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【首都スポ】

[マラソン]服部勇馬、世界陸上切符ゲットへ 果敢に攻める

2017年2月24日 紙面から

東京マラソンに向け意気込むトヨタ自動車の服部勇馬=愛知県田原市で(小嶋明彦撮影)

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 1年前の忘れ物を取り返す。8月の世界選手権代表選考会を兼ねた、26日の東京マラソン(東京中日スポーツなど後援)に、昨年12位(日本人4位)だった服部勇馬(23)=トヨタ自動車=が再度挑戦する。今季東洋大から実業団に進んだ服部。レベルアップした姿を見せて、世界選手権代表の切符をつかみ取る。 (川村庸介)

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 年下の大学生に屈した1年前の自分はもういない。2度目の東京マラソンへ向け服部は「(2時間)8分切りが今年の目標になる。その辺りを狙えるトレーニングと感覚は持てている。今年はとにかく世界陸上の切符を取りたいのが一番。そこでタイムが出れば良い」と静かな口調にも高い志を秘める。

 初マラソンだった前回の東京マラソンでは30キロで日本人集団の先頭に立ち、そこからの5キロを14分54秒にペースアップして引っ張った。だが39キロ付近で「あと3キロだから行けるという感覚はあったけど、足が動かなくなった。すごく2キロが、42キロが長かった」と急激にペースダウン。

 ゴール直前で箱根駅伝のライバル、青学大の当時まだ19歳だった下田裕太、仙台育英高の後輩でもあった一色恭志に相次いで抜き去られ、日本人4位に終わり、リオ五輪代表選考の俎上(そじょう)に乗ることすらできなかった。

 年下の後塵(こうじん)を拝したことはもちろん「学生に負けるとは思っていなかった。何で負けたのかなと思った」と悔しかった。だがそれ以上にふがいなかったのが、序盤高速ペースにもひるまず外国人に挑んだ村山謙太(旭化成)を追い掛けなかったことだ。「村山さんが積極的に行った中で僕も挑戦するべきだった。学生どうこうより村山さんの攻める果敢な姿勢、こう走らないといけなかったという思いがある」。その悔いこそが、意識が大学生という狭い枠ではなく世界に向いていた証拠でもあった。

 そもそも服部は大学2年の時には箱根駅伝の先にマラソンを見据えていた。「2年生ぐらいからまるっきり箱根、箱根じゃなく少しずつマラソンにシフトしていった。この先はマラソンでしか勝負できないと思っていた」。事実、大学3年時にも右アキレス腱(けん)痛で断念したが東京マラソン出場を目指していた。「実業団で伸び悩んでいる人を見ると、何でだろうと思った」とも。箱根駅伝は優勝、2年連続2区区間賞などの実績も残したが「振り返ることはない。うまく走れたイメージだけは取っておいている」と既に過去のものだ。

 今回の東京マラソンで代表権獲得にこだわるのも、マラソンで世界と戦う上でのロードマップを綿密に描いているからだ。「2020年を考えたときにまずは夏のマラソンをどう走るかが大事。すごく走りたくてメダルや入賞もしたいけど、まだすごく漠然としているので、できるだけ早く夏のマラソンを経験しないと、どう走りたいというのが自分の中で分からない」。経験がものをいうマラソンにおいて、真夏の東京五輪で世界と勝負するためには、近い状況の世界選手権を走り、肌で感じることが不可欠。3年という残り期間、東京五輪の選考会を考えると今夏の世界選手権は服部にとって必須と言える。

 「1人の人間として教養や見聞を広げ、人間性を高めることが競技力向上にもつながる」とトヨタ自動車に入社した今季。前半はマラソンのダメージが残っていたことや新入社員研修も重なり思うような結果を残せなかったが、9月には1万メートルで自己ベストに迫るなど復調。元日の全日本実業団駅伝ではエース区間の最長(22キロ)4区を任されるまでになった。その後のマラソン練習も「昨年と比べて質も量も高い練習ができた」と手応えを口にする。雪辱を果たし、世界をつかむための下地は整いつつある。

 東京マラソンを迎えるにあたって、意識して取り組んできたのが「42・195キロを理想とする動きで走りきること」だった。前回、30キロで飛び出したことに後悔はない。むしろ「35キロまでは使いたい筋肉を使えていた」という感覚も残っている。あと7・195キロ、いや、3キロ、2キロ自分の走りを維持できていれば…。ゴール直前の失速。もう繰り返すつもりはない。「30キロ以降ペースが遅かったにせよ、果敢に攻めることはできたので、その感覚は忘れないようにしたい。去年より速い展開になると思うけど、その時に果敢に攻める走りをしたい」。1年間の成長を見せつけ、東京から世界へと羽ばたく。

<服部勇馬(はっとり・ゆうま)> 1993(平成5)年11月13日生まれ、新潟県十日町市出身の23歳。176センチ、63キロ。同市・中里中で陸上を始め、宮城・仙台育英高の2年時に全国高校駅伝1区3位、3年時に全国高校総体5000メートル5位(日本人2位)。東洋大では2年時に箱根駅伝2区区間3位で同大の総合優勝に貢献、熊日30キロロードレースで1時間28分52秒の学生新記録を樹立し優勝した。3、4年では2年連続で2区区間賞。自己ベストはハーフマラソン1時間3分37秒、1万メートル28分9秒02。東洋大4年の弾馬(はずま)は実弟。

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