。その間、彼らは、私がいないかのように日常の暮らしを続けた。
平取はアイヌ部落の中で最大で、非常に美しい場所にあり、森や山に囲まれている。部落の中を通っていくと、犬は吠え、女たちは恥ずかしそうに微笑した。男たちは上品な挨拶をした。私たちは酋長の家の客であった。
5歳頃から15歳までの男子は頭を大きく剃るか、耳の上に大きなタブサ(髪を集め束ねたところ)をつける。女子は髪の毛を伸ばす。一人の愛らしい裸の子が大きな茶色の目を輝かせ、囲炉裏の火をみつめ、母親がくると駆け寄って両腕で母に抱きついた。無邪気そのままで、美しい顔とオリーブ色の肌(汚れでうす黒くなっているが)をしており、実に人の心をうっとりさせるものがある。
普通の小児病、例えば百日咳とか麻疹(はしか)とかは、アイヌ人の生死に関っていないようだ。子どもたちは皮膚病にかかり、10歳か11歳になると自然に治ってしまう。乳歯が生えるときはひどく歯痛に苦しむ。
アイヌは日本人のように、(外国人を見ようと)集まったりジロジロ覗いたりしない。無関心もあり、知性が欠けるためかもしれない。三日間、彼らは上品に優しく歓待してくれた。他人の細かい神経にさわるようなことを少しもしなかった。
酋長の母だけが気味の悪い魔女のような80歳の老女で、黄白乱髪で人を疑う目つきだった。樹皮の皮を絶えず結び、息子の二人の妻や、別の女たちを油断なく見守っている。老人特有ののんびりした休息はない。お酒を見ると、貪欲な目を輝かせ一気に椀から飲み乾す。私の訪問は、彼女の種族にとって縁起が悪いと考えている。彼女の視線は私にじっと降り注がれていた。
それから二時間、夕食後さらに二時間の間、彼らの宗教や、風俗習慣について質問をした。昨日もかなり長い時間にわたって質問をした。また相当な時間を使って約三百のアイヌ語を採取した。
9時ごろシチューのような鍋ができた。女たちは木の杓子で、漆器の椀に汲みいれた。男たちにまず出したが、食べるのは一緒である。その後に酒が漆の椀に注いだ。酒は冷たいまま飲んだが、日本人ならたわいもなくなる量の、三倍も飲んで少しも酔わなかった。
毎年、毛皮を売ったり、物々交換するのだから、儲けを酒だけに変えてしまうことがなければもっと生活が楽しく楽になるのに、と思った。
アイヌは遊牧の民ではない。先祖伝来の土地に強く執着している。家の周辺には耕作地らしきものがあったが、土は白い砂も同然、肥料もかけずに黍(きび)、カボチャ、玉ネギ、タバコの栽培らしきことをしている。黍は米の代わりである。小さな土地の様子を見ると、10年も前に手入れしたままに放置、偶然に種のまかれた穀物や野菜が雑草の間から出てきたような農法である。何も栽培できなくなると、森の他の部分を少し切り開き、今度はそれを消耗していく。
日本政府に対して奇妙な恐怖・・・・・・私には馬鹿らしい恐怖と思われるのだがーを抱いている。「役人たちが彼らを脅迫し、ひどい目に合わせているからだ」とシーボルト氏は考えている。ありうることだろう。しかし、開拓使庁が彼らに好意を持っており、アイヌ人を被征服民族としての圧迫的な束縛から解放し、さらに人道的に正当に取り扱っていることは、例えばアメリカ
政府が北米インデアンを取り扱っているよりはるかにまさると、私は心から思っている。
しかしながら彼らは無知である。一人は、私がヘボン先生(米医師・伝道者)に頼んで薬を貰って送ってあげるといったら、私にはとても感謝したのであるが、「日本政府はきっと怒るだろう」から、「決してそんなことはしてくれるな」、と頼んだ。彼らはまた自分たちの「風俗習慣を話したことを日本政府に知らさないでくれ」、と頼むのだった。日本政府はもちろんアイヌ民族に対しても権限を振るっているが、アイヌの内政問題や部落間問題に対しては干渉したがらない。
それから酋長が、外国人が誰も訪れたことがない彼らの神社に案内するといい「決して日本政府に言ってはいけない」と何度も頼むのだった。山深い秘密の神社へ行くことになったが、「そまつながら」明らかに日本式神社に、源義経(みなもと・よしつね)が祭られ、「アイヌに親切だったからと今も敬意を払っている」と、何回か鐘を鳴らし、お辞儀をし、私にも拝めといい、断ると無理強いはしなかった。通訳の伊藤は拝礼した。すなわち征服民族の偉大な英雄の前に喜んで頭を下げたのだ。
アイヌの最低で最もひどい生活でも、世界の他の多くの原住民の生活より、そうとう高度で、優れたものではある。アイヌ人は純潔であり、他人に対して親切で、正直で崇敬の念が厚く、老人に対して思いやりがある。最大の悪徳である飲酒は、宗教と相反するものでなく、むしろ一部分をなす事情を考えると、飲酒の悪癖を根絶することは極めて困難だろう。
身体的特徴は、この村の男の身長は5フィート4インチから、6インチで女性は非常に醜いといわれるが、これは入れ墨と不潔さによる。女の伸長が5フィート6インチを超えることはめったにない。(注:1フィートは12インチ)
体の線は美しくすらりと真っ直ぐで、しなやかでよく発達している。手足は小さく歯は実に見事なものだ。女性の唇の上下の入れ墨が美しさを損ねている。白老(しらおい:地名)のある少女は入れ墨を断固拒否したから、見たこともない美しい女性となっている。全体にアジア的というよりヨーロッパ 的で、スコットランドの高地人(Highland)によく似ている。
アイヌの女性を自宅に案内した日本女性が、風呂に入るよう勧めたが、完全に個室に仕立て上げるまで入ろうとせず、やっと入ったら服を着たままだった。叱ると「服を脱ぐと神が怒るから」、という話が最近あった。
日本政府が毒矢や、仕掛け矢を禁止したのは無理もない。トリカブの毒を使うもので、禁止してからは、旅行が素晴らしく安全になった。もし人間が間違って毒矢に刺されたときは、その部分を切り取ってしまう以外手当て法がないという。仕掛け矢は大きな弓に毒矢をつけておき、弓につけた綱の上を熊が歩くと音もなく殺してしまう。
アイヌの宗教概念ほど、まとまりのないものはない。丘の上の神社は日本風の建築で、義経を祀っている。樹木や皮や岩や山を漠然と神聖と考え、海や森や火や日月に、漠然と善と悪の力があると考えている。唯一の例外は「義経崇拝」と思われる。義経に非常な恩恵を受けたと信じ、今でも義経は自分たちのために一肌脱いでくれると信じている。
彼らは時間を計算する方法をもたない。だから自分の年齢も知らない。1000以上の数は存在しない。彼らにとって過去は死んだものである。それでもやはり、他の、征服され軽蔑されている民族と同じく、いつか遠い昔は、自分たちは偉大な国民であったという考えにしがみついている。
彼らは決して着物を洗わず、同じものを夜昼着ている。私は彼らの豊かな黒髪がどういう状態になっているかと考えると心配である。非常に汚いといっていいだろう。
蛇を非常に恐れる。幽霊を怖がり、墓地へは一人で近づかない。数人の若いアイヌ人が東京に送られ、各方面の教育を受けたが、蝦夷(北海道)に帰ってくるとすぐまた未開へ戻ってしまった。文明と接触するようなところでは、堕落させるだけである。アイヌの愚鈍さ、無関心、希望を持たないことが人を悲しませる。人数が再び増加しつつあるように見えるので、なおさら悲しませるのである。彼らの体格はとても立派だから、現在のところ、この民族が死滅するとは思えない。
『日本奥地紀行』イザ
ベラ・バード
高梨健吉訳 平凡社 2007