「ジャポニカから虫が消えた」騒動は“つくられた”ものだった
「ジャポニカ学習帳の表紙から、虫の写真が消えた――」
2014年末に世間を騒がせたこの出来事をご記憶だろうか。「ジャポニカ学習帳」は文具メーカー・ショウワノートのロングセラー商品。これまで12億冊以上売り上げている国民的ノートのひとつで、「濃い緑色の縁取りとカブトムシやチョウの写真のアレ」といわれれば、多くの人が思い描くことができるはずだ。
2014年11月、産経新聞が同ノートの昆虫の表紙が廃止になり、花の写真に差し替えられていたことを報じると、インターネットを中心に大きな議論が起こった。廃止された理由のひとつが「昆虫は気持ち悪いというクレームが増えたため」だったからだ。
「昆虫が見たくないからって排除していいの?」「社会的な寛容性が損なわれている!」「確かに、あの昆虫のアップは気持ち悪い」……SNS上では賛否が飛び交い、有名人がリツートしたり、マスコミが追加報道したりすることによって、この騒動は多くの人が知ることとなる。つまり、「バズ」ったのだ。
これを受けて販売元であるショウワノートは、昆虫が表紙のジャポニカ学習帳を復刻。5冊一組3000セットが予約開始から24時間で完売した。
だが、一連の騒動には興味深い点がある。実のところ、ショウワノートが昆虫の表紙を廃止したのは2012年。産経新聞が報じたのは2014年で、2年間の空白がある。
たまたま新聞記者が気づき、記事にしたのだろうか――。それは違う。そこにはある仕掛けがあった。
仕掛け人の名は上岡正明(42)。PR会社・フロンティアコンサルティングの代表取締役で、三井物産、SONY、ドバイ政府観光局などの広報支援を行ってきた人物だ。
一見、自然発生的に世間を賑わせたように思えたジャポニカ騒動も、上岡氏が手掛けたものだという。自身のPR戦略を紹介した書籍『共感PR』を上梓したばかりの上岡氏に、インタビューを実施。ジャポニカ騒動の舞台裏や「バズ」を生み出すノウハウについて話を聞いた。
●なぜジャポニカはバズったのか
ジャポニカ騒動が起きた2014年末の約半年前、上岡氏はショウワノートからある依頼を受けた。
「来年、ジャポニカ学習帳が発売から45周年を迎えるので、このことをPRしてもらいたい」
一般的にPRとは、商品などの情報をマスコミに送り、番組や記事で取り上げるよう働きかけたり、CMや記事広告を製作・公開したりといった広報活動を指す。この依頼を受けた時のことを上岡氏はこう振り返る。
「ジャポニカ学習帳といえば、日本人の多くが知っているブランド力のあるノート。すでに知名度が確立されているということはPRをするうえでもこの上ない強みです。そこで『ジャポニカというトップブランドはいかに築き上げられたのか』というストーリーを中心にPRするだけで、新聞などに取り上げてもらえる可能性は高いと感じました」
しかし、上岡氏はそれだけで満足しなかった。ブランドヒストリーだけでは新聞記事になることはあれど、世の中を賑わす大きな「うねり」にはならないと考えていたからだ。
「必要なのは、人々の『共感』を引き出すストーリー。そこでヒアリングを続けていくと『ノートの表紙から昆虫が消えた』という話が出てきたのです。私自身、この話には驚きましたが、同時にこのPRにおける切り札になると確信しました。そして2014年11月、産経新聞の記者がショウワノートの社長を取材するために来社。取材目的はブランドヒストリーでしたが、その際に昆虫の表紙の話を意図的にお伝えしたのです」(上岡氏)
実のところ、ショウワノートの内部では昆虫の話を公にすることに慎重論もあった。「マイナスメージになるのではないか」「クレームがより増えるのではないか」……そもそも人々がこの話題に関心を抱いてくれるのかどうかについても半信半疑だったという。しかし、果たして上岡氏の狙いは的中する。
「PRを仕掛けて数日たったある日、SNSをチェックしているとジャポニカ学習帳についての投稿が拡散されていることに気づきました。元をたどっていくと、芸人の星田英利氏(元ほっしゃん。)による『昆虫が気持ち悪いってどうなの?』という意味合いのツイート。これが起爆剤になり、虫の表紙の一件は一大論争に発展したのです。ついに来た、と思いました」(上岡氏)
バズったときの感覚は、魚釣りで大物の当たりを得たときのそれに似るという。驚きと、ほんの少しの間を置いて去来する高揚。最終的に上岡氏の戦略が生み出したPR効果は広告費に換算して3億円前後。これをほぼゼロの予算でやってのけた。
だが、ここで根本的な疑問が残る。なぜジャポニカの昆虫の話はバズったのか。確かになじみ深い商品が大きく変わるのはインパクトのある出来事だが、そうしたニュースがすべてバズるわけではない。バズるものとバズらないものの間には何があるのか。
●賛否両論の「論点」を作り出す
「それは、そのニュースを知った個人が自ら意見したくなる情報かどうか、です。さらには、意見が賛成と反対に分かれ、ぶつかり合いが起きる余地があることも重要。ジャポニカの場合、『勉強に支障がでるなら虫は不要』といった賛成論と、『見たくないからといって排除するのは良くない』といった反対論が生まれた。これによって議論は拡大し、バズったのです」(上岡氏)
一方で、あまりにも正論過ぎたり、誰もが納得できたりして、意見する余地がない出来事はバズりづらい。
「例えば、『今年を代表する女性リーダー』というランキングをつくったとして、第1位が小池百合子氏だったらバズらないと思います。しかし、もし1位がりゅうちぇる氏だったらどうでしょう。すごい論争が起きるはず。女性リーダーランキングに男性がランクインすることの是非ついて、りゅうちぇる氏にリーダーシップを感じる世相について、ほかの有力な1位候補について、といった具合に。このように現在のPRでは、『自分の意見を誰かと共有したい』『自分の感情を誰かに伝えたい』という『共感』が非常に大切なポイントになるのです」(上岡氏)
こうした「共感を呼ぶ論点」はどのように見つけ出せばいいのか。
「例えば、ひとつの商品をPRするとき、私は商品の特徴を8つの観点から評価します。それぞれ新規性、優位性、意外性、人間性、社会性、貢献的意義、季節性、地域性。そのうえでその商品を受け取る側、すなわち社会、人(ターゲット)、メディアの3つのニーズを分析することで、PRするべきストーリーが見えてくる。これを8×3の法則と呼んでいます」(上岡氏)
ジャポニカ学習帳の場合は、40年以上の歴史をもつそのブランドが「優位性」に該当するという。多くの人にとって身近な商品の表紙が廃止になれば、メディアはニュースとして取り上げ、人々は手に取りたくなるはず……そうした仮設から、表紙の昆虫を前面に押し出したPR戦略にたどり着いたのだ。
「共感に基づいたPRの可能性は無限大。ほとんど予算がかからないため、中小企業や、極論、個人もこの方法論を使ってPRを仕掛けていける。これからもますます面白いPRが生まれてくるはずです」(上岡氏)
(取材・文/dot.編集部)