映画監督 鈴木清順さん死去

映画「ツィゴイネルワイゼン」など不条理な世界観を独特の映像美で描き、国内外で高い評価を受けた映画監督の鈴木清順さんが、都内の病院で亡くなりました。93歳でした。
鈴木さんは大正12年に東京で生まれ、助監督を経て昭和31年に日活の映画「港の乾杯勝利をわが手に」で監督としてデビューしました。アクション映画のほか、仁侠映画の「関東無宿」や人気小説を映画化した「肉体の門」など、独特の色彩感覚で映像美を追究した映画作りは「清順美学」とも言われ人気を集めました。

昭和42年、組織に追いかけられる殺し屋を描いた「殺しの烙印」を発表したあと、作品の内容や興行成績をめぐって日活の幹部と対立して解雇されました。これに抗議したファンやスタッフらがデモを行うなど一時は社会問題に発展し、鈴木さんは10年間にわたって映画界を離れました。

復帰後、昭和55年に発表した「ツィゴイネルワイゼン」は、大正レトロの雰囲気が色こく残る昭和初期を舞台に、あの世とこの世の境を漂うような不条理な世界観を独特の映像美で見せて、ベルリン国際映画祭で審査員特別賞を受賞したのをはじめ、数多くの映画賞を受賞しました。

その後に製作された故・松田優作さん主演で、絢爛豪華な舞台セットや不思議な世界観が話題となった「陽炎座」と、沢田研二さんの幻想的な美しさが引き立つ「夢二」の2作品を合わせて「大正ロマン三部作」と呼ばれる作品は、鈴木監督の代表作として知られています。

その後も「ピストルオペラ」や「オペレッタ狸御殿」など、斬新な映像表現の作品を作り続けるとともに、白いひげと柔和な風貌でテレビドラマや映画、コマーシャルにも出演し俳優としても活躍しました。

鈴木さんは、最近では、おととしの春にドキュメンタリー映画に出演するため、インタビューを受けていたということですが今月13日、都内の病院で慢性閉塞性肺疾患のため亡くなりました。93歳でした。