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【竹島の日】
寒さに体寄せ合った15歳の抑留生活 「李承晩ライン越えた」韓国に拿捕された元漁船乗組員・小川岩夫さん…「日本政府の姿勢は冷淡」
風呂は1度だけ
20日ほどが過ぎ、小川さんを含めた数人の乗組員は郊外の収容所に移った。食事は、石が交じった丸麦のご飯と岩塩を溶いた湯。ここでも毛布1枚しかなく寒くてたまらず、男同士で体を寄せ合い震えていた。わずかな楽しみは、近所なら自由に外出できたことだった。30年6月に釈放されるまでの8カ月間で風呂に入ったのは1度だけ。日本政府の接触はなく、「帰国後、政府からは抑留期間中の日当として1日千円分が出ただけ。ほかの補償やわびもなかった」。
小川さんはその後も漁に出た。31年4月には、浜田から一緒に出漁した船が拿捕され、五島列島付近まで一目散に逃げたこともあった。平成2(1990)~5年頃は、かにかご漁船に。漁場までは竹島付近を通るルートで、「ヘリポートや警備の隊員がひなたぼっこをする姿などがよく見えた」と振り返る。
体験を語り継ぐ
国が記念日を定め、式典を主催する北方領土。米トランプ政権に対しても「日米安保の対象」と言質を取り付けた尖閣諸島-。これらに比べ、島根県主催の記念式典で首相や閣僚の出席もなく、領土権の確立に向けて有効な手立てを打ち出せていない竹島に対する国の姿勢はあまりに冷淡だ-と嘆く。「拿捕当時、政府が真剣に交渉していたら、抑留生活も無駄じゃなかったのに」。