〒 みなさま
今日はちょっと個人的なことを書きます。母とわたしのことです。
私は子供の頃からいわゆる「育てにくい」子供だったんだと思います。
神経質な所があって、臆病で、とても病弱だったので心配をかけてしまいました。
小さい頃は今が嘘みたいに静かでした。
色んな人の感情や期待や怒りが見えるとすごく疲れて、人間関係は高い波にのるようなすごく難しいことに思えました。
そしてわたしはすぐに楽なほうにいくので、無理にその波にのらず、浜辺で寝そべることを選択します。
外で摩擦をしない代わりにその日の体力を使って本を読むことにしました。
そうすれば傷つかずにいろいろな面白いことを知れると分かったからです。
外で社会の機微に触れることも、本で距離のない知識を得ることも成長する上で両方ともとても大事です。しかし私はその片方からたびたび逃げてしまいました。
それから母がそのことについて咎めたり、直しなさいと言ったことはありません。
ただ、「多くの人と違う道を選ぶ時、あなたは他の人とは違う責任を持つということだけ覚えておきなさい」と優しく言いました。
私の人生のデザインに干渉はしないけれど、責任のない人生はないことを諭したのだと思います。その頃から私は何かをしなかった場合の代償とそれを補填する行為について考えることが増えていきました。
そして大学生も終わりになって私はでんきゅうと親しくなります。
関係を一言でいうのが難しいですが、私は、彼のただ一人の保護者となります。
年が近すぎて、外でそう言っても多分首を傾げられたり背伸びをしていると思われてしまうと思います。
勝手に私が思っているだけの保護者です。ですが、私には責任があると思いました。
彼に勉強がしたいなら進学しようと言ったのは私だったからです。
彼がまだ16歳のときです。
様々な手続きを終えて東京に出てきて、進学準備を始めたとき体は傷だらけでした。
心はもっとだったと思います。
実家にいるときに、お金を貯めて買った教科書は捨てられたと聞いて一緒にまたいちから買いました。ただ進学準備は整っていたし、勉強は教えればすぐに理解出来る子だったので、そこからとんとんと彼が幸せになれると思っていました。
でも、彼は今までのことやこれからのことで悩んだり、迷ったりもします。
何もできない日もあります。
当たり前です。まだまだ子供だったのですから。
その時、思い知りました。
何も言わずにいるということがどれだけ難しいことなのか。
相手が失敗するとわかっていて、「失敗を知る」という成長を見守ることがどれだけ難しいのか。
ただ彼が頼りにできるのは、私だけなのです。
しゃんと週末は好きなことをして遊び、思い立ったら旅行に行けて、何の責任もなく楽しい生活を送っていたこのばかな私だけなのです。
しっかりしたいけど、彼をきちんと社会で生きていけるようにしなければと考えすぎて感情的になりそうになる日が増えました。
しゃんにも相談したけれど、「まだ始めたばかりだよ、見守ろう」と言っていて、私は見守っているうちに何か重大な怖いことが彼を飲み込んでしまって、結局不幸にしてしまったらどうしようと、いそいで成長しなくちゃとだんだん不安になってしまいました。
彼に進学をしてみようと言ってしまったことが分限をこえた事だったような気がしたり、しかしやっぱり彼の体の傷を見るたび家に戻すわけにはいかない、でも、どうすれば正しいのかと悩む日が続きました。
私は母に電話をして、どうしたらいいのか分からないといいました。
「相手を自分の思い通りにできると思っていると、気持ちがおさまらなくなる。相手が話したいときに耳を傾けて、あとは相手が良いほうにいくことだけ願えばいいのよ。」
と言っているのを聞いて涙が出ました。
私が、そうしてもらっていたことそのものだったからです。
「幸せになってね」という気持ちにとびきりの信頼を添えて、いつもただそれだけ。
それだけをひたすらにして、傍にいてくれたことをその時知りました。
「お母さん、ごめんね。いつも本当にありがとう。お母さんずっと生きていてね、大事にするからたくさん長生きしてね。」
声が続かなくなりそうなほど、切実に伝えました。
母はあきれたように力を抜いてやわらかく笑い、私にこう言いました。
「泣くことなんてないのよ。明日事故であなたが死ぬかもしれないのだから、あなたのほうこそ長生きして、気をつけてずっと生きていて、お母さんを悲しませないでね。一緒に、こう思って生きていきましょう。」
確かにいつ死ぬかは分からないんだと思いながら私は涙も止まってしまってこういいました。
「お母さんってへんなひと。」
もうそれから何年もたって、二年前でんきゅうが成人して今日もスーツを着て仕事にいってるんだなと思ったら、私のことをきらいなひとにすら感謝したいと思いました。
私がみんながしあわせだったらうれしいといつも言うのは、あ、もちろんわたしもしあわせでいたいですよ。そういうことをいつも言うのは、幸せはそばにいるひとも温めるようなものに思うからです。それと、あの頃の彼が死なないで今元気にしているのは、きっととても運のよいことで、彼の努力もそうだけど、いろんなことにとにかく頭をさげたい気持ちがするんです。
へんなはなしですね。
読んでくださったかたがもしいましたら、本当にありがとうございました。
ちょっと、昔話でした。
それではまたお便りします!
次回はもっと気がぬけるたのしいたのしいおはなしを書きますね!