気分がささくれ立つと僕は雑木林へ散歩に出る。
この季節の雑木林は葉がすっかり落ちた木が多く寒々としている。常緑樹の緑まで他の季節に見るよりも冷たく僕を拒絶しているように暗い。
踏みしめる落葉や乾いた土塊、枯れ落ちた枝からは春夏の溢れ出すほどの命の息吹は感じられない。北風以外の音もない。
朽ちかけた枯れ葉を踏みしめて歩く僕の足音が静かに響く。
深秋から真冬にかけて、寒風に吹かれて舞い散る木の葉や無防備にさらされた木々の枝が目立つ閑散とした雑木林からは仄かにだが鮮明な死の気配を感じる。
仄かで鮮明な死の気配......言葉にするとなにか変だ。
でも、ほかに言い表す言葉が浮かばない。
春に向けて内部に命を蓄えつつ表面的には死の気配をまとう木々。木の中に脈々と受け継がれている命とそれを覆い隠す死の気配の茫漠たる沈黙。
表裏一体となった生と死が奏でる狂気と冷静を包み込み静まり返る木々。その雰囲気に僕は魅せられる。
春夏の木々はむせかえるような生の息吹が強すぎて僕なんぞは圧倒されて打ち負かされてしまう。緑を愛でる気持ちはあるが、その勢いに飲まれてしまい警戒心から心を虜にされることはない。生が強すぎるのだ。
紅葉は美しく愛でるもの。わざわざ紅葉狩りと称して多くの人が名所を訪れる。
僕も鮮やかに色づく木の葉を見て素直に美しいとは思う。
でもその美しさにはそこはかとなく匂い立つ死の香りを感じずにはいられない。
その香りが枯れて萎びて乾燥し、死の気配となって醸し出されているのが冬の雑木林なのだ。だから僕はその気配に魅せられてしまう。
冬の雑木林に佇むとささくれ立った気持ちが落ち着いてくる。理由はわからない。ただ好きなのだ。死の気配に包まれて癒されるというのも皮肉なものだ。
紅葉の鮮やかな美しさの影に潜む死の香りはあまりにも鮮烈で僕には刺激的すぎる。
きれいに色づいた葉が放つ死の香りすら枯れ果てて寒々と漂う気配へと変化した冬の木々。彼らがまとう空気が僕にはちょうどいい。
生を内包した死の気配を鮮明に意識させられるからこそ、寒々とした冬の木立は美しく、そして僕の心を捕らえるのかもしれない。
未来永劫変わらない美しさなどではなく、生を弾けさせるような勢いでもなく、微かながらも鮮明に、やがて春を迎える前のひと時だけまとう静まりかえった死の気配の醸す儚い美しさに魅せられて、僕は今日もささくれ立った心を抱えて静かな雑木林をさまよい歩く。
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