おととい、経済学界に非常に残念なニュースが伝えられました。20世紀最高の経済学者である、ケネス・アロー教授が亡くなられたのです。詳しくは、以下のNY Timesの記事などをご参照ください。
Kenneth Arrow, Nobel-Winning Economist Whose Influence Spanned Decades, Dies at 95

アロー教授の代表作である『組織の限界』(写真右)で、訳者の村上泰亮先生がアローの業績についてかなり詳しく、日本人経済学者たちとの関わりも含めて記述されていました。以下、該当箇所を引用させて頂きます。ぜひご参照ください!
非常にタイムリーなことに(と言うと不謹慎かもしれませんが)、長らく絶版であった本書『組織の限界』はちくま学芸文庫から来月復刊されます!さらに嬉しいことに、慶應大学の坂井豊貴教授による「解説」が新たに加えられています。ご本人が「私の学者人生において、最も大きな影響を受けた本」とブログでおっしゃっているので、どんな愛のこもった解説になっているのか、個人的にも興味津々です^^
アロー教授の代表作の一つで、社会選択理論という分野を確立した記念碑的著作『社会的選択と個人的評価』は、2013年に最新第三版の翻訳が出版されています。(といっても、本文自体は1963年の原著第二版から変わっておらず、エリック・マスキン教授による序文が加えれたものだったはずです)原著はコールズ財団のウェブサイトから無料でダウンロードすることができます!
フランク・ハーン教授との共著で、一般均衡理論のバイブルの一つでもある『一般均衡分析』は、残念ながら絶版のようです。学部生時代に背伸びをしてチラっと中身を眺めましたが、難解で歯が立たなかった記憶があります(苦笑) 原著はまだ購入可能なので、市場理論や数理経済学に関心のある方は、蔵書に加えておくのも良いかもしれません。
Kenneth Arrow, Nobel-Winning Economist Whose Influence Spanned Decades, Dies at 95
アロー教授の代表作である『組織の限界』(写真右)で、訳者の村上泰亮先生がアローの業績についてかなり詳しく、日本人経済学者たちとの関わりも含めて記述されていました。以下、該当箇所を引用させて頂きます。ぜひご参照ください!
訳者あとがき
ケネス・アロー教授は1972年ノーベル経済学賞受賞者であり、現在の理論経済学における最高峰、あるいは少なくとも最高峰の一つである。戦後の理論経済学は、J.R.ヒックスやP.A.サミュエルソンなどの戦争直前における理論的研究を出発点として、まことに華やかに発展したが、ヒックスからサミュエルソンまでの第一世代に対して、第二世代の代表者がアロー、L.ハーウィッツ、G.ドブルーなどであり、とくにアローが傑出した存在であることに異論はあるまい。第一世代や一般均衡の存在や安定について、比較的常識的な解析的手法を使って議論を試みたが、第二世代は、数学的により高度な方法の適用を次々に試みて、議論を一層精緻なものにした。1950年代のスタンフォード大学は、未だ30代であったアローやハーウィッツを中心として、この種の精緻な経済理論分析のメッカを形成し、数多くの尖鋭な数理経済学者を育てたのである。その中には一連の日本人理論家も含まれており、二階堂副包、稲田献一、宇沢弘文、根岸隆などの人々がアローの下に招かれて研究し、国際的な評価をうるようになったが、それにはアローの指導と援助が与って力があったと思われる。日本の理論経済学者の半ば以上がアローの系統に属しているといっても過言ではあるまい。私がアローの研究所にいたのは、このスタンフォード大学最盛期の末期にあたっていたが、それでも過去の熱気を感じさせるものは残っていた。
この時期のアローの研究成果は、一般均衡の存在と安定に関する数多くの共同論文として既に古典的なものになっている。この時期のいわばスタンフォード風経済理論は、ある面では過度に数学的・技巧的であるとみることもできる。最近、いわゆる新古典派経済学批判という形で、この種の経済理論に対する再検討の声があることは事実である。しかしそれらの成果がいくつかの本質的に重要なものを含んでいることは否定できないし、数学的方法の精力的導入が自然科学をも含む他の諸科学と経済学の間に明瞭な学際的関係を作り出したことは明らかである。アローのもっている一つの顔は、この意味での新古典派経済理論精緻化の代表的推進者としてのものとみることができる。
しかし私の考えでは、この側面はアローの唯一の顔ではない。新古典派経済学全体の代表者といえば、世俗的名声を含めて、サミュエルソンを挙げるのが自然である。新古典派経済学が、競争的市場メカニズム分析としての経済学の科学性と自己完結性とに自信を抱く点に特徴をもっているとすれば、サミュエルソンあるいはR.M.ソローには明らかにその種の一面的な尊大さがある。しかし他方、アローは終始、その種の平板な楽天主義に対する懐疑ないし批判の姿勢を、少なくとも潜在的には持ちつづけているように思われる。かくてアローの第二の顔は、市場メカニズムの限界、より広くいえば分権型システムの限界の指摘者としての役割である。
そもそもアローが全世界的に声望を博するようになったのは、彼の処女作『社会的選択と個人的価値』(Social Choice and Individual Values)によってであるが、この本の基本テーマは、市場や投票などの分権的システムに内在する矛盾の指摘であった。この著作は、記号論理学の正確な演算を社会科学に導入したという点で画期的な方法論的意義をもっており、いかなる経済学者も否定できない圧倒的な専門的価値をもっていた。しかしそれと同時に、この本は、ピグー以来の価値判断論争との関連の上にありながら、それを超えた一種の思想的意義をもつものであって、政治学者や社会学者などの間にむしろより強い衝撃を与えた。今日、アローのこの仕事に関する知識は、社会科学のいかなる分野においても必須のものとされている。このようにしてアローのこの著作は、専門的精緻化を遥かに超えて、民主主義社会の存立にふれるものを含んでいた。
また、アローの仕事の中でさらに注目に値するのは、一連の「不確実性」に関する労作である。1950年代から不確実性を含む問題に関する論文をしきりに発表していたアローは、60年代の前半に、通常の競争市場は技術革新などを含む不確実性の下では有効に資源配分機能を果しえないという趣旨の論文を書いた。またそれとほぼ時期を同じくして、不確実性の要因をとり入れつつ医療の経済分析に先鞭をつけ、医療問題に対処するためには市場型システムは不十分であることを指摘し、医師の倫理の意味にも触れている。これらの一連の仕事は、『危険負担理論に関する論文集』(Essays in Theory of Risk-Bearing)にまとめられており、市場システムの限界を指摘するという意義をもっていた。
これら以外の彼の仕事も多い。公共投資の理論、「実行を通じての学習」(learning by doing)に基づく技術革新の理論、在庫投資の理論を含む経営科学への貢献など、いずれも独創的であり、しかも標準的な新古典派経済理論の枠組みを超える要素を含んでいる。
<中略>
現在の新古典派批判の傾向は、産業社会全般の基本的趨勢からみて根強いものがある。この状況の中にあってアローの役割はおそらく二重の性格を帯びるだろう。一方では、性急な新左翼的批判に対して、広義の合理性に基づく分析の意義を支持するように努めるだろう。しかし同時に他方では、機械的な市場崇拝と民主主義信仰に対する批判者でもなければならないだろう。しかもこの後者の役割をある程度以上啓蒙的なレベルで果たすことが、前者の役割を果たすためにも必要であろう。このような中間派の立場は決して容易なものではないが、しかしアロー教授の役割はおそらくこの点にあると思われる。
(太字は安田による)
非常にタイムリーなことに(と言うと不謹慎かもしれませんが)、長らく絶版であった本書『組織の限界』はちくま学芸文庫から来月復刊されます!さらに嬉しいことに、慶應大学の坂井豊貴教授による「解説」が新たに加えられています。ご本人が「私の学者人生において、最も大きな影響を受けた本」とブログでおっしゃっているので、どんな愛のこもった解説になっているのか、個人的にも興味津々です^^
アロー教授の代表作の一つで、社会選択理論という分野を確立した記念碑的著作『社会的選択と個人的評価』は、2013年に最新第三版の翻訳が出版されています。(といっても、本文自体は1963年の原著第二版から変わっておらず、エリック・マスキン教授による序文が加えれたものだったはずです)原著はコールズ財団のウェブサイトから無料でダウンロードすることができます!
フランク・ハーン教授との共著で、一般均衡理論のバイブルの一つでもある『一般均衡分析』は、残念ながら絶版のようです。学部生時代に背伸びをしてチラっと中身を眺めましたが、難解で歯が立たなかった記憶があります(苦笑) 原著はまだ購入可能なので、市場理論や数理経済学に関心のある方は、蔵書に加えておくのも良いかもしれません。
Kenneth J. Arrow
North Holland
1971-01-01
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