「共働き夫婦なら、家事は平等に分担するべき」という主張をする女性は多いし、「どうして女ってだけで、家事をやらなきゃいけないわけ?」という不満の声は、すごくよく耳にする。
その価値観のベースには、去年ヒットしたあのドラマの主人公たちが言っていたような「家事は立派な労働だ」という考えがあるんだろうし、「仕事も家事も両方やるというのはWワークであって、そんなのクタクタすぎて無理だし! お金くれるならやるけど! 女ってだけの理由でやらされるのは不公平でしょ。ただ働きとか、むかつく」みたいなことなのだろう。
私は現在、旦那さんよりもだいぶ高収入だけれども、家事も全部、私がやっている。
旦那さんより稼ぎのいい私が家事をやる理由
2人の生活費は基本、旦那さんのお給料を当てるようにしているけれど、私が稼いだお金に関しても、すべて2人の幸せのためや、2人が不幸を回避するために使おうと思っているので、私の方が数倍速で家のお金を増やし続けていると考えると、わりと養っている側でさえあるのだけれど、掃除・洗濯・炊事の全てを私が1人でやっている。
それは、この先たとえば彼が無職になって、完全に私が彼を養うような状況になったとしても、そうなんだと思う。彼と私の組み合わせの場合、家事は、私がやることになる。
それは私が女だからではない。
彼から「家事をやって」と言われたことは一度もないし、私が一生やらなくても何も言われないだろう。もし、私がずっとやらなかったらそのうち彼がやるとも思う。はけるパンツがなくなったら、洗濯機を回すに決まっているし、使えるお皿がなくなったら、どれか1枚洗うだろう。
なぜ私がすべての家事をやるのかと言えば、そこまで待っていられないから、だ。
家事にはかなりの才能がいる
家事というのは誰でもできることだと思われているけれど、かなり才能がいることだと思う。向き不向きが、すごくある。
仕事と違って、教えてくれる先輩もいなければ最低限のマニュアルもないから、本人のセンスのみとなるため、向いてない人に家事を担当させるとその家は酷いことになる。
子どもの頃、友達の家へ遊びに行って衝撃を受けたことがあった。畳の所々が腐っていて、部屋の中に蟻の巣があり、蟻の行列が普通に行進していた。私からしたら家の中でそれは事件だ。絶対に日常にはなり得ない。でも、その家庭ではそれが問題視されていなくて、セーフの方に入っている。
耐えかねて廊下に出ると、そこには死んだゴキブリが転がっていた。殺したゴキブリは即座に片付けるものだと思っていたけれど、殺したところで完了な家庭も存在するということに、私はかなりのカルチャーショックを受けた。
「価値観の違いとはこのこと」と思い、その日以来、その友人のことを苦手になってしまったほどなのだけども、つまり、向いてない人に家事を担当させるということは、ああいうことなんだろうと思う。彼女のお母さんは、確実に家事が向いていないし、お父さんもそうなのだろう(ただ、2人の相性は良いと言える。夫婦の価値観がかなり似てないと、あの状況は生まれない) 。
もしも旦那さんに家事を任せたら……
家事に対する必要最低限のレベルというのは、かなり個人差がある。私からしたら、使った食器をその日のうちに洗うことや、床に目に見える毛などが落ちていない状態を保つこと、衣類が洗濯機の中で余裕をもってまわれる量のうちに洗濯をすること、浴室で水垢を育てないことなどは、最低限やるべきことだ。そうじゃないと気持ち悪くてその空間に暮らすことがストレスになるのだけど、彼はそうではない。
もし彼に洗濯の係を任せたとしたら、シーツなど一生洗わないような気がする。それは面倒くさいとかではなく、単純に「え? 洗う必要あるの?!」という、適度な洗うタイミングを彼のセンスでは掴めなそうな感じがする。良い匂いがしない寝具など洗い時だ、と私は思うけれど「え? そんなことでもう洗うの?! 臭くはないのに?!」と彼は思うだろう。
家をどのレベルに保ちたいか、という価値観には、かなりの個人差があって、家事というのは、先に「耐えられない」となる方が担当する宿命になっている。女だから、男だから、働いてるから、働いていないから、とかではなく。「これでも平気」「ぜんぜん暮らせる」の範囲が広い人は、基本家事をやらないし、やらせても的確にできない。
婚約中に、彼が一人暮らしを始めた時から、私は彼の家のお風呂掃除をしていたけれど、それは彼のためでもなければ、彼へ向けた「よくできた彼女アピール」でも何でもなく、彼の家によく出入りする者として、自分が使う風呂場として、私が嫌だったからだ。
私が、水垢のついたタイルを踏むのがストレスだから、洗っていた。人の家のお風呂を勝手に洗うことには気が引ける気持ちもあったので、彼が出かけている時などにこっそり洗っていた。水垢を落とさない人は水垢の存在に気づいていない人なので、彼は私が掃除をしていることを一切知らなかったはずだ。感謝されるためにやっていたわけでないので、それでいい。
「私は、こんなにやってるのに!」は言葉足らず過ぎる
よく「私はあなたのために、こんなにやってるのに。どうして気づいてくれないのよ!」と怒りだす人がいるけれど、そんなの気づけるわけがない。やってもらえたことに気づける人は自分がそれをやったことがある人だし、何も言わなくても、綺麗になった箇所に気づける人は元々そこの汚れが気になっていた人であり、家事をやらないタイプの人は、元々そこが汚れていることに気づいていないのだから、綺麗になったことに気づく可能性などない。
気づいていないのだから、ありがたいと思うはずもなく、「私は、こんなにやってるのに!」と言われても「え、そうだったの?! 知らなかったんだけど!」と寝耳に水であり、「いや、怒る前に、教えてよ! 知っていたら、感謝してたよ!」という話だと思う。
なので、私は毎日、今日行った家事について旦那さんに発表している。
結婚前は「婚約しているとはいえ、たかだか彼女の分際で部屋の掃除とか勝手にしていいんだろうか……私だったらされたくない……部屋の物を他人に動かされたくない……」という後ろめたさがあったので、掃除に関しては、秘密裏にこっそり行っていたけれど、結婚してそこが2人の家になったことで、家事は堂々と行えることになった。
私にとって家事をすることは、2人の快適な暮らしのための行為だ。彼との暮らしが大切だから、私はこの家の家事をしている。実家に帰ればしなくて済むのに、あなたと一緒にいたいから、その環境を良く保つために私は家事をしている。だから、すごく2人のための行為だ。
私の中の「2人のために私がしたこと」と彼の中の「2人のためにこの子がしてくれたこと」の認識が、その分量が大きくズレることがないように、報告をする。この手の認識のズレは、気持ちのすれ違いになってしまいがちだ。
正確な情報を共有することは夫婦円満を保つために、かなり重要なことだと思う。
「今日はね、シーツと布団カバーと毛布の洗濯をして、廊下を拭いて、キッチンの床を拭いたの」「今日はね、お風呂掃除とトイレ掃除をしたの」「今日はね、お布団を干して、そことそこの床を磨いて、あと段ボール全部捨ててきたの」などと、彼が出かけてる間に私がおこなった家事について、全部お知らせする。知らせない限り、知る由がないから。
感謝させるためではなく「そんなの知らなかったもん」で、すれ違うようなことがないように「それらの家事をしてまでこの家で暮らすほど、あなたが好きなんだよ」という報告として、伝えている。
そしてこれは「俺ばっかり」対策でもある。こちらがしてあげてることを普段から正確に認識させておくと、その後にいろんなお願いをしても「俺ばっかりじゃん」と思われないので頼りやすくなるし、爽やか。
結婚前は、家政婦さんを雇おうと思っていた
まだ結婚が「いつか誰かと結婚したら」というくらいボンヤリとした未来だった頃、「いつか結婚したとして、私は家事はやりたくないから、家政婦さんを雇おう」と思っていた。
それは、世の妻たちの話を聞いていると、家事というのはとんでもなく面倒で大変そうなことに見えて、とてもじゃないがやれそうにないと思っていたからで、お金を払えば解決できることなのだからそうしよう、と考えていた。
けれど、結婚をして、はじめて家事に取り組んでみた結果、拍子抜けした。
仕事として赤の他人の家の家事をやるのであれば、どのレベルの仕上がりを求められるのだろうか……などのプレッシャーがあるからまた話は違うのかもしれないけれど、自分の家の家事に関して言えば、全然、仕事と並ぶような大変なことではないと思ったし、どちらかと言えば楽しい。
家事は、やった分だけ成果が出る。洗った分だけ汚れは落ちるし、磨いた分だけ綺麗になるし、努力が報われない可能性が一切ない。やった分だけ、ちゃんと家が変わる。手を動かした分だけ不快が取り除けて、快適が手に入る。
仕事はそうはいかない。縁が足りなくて進めない時期もあるし、運が悪いと頑張ったわりに実らないし、他人の機嫌ひとつで結果を左右されるし、やってもやっても報われない日々が何年も続くことなどザラだ。家事を「立派な仕事」と言い出す人は、仕事の過酷さを知らな過ぎると思う。
家事は楽しいけれど、苦手な作業もある
私は彼よりも稼いでいて、つまりそのくらいに仕事もしているけれど、あと5倍くらいの家事が降りかかってきても別に苦じゃないと思うし、「仕事も家事もだなんて、とても手が回らない」と嘆いている人は、働き方の方をもう少し考えないとまずいのではないか、と思う。そんな大変な働き方をしていたら、家事をするしない以前に、家庭が蔑ろになっているだろうし、それは家事が大変なわけではない。
人生が家事だけだとヒマを持て余すから仕事もしたいなと思うのだけども、家事自体は、やってもやっても報われない仕事の合間にやると、やった分だけ報われるから、なんだか癒されるし楽しい作業だと思う。
なので、家事を外注しない1番の理由は「するほどのことじゃなかった」というものだ。それに、外注することをリアルに考えてみた時に、週に2~3回だと、そこまで待てずに自分でやりたくなってしまう家事の方が多いし、毎日来てもらうとなると、かなり信頼できる相手じゃないと怖いけれど、そんな人を探している間に家はどんどん汚れてしまう、という結論にも至った。そしてまた、家政婦さんの家事のレベルが自分より高いのだろうか、というのも怪しい。
しかしながら、私が唯一苦手な家事がある。
それは布団カバーかけ。
私はこれだけは無理で、一生やりたくない。四隅が合うまでのあの数分がストレスすぎる。
なので、それはやらずに、旦那さんに任せている。「私はこれをやるのは無理だから、付けて」と言って、裸の布団と洗いたてのカバーを渡す。
以前、断られたことがあったのだけれど、そのときは「じゃあ、捨てていい?」と相談した。
「四隅を合わせるストレスに耐えるくらいなら、すでにカバーがついてる新しい布団を買ってくる方がいいから、この布団は捨てて新しいの買っていい? ストレスは感じたくないの。そのために私は、お金を稼いでる」という話をした。
基本的にほとんどの家事は、本当に避けたい場合には、古い物を捨てて新しい物に換えればやらずに済む。
彼は「いや、俺がやるから。捨てなくて大丈夫だよ」と言った。
そんな感じで、私がやりたくない家事は彼が担当してくれているため、何も捨てずに済んでいる。