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虚業教団
第1章 ささやかな、けれども爽やかな第一歩
大川青年との最初の出会い |
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私と大川隆法の最初の出会い。それは三年前にさかのぼる。
正確な日付は忘れたが、八六年の確か四月下旬だった。
私はその日、新宿七丁目の割烹料理店「作古」の二階で、一人の青年と向き合っていた。
青年は肉付きのいい体に背広を着て、座敷の上座に座っていた。彼の名は中川隆。後の〈幸福の科学〉主宰、大川隆法である。
当時は、総合商社トーメンの東京本社国際金融部に勤めるサラリーマンだった。東大卒、大手商社社員という経歴はエリートと呼べるだろう。その一方では、善川三朗編の 『日蓮聖人の霊言』 『空海の霊言』 に登場する″霊能力者″ でもある。しかし、その名前はまだ世間にほとんど知られていなかった。
エリート・ビジネスマンと霊能力。この取り合わせは、今までの宗教にない、新しい何かを感じさせた。
私もすでに、この二冊の霊言は読んでいた。むろん、現在のように書店にコーナーがあったり、ベストセラー入りすることもなかった。その頃、私が通っていたヨガ教室の先生に勧められ、何気なく手にしたのである。
じつに奇妙な本だった。日蓮や空海の霊が、大川隆法なる人物の口を借り、宗教の本質や天上界の様子を語って聞かせる。一種の霊界通信である。その内容は、現世的なご利益を求める従来の宗教とは明らかに違っていた。
事業がある程度成功し、お金には不自由ない生活の中で、当時の私は何か満たされない。
ものを感じていたのだと思う。この本は、そんな私の心に強く訴えてきた。
″宗教とは、こんなにすごいものだったのか″
素晴らしい精神世界の一端に触れた気がして心臓が高鳴った。
大川隆法に引き合わせてくれたのも、このヨガの先生、中原幸枝だった。
「大川さんは大変な霊能力を持つ、偉大な先生なんですよ」
彼女は常々そう言っていた。
あの頃、中原は都内に二〇ヵ所近いヨガ教室を持っていた。何冊かの自著も出版されていた。この世的な成功にも、異性にもー切目をくれず、一途にヨガの修行に打ち込んでいる彼女には、何か突き抜けたような爽やかさがあった。ひと言でいい表すなら″尼さん″が一番ピックリかもしれない。整った顔だちも手伝い、ヨガ教室のスタッフや生徒には男女を問わず中原信奉者が多かった。
中原は大川隆法を前にして、いつになく興奮していた。
だが私の目には、この小太りの青年はごくありふれた若者の一人としか映らなかった。
これがはんとにあの大川隆法なのか……。霊言を読み、どんなにかすごい霊能力者が現れるかと期待し、恐れてもいた私は少々意外だった。
私の会社の番頭格で、やり手の営業部長だったTとどこか似ていた。年長者の私をさし措き、平然と上座に座るところもTを思わせた。しかしそれも、この年代としては、まあ普通のことだろう。
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