14日の主日礼拝には、
ミラノでめでたく結婚式を挙げて夫婦になられた葛原俊秀兄弟&姜愛欄姉妹も戻って来られ、
また、ソウルの日本語礼拝で最近大きな恵みを体験された或る姉妹の方も、佐味健志先生のご紹介で初めていらして下さり、
新しい恵みが臨んだと思います。
また、この日の午後からは、新しくかおり牧師が「ニューステップ」(新しくこの教会に来られた方のための聖書勉強)も導き始めたために、
その時間の子供たちのケアのために、
ミニストリー訓練生たちが新しく奉仕を始めてくれました。
弱小の開拓教会として、
問題は本当にたくさんあるのですが、
忠実な奉仕者たちの努力によって教会が何とか支えられていることを、感謝しています。
帰宅後、昨夜遅くから今朝にかけては、
教会にいろいろ生じている問題についてかなり悩みましたが、
ミニストリー訓練を通して東京サラン教会のビジョンを理解してくれているリーダーたちと共に、
重荷を負いあいながら、少しずつ解決させて頂こうと、今は思っています。
考えてみれば、
多くの開拓教会には、
このような牧師の思いを共有してくれるリーダーたちがまだいないわけで、
今の東京サラン教会のように、
共同体形成について牧師と同じ夢を持って共に汗してくれるチームが存在するのは、
極めて恵まれたケースだと言わざるを得ません。
主日礼拝の後の昼食時には、
或る姉妹がソウルの日本語礼拝で受けた弟子訓練の恵みを証ししてくれましたが、
彼女の証しの中には、次のような意味の言葉もありました。
「先生との一対一の聖書勉強や、あるいは先生が一方的に喋るような講義式の聖書勉強では決して得られない恵みがそこにはありました・・・それは、深い本音を真剣に分かち合い、お互いのために真剣に祈りあう、そのような時間の積み重ねによるものでした。・・・
私は弟子訓練を通して、QTによって自分自身の信仰で(目上の人の誰かの声ではなくて、自分の信仰で)神様に導かれることができるということを経験しました。
そして、深い分かち合いの中で自分の痛みをさらけ出せるということ、仮に何かの結果を出せなくても、そのことで裁かれない、ということを経験し、それによって癒されていきました。
そして、かつて私が苦しんでいたことと同じようなことで苦しんでいる人たちが、私が癒されたのと同じように癒されるのを、手助けしたい、と思いました」
このような心を持つ姉妹たちと、共に教会形成ができることを、
神様に心から感謝いたします。
昨夜は実は、教会の働きを全て終えてから、
友人の毛利陽子さん(FOE代表、カウンセラー)が、ご自宅に私たちファミリーを招いてくださり、
ご夫妻で暖かく励まして下さいました。
その時間の中で毛利さんの御主人が、
「大きな痛みを人生の中で経験したとしても・・・その経験を、或る意味では小さな出来事だと、自分自身で見ることができる視点も大切だ」という意味のことをおっしゃっていましたが、
それを聴いて、確かにその通りだと私は思いました。
勿論、痛みの中でそのような視点を持つためには、
神様の大きな恵みが必要であるのは間違いありませんが、
例えば先の証しをしてくれた姉妹などは、
その視点を持つことで、人生の新しいビジョンと意義を見出しているわけですから・・・
彼らがそのような人生を歩むのを、
心から応援しつつ、
私自身もまた傷つきやすい一人の罪人として、
主の恵みにより頼みつつ、
そのような人生を、彼らと共に歩みたいと願っています。
ミラノでめでたく結婚式を挙げて夫婦になられた葛原俊秀兄弟&姜愛欄姉妹も戻って来られ、
また、ソウルの日本語礼拝で最近大きな恵みを体験された或る姉妹の方も、佐味健志先生のご紹介で初めていらして下さり、
新しい恵みが臨んだと思います。
また、この日の午後からは、新しくかおり牧師が「ニューステップ」(新しくこの教会に来られた方のための聖書勉強)も導き始めたために、
その時間の子供たちのケアのために、
ミニストリー訓練生たちが新しく奉仕を始めてくれました。
弱小の開拓教会として、
問題は本当にたくさんあるのですが、
忠実な奉仕者たちの努力によって教会が何とか支えられていることを、感謝しています。
帰宅後、昨夜遅くから今朝にかけては、
教会にいろいろ生じている問題についてかなり悩みましたが、
ミニストリー訓練を通して東京サラン教会のビジョンを理解してくれているリーダーたちと共に、
重荷を負いあいながら、少しずつ解決させて頂こうと、今は思っています。
考えてみれば、
多くの開拓教会には、
このような牧師の思いを共有してくれるリーダーたちがまだいないわけで、
今の東京サラン教会のように、
共同体形成について牧師と同じ夢を持って共に汗してくれるチームが存在するのは、
極めて恵まれたケースだと言わざるを得ません。
主日礼拝の後の昼食時には、
或る姉妹がソウルの日本語礼拝で受けた弟子訓練の恵みを証ししてくれましたが、
彼女の証しの中には、次のような意味の言葉もありました。
「先生との一対一の聖書勉強や、あるいは先生が一方的に喋るような講義式の聖書勉強では決して得られない恵みがそこにはありました・・・それは、深い本音を真剣に分かち合い、お互いのために真剣に祈りあう、そのような時間の積み重ねによるものでした。・・・
私は弟子訓練を通して、QTによって自分自身の信仰で(目上の人の誰かの声ではなくて、自分の信仰で)神様に導かれることができるということを経験しました。
そして、深い分かち合いの中で自分の痛みをさらけ出せるということ、仮に何かの結果を出せなくても、そのことで裁かれない、ということを経験し、それによって癒されていきました。
そして、かつて私が苦しんでいたことと同じようなことで苦しんでいる人たちが、私が癒されたのと同じように癒されるのを、手助けしたい、と思いました」
このような心を持つ姉妹たちと、共に教会形成ができることを、
神様に心から感謝いたします。
昨夜は実は、教会の働きを全て終えてから、
友人の毛利陽子さん(FOE代表、カウンセラー)が、ご自宅に私たちファミリーを招いてくださり、
ご夫妻で暖かく励まして下さいました。
その時間の中で毛利さんの御主人が、
「大きな痛みを人生の中で経験したとしても・・・その経験を、或る意味では小さな出来事だと、自分自身で見ることができる視点も大切だ」という意味のことをおっしゃっていましたが、
それを聴いて、確かにその通りだと私は思いました。
勿論、痛みの中でそのような視点を持つためには、
神様の大きな恵みが必要であるのは間違いありませんが、
例えば先の証しをしてくれた姉妹などは、
その視点を持つことで、人生の新しいビジョンと意義を見出しているわけですから・・・
彼らがそのような人生を歩むのを、
心から応援しつつ、
私自身もまた傷つきやすい一人の罪人として、
主の恵みにより頼みつつ、
そのような人生を、彼らと共に歩みたいと願っています。
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