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虚業教団
第1章 ささやかな、けれども爽やかな第一歩
真摯だった発足記念講演会
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話をもとへ戻そう。
中原幸枝に依頼され、講演会の二日前に徳島から上京した顧問を羽田に出迎えた。
純朴な田舎の老紳士、というのが善川三朗に対する私の印象である。このおっとりした先生が、あのようにすごい神理の本を善かれるのか。それが、私にはひどく嬉しかった。
さすがにホンモノは淡々としていると感じ、いっぺんに好きになった。
″神理を求めたから、このような偉大な先生と直接お話しすることもできる″
そう考え、自分はなんという幸せ者だろうと感謝した。
私は大喜びで料理屋へ接待した。
″明日は、中原の自宅にできた事務所も見ていただこう。その次の日は、いよいよ記念すべき講演会だ。いったいどんな講演会になるのだろう″
山菜しさで胸がワクワクしていた。
翌日の夜は、東京では珍しい大雪になった。しかし講演会当日の朝はカラリと晴れ、降り積もった雪に朝の陽が眩しく反射していた。
雪に気をつけながらベンツを走らせ、まず中原の自宅へ。そこで中原を拾い、大川、善川両先生を迎えに行くはずだった。しかし、待っているはずの中原の姿がない。玄関のべルを押したが返答もない。待ち合わせの時間は刻々と近づいてくる。しかたなく、先に両先生を迎えに行った。
後になってわかったことだが、緊張のあまり前夜寝つかれなかった中原は、私が押した「関谷さんは、たぶん知りませんよ。
会場の牛込公会堂には、四〇〇人ほどの聴講者が入っていた。四〇〇人! 大成功ではないか。大雪を押して集まった人々の熱意に私たちは感動した。
〈幸福の科学〉 の初期の講演会では、今と違い、講師はいつも大川隆法、善川三朗の二本立てだった。しかしいつ頃からか、二人が同じ演壇に立つことはなくなった。父親は父親、息子は息子で別々に講演会を催している。その経緯に関して、私の知ることは後で書くことにしたい。
今、当日のプログラムをめくってみると
開会の挨拶……太田邦彦
講演「幸福の科学発足によせて」……善川三朗先生
講演「幸福の原理」……大川隆法先生
閉会の挨拶……前川節
司会……中原幸枝
会は滞りなく進んだ。大川も中原も、今回は座談会のときより落ちついていた。
いい講演会だった。広い会場が水を打ったように静まり返り、誰もが真剣に耳を傾けていた。子どもたちが騒ぎ回ることもなかったし、感極まって泣きだすなどということもなかった。
「今日は先生から、こんな色の光が発していた。私にはちゃんと見えたが、あなたにはあれが見えましたか」
そんなことを自慢げに話しながら帰っていく人も、当時はまだいなかった。
みんなが真摯に道を求めている。そういう引き締まった空気がピーンと支配していたのが、初期の講演会である。
この夜の食事は、楽しい思い出として残っている。みんなが会の成功を喜び、次回はもっと盛りあげようと誓い合った。はじめて会から費用をいただいての会食でもあった。会員からの貴重な会費だと思うと、少し心苦しかった。しかし、その心苦しさにも私たちは次第に慣れていった。
翌日は、また善川をホテルへ迎えにいき、首都高を羽田まで送った。一昨日の雪がまだあちこちに残っていた。講演会の成功に善川はとても満足しているように見えた。
こうして私は三年半のあいだに、羽田と西荻窪を三〇回ほど往復しただろうか。それは決してイヤな仕事ではなかった。〈幸福の科学〉の発足時に、こうして誰にも見えないところでお手伝いできたことを、私は今でも誇りに思っている。
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