貧困の連鎖を止めようとしたら、子どもの学力が下がりました。働き方から変えよう、地方から変えようとしたら、何も変わりませんでした。
自己紹介
こんにちは。上杉周作と申します。教育について考えるのが好きな、シリコンバレー在住のエンジニアです。
88年生まれで、中学1年まで日本で暮らし、それからはアメリカ在住です。カーネギーメロン大でコンピューターサイエンスを学び、AppleとFacebookでエンジニアインターンをし、その後シリコンバレーのベンチャーを転々とし、2012年9月よりシリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurgeに就職しました。
2017年1月にはNHK「クローズアップ現代+」の教育特集に「教育×IT」の専門家としてお呼びいただき、教育評論家の尾木ママさんと共演しました。
そしてこのたび、4年とすこし働いたEdSurge社を退職しました。しばらくはニート生活を楽しみ、その後は教育以外の分野に進もうと考えています。
良い区切りだと思うので、しばらくのあいだ最後になるであろう、教育についての記事を書くことにしました。かなり長いのですが、読んでくださると嬉しいです。
【ご報告/ブログ更新のお知らせ】4年と3ヶ月働いたシリコンバレーの教育ベンチャー・@EdSurge社を退社しました。良い区切りなので記事を書きました。よければどうぞ!
— Shu Uesugi (@chibicode) February 22, 2017
↓
「シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話」https://t.co/d4gECwgzeg
【ご報告と、しばらくは最後になるブログ更新のお知らせ】 2017年1月31日をもちまして、4年と3ヶ月勤めさせていただいたシリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurge社を退社しました。まだまだやることは多かったのですが、ぼくも29歳にな...
Posted by Shu Uesugi on Tuesday, February 21, 2017
目次
- 第一章: ヒーロー童貞
- 第二章: 1億ドルのご褒美
- 第三章: 10億ドルのご褒美
- 第四章: 民主党と共和党
- 第五章: 住民の集会と金持ちの集会
- 第六章: エイボン校
- 第七章: セントラル校
- 第八章: 学区長
- 第九章: 最終兵器
- 第十章: チャータースクールの光
- 第十一章: チャータースクールの闇
- 第十二章: 四面楚歌
- 第十三章: 反省会
- 第十四章: 地に足がついている取り組み
- おわりに: 議論の質を上げよう
第一章: ヒーロー童貞
— 震災後にここに戻ってきたときは、生まれて初めて、解けない問題に直面したような感じでした。
原発10キロ圏内にある福島県・浪江町を案内してくれた友人は、車を走らせながらそう言った。震災から5年半が経った今でも、津波の爪痕がまざまざと残る。すれ違うのは工事のトラックばかり。ぼくが訪れた2016年11月の時点では、いまだに居住禁止のゴーストタウンとなっている。
左は冒頭で書いた福島県浪江町の避難マップ(2016年12月)、右は福島県全体の避難マップ(2016年10月)だ。
まるで信号のように、青(緑)・黄・赤の三色で居住が制限されている地区が示されている。青(緑)のエリアにはもうすぐ人が住めるが、放射能汚染がひどい赤のエリアには当分だれも住めない。
ここは、未来の日本
— 南相馬には東京の方々も視察に来るのですが、その人たちには「ここは未来の日本なんですよ」って言ってます。
震災前の2010年、南相馬の高齢者人口は約27%と、日本全体でみると2015年に到達した数字だった。
しかし、震災後に南相馬の高齢化は一気に進み、2015年には高齢者人口が約34%になった。これは日本全体でみると2035年に到達するであろう数字である。本来20年かかる高齢化が、南相馬にはたった5年でやってきたのだ。
— 介護の現場はそうとう大変なんでしょうね。
— 仰るとおり、ベッドも人手もまったく足りてませんよ。
南相馬の20年後はどうか。推計によれば、2035年には高齢者人口が約45%になり、生産年齢人口の約46%と並ぶ。
もしぼくが今日、南相馬に生まれたとしたら、そのぼくが大学に進学するころには、市の約2人に1人が高齢者になっている。
はたして、南相馬で育つぼくは希望を持てるのだろうか。映画「君の名は。」に登場する、飛騨の田舎育ちの主人公・三葉のように、「もうこんな町いややー!こんな人生いややー!来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」と、ふと叫んだりしないだろうか。
それとも、映画「シン・ゴジラ」に登場する主人公・矢口のように、「諦めず、最後までこの町を見捨てずにやろう」と決意するのだろうか。
相双神旗ディネード
そんな南相馬で育つ子どもたちに、希望を届けるヒーローがいる。
フロンティア南相馬という、震災後に福島県で最初に認定を受けたNPOがある。設立メンバーは震災で集まったボランティアの有志たちで、子どもの支援・生活の支援・産業の支援を行っている。(寄付はこちらから。)
このフロンティア南相馬は、ご当地ヒーロー「相双神旗ディネード」の立ち上げも支援した。ディネードは南相馬近郊を守る正義の味方で、ヒーローショーで悪と戦いながら、子どもたちを「震災や放射能に負けるんでねーど(福島弁)」と鼓舞している。実写映画化もされ、制作の様子はめざましテレビが全国に放映した。
悪役は、住んでいた海や山を放射能で汚された動物の化身という設定だ。人間のせいで帰る場所が無くなったという点では、ディネードを観る子どもたちと悪役たちの境遇は変わらない。
フロンティア南相馬の方はこう語る。
— とにかくお金が足りなくて、ヒーローショーを続けるのも大変なんですよ。コスチュームの維持費だってバカにならない。
— そんなに大変なのに、なぜ続けてるんですか?
— そりゃあ、好きだからですよ。そして、子どもたちは、ヒーローの言うことには耳を傾けるんです。
— というと・・・
— たとえば「多様性を尊重しよう、相手の立場を理解しよう」って大人が口酸っぱく言うよりも、ディネードが悪役にたいして「きみたちが怒る理由も分かるよ」と言うほうが、子どもにとってはよっぽど説得力があるんですよ。
子どもにとって、ヒーローには説得力がある。
ぼくも幼稚園児のころ、5人の色違いのヒーローが悪と戦う「スーパー戦隊シリーズ」の「忍者戦隊カクレンジャー」が好きだった。
とくに印象に残っていたのは、「鶴姫」という女性が5人のリーダーを務めていたことだ。カクレンジャーはシリーズ18年目の作品なのだが、女性メンバーが登場したのは初めてだったらしい。たまたまカクレンジャーが、スーパー戦隊シリーズにとって女性の社会進出元年だったのである。
「女性のリーダーは当たり前」と思うようになるきっかけは人それぞれだが、ぼくにとってはカクレンジャーがそうだった。ヒーローには町を守る力だけでなく、子どもの当たり前をつくる力があるのだ。
ヒーロー初体験
当たり前だが、ヒーローがヒーローでいられるのは「中の人」がいるからだ。映画のディネードの「中の人」は高野伸博さんという方だった。
この高野さん、なんとそれまで演技経験「ゼロ」だった。
ディネードの企画ができたとき、「地元の人間を配役したい」という制作陣の意向により、原発事故のせいで自宅に戻れなくなった高野さんに声がかかった。彼はド素人の大根役者だったが、ルックスの良さを買われたという。「※ただしイケメンに限る」とはまさにこのことだ。
高野さんは慣れないセリフ回しに苦労したが、最終的に映画は大盛況に終わった。
恵まれない地域にはいつかヒーローが現れる。そんなヒーローの多くは、ヒーローになるのが初体験の人たちだ。ディネードでヒーロー童貞を捨てた高野さんの、今後の活躍に期待したい。
イースト・パロアルト
続いて、海の向こうの「恵まれない地域」の話をさせてほしい。後に、そこに現れたヒーローを紹介する。
アメリカ西海岸・カリフォルニア州シリコンバレーの中心付近に、イースト・パロアルトという都市がある。南相馬が東北でも特に苦労している町であるように、イースト・パロアルトもシリコンバレーでは特に苦労している町だ。
ぼくは数年前にイースト・パロアルトの隣に住んでいたが、たまに行くイースト・パロアルトは「廃れているな」という印象だった。しかし、90年代や2000年代のイースト・パロアルトはもっと物騒だったらしい。
ギャング抗争のせいで、イースト・パロアルトは1992年に市内での殺人率が全米最高を記録した。人口あたりの殺人発生率は同時期の日本の「175倍」というとんでもない数字である。1992年といえば、シリコンバレー発祥のインテルが世界最大の半導体企業になった年だ。
スタンフォード大学の目と鼻の先にありながら、イースト・パロアルトはまさに別世界だったのである。
2000年代に入ると、イーストパロアルトの治安はましになったが、シリコンバレーの他の地域と比べるとまだまだ悪かった。
2005年の春のこと。フェイスブックの創業者、84年生まれ・21歳のマーク・ザッカーバーグは運転中、イースト・パロアルトのガソリンスタンドに寄った。セルフサービスで給油していると、酔っ払いがやってきて彼に銃を突きつけた。ザッカーバーグはとっさの判断で車に飛び乗り、そのまま運転して難を逃れたという。
ザッカーバーグ率いるフェイスブックは当時、ベンチャーキャピタルから最初の投資を受けたばかりだった。投資家は、イースト・パロアルトの治安がリスクになるとは夢にも思わなかっただろう。
政府主導の差別政策
イースト・パロアルトはなぜそんな危険地帯になったのか。その理由は、「レッドライン」というアメリカの悪しき慣習にさかのぼる。
この地図を見てほしい。シリコンバレーの北にあるサンフランシスコの、1930年ごろの地図だ。福島の地図と同じく、青・緑、黄色、赤色が使われている。それぞれの色は何を意味するのだろうか。
じつは地図上の色は、「当時その地域に黒人がどれだけ住んでいたか」を示している。緑の地域はもっとも黒人が少なく、青、黄色と続き、赤の地域には黒人が最も多く住んでいた。
このような地図は、1930年代に全米で作られたのだが、なぜ必要だったのか?
アメリカでは1929年に大恐慌が起き、不動産市場が崩壊しかけていた。そこで連邦政府が不動産融資をする銀行を支援をしたのだが、そのとき政府は銀行に「支援をする代わりに、融資の審査を厳しくしなさい」と条件をつけた。
ではどう融資を厳しくすればいいのか。政府系機関のHOLCは銀行に、「黒人が多い地域に不動産融資をするのはやめなさい。黒人が多い地域には裕福な白人が住み着かず、発展しないだろうから」と伝えた。
これを受けて、アメリカ中の都市で先ほどのような地図が作られた。黒人が多い地域は赤線で囲まれたことから、この施策は「レッドライン」と呼ばれた。裕福な黒人が多かろうが、貧乏な白人が多かろうが関係なく、単純に肌の色だけで地図の色は決められた。
当時のアメリカで、黒人差別は合憲だった。政府主導の差別政策がまかり通っていたのである。
レッドラインの呪い
レッドラインは二つの結果をもたらした。第一に、赤の地域では、新しくお店を開こうにもビルを建てようにも銀行の融資に頼れなくなったり、資金繰りが厳しくなった既存のテナントも撤退して、地域全体が衰退した。第二に、赤の地域に賃貸で住む黒人たちにも銀行は住宅ローンを貸し渋るようになり、その人たちは家を保有することが困難になった。
日本と違い、アメリカでは基本的に住宅の価値は年々上がるため、家を持つことが資産を増やす最善手なのだが、多くの黒人はその機会を奪われた。また、既にレッドライン地域に持ち家があった黒人も、地域が荒れるにつれ持ち家の価値が下がり、財を失った。
アメリカの大都市を訪れたことがある方は、貧乏な層に黒人が多いこと、また黒人が多く住む地域が軒並み廃れていることに気づくかもしれない。レッドラインこそがその元凶なのである。20世紀中盤にアメリカを豊かにした資本主義のレールに、黒人の多くは乗ることができなかったのだ。
レッドラインは1964年の公民権法成立を経て、1977年に完全に廃止されるまで30年以上続いた。その間、全米で黒人と白人の資産格差が大きく広がり、赤の地域はゲットーへと変貌した。
1980年代に入ると、ゲットー化した地域で今度はドラッグ売買が広がった。
アメリカでは、学校の予算は地価に比例する税収で賄われる。ゆえに、ゲットー化した地域ではまともな教育が受けられなくなる。低学歴でも以前なら工場に雇用があったが、アメリカの製造業は1979年をピークに衰退している。ゲットーの路上には無職の若者が溢れるようになった。
「もうこんな町いややー!こんな人生いややー!」と叫んだ黒人貧困層にとって最後の希望は、女性なら売春、男性ならアメリカ中で流行りだしたドラッグ売買だった。
男性は、ギャングに入団してコカインやヘロインを売れば一日何百ドルも稼げる。廃墟になった建物はアジトとして利用され、ギャングの銃撃戦で治安が悪化し、「赤の地域」は「血塗られた地域」になった。1984年から1994年にかけて、14歳から24歳の黒人男性が殺人で死ぬ確率は全米で倍増した。
マーク・ザッカーバーグ
先ほどの話に戻ると、シリコンバレーにあるイースト・パロアルトも典型的な「赤の地域」だった。ゆえに、町はいつまでたっても豊かにならなかったのだ。
90年代、あまりの治安の悪さに黒人の多くはここを脱出したが、代わりにメキシコからの移民がイースト・パロアルトに住み着いた。しかし、住民が貧しいことに変わりはない。
そんなイースト・パロアルトに2012年、変化が訪れた。
同年のシリコンバレーは、フェイスブック社が世界最大規模の上場を果たした話題で持ちきりだった。そして、飛ぶ鳥を落とす勢いのフェイスブック社は、土地が余っていたイースト・パロアルトの真横に本社を移転したのである。
7年前にイースト・パロアルトで命の危険に晒された、フェイスブック代表のマーク・ザッカーバーグは、矢継ぎ早に地域への貢献をはじめた。
フェイスブック社がイースト・パロアルトにやってきた2年後、ザッカーバーグは1億2000万ドルをイースト・パロアルトを含む近郊の貧しい学区に寄付することを決定。寄付の一部は、イースト・パロアルトの学生たちにタブレット端末を配るために使われた。
(注: 1ドル=約100円として考えてほしい。1億ドル=約100億円。)
イースト・パロアルトに新しいクリニックが出来た際、ザッカーバーグは妻のプリシラと5万ドルを寄付した。二人はさらに、イースト・パロアルトに低所得者層の児童向けの学校を2016年に設立。3歳から入学でき、学費は無料で保育・医療サービスも提供する。
ザッカーバーグの貢献はカネやハコモノだけに留まらない。たとえばフェイスブックは毎年夏、イースト・パロアルトの高校生を何人かインターンで雇っている。
また、ザッカーバーグは2013年、イースト・パロアルトの中学生に10週間、週一で起業についての授業を教えた。中学生たちは製品のプロトタイプを作り、それらをフェイスブック本社で販売した。なかでも特に優秀だった4人は、高校に進学してもザッカーバーグの指導を受け続けたという。
ザッカーバーグは裕福な家の出身で、イースト・パロアルトの子たちとは共通点が少ない。しかし、世界を代表する起業家が直接指導してくれるのなら、みな彼の話を聞きたいと思うだろう。南相馬の子たちがディネードの言葉に耳を傾けたように。
こうしてザッカーバーグは、瞬く間にイースト・パロアルトのヒーローになった。
ザッカーバーグのヒーロー初体験
恵まれない地域にはいつかヒーローが現れる。南相馬にはディネードというヒーローが現れ、イースト・パロアルトにはザッカーバーグというヒーローが現れた。
そして先ほど述べたように、ディネードを演じた高野さんは、ヒーローになるのが初めてだった。
では、ザッカーバーグも同じく、ヒーローになるのが初めてだったのだろうか?
答えはNOである。ザッカーバーグは、地域のヒーローになるのが、イースト・パロアルトで二度目だった。
では、ザッカーバーグはいつ、どこでヒーロー童貞を捨てたのか?
じつは、ザッカーバーグのヒーロー初体験での出来事は、「The Prize」(ご褒美)という本にまとめられている(2017年2月時点では未訳)。しかもこの本、なんとニューヨークタイムズのベストセラーに選ばれたのだ。
ベストセラーになるほどのヒーロー初体験とは、いったいどれほど強烈なものだったのだろうか。それはディネードのような成功例だったのか、それとも黒歴史だったのだろうか。今回の記事では、「The Prize」を引用しつつ、この話を深掘りしていきたい。
「ザッカーバーグがヒーロー童貞を喪失する話なんぞ、べつに知りたくない」と思うみなさまも、騙されたと思って読んでほしい。未来を考えるヒントが見つかるかもしれないから。
第二章: 1億ドルのご褒美
ザッカーバーグのヒーロー初体験について語る前に、下の図を見てほしい。日本で「フェイスブック」とGoogle検索された数の推移である。
2011年1月に検索数が急に増えたのだが、これはなぜだろう?
その直前の2010年は日本でツイッターが大ブームになった年だったが、フェイスブックのユーザー数は「mixi」「GREE」「モバゲータウン」の1割ほどしかなかった。LINEを生む原因となった東日本大震災が起きたのは、2011年1月から2ヶ月後だ。
当時はマイナーだったフェイスブックの検索数が2011年1月に増えたのはなぜか。最も影響を与えたと思われる原因は、その月にフェイブスックの誕生秘話を描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」が公開されたことだ。
アカデミー賞で3部門を受賞したこの映画は、日本でも公開2週目の動員数で首位を獲得。マスコミもこぞってフェイスブックを取り上げた。
日本展開を目論んでいたフェイスブックにとって、「ソーシャル・ネットワーク」は絶好の追い風になったのだ。
ザッカーバーグの不都合
いっぽう、「ソーシャル・ネットワーク」が思わぬ向かい風になった人もいる。他ならぬ、フェイスブック代表のザッカーバーグだ。
アメリカでの「ソーシャル・ネットワーク」公開日は2010年9月24日。その数ヶ月前から公開されていた予告動画を観たザッカーバーグは、「まずいことになった」と頭を抱えた。
その理由は、映画がザッカーバーグのイメージダウンになるからだ。予告編では、ジェシー・アイゼンバーグ演じるザッカーバーグが、他人からアイデアを盗み、親友を平気で裏切る非情な人間として描かれていた。
ザッカーバーグにとって、このタイミングでのイメージダウンは最悪だった。
なぜか。じつは、ザッカーバーグは当時、ニューヨーク近郊にあるニューアークという都市の教育機関にたいして、1億ドルの寄付をすると決めていた。イースト・パロアルトへの寄付より3年以上前のことだ。
ニューアークはニュージャージー州最大の都市で、ニューヨーク市から車で30分ほどのところにある。ザッカーバーグの出身地・ドブスフェリーにも、車で45分ほどと近い。
ニューアークは、全米を代表する貧困地区として悪名高い。イースト・パロアルトと同じく、以前はニューアークの都市全体が「赤の地域」に指定されていて、長年の経済の停滞と、ギャングによる犯罪が市民を苦しめたしていた。もちろん教育レベルも低く、貧困の連鎖が問題になっていた。
この貧困の連鎖を断ち切ろうと、弱冠26歳だったザッカーバーグは、生まれて初めての巨額寄付に踏み切った。個人で1億ドルを贈ることで、ニューアークの教育を良くしようと決めたのだ。
せっかくの巨額寄付なのだから、発表も大々的にやることになった。発表の場は、アメリカで最も人気なバラエティー番組のひとつ・「オプラ・ウィンフリー・ショー」に決まった。
しかし不運なことに、寄付の発表日が9月24日に決まり、偶然にも「ソーシャル・ネットワーク」の公開日と重なってしまったのだ。
映画ではザッカーバーグは悪く描かれている。そんな映画と寄付の公開日が重なったせいで、「映画でイメージダウンするのを払しょくするために寄付をしたんだろう」と批判する人が出てくるかもしれない。
本人は「貧困問題を解決したい」との思いから1億ドルもの寄付を決めたにもかかわらず、「ソーシャル・ネットワーク」のせいで、それが保身行為だと受け取られる危機に陥ったのだ。
ザッカーバーグは、発表を数ヶ月遅らせることはできないか、または匿名で寄付ができないか、ニューアークの関係者に聞いてみた。しかし、快い返事は得られなかった。
プリシラ・チャン
そもそも、不自由なく育ったザッカーバーグがなぜ、ニューアークに1億ドルを寄付しようと考えたのか?それには彼の妻、プリシラ・チャンの影響があった。
彼女は、ただ玉の輿に乗っただけの女性ではない。
チャンの両親は、アメリカにボートで辿り着いたベトナム戦争の難民だった。父親は中華レストランを経営し、母親は仕事を掛け持ち、一日18時間働いた両親の代わりに、祖父母がチャンと二人の妹の面倒を見た。普通の公立校に通ったチャンは猛勉強し、彼女の才能を見抜いた先生たちの薦めで大学進学を決意。やがて彼女はハーバードに合格し、そこで将来の夫に出会った。
医者を志したチャンは、ハーバードの南にある貧困地区で4年間、恵まれない子たちのためにボランティアをしていた。医学大学院に入学した後も、サンフランシスコのヒスパニック系移民向けのクリニックで働いた。
— 貧しい子たちといると思うんです。この子たちはわたしと一緒だ。諦めずに助けていれば、どこかでわたしみたいに幸運を掴めるかもしれないって。
そんなチャンに心を動かされたザッカーバーグは、子どもたちのために慈善活動をすることに乗り気になった。
(ザッカーバーグとチャンの結婚式の写真。)
ただ、ザッカーバーグの動機は、チャンのように「子どもたちの可能性を広げたい」といった純粋なものではなかった。根っからの起業家の彼は、チャンの言葉を「仕組みの問題」として聞いていた。証拠に、ザッカーバーグはチャンとの共同インタビューでこう語っている。
— プリシラ(チャン)は、ハーバードを卒業してすぐの一年間、医学大学院に入るまで、シリコンバレーで学校の先生をしていました。まわりは「ハーバードの卒業生が学校の先生をやるなんて」と冷ややかだった。しかしわたしは、学校の先生という職業は安月給ながら、それよりも高給な他の職業よりも社会にとって大切だと思う。経済的な観点から見ると、これはとても非効率です。学校の先生の社会的地位を上げるには、どんな仕組みを変える必要があるのか、どんな障壁を取り除く必要があるのか。慈善事業を通じて考えていきたいですね。
チャンは苦笑いしながら、
— マーク(ザッカーバーグ)はわたしと違うんです。わたしはただ、助けた子どもたちが将来どんな道を歩むのか、想像をふくらませるのが楽しいだけで・・・
コリー・ブッカー市長
ザッカーバーグとチャンには、フェイスブックの成功で得たカネはあったが、時間が無かった。ザッカーバーグはフェイブスック社の経営で、チャンは医学大学院での勉強で多忙を極めていた。恵まれない子たちのための慈善事業を行うには、それを実行に移してくれる人が必要だ。
そんな人が、2010年7月に見つかった。当時ニューアークの市長だった、コーリー・ブッカーである。
69年生まれのブッカーは黒人でありながら、ニューアーク市の北にある白人だらけの裕福な郊外で育った。その影には、黒人差別が激しい南部を脱出し、IBM社で黒人初の取締役になるまで出世した、彼の両親の努力があった。ブッカーも両親の期待に答え、スタンフォード大、オックスフォード大、エール大を卒業した。
しかし、ブッカーはそのままエリートコースを歩まず、ニューアーク市の貧困地区に引っ越してきて社会活動家となった。エール大で学んだ法学の知識を活かし、貧困層を食い物にするスラム街の悪徳大家と戦った。悪徳大家が政治家とのパイプを活かして好き放題やっていることに気づいた彼は、「政治から変えないとダメだ」と政界進出を決意。翌年、市議会議員に立候補し当選した。
議員になったブッカーは、ニューアーク市の公教育の改革を訴える。「ニューアークでは多くの子どもが高校を卒業できず、貧困の連鎖が続いているというのに、役所は指をくわえて見ているだけだ」と現体制を批判した。
そして2006年、ブッカーは教育を争点に市長選に出馬。5選した現職市長を破り、晴れてコリー・ブッカー・ニューワーク市長が誕生した。
危機を救うカリスマ首長が登場するのは、どうやらアメリカでも日本でもよくあることらしい。
成功モデルを作り、アメリカ全国へ広める
ニューアークの教育改革には大規模な予算が必要だ。しかし税収が元手では、使い道が限られたり、役所や教育委員会にがんじがらめにされて思い切った改革はできない。いっぽうで、慈善家から寄付金を募れば使い道は自由だ。
ブッカーは早速、興味がありそうな大富豪を探し始めた。その彼が狙いを定めたのが、若き億万長者・ザッカーバーグだった。
二人の風雲児が出会ったのは2010年7月。アイダホ州のサンバレーで毎年開催され、超大物経営者・芸能人・政治家が集まるアレン&カンパニー・カンファレンスでの出来事だった。
(ブッカーとザッカーバーグの写真)
ザッカーバーグとブッカーはディナーのあと、二人で歩きながら語った。
— ブッカーさん、わたしはアメリカの教育を地方から変えたいんです。まずは貧困で苦しんでいる地方都市を選び、教育レベルをV字回復させたい。そしたら、今度はその成功モデルを全国に広めれないかと思っています。そういう計画になら、ぜひとも寄付をさせてほしい。
ザッカーバーグが育てたフェイスブックは、最初に彼の母校・ハーバード大で大流行した。その後、他の名門大学へとブームは飛び火し、一般大学や高校へと広まり、やがて誰もがフェイスブックを使うようになった。「成功モデルを作り、アメリカ全国へ広める」という手法を、今度は教育でやろうと考えたのだ。
もちろん、ブッカーも乗り気になった。
— 素晴らしい。その計画、ぜひ我がニューアーク市でやってほしい。ニューアークの教育事情はたしかに苦しい。だが、あなたが協力してくれれば、アメリカ中から最高の先生たち、最先端の教育研究者たちをニューアークに集めることも不可能ではない。そうすれば、街全体、ひいてはアメリカ全体をひっくり返すことだってできますよ。
地方発の改革を、ブッカーならやってのけるかもしれない。ザッカーバーグは直感でそう確信したという。
1億ドル
先に書いたとおり、ザッカーバーグがやりたかったのは教育の「仕組み改革」、なかでも「雇用改革」だった。
ニューアークを含むアメリカの殆どの学区では、先生の給料は学歴と勤続年数で決まる。多くの子どもの人生を変えるほどの良い先生が、役立たずの年寄り先生より給料が低いことなんてザラにある。これでは良い先生ほど辞めてしまう。民間企業のように、良い先生ほど高い給料が支払われなければいけない。ザッカーバーグはそう確信した。
年功序列制を無くし、成果報酬制を導入するには、報酬となるカネが必要だった。では、いくらあれば足りるのか。ブッカーは面倒な計算はせず、直感で欲しい寄付額を決めた。
— ザッカーバーグさん、1億ドルでどうですか。それだけあれば大抵のことはできるだろうし、わかりやすい数字だから話題性も抜群です。
ザッカーバーグは、ブッカーの提案を条件付きで受け入れた。
— わかりました。しかし条件があります。わたしの1億ドルは「上乗せ分」にしてほしい。つまり、ブッカーさんはわたし以外からも寄付金を募り、その合計が1億ドルに達したら、わたしも1億ドルを寄付します。もしも1億ドルが集まらなかったら、わたしは寄付はしません。こうすることで、より多くの人から寄付を集めることができる。うまくいけば、トータルの寄付金は2億ドルになります。
— ついでに、わたしの力量も問われるということですね。いいでしょう。やってみせますよ。ちなみに、頂いたカネは5年で使い切りたいと思っています。それくらいのスピード感でやらないと、アメリカ全国に改革を広げることなんてできない。
— 構いません。では、そういうことで。
オプラ・ウィンフリー・ショー
その一ヶ月後の、2010年9月24日。ザッカーバーグは鳴り物入りで寄付を発表すべく、ブッカーらともに「オプラ・ウィンフリー・ショー」に出演した。さきに話したとおり、9月24日は「ソーシャル・ネットワーク」の公開日でもあった。
全米屈指のバラエティ番組のステージで、まずブッカーと当時の州知事が、ニューアークの教育改革の必要性を訴えた。すかさず司会のウィンフリーは、まだ口を開いていないザッカーバーグに質問する。
— じゃあザッカーバーグさん、あなたはニューアークの教育改革と何の関係があるんですか?
— わたしが新しく設立した慈善団体を通じて、ニューアークに1億ドルを寄付しようと・・・
— 1!億!ドル!ですって!すごい!すごい!
ザッカーバーグが台詞を言い終える前に、スタジオは総立ちの拍手に包まれた。弱冠26歳の億万長者は照れながら、座ったままで感謝した。
これが、ザッカーバーグのヒーロー初体験のはじまりだった。
(オプラ・ウィンフリー・ショーにて)
ここで良い知らせと、悪い知らせがある。
まず良い知らせだが、「寄付をしたのは、映画『ソーシャル・ネットワーク』でのイメージダウンを払しょくするための、売名行為ではないか」というザッカーバーグへの批判は、少なからずあった。しかし、どれも炎上を招くほどではなかった。お茶の間のアメリカ人の多くは、ザッカーバーグの「ご褒美」を肯定的に受け取った。
次に悪い知らせだが、ザッカーバーグがニューアークに寄付をした1億ドルは、後に水の泡になった。ザッカーバーグのヒーロー初体験は、輝かしい彼の経歴において最大級の黒歴史として刻まれた。
いったい、何が起きたというのか。
第三章: 10億ドルのご褒美
ザッカーバーグやブッカーが「貧困を教育で解決したい」と思う都市・ニューアーク。話をすすめる前に、どれほど厳しい町なのか解説しておきたい。
ニューアークはもともとアメリカ東海岸屈指の工場街で、白人が多い裕福な町だった。しかし、大戦後に起きた郊外化、南部の黒人の流入、そして先に述べたレッドライン政策のせいで、60年代には町が貧しい黒人だらけになった。町を照らしていた工場も、郊外移転や製造業の衰退にともない閉鎖された。
その後、白人だらけの建設業界が政治家と組んで乱開発を行い、地域のつながりが分断された。気づけば町は公共団地だらけになり、5キロ四方の地区に2万人近くの貧困層が押し込まれ、アメリカ東海岸最大級のゲットーが誕生した。
以来、産業と繁栄がニューアークに戻ることはなかった。貧困率、失業率、犯罪率はどれも全米最悪レベルで高止まりしていた。
子どもの貧困と教育行政
日本では2012年に子どもの貧困率が「6人に1人」を突破し話題になった。ザッカーバーグが寄付を発表した2010年、アメリカの子どもの貧困率は「5人に1人」だった。
そしてニューアークでは、子どもの貧困率は「5人に2人」と、全米平均の倍だった。ちなみに、95%の子どもは黒人かヒスパニックだ。
また、ニューアークの新生児のなんと7割がシングルマザーのもとに生まれている。2010年、日本はひとり親家庭の貧困率が先進国最悪だったが、アメリカも下から四番目と大差ない。
教育レベルはどうか。アメリカでは高校は義務教育だが、高校を卒業するのは簡単ではない。日本の大学のように、州ごとに定められた必要単位を取らないと高校を卒業できない。単位を取るには一定以上の成績が必要だ。落第、退学というコンボも十分ありうる。
そしてニューアークの高校卒業率は「2人に1人」。目も当てられない状況だ。小学生と中学生を見ても、州が規定する最低学力水準に達しているのは「3人に1人」である。市の人口における大卒者の割合にいたっては「8人に1人」しかいない。
低学歴者の仕事がないなかで、子どもたちは希望を求めてギャングに入団し、そのギャングが子どもたちを襲った。子どもの貧困率がなんと「9割」のウエストサイド高校の生徒をみてみると、2008年にギャングが無関係の生徒3人を銃殺し、2007年にも生徒2人が銃殺された。子どもは直接殺されなくても、家族が殺されて孤児になるケースも多かった。
ニューアークは教育行政もお粗末だ。教育事務局は市で最大の雇用を創出していたが、なぜか「雑用の事務員」が飛び抜けて多く、その比率は州の平均の倍だった。雑用の事務員の仕事は文字通りに雑で、出席データや成績データが正しく入力されないことは日常茶飯事だった。
また、学校の建物のほとんどは老朽化しており、文字通りに崩壊を始めた。ミシェル・オバマ前大統領夫人がニューアークの学校を2010年に視察した際、建物の一部が崩れて入り口に落下したほどだ。
麻薬王の言葉
ニューアークでは、なんと麻薬王までが教育の失敗を嘆いた。
ニューアークのギャングのボス、アクバー・プレイは、やがて捕まり終身刑を言い渡された。しかし彼は牢屋に入ったあと、大事な3人の息子をギャングの抗争で失ってしまう。
深く心を痛めたプレイは、獄中からニューアークの子どもに音声メッセージを送った。
— 遊びは終わりだ。いいか、サボらずに学校に行って勉強しろ。お前らが這い上がる道はそれしかねえんだ。沢山のシャバに出ていく野郎どもと知り合ったが、みんな揃いも揃って読み書きすらできねえ。そんなやつらは出所しても、また戻ってきちまうんだ。
ニューアークの子どもたちはプレイのメッセージに感動し、お礼の手紙を書いた。それを読んだプレイはこう語った。
— どれも心が温まる内容だったよ。でも、「こいつ、文章を書いたことがあるのか?」って手紙も多かった。いったい学校は何を教えてるんだ?
どうしてこんなになるまで放っておいたんだ
ニューアークの教育は惨憺たる状態だったが、ブッカーが市長に就任するまで誰も何もしてこなかった。それはなぜだろう?
理由のひとつは腐敗である。
市の上層部を見れば、ブッカーが市長に就任するまでの44年間に市長を務めた3人は、全員汚職で逮捕されている。東京都政が可愛く見えるレベルだ。
1962-70年のニューアーク市長はギャングと癒着しており、建築業者を通じて150万ドルを受け取ったことがバレて逮捕された。1970-86年の市長も校舎建設の予算を数百万ドル単位で横領したことがバレて逮捕された。1986-2006年の市長も市有地を個人で転売していたことが退職後にバレて逮捕された。
同じく、下層部にも腐敗は蔓延していた。1994年には、ニューアークの学校の校長ふたりがダミー会社を作り、ネズミ被害やアスベストだらけのビルを安く買った。そのビルを、市議会議員とのパイプを通じて、市に学校の校舎として高く売ろうとしていたことが発覚した。
教育の民主主義を守るはずの教育委員会も、政治家や組合員といった既得権益者の手先が掌握していて、誰も何も変えようとしなかった。
10億ドル
さらに、補助金が腐敗に拍車をかけた。ニューアークと、ニュージャージー州の他地域の教育格差があまりにも大きすぎたため、1995年に司法が介入して教育に州の補助金がついた。
ニューアークは人口27万人の都市で、目黒区の人口とだいたい同じだ。その教育事務局は当時、約7000人もの教員や事務員を抱える最大の雇用主だった。職員へ給料を払い、そして約3万3000人いる生徒を支えるため、州の補助金を入れて年に10億ドルもの教育予算が組まれた。
この10億ドルは本のタイトルにもある「The Prize」(ご褒美)と揶揄された。「目黒区ほどの人口で、教育予算に10億ドルもあるなら十分では」と思うかもしれないが、腐敗のせいで実際に現場に届いたのはこの半分以下だった。10億ドルの大半は、事務局にいる「雑用の事務員」の雇用維持や、校舎改築などの名目で金をむしり取った建設業者、組合や政治家のふところに渡った。
現場は貧困の悪影響と資金不足に苦しみ、どこも投げやりの状態になっていたが、ホクホクの既得権益者に現状を変えるインセンティブは無かった。
ニューアークにおいては長い間、教育は子どものためではなく、大人のためにあった。そんな問題だらけの教育事情に、ブッカーとザッカーバーグが立ち向かったのである。
第四章: 民主党と共和党
— お前はクビだ!
ドナルド・トランプ大統領は、彼が司会を務めたテレビ番組「アプレンティス」で人気を博した。参加者がトランプの部下見習いとして課題に取り組み、トランプ氏が毎回一人ずつ決め台詞を言ってクビにし、最後まで生き残った者が勝者となる。
2016年のアメリカ大統領選でトランプ氏が勝利したとき、ゴール目前で「お前はクビだ!」と言われた手下がいた。2010年から、ニューアーク市があるニュージャージー州の知事を務めている、クリス・クリスティーである。
クリスティーもトランプと同じく共和党から大統領選に出馬したが、早々に脱落した。その後クリスティーはトランプ陣営につき、選挙中はトランプの右腕となる。トランプのスピーチ中になぜか、彼の後ろで一言も発さずに突っ立っていたこともあった。
UPDATE: Chris Christie is still standing motionless and expressionless behind Trump pic.twitter.com/E4Wyc9Mmvf
— NowThis (@nowthisnews) March 2, 2016
クリスティーは恥も外聞も捨ててトランプに忠誠を尽くしたが、トランプは大統領当選後、クリスティーに何もご褒美を与えなかった。クリスティーは、一時は政権移行チームのトップを任されたがすぐ解任され、長年の夢だった司法長官のポストも与えられず、事実上のクビになった。スキャンダルや人間関係の問題が理由だったらしい。
ブッカー市長とクリスティー知事
ここで、第二章で紹介したコーリー・ブッカーの話に戻る。
2010年から2013年にかけて、クリスティーはニュージャージー州の知事、ブッカーはニュージャージー州最大都市のニューアーク市長として、二人はタッグを組んでいた。
クリスティーは共和党、ブッカーは民主党に属していたが、二人は党派を超えた盟友だった。
二人の仲を強固なものにした出来事がある。ブッカーが市長選で勝利した直後、市長選のライバルだった前ニューアーク市長が、市有地を個人で転売していたことがバレて逮捕された。クリスティーは政治家になる以前、カリスマ検事として有名だったのだが、じつは、この前市長を牢屋にブチ込んだ検事はクリスティーだったのである。相対的に、新市長であるブッカーの人気が上がり、ブッカーはクリスティーに感謝した。
ブッカーもクリスティーも「腐敗と戦う」という気概があり、その点において二人は気が合ったのだ。
クリスティー知事は、ザッカーバーグの寄付におけるキーパーソン
そして2010年、ザッカーバーグがニューアークに1億ドルの寄付を決めたとき、彼が最終的にGOサインを出した理由のひとつに、クリスティーの存在があった。
言い換えると、ザッカーバーグを直接口説いたニューアーク市長のブッカーだけでなく、ニュージャージー州知事のクリスティーがいなかったら、ザッカーバーグは1億ドルの寄付を取り止めていたかもしれない。
そしてザッカーバーグがブッカーと寄付をテレビ番組で発表したとき、クリスティーもその場にいた。下の動画のサムネイルで、一番左に座っているのがクリスティーである。
(オプラ・ウィンフリー・ショーにて)
なぜ、クリスティーがザッカーバーグの寄付において、キーパーソンとなったのだろうか。
教職員組合の敵・クリスティーが、ニューアークの教育行政の実権を掌握した
2006年にニューアーク市長となったブッカーは、教育改革をしようにも孤軍奮闘だった。
なぜか。ニューアークと、ニュージャージー州の他地域の教育格差があまりにも大きすぎたため、1995年に司法が介入して教育に州の補助金がついた。この補助金の代償として、ニューアーク市の教育行政の権限の大部分が、市の教育委員会から州に委譲された。つまり、ニューアークの教育を変えようにも、ニュージャージー州知事が首を縦に振らなければいけなかったのだ。
しかし、2006年から2010年までの州知事は、教育改革に消極的だった。彼は民主党・左派、すなわち「労働者の味方」側の人間で、教職員組合を票田としていた。だから、既得権益側である組合が嫌がるような改革はできなかったのだ。
ブッカーも同じ民主党員だが、彼は「必要な改革を既得権益が拒むのはおかしい」という立場を取っていた。
そんな中、2010年に共和党・右派のクリスティーが州知事になる。これによって、市の教育委員会に代わり、クリスティーがニューアークの教育行政の実権を掌握した。
「企業の味方」を党是とする共和党員として、クリスティーは選挙期間中から教職員組合を叩きまくった。教職員組合はニューアーク最大の集票装置だったが、カリスマ検事として芸能人並に名を馳せていたクリスティーにとっては、組合の抵抗は痛くも痒くもなかった。どこか、弁護士出身である橋下氏時代の大阪を彷彿させる話だ。
クリスティーは、既得権益の組合と真っ向から対峙することを厭わない。つまりブッカーにとって、ニューアークの教育を変える千載一遇のチャンスがやってきたのだ。
アメリカの教育と政治イデオロギー
ここで、アメリカの教育と政治イデオロギーについて、詳しくない方向けに説明しておく。
アメリカは二大政党制を採用していて、大雑把に言うと、「再分配を大事にし、大きな政府を求める民主党」と、「競争を大事にし、小さな政府を求める共和党」がある。トランプ大統領は共和党、ヒラリー・クリントンは民主党、オバマ前大統領は民主党、ブッシュ元大統領は共和党だった。
ここで質問なのだが、「アメリカの初等・中等教育レベルを上げるにはどうすれば良いか」と民主党・共和党それぞれに問うたとき、どのような答えが返ってくるだろうか。
(ちなみに、「初等 = 小学校」「中等 = 中学・高校」という意味である。)
「再分配を大事にし、大きな政府を求める民主党」は、おそらくこう答えるだろう。
— 貧しい家庭や、苦しい学校への支援を充実させるべきだ。
では、「競争を大事にし、小さな政府を求める共和党」はどう答えるか。アメリカはよく「自己責任の国」と言われるから、以下のような返事が返ってきてもおかしくない。
— 子どもの教育は親の自己責任。良い教育にはカネがかかって当然。
— というわけで、学費も高いが質も高い私立学校をもっと増やすべきだ。
— 私学だけでは足りないかもしれない。ならば、日本の東大理IIIの合格者の6割以上を占める塾「鉄緑会」のように、質の高い塾をもっと増やすべきだ。
しかし、実際は共和党はそう考えず、かわりに次のように答える。
— 学費無償の私立学校をたくさん作り、学校間の競争を促進すべきだ。
つまり、運営は民間が行うが、学費は補助金ですべて賄う私学をたくさん作れということである。「所得が何万円以下なら無償」ではなく、はじめから全員に学費無償の私学を作るということだ。
共和党が、教育において大事にする「競争」とは、「教育熱心な親同士が、私立校や塾に子を入れたりと、金にものを言わせて競争する」という意味の競争ではない。「学校同士が、無償というルールのもとで、民間・公立ともに競争する」という意味での競争なのだ。
すなわち、民主党も共和党も、「初等・中等教育においては、良い教育を無償で受けられるべき」と考えているのだ。
日本と比べてみると
アメリカにおいて、「初等・中等教育においては、良い教育を無償で受けられるべき」という考え方は、大戦後に世論を味方につけ、関連法の「初等中等教育法」が1965年に成立し、それから普遍的な価値観となった。
(再度言うが、「初等 = 小学校」「中等 = 中学・高校」という意味である。)
これの価値観の変遷は、日本より遥かに早い。
日本の場合、「初等・中等教育においては、良い教育を無償で受けられるべき」という価値観が政治で争点になったのは、大戦後、2009年の衆議院選挙が初めてだ。そう、自民党から当時の民主党へと「政権交代」が起きたときである。
それまで、公立小・中学校は日本では無償だったが、高校はそうではなかった。民主党が政権を担ったことで、「子ども手当」とセットで公立高校が無償化された。アメリカに半世紀遅れでようやく価値観が追いついたのだが、その後また自民党にバトンタッチした際、無償化には所得制限が設けられた。
日本のほうがアメリカよりも「教育費は自己責任」
日本のほうがアメリカよりも「教育費は自己責任」という価値観が強いといえる理由は他にもある。
高等教育の話になるが、日本では最近、大学の学費高騰と奨学金制度が問題になった。
大学生が仕送りから生活費に使える金額が2000年は一日2000円だったのが、2015年は一日850円まで下がったり、国立の女子医大生ですらカラダを売らないと生活が成り立たないことが話題になったりする。女性の貧困について詳しいライター・中村淳彦さんによれば、頭の良い女子大生ほど、Fラン大学の女子大生よりも早く「今のうちから稼がないと奨学金を返すのは困難になる」と気づき、少しでも若くて付加価値が高い学生のうちに裸になるという。
学費が高いこと以上に、日本では諸外国に比べ、返済不要な「給付型」の奨学金が、アメリカと比較どころか世界的に見ても圧倒的に少ない。最近やっと、給付金奨学金が2018年から制度化することが決まったばかりだ。
制度化が遅れた理由のひとつは、日本では国際的に見ても「教育費、とくに高等教育費は自己責任」という価値観が強いからだ。
たとえば、国際比較調査プログラムISSPが2006年に行った調査によると、「貧しい家庭の大学費用を政府が援助すべきか」という質問にたいし、アメリカを含むほとんどの国で賛成が反対を大幅に上回ったが、日本だけ一定数が反対した。
高齢者向けの政策と比べてみると、差は一目瞭然だ。日本版総合社会調査(JGSS)の2010年のデータによれば、日本だと、高齢者にかかる費用は政府の責任と考える人が多数派なのに対し、教育や保育は家庭の責任と考える人が最も多い。
高齢化が加速すればこの傾向は強まるだろうし、家庭の教育・保育費負担が増えればさらなる少子化に繋がるだろう。
話が逸れてしまったが、何が言いたいかというと、自己責任を重んじるアメリカですら、「教育費に限っては政府の責任」と考えるのにたいし、日本は世界でも突出して「教育費は自己責任」という価値観が残っているということである。
ブッカーとクリスティーは、教育面では完全に合意していた
アメリカの話に戻ると、最近は民主党のなかでも、教育では右派に近い人が出てきた。「貧しい家庭の支援も大事だが、民間(私学や慈善団体)も有効活用すべきだ」と考える、いわゆる「中道派」たちだ。「教育は民間に頼るべきではない」と考える生粋の「左派」とは一線を画した考えを持っている。
ここで、ブッカー市長とクリスティー知事の話に戻る。
ブッカーは民主党(左派)の市長だが、教育に限っては、共和党(右派)に考え方が近い。ニューアークの役所と教育行政にうんざりしていた彼は、「民間(私立)の力を活用しないと、何も変わらない」と考えたのである。
ブッカー市長はクリスティー知事と違う党に属しながら、教育面では完全に合意していた。いっぽう、教育の実権を握ったクリスティーも、ブッカーの「ニューアークの教育を良くしたい」という思いに共感していた。
この二人の絆を、ニューアークへの寄付を検討していたザッカーバーグは高く評価していた。
2016年の大統領選でも垣間見えたことだが、アメリカは民主党と共和党の分断が広がっている。「民主党が嫌い」と答える共和党支持者、「共和党が嫌い」と答える民主党支持者は、50年前は3割しかいなかったが、最近は8割にまで増えた。
そんな政治的背景のなか、教育について党派を超えて合意しているブッカーとクリスティーに、ザッカーバーグは惚れ込んだのだ。
ザッカーバーグが1億ドルの寄付を発表したオプラ・ウィンフリー・ショーで、彼はクリスティーとブッカーに目をやり、こう言った。
— わたしは経営者ですが、経営者がやるべきことは、素晴らしいリーダーになる素質を持った人間を見つけ、応援してあげることです。ニューアークでもやってることは同じ。ここに寄付しようと決めたのは、この二人がいたからです。
第五章: 住民の集会と金持ちの集会
シェリル・サンドバーグ。フェイスブックの最高執行責任者(COO)としてザッカーバーグCEOを支える女性で、「リーン・イン」を著したフェミニストとしても世界的に有名だ。
そのサンドバーグは、「ニューアークへの、1億ドル寄付プラン」を読んだとき、ザッカーバーグにこう指摘した。
— マーク(ザッカーバーグ)、このプランには、「1億ドルは、現場の学校や生徒には直接渡しません」と書いているけれど・・・
— そうです。わたしがやりたいのは「教育の仕組み改革」だから、寄付金は学校や生徒の支援には使わないつもりです。仕組みを変えれば、最終的には学校や生徒の状況も良くなると思う。
— でも、現場は貧困の悪影響で苦しんでいるんでしょう?だったら、なぜ現場の学校や生徒にお金を使わないのか、きちんと説明しないと向こうは納得しないと思いますよ。
— なるほど。
— そもそも、このプランからは、地域の協力をどのように得るかがすっぽりと抜け落ちています。このままでは、地域の反発は免れないと思いますよ。
— わかりました。まず、われわれの取り組みを地域に説明する活動からはじめようと思います。
彼女が感じた不安は、のちに現実のものとなった。
住民の集会
ザッカーバーグが1億ドルを寄付したニュースは全米を駆け巡り、ブッカーは連日テレビに引っ張りだこになった。
一方、ニューアークの住民に寄付のことはあらかじめ知らされておらず、みなテレビを通じてはじめて知った。「寝耳に水」状態だった住民への説明に、ブッカーは急いで取りかかった。
ブッカーはまずPRコンサルタントたちを雇い、コンサルタントたちは地域の社会活動家を雇い、社会活動家たちは住民を集会に連れてきて寄付の説明をし、意見を求めた。
「寄付金を使えるなら、ニューアークの教育をどう変えたいですか?」社会活動家たちは、集会で住民にこう聞いた。最も多かった意見は、「子どもの心のケアを充実させてほしい」というものだった。住民の一人は集会でこう語った。
— わたしはニューアークで育ち、幸運にも奨学金で大学に行くことができ、今は弁護士として働いています。一時期、ニューアークでも特に貧しい地域の学校で教師をしていたのですが、クラスの問題児はみな、わたしの昔の同級生の子どもたちでした。昔の同級生はみなギャングになっていて、自分たちの子どもの教育にも無関心だったのです。
彼はこう続ける。
— ある日その子たちに、わたしが運転している高級車を見せてこう言いました。「どうだ、ギャングが持ってるのより良いクルマだろう?サツに取り押さえられることもない。勉強して、成功して、自分の金で買ったやつだからな」と。
貧困や犯罪が子どもたちに及ぼす影響は本物で、それを解決するには、ひとりひとりに心のケアを施し、勉強の大切さを語りかけないといけない。住民たちは、彼の言葉に深く共感した。
金持ちの集会
時を同じくして、ニューアーク中心街のオフィスビルでは、住民の裏で「もうひとつの集会」が行われていた。
そこに集まったのは、ブッカーと、ザッカーバーグの代理人と、ビル・ゲイツ財団をはじめとする、ニューアークに数百万ドル規模の寄付をした団体や会社の代表たち。ニューアークに金を出した人たちが、その金の使い道に口を出す集会だった。
ザッカーバーグの1億ドルは「上乗せ分」である。つまり、ブッカーはザッカーバーグ以外からも寄付金を募り、その合計が1億ドルに達したら、ザッカーバーグの1億ドルが入金される仕組みだった。「金持ちの集会」に集まった大口寄付者たちは、ブッカーに口説かれてニューアークに寄付を決めた者たちなのである。
この「金持ちの集会」で司会を務めたのは、クリストファー・サーフ教育長官。クリスティーに任命された、州の教育行政のトップである。ブッカー・クリスティー・ザッカーバーグが夢見る教育改革を任された男だ。
サーフは以前、教育のコンサルティング会社を興し、隣町のニューヨーク・マンハッタンで「教育の仕組み改革」に関与していた。富豪たちの前で、彼は持論を展開する。
— ニューアークほど崩壊した教育システムを立て直す方法は、いままでの延長線上にはありません。現場は「国語の補習講師がもっと必要だ」とか「図書室を充実させねば」とか言いますが、そんなのでは良くて「最悪」が「まし」になるくらいでしょう。
大口寄付者たちは頷いた。では、どうすればいいのか。
— 第一に、従来の公立校の数を大幅に減らし、かわりに無料の私学を増やし、民間の競争の原理を使って多様な学校を集めること。第二に、ビジネスの現場で使われている手法を導入すること。校長をCEOとして扱い、予算・採用・目標設定における権限を増やす。組合を弱体化させ、成果を出した先生には報酬を増やせるように、成果を出さない先生はすぐクビにできるようにする。生徒からは学習データを収集し、データに基づいた経営判断を行う、などです。そうすれば、全米から優秀な教職員がニューアークに集まってくるでしょう。
そう語るサーフ教育長官は正義感に溢れていた。コンサル時代に比べ、給料は10分の1以下になったと予想されるが、社会の欺瞞に虐げられている子どもたちに比べたら些細なことだ。
ひとつ問題だったのは、この「金持ちの集会」で決まったことは事実上の決定事項だったが、住民には一切それが伝えられていなかったことだ。そもそも、「仕組み改革にお金を使うため、現場にはお金を使わない」ということすら、住民にはハッキリと伝えられていなかった。
地域から意見は広く募るが、けっきょくは内輪で決めた結論を押し通すなら、それは「地域との協力」と呼べるのだろうか。
住民、激おこ
時が経つにつれ、住民は違和感を感じるようになった。
まず、集会を組織した社会活動家たちはPRコンサルタント会社に雇われていたのだが、そのコンサルタント会社は「私学を増やすため、公立校はもっと閉鎖すべき」という立場を公言していた。しかも、そのコンサルタント会社はブッカーと100万ドルの契約を交わしており、コンサルタントには「一日1000ドル」のご褒美が支払われていたが、社会活動家は「週に600ドル」しか支払われなかった。
「ドラッグ中毒の親を持つ子たちの、心のケアを充実させるべき」と集会で訴えた住民は、市から「後で意見交換させてください」と打診されたが、その後市から連絡は来なかった。住民の集会も、予定された半分以下の回数で中止されることが決まった。
そして2011年2月23日、ついに事が動いた。「金持ちの集会」で決まった「公立校を多く閉鎖して無料の私立校を大量に作る」という計画を、ニューアークの地方紙がすっぱ抜いたのだ。
唐突に一大事を知らされた住民は激怒した。
— ウチの学校が閉鎖されたら、息子や娘は先生や友だちと離れ離れになり、わたしは他の親御さんとの付き合いが無くなる!地域のつながりが分断されてしまう!
— 公立校が閉鎖されたらそれだけ教育事務局の仕事も減る。ニューアークでは教育事務局は最大の雇用主だ。みんなクビを切られて再就職のあてもなかったら、子どもの貧困なんか解決するか!
— さては、金持ちのやつらが俺たちの子どもを売って儲けようとしてるんだな!
— いったいどういうことだ!
その夜の集会には、なんと600人もの怒れる住民が押し寄せた。一人や二人のモンスターペアレントが出没するのとは訳が違う。
会場はリークされた資料で「閉鎖予定」になっていた公立校で、集まった住民は声が枯れるまでヤジを飛ばした。ブッカーら「金持ちの集会」の参加者はみな敵前逃亡していて、代行の人間が住民を必死になだめた。
話せば分かる?
その後も抗議の電話は途絶えず、ブッカーとサーフは焦った。「面と向かって話せば分かってくれるだろう」と考えた二人は、住民の代表たちと意見交換会を開いた。
— みなさん、ブッカーです。この度は説明不足で申し訳ない。しかしこの計画は、金持ちが子どもたちを売って儲けようとしているのではありません。新しく設立する私立校は営利目的ではないし、そもそも学費は税金で賄われるため、私立校を運営して稼げる金額は限られています。
— ブッカーさん、ニューアークは昔から腐敗がはびこってきた。そんな所に長く住んでると、みんな陰謀論を信じるようになっちまうんです。たとえ証拠がなくても、「これは金持ちの策略だ」と考えてしまうんですよ。
— しかし、子どもたちは本当に苦しんでいる。思い切った改革をしないのは、現状に甘んじるのと同じです。
— われわれの目には、「住民を敵に回すのは上等」というあなたたちの本音しか映りませんが。
— 時間がないんです。クリスティー知事の任期はあと3年。別の誰かが知事になったら、改革も足止めされてしまう。その間にも、子どもたちは落ちこぼれていくんです。
— われわれは長年ニューアークに関わってきましたが、3年でそんなに学校が変わるとは思えませんよ。
サーフが口をはさむ。
— 多くの教育改革がうまくいかない理由は、全員の合意を尊重しすぎるからです。ひとりひとりの意見を聞いている時間はない。短期間で教育を変えるには、一部から嫌われ者呼ばわりされることや、相応の犠牲を払うことも覚悟しなければならないんです。
住民の一人は驚いた顔をした。
— サーフさん、「犠牲を払う」とか言うの、やめてくれませんか。犠牲になるのはあんたじゃなくて、わたしの子どもたちなんですよ。
第六章: エイボン校
「金持ちの集会」が考えた戦略のひとつは、「うまくいっていない公立校、いわゆる『困難校』を閉鎖して、かわりに民間を参入させ、無償の私立校をつくること」だった。
では、ニューアークの公立困難校のなかでは、どんなことが起きていたのか。日本の困難校では、風呂の入り方を生徒に指導するハメになった高校もあるらしいが、ニューアークではどうか。
この章では、エイボン・ブリック・アカデミーという公立校を紹介する。アメリカの貧困地区でよく見かける、幼稚園から中学までの一貫校だ。公立校であるがゆえに、既存の仕組みに限界を感じながらも、「やれることは全てやる」という信念で貧困に立ち向かう学校である。教育でよくある「お涙頂戴」な話かもしれないが、斜めに構えずに読んでほしい。
次の章で紹介するのはセントラル・ハイスクールという高校で、こちらは「お涙頂戴」な話ではない。どんな話かは読んでからのお楽しみだ。
エイボン・ブリック・アカデミー
エイボン・ブリック・アカデミー(以下、エイボン校)は、ニューアークの西側に位置する幼稚園・小学校・中学校だ。
ニューアークの中でもこの地域の貧困の度合いは最悪で、生徒の半分は「明日食べるものがあるか分からない」というレベルの絶対的貧困で暮らす。つい最近まで、州が規定する最低学力水準に達している生徒は、国語だと「6人に1人」、算数だと「25人に1人」。ほとんどの生徒にとって高校を卒業することは非現実的だ。
そんな逆境に、立ち向かった先生たちがいた。
ティーチ・フォー・アメリカという教育NPOがある。アメリカの一流大学の卒業生を、教員免許の有無に関わらず、教育困難地域にある学校に常勤講師として2年間赴任させるプログラムを実施している。文系学生の就職先としてグーグルやディズニーよりも人気だったことで話題になった。ちなみに日本にも「ティーチフォージャパン」という同様のプログラムがある。
ティーチ・フォー・アメリカから派遣され、ニューアークの他の公立校で教えていたリー先生とヘイグッド先生は、既存の慣習に不満を感じていた。貧困層の生徒が勉強を諦めてしまうのは理解できるが、多くの先生にまで「何をしても無駄だ」と諦めモードが漂っていたのだ。
「先生が諦めたらそこで試合終了だ」と考えたリー先生とヘイグッド先生は、エイボン校に転職し、学校再建プロジェクトを始動させる。ちょうど、ザッカーバーグが寄付を発表する直前のことだ。
リー先生とヘイグッド先生は教育行政の許しを請い、学校支援用のNPOを設立し、民間から資金を募った。集めたお金で、成功している私学を見学して成功の秘訣を学んだり、シカゴ大学教育学部が作成した先進的な教材を購入したり、教員支援のプロを雇ったりした。
しかし、エイボン校は公立校の枠組みから完全には抜け出せなかった。
リー先生とヘイグッド先生は、組合の意向や雇用規制を気にせず、私立校のように自由に先生を雇ったり、全くやる気のない先生をクビにできないか、教育事務局に掛け合った。「雇用の流動化」というやつである。リー先生によれば、エイボンにいる先生のうち3分の1は能力があまりに低く、できれば新しい取り組みに関わってほしくはなかった。しかし、教育事務局は彼らの懇願をスルーした。
エイボン校の復活
新しくやってきたリー先生とヘイグッド先生は、彼らが引っさげてきた新しい教育方法や教員支援員が、もともといたエイボンの先生たちに受け入れられるか心配だった。しかし、それはすぐ杞憂に終わった。エイボンの有能なベテラン教師、ラパポート先生はこう言う。
— はじめはリー先生とヘイグッド先生を見て、「誰だ、こいつらをわたしの学校に入れたのは?」と思いましたよ。しかし、二人が連れてきた教員支援員にわたしの授業を見てもらったら、みるみるうちにわたしは指導が上達していきました。やがて、「二人がやろうとしてる改革は間違いない」と思うようになったんです。
さらに、リー先生とヘイグッド先生はエイボン校の生徒の親も巻き込んだ。親の多くは「うちの子は落ちこぼれだ」と諦めていたが、リー先生とヘイグッド先生はすべての家庭を訪問し、「お子さんは変われる」と説いた。すべての先生に「親子で今晩やってほしい学習活動」を毎日三つ用意させ、家庭の協力を求めた。
そうやって少しずつ、エイボン校に関わる人たちの目線は高くなっていった。
アリフの話
エイボン校には、バスケが好きなアリフという少年がいた。彼は、先生たちに最も恐れられている問題児だった。
アリフはクラスで暴れては、停学処分にされることを繰り返していた。成績も常に学年ビリだっったがそれでも彼は6年生になっていた。以前のエイボン校は生徒のレベルが低すぎて、留年制度を用意したら留年生が大量に出るおそれがあったため、どんなに成績が悪くても進級できる仕組みになっていたのである。
リー先生とヘイグッド先生がエイボン校の改革をはじめたのは、アリフが6年生になったころだった。「親を教育に参加させよう」という学校の新しい方針で、アリフの母親に学校側が話を聞きにいった。アリフの母親はつい最近シングルマザーになっており、夜遅くまでパートの仕事をしていて、アリフの面倒を見きれなくなったという。アリフの母親は、「このままではアリフは中退して、ギャングの一員になってしまう。なんとかしてほしい」と、学校に助けを求めた。
エイボン校は新しく留年制度を作り、アリフは成績がよくなるまで同じ学年を繰り返させられた。また、新生エイボン校は特別支援教育も充実させ、目立った知的障害や発達障害を持っていなくても、遅れている生徒への個別指導を行いはじめた。アリフはそこに入り、特別支援教員のカールソン先生が彼の担当になった。
アリフはここでも暴れていたが、やがて観念し、カールソン先生に心を開いた。
— アリフ、本当のことを言って。どうして、そんなにクラスで暴れるの?
— だって、授業がまったくわからないんだもん。暴れてクラスから追い出されれば、おれがバカだってみんなにバレないでしょう?
カールソン先生は、もしやと思い、14歳のアリフに8歳向けの読解テストを受けさせてみた。その読解テストで、アリフは赤点をとった。エイボン校は今までアリフを無条件に進級させていたため、アリフが小学校2年生レベルの国語力で躓いていたことに誰も気づかなかったのだ。
アリフの復活
それから、カールソン先生とアリフの怒涛の個別指導がはじまった。
クラスのみんなに「国語力が幼児レベル」だとバレることをアリフは恐れていたが、カールソン先生と一対一ならそれを隠す必要はなかった。カールソン先生は小学1年生の国語から教え直し、毎週「どれだけ語彙が増えたか」をグラフにしてアリフに見せた。右肩上がりなグラフを見ながら、アリフは生まれて初めて何かを学んだ気になった。
アリフはバスケットボールが得意で、将来の夢はプロのバスケ選手になることだった。
もともとバスケ部でも一番才能があったが、以前はよく練習をサボっていた。しかし、カールソン先生の指導を受けはじめてから、アリフは真面目に部活に来るようになる。みるみる上達したアリフはチームを引っ張り、その年にエイボン校バスケ部は地区トーナメントで優勝。アリフは最優秀賞選手に選ばれた。
その数日後、アリフはカールソン先生にこう語った。
— カールソン先生、バスケがしたいです。大学でプレイして、プロになりたい。でも、言葉が読めないと大学に行けない。プロになるにも、契約書に書いている言葉が読めないと、スポンサー企業にカモにされてしまう。だから、言葉をもっと読めるようになりたい。
カールソン先生はアリフの言葉に心をうたれた。アリフはこれ以上留年すると、高校にあがったときに年齢制限でバスケ部に入れなくなる。彼の夢を壊してはならないと、エイボン校の先生たちは総出で彼の支援にあたった。以前までのエイボン校ではあり得なかったことだ。
アリフは期待に応え、家でも学校でも単語を覚え続けた。その年の終わりに、もう一度アリフは読解力テストを受けた。返ってきた点数を見たカールソン先生は、アリフと彼の母を学校に呼びつけた。エイボンに新しく導入された電子黒板にデータを表示しながら、カールソン先生は感傷的に語る。
— あなたの国語力は、以前は小学校2年生レベルでした。それから一年もたっていません。アリフ、今のあなたの国語力は、ほぼ中学2年生レベルです。
言葉を失ったアリフと母親の前で、カールソン先生は続ける。
— 本当によく頑張ったね。この調子が続けば来年にでも高校に進学して、バスケをやれそうですよ。
その言葉は、やがて現実のものとなった。
「金持ちの集会」が閉鎖しようとしているニューアークの公立校でも、エイボン校のように、公立校の枠組みの中でやれることはある。ただ、大多数の公立校はそれに気づいていないし、それに気づく人材もいないからこそ、閉鎖の対象になっているのだけれども。
第七章: セントラル校
エイボン校から徒歩10分のところにあるセントラル・ハイスクール高校(以下、セントラル校)も、貧困にあえぐ公立校だ。この章では、セントラル校からはじまった「お涙頂戴」ではないストーリーを紹介する。
エイボン校と同じく、セントラル校の高校生も貧困に苦しんでいた。生徒の学力はおしなべて低く、女子生徒の妊娠も日常茶飯事。「友だちや家族が逮捕されたことはある?」とクラスに聞くと半数が手をあげ、「友だちや家族が暴力の犠牲になったことはある?」と聞いても半数が手をあげる。
セントラル校のすぐ隣がギャングの抗争地域になっており、「周辺の危険地帯を示すポスターを、Googleマップを使って作る」という宿題が授業で出されたりした。
バラカ校長
エイボン校と同じく、セントラル校にも最近になって優秀な人材がやってきた。2008年に校長に就任した、ラス・バラカ氏である。
彼が校長になった頃、州が規定する最低学力に達していた生徒は1割程度で、ほとんどの生徒が高校中退のリスクに晒されていた。
バラカは危機を脱するため、あらゆる策を講じる。寄付を募り、そのお金で授業時間を長くし、芸術教育を充実させ、教員支援のプロを雇った。学力テスト対策の授業枠も大幅に増やした。
以前までは、州の学力テストを受ける際、ほとんどの生徒は「どうせ落ちるだろう」と始めから諦めていて、テスト開始と同時に居眠りする生徒が続出していた。
しかしバラカが就任してから、先生は生徒に「やればできる」と鼓舞し続けた。生徒の士気を高めるべく、学力テストの前日には盛大な応援合戦イベントが開かれた。
その年の学力テストでは、居眠りする生徒は一人もおらず、全員が時間ギリギリまで問題を解いた。フタを開けてみると、州の学力テストを通過した生徒はなんと7割。結果発表の日、バラカは生徒全員を体育館に集め、通過した生徒をひとりずつ表彰した。
精神面でもバラカは生徒の「お父さん役」になった。父親がいない生徒のためにピザパーティーを開き、ギャングの抗争が悪化したと聞けば、先陣を切って通学路を生徒と歩いた。
また、生徒のひとりがギャングに射殺された日、バラカは全校生徒の前で涙ながらにスピーチを行った。
— いいですかみなさん、これが普通だと思ってはいけません。友だちが殺されること、通学路でギャングに襲われること、全ての授業で落第すること、ゴミ溜めのような家に暮らすこと、親同士が道の真ん中で喧嘩をはじめること、黒板に「安らかに眠れ」と書くこと・・・みなさんにとっては、普通のことかもしれません。しかし、普通の社会では普通ではないのです。みなさんにはいつか、こういうことが普通でない、普通の社会に暮らしてほしい。
バラカ校長の、もうひとつの顔
そんな名物校長は、もうひとつの顔を持っている。バラカはセントラル校の校長と、ニューアーク市の市議会議員の仕事を掛け持ちしていた。
ブッカー市長と同い年のバラカ市議は、裕福な家で育ったブッカーとは違い、ニューアークの社会活動家の息子として育った。彼の父は差別主義者の警官に袋叩きにされ、妹は射殺され、弟も頭に銃弾を打ち込まれて重度の障害者になった。
若き頃から貧困や犯罪と戦い続けたバラカは人々の心をつかみ、気づいたら「校長」と「市議会議員」という、二足のわらじを履いていたのだ。
「温室育ちのやつらに好き勝手されるのは面白くない」という考えのもと、次第にバラカは市議会でブッカーとの対立を深めていった。
「金持ちの集会」で決まった「公立校を多く閉鎖して無料の私立校を大量に作る」という計画が公になったときは、反対勢力を牽引した。
— 住民のみなさん、教育者としてひとこと言わせていただきます。ブッカー・クリスティー・ザッカーバーグの計画は成功するわけがありません。ニューアークの生徒の学力が低いことの根本的な原因は、貧困にあります。ザッカーバーグらは貧困の影響を完全に無視し、学校に全ての責任を押し付けている。「教育の仕組み改革」よりも「貧困の対策」を優先しない限り、何も変わらないでしょう。
そして陰謀論を振りかざし、みなの恐怖を煽った。
— ブッカーやクリスティーは、あなたの子どもを金持ちというオオカミたちに売り渡すつもりです。オオカミたちは、ニューアークの10億ドルの教育予算をいただこうと、腹をすかせて待っているんです。
バラカ市議、教育委員会に刺客を放つ
住民の支持を得たバラカは、なんとかしてブッカーらの計画を止められないか画策した。そして一つの案にたどり着いた。
ニューアーク市の教育委員会に、ブッカー反対派を送り込むのだ。
資金不足のニューアークは、州から教育の補助金を受け取る代わりに、教育行政の実権を失っている。だからこそブッカーは、実権を持つ州知事のクリスティーと結託することによって、独裁的な改革を進めることができているのだ。
ニューアーク市に教育行政の実権がないということは、すなわちニューアーク市の教育委員会に実権が無いということだ。もう少し詳しく言うと、「ニューアーク市の教育委員会で議決したことは、州知事がいつでも否決することができる」という仕組みになっている。
何を言っても否決されるなら、「教育委員会は州知事の言いなりになってればいい」ということだ。
実際に、クリスティーが州知事になってからは、教育委員たちは完全にクリスティーの言いなりになっていた。それでも教育委員会が存続していたのは、いちおう形だけでも「地域のご意見番」を残しておこうという配慮からだった。
ブッカーとクリスティーの評判を、教育委員会を使って落とす
そこで、バラカはこう考えた。
ブッカー市長やクリスティー知事を止めるには、最終的には、二人を市長と知事の椅子から引きずり降ろさなければいけない。そのためには、二人の評判を落とす必要がある。評判を落とすには、「二人は、住民の言うことを聞こうとしない」という噂が広まればよい。
そのために、教育委員会は役にたつのではないか。
ニューアークの教育委員は住民投票で選ばれる。「金持ちの集会」での決議が住民を怒らせてから2ヶ月後の2011年4月、その投票が行われることになっていた。
その投票で候補者を立て、ブッカーらに反対する人間を教育委員会に送り込む。
当選した教育委員たちに、「住民は賛成だが、ブッカー市長やクリスティー知事は嫌がること」を提案させる。
そうすれば、クリスティー知事はその提案を否決するだろう。
それを繰り返せば、「ブッカーやクリスティーは、住民の言うことを聞こうとしない」というイメージを植え付けることができる。
もしそうなれば、二人はいずれ失脚し、改革も頓挫するだろう。
あわよくば、わたしが市長になれるかもしれない。
バラカの本音
「ブッカーやクリスティーが、教育を民営化しようとしている」と住民の恐怖を煽ったバラカ。やや事態を単純化しているようにも見えるが、彼のレトリックはあくまで票を稼ぐ手段だった。
たしかにバラカは、イデオロギー的には、民主党の中道派であるブッカーよりも左派に近い。
しかし、この記事のもとになった本「The Prize」の著者がバラカにインタビューしたとき、彼はこう答えている。
— ブッカーやクリスティーの言っていることが、根本的に間違っているとは思いません。むしろ正しいとさえ思っている。わたしは何年も校長として働きましたが、改善の余地がないほどのダメ教師もたくさん見てきました。組合のせいで、そういう教師をクビにできないのは問題です。また、指導力の良し悪しに関わらず、年功序列で教師の給料を上げるのも間違ってると思います。
ザッカーバーグが提唱する「教員の雇用改革」と、何ら変わりはない。その上で、バラカはこう続けた。
— しかし、公立校や組合といった、既存の枠組みで働いている者たちを端から敵扱いし、上から「この方法が正しいんだ」と押し付けるのはいかがなものか。ニューアークの人々に失礼ですし、「余計なお世話だ」と断られるのがオチだ。それよりもまずは、住民に寄り添うところからはじめるべきです。
バラカも、ブッカーも、クリスティーも、ザッカーバーグも、サーフも、他の誰にも悪気はない。みな、ニューアークの子どもたちの未来を憂いている。
しかし、物事には順序がある。
貧困対策が先か、教育改革が先か。住民の合意が先か、はじめの一歩を踏み出すのが先か。
同時にできれば言うことなしだが、そうでなければ片方は後回しになる。どちらを先にすべきかは場合によりけりだ。
ニューアークにとって、正しい答えは何だったのだろうか。それは、もうすぐ明らかになる。
第八章: 学区長
ニューアークへの寄付を発表してから半年。ザッカーバーグには焦りの色が見えていた。
彼がいてもたってもいられなくなった理由は、アメリカの教育改革で最も大事な役割を果たすとされる、新しい「学区長」がまだ見つかっていなかったからだ。
2011年4月、ザッカーバーグはブッカー市長をフェイスブック本社に呼びつけた。ニューアークからシリコンバレーまで、片道5時間かかる飛行機でやってきたブッカーを、ザッカーバーグは問い詰めた。
— ブッカーさん、わたしが寄付を発表して半年もたったのに、まだニューアークの「学区長」が見つかってないんですか。このままでは、改革は前に進みませんよ。
— 申し訳ない。すべてわたしの不徳の致すところです。
— わたしは一社しか経営したことがありませんが、企業でも学区でも、経営には経営者が必要だと思っています。
— わかっています。もう少し時間をください。
ブッカーがニューアークに戻ったとき、フェイスブックの社訓を綴ったポスターがザッカーバーグから届いていた。
学区長とは何をする人か
アメリカには学校のまとまりである「学区」という行政区があり、その学区の代表が学区長である。
学区のそれぞれの学校を会社の「部署」に例えるなら、校長は「部長」で、学区長は「社長」となる。学区長は学区の最高経営責任者(CEO)として、教育施策の実施、予算配分、校長の雇用や公立校の設置・撤廃などに責任を持つ。学区全体の教育にメスを入れるならば、学区長はキーパーソンとなる。
2011年4月時点でのニューアークの状況は以下の通りだ。
かなり複雑に見えるが、キーポイントは2点しかない。
第一に、学区長がまだ決まっていないということだ。
学区長はニューアークの改革を実行する「社長」的な存在である。いっぽう、ニューアークの改革の方向性を決める「会長」的な存在の州教育長官はすでに存在する。「金持ちの集会」で公立校の縮小、私立校の拡大を語ったサーフ氏である。
第二に、まだ見つかっていない学区長は、クリスティー州知事が任命し、彼の配下に置かれる。
本来、学区長は教育委員会が任命するのだが、州はニューアークに補助金を出していて、その見返りとして州知事が実権を教育委員会から奪い取ったため、州知事が学区長を任命できるのだ。ちなみに、アメリカの大抵の学区では、首長ではなく、住民に選ばれた教育委員会が学区長を任命する仕組みになっている。
ちなみに日本と比べると
アメリカの学区長は日本でいうと、自治体の教育委員会の代表「教育長」にあたる。
日本の教育委員会には戦後から2015年4月まで、常勤の「教育長」と非常勤の「教育委員長」という二人の代表がいた。また、首長はこの代表ふたりの人事に口出しができなかった。
しかし、2011年に大津市でいじめ自殺問題が起きたとき、教育委員会は迅速な対応ができず批判を浴びた。その結果、60年ぶりに制度が見直された。
まず、責任の所在を明確にするため、2015年4月にできた新制度によって、教育委員会のトップは「教育長」に一本化された。この教育長はアメリカの学区長と同じく、自治体の教育事務局のトップを務める。
さらに、自治体の首長が教育長の任命・罷免権を持ち、教育委員会に問題があれば首長が対応できるようになった。戦争に教え子を送った反省から、教育委員会は政治的に中立であるべきと考えられていたが、そのタブーは破られた。ニューアークのクリスティー知事が、学区長を任命する権利を教育委員会から奪ったのと似ているかもしれない。
ニューアークの「学区長」候補その1・キング氏
ニューアークの話に戻ろう。
候補者の一人は、ジョン・キング・ニューヨーク州教育長官代理だった。ザッカーバーグが寄付を発表する前、ブッカー市長はキング氏に、「ニューアークの学区長になりませんか」と打診した。キング氏には、ボストンやマンハッタンの教育改革を成功させたという実績がある。
しかし、キング氏はニューアークを視察したとき、こう言って学区長の座を蹴った。
— ブッカー市長、あなたは5年でニューアークの改革をやるとおっしゃいましたか?
— はい。ザッカーバーグさんの寄付金も、5年で使い切りたいと約束しました。
— それはなぜですか?
— われわれの最終的な目的は、ニューアークで改革を成功させ、それを全国展開することだからです。5年でニューアークを立て直すくらいのスピード感でやらないと、全国展開など遠い先の未来になってしまう。
— なるほど。
— それに、いまはクリスティー知事という良いパートナーに恵まれています。われわれ二人がいつ落選するかも分からないのに、5年以上も待てません。
— ブッカーさん、単刀直入に申し上げて、5年でニューアークを立て直すのは無理です。現状があまりにひどすぎる。「仕組み」は5年で改革できるかもしれないが、「結果」が出るのはかなり先になるでしょう。悪いことは言いません。もっともっと長い時間をかけて取り組む見込みがついたら、わたしを呼んでください。
キング氏はのちに、オバマ元大統領のもとでアメリカ教育大臣になった。
ニューアークの「学区長」候補その2・ブリザード氏
キング氏に振られたあと、ブッカーは候補者探しに苦労した。しかし半年後の2011年3月、「金持ちの集会」の目論見が住民にバレたころ、目ぼしい人物が見つかった。
彼の名はジャン・クラウド・ブリザード氏。ニューヨーク州ロッチェスター市の学区長である。市の教職員組合と全面戦争に挑むほどの強硬派で、ブッカーらはその気概を評価した。
しかし、ブリザード氏を見つけたタイミングが悪かった。ちょうど一ヶ月後の2011年4月、市の教育委員の改選が行われることになっていた。バラカ校長・市議が、反ブッカー勢力を送り込もうとした投票である。
ニューアークの教育委員会に実権はない。教育委員会で議決したことは、州知事がいつでも否決することができる。だから、今までの教育委員は公選とはいえ、州知事の言いなりになっていた。
そこでバラカ氏は、反ブッカー勢力を送り込み、「教育委員会 v.s. ブッカー市長やクリスティー知事」という構図を作ろうとした。住民が教育委員会の味方をすれば、市長や知事から求心力を奪うことができる。
この投票前に、ブリザード氏が学区長に就任するのは都合が悪かった。
ブリザード氏は強硬派で有名だから、彼が学区長になれば、バラカ氏率いる反ブッカー勢力が抵抗を強める。反ブッカー勢力が勢いづいたら、教育委員会の住民投票で、反ブッカー勢力が勝ってしまうかもしれない。
そう考えたブッカーは、ブリザード氏に「教育委員会の住民投票まで、学区長就任は待ってくれ」と伝えた。
そして4月末、住民が教育委員会の投票で判断を下した。
番狂わせが起き、バラカ率いる反ブッカー勢力が勝利したのだ。しのぎを削るとはこのことで、ひとりの候補者は得票数48票差で委員の椅子を手にした。
しかも、住民投票を待っている間に、ブリザード氏はニューアーク学区長の誘いを断ってしまった。投票日直前に、全米で3番めに大きいシカゴ市学区も「学区長にならないか」とブリザード氏にアプローチし、彼はそれを受諾してしまったのだ。
踏まれたり蹴られたりとは、まさにこのことである。ブッカーは、目の前が真っ暗になった。
学区長の肌の色
バラカの手先が教育委員になったことで、教育委員とブッカーらの対立は激化した。もちろん、教育委員に実権はないのだけれども、対立を煽れば煽るほど、ブッカーやクリスティーの支持率が下がる可能性があった。
しかし、なりふり構ってはいられない。改革の目玉である、成績がもっとも悪い公立校を閉鎖する計画は続行された。住民の反対を最小限に留めるため、ブッカーらはまたコンサルタントを雇って対策を講じた。コンサルタントには、閉鎖への反対がとくに根強い公立校はどこか調べさせ、その公立校の閉鎖を取りやめた。
そして改革勢力は、いくつかの公立校を閉鎖する代わりに、あたらしく学費無償の私立学校を6校開設することに決めた。財源は税金だが、初期投資はザッカーバーグら「金持ちの集会」のメンバーによる寄付金で賄われる。どれも、日本の予備校のような「チェーン店」型の私立学校で、ニューアーク以外の貧困地域で学力アップに成功している学校だった。
はじめは懐疑的だった住民も「無償で、しかも良い学校ならうちの子を行かせてもいいかも」と興味を持った。説明会が行われたあと、600組の親子が6つの学校に願書を出した。
しかし、バラカ派に傾いた教育委員会は予想通り、私立校の新設に反対する。委員たちは「公立校を守れ」「教育の民営化を止めろ」と言って反対票を投じた。
サーフ教育長官は、州の実権を行使し、教育委員の反対を否決した。それにより、公立校は閉鎖され、学費無償の私立校は6つともオープンされる。
彼は怒りに任せてこんな捨て台詞を吐いた。
— もう我慢の限界です。「先に住民の意見を聞け」とみなさんは言いますが、あなたたちの意見は、本当に子どもたちのためになっているんですか? 新設予定のチェーン型の私立校は、閉鎖予定の公立校よりずっと成功しているんですよ。事実を無視し、陰謀論に走り、合議制でものごとを決めようとしたら、教育は良くなりません。何と言われようと、子どもたちにとって正しいことをやるのがわたしの仕事です。
そして、最後に一言、サーフ教育長官は余計なことを言ってしまった。
— ちなみに、ニューアークの新しい学区長は「白人」になる予定です。そこんとこ、よろしく。
第九章: 最終兵器
ブッカーらが惨敗した、教育委員会の住民投票から一ヶ月。新しくニューアークの学区長に選ばれたキャミー・アンダーソンは、ブッカー市長やクリスティー知事ができれば使いたくなかった「最終兵器」だった。
彼女が「最終兵器」である理由は二つあった。
第一に、アンダーソンは白人である。
生徒の95パーセントが黒人かヒスパニックのニューアークで、最後に白人が学区長を務めたのは、40年近く前のことだった。ニューアークの停滞はもとを辿れば、黒人差別政策であるレッドラインが元凶だ。その後も白人主体の建設業界が政治家と癒着して乱開発を行い、地域のつながりが分断された。
そんな歴史があるところに「外部」の白人学区長がやってきて、住民が嫌がる教育改革を行ったらどう受け止められるだろう。
第二に、アンダーソンは「超」がつくほどの強硬派だ。
アンダーソンは以前、隣町のニューヨーク・マンハッタンで学区長をつとめていた。その時の彼女の仕事ぶりは、「改革のためなら、一切の妥協を許さないタイプ」と評判だった。役所と教育委員会が火花を散らすニューアークで、アンダーソンを起用したら対立がさらに深まるかもしれない。
しかし、期待できる部分も無いわけではない。アンダーソンの採用面接はこんな具合だった。
— アンダーソンさん、住民は連日集会に来て、われわれに対して怒っています。どう思いますか。
— 上等ですね。1000人近い親御さんたちが、わざわざ集会に来てるって、住民参加の証拠じゃないですか。喜ばしいことですよ。
アンダーソンの就任演説は、思いのほか住民の評判が良かった。白人であるがゆえのマイナスのイメージも、彼女はスピーチで払しょくした。
— わたしのパートナーはアフリカ系アメリカ人で、息子もハーフです。わたしが小さい頃、わたしの親は、身寄りのないアフリカ系アメリカ人の子どもたちを9人も養子にし、わたしと共に育てました。だから、アフリカ系アメリカ人の方々に対する想いは、人一倍強いと思っています。
コンサルタント軍団
アメリカの学校は秋入学で、その前に長い夏休みがある。2011年5月に学区長になったアンダーソンは、学校が休みに入るなり改革に着手した。
彼女はまず、矢継ぎ早に何人かのコンサルタントと契約を結んだ。秋までにやらないといけないタスクは山積みである。だからこそ、短期で入ってくれるコンサルタントたちは、一人あたり1日1000ドルを支払っても背に腹は代えられない存在だった。
コンサルタントたちは、ニューアークの教育事務局の怠慢を暴いた。雇用がないニューアークにおいて、教育事務局は最大の雇用主だった。しかし職員のスキルは低く、意味のない役職も多く、誰もまじめに仕事をしていなかった。
たとえば事務局は、全学校が始業式までに終えるべき事務作業の進捗管理を、ずさんに行っていた。机と椅子、建物の掃除、警備員の配置、壁のペンキ塗り、電球の取替などが、始業式までに間に合うことはめったになかった。コンサルタントは事務局に期限厳守を徹底させ、おかげで間に合う見込みがついたのである。
また、ニューアークでは2人に1人が高校を卒業できなかった。学力の低さに加え、ギリギリまで単位が足りないことに気づかない生徒が多すぎた。理由を調べてみると、「このままでは単位が足りないから卒業できないよ」と生徒に伝える担当の学校職員が、まじめに仕事をしていなかったことが分かった。
そこでITコンサルタントたちは、生徒の単位が足りなさそうになったら、自動で先生や校長に通知を送るシステムを作った。アンダーソンはさらに300万ドルを投下し、学校や事務局のデータ管理システムを整備した。
コンサルタントの頑張りのおかげで、ニューアークの教育インフラはみるみるうちに向上した。だが、ひとつだけ懸念点があった。
短期で入ったコンサルタントたちは、夏が終わっても働き続けていたのだ。
アンダーソンはいずれ、コンサルタントのかわりに長期で改革人材を雇おうと考えていた。しかし学校が始まるやいなや、アンダーソンは忙殺され、人材を探す時間が無くなってしまったのだ。高給取りのコンサルタントたちは、じわじわと「金持ちの集会」の寄付金を取り崩していった。
最終兵器の人事改革
アンダーソンは人事改革にも乗り出した。
まず、校長の権限を拡大させた。ニューアークを含め、アメリカの多くの学区では、「どの教師がどの学校に配属されるか」は、事務局が半ば適当に決めていた。アンダーソンは、この権限を事務局から校長に委譲したいと考えた。
昨年度のニューアークでは、無償の私立校の増設にともない、一部の公立校が閉鎖され、100人の教師が職を失った。
アンダーソンはこの100人のデータを「ハローワーク」にあるようなシステムに入力し、それぞれの校長に「おたくの学校で先生が足りていなかったら、この100人から好きな人を選んでください」と伝えた。そうして100人中、もっとも優秀な教師20人が再就職先に配属されていった。
では、残りの80人はクビかというと、クビにはできなかった。ニューアークでは教師の雇用が過剰保護されていて、「教師をクビにするなら、『若い』順からクビにしなければいけない」という州の法律があった。100人のうち、再就職した20人は若い先生も多かったため、残りの80人のクビは切れなかったのだ。
まさに日本も驚く年功序列。教職員組合によるロビイングの努力の結晶である。
アンダーソンは応急処置として、とりあえず80人を「窓際族」にさせておいて、今までと同じ給料を払い続けた。そのコストは年間数百万ドルにのぼったが、校長の「先生を選ぶ権利」を守るにはやむを得なかった。そしてクリスティー知事に、「大急ぎで法律を改正し、雇用規制を緩和してほしい」とお願いしたのである。
金で解決
クリスティー知事は議会で組合を糾弾し、規制緩和を求めた。しかし、多くの議員にとって組合は最大の支持母体でもあるため、議会での交渉は難航した。
激しい攻防の結果、「教師をクビにするなら、『若い』順からクビにしなければいけない」という年功序列法の改正は先送りになってしまった。
だが、もうひとつの年功序列法は改正された。ニューアークには「教師は、年功序列で無条件で昇給しないといけない」という法律があったのだが、それが撤廃された。
法律が無くなったので、組合との交渉の余地ができた。教員の昇給制度を、今までのように年功序列型にするか、それとも成果報酬型にするかは、役所と組合が交渉して決めることになる。
ニューアークの組合のトップは、イタリア系アメリカ人のジョセフ・デルグロッソという男だった。交渉のテーブルで、彼はブッカー市長らに二つの選択肢を用意した。
— デルグロッソさん、あなたの要求は何ですか。
— ふたつの選択肢を用意します。ひとつめは、これまでのように、成果に関係なく年功序列で教員の給料をアップさせる。
— もう一つは?
— ふたつめは、年功序列による給料アップの幅を下げ、かわりに成果に応じて教員にボーナスを与える。ただ、この選択肢を選んだ場合、われわれは3100万ドルをザッカーバーグらの寄付金から「和解金」として請求し、教員へ一律に配る。どちらか好きなほうを選んでください。
— つまり、われわれの要求を飲んでほしかったら、金を出せと。
— そうです。
「良い先生に、良い給料を」という考えは、ザッカーバーグが目指す「教育の仕組み改革」の本丸である。成果型報酬なくして、良い先生をニューアークに集めることなどできない。そう考えたブッカーらは、泣く泣く3100万ドルを組合に支払った。
成功モデルを作り、アメリカ全国へ広める?
教員の雇用改革には、さらに思わぬ出費があった。
「教師をクビにするなら、『若い』順からクビにしなければいけない」という法律が残されてしまったおかげで、どうしても辞めさせたい教師がいるときは、退職金で釣って「早期退職」を促すしかない。その退職金の財源に、2000万ドルほどが必要だった。
また、教員だけでなく、校長の給料も成果報酬型にする必要があり、その交渉でも1500万ドルを組合に支払った。
もろもろ計上してみると、なんと雇用改革だけでも1億ドル近い予算がかかる試算になった。ザッカーバーグ個人が寄付した1億ドルと、「金持ちの集会」の他の富豪たちが寄付した1億ドル、合計2億ドルの半分である。しかも雇用改革は、ザッカーバーグが目指す「教育の仕組み改革」の一部でしかない。
さらに、組合との契約は3年で切れることになっていた。3年後、また組合が「年功序列に戻そう」と言い出すのを防ぐためには、組合に再度カネを払う必要がある。しかし、そんなことに税金は使えない。つまり、3年たったら更なる寄付金を募らなければいけない。
しかし、アメリカ中の慈善団体や大富豪はニューアークに懐疑的になっていった。ブッカーが寄付をお願いしても、以下のように言われることが多くなった。
— ブッカーさん、雇用改革をやるだけで、3年で1億ドルの予算がかかったんですか?
— はい、残念ながら。既得権益の力が強すぎて。
— あのね。わたしたちは、「ニューアークで成功モデルを作り、アメリカ全国へ広める」というビジョンに共感したから、寄付をしようと思ったんです。しかし、ニューアーク以外のどの自治体が、何千万ドルも気前よく組合に払えるんですか。寄付金に依存する、持続的でないモデルをアメリカ全国に広めるのは無理です。だから、寄付はお断りさせていただきます。
対岸の火事ではない
ここで少し日本の話をしたい。下記の内容は労働法政策の研究者・濱口桂一郎氏の名著「若者と労働」を参考にしている。
ニューアークの教員の雇用改革の話をしたが、日本でも安倍政権下で雇用改革が話題になっている。
ざっくり言うと、日本の雇用形態は主に、正社員と非正規雇用員に分かれている。正社員は給料も高くクビにならないが、かわりに職務も労働時間も勤務場所も無限定だ。たいして非正規雇用員は、同じ仕事をしても給料が低く雇用も不安定だ。
この二極化がブラック企業を生んだり、人材の流動性や付加価値生産性の低下を招いているという。転勤の多さは、女性の社会進出も阻む。
これの解決策として、識者らは「ジョブ型(限定)正社員」という第三の雇用形態を提唱している。
ジョブ型正社員は、正社員とは違い職務・労働時間・勤務場所が限定されている。自分の担当外の仕事を任されることもなく、時間外労働もなく、転勤もないので、ワーク・ライフ・バランスは最高だ。正社員とは違いクビになる可能性もあるが、クビになるのは「担当する役職」が無くなったときだけなので、非正規雇用よりも雇用が安定している。
さて、ここからが本題だ。識者らによると、ジョブ型正社員制度を導入するには、職業教育を充実させる必要があるという。理由は二つある。
第一に、現在の日本型雇用では、企業が正社員の人材育成を担っている。しかし、ジョブ型正社員を雇う場合、すでに担当する仕事をこなせる人を雇う必要がある。だから、人材育成は会社の「外」で行わなれなければいけない。
第二に、正社員制度のルーツは新卒一括採用にあるが、それは「スキルの無い新卒を雇って教育する」というモデルである。つまり、ジョブ型正社員制度には当てはまらない。ジョブ型正社員制度では「全員が中途入社」になるが、それだと若い世代は、学生のうちに仕事に直結するスキルを習得しないといけない。
そのためには、ジョブ型正社員制度が主流の欧米にあるような、「職業訓練に特化した教育機関」の整備が必要だ。MBAや職業大学などが当てはまる。それには日本の高等教育を大幅に変える必要があるが、その余波は初等・中等教育・受験産業にまで及ぶだろう。
そうなると、「職業教育の整備にいくら金と時間がかかるのか」が問題になってくる。信頼できそうな試算は見つけられなかったが、もしかしたら、識者らが考える予想を遥かに上回る金額と時間がかかってしまうかもしれない。
ニューアークの教員の雇用改革に、想像以上のコストがかかったのと同じように。
そして、もし改革の採算が合わないとなれば、日本の働き方は永遠に変わらないだろう。
第十章: チャータースクールの光
ニューアークでは、雇用制度に加えて、学校のかたちも変貌を遂げた。
ブッカーやサーフは、質が悪い公立校を閉鎖し、かわりに「民間が税金を使って運営する、学費無償の私立校」を増やすことで、学校間の競争を取り入れようとした。以前も述べた、「金持ちの集会」のプランの一つである。
チャータースクールの拡大
この「民間が税金を使って運営する、学費無償の私立校」は、アメリカでは「チャータースクール」と呼ばれ、日本では「公設民営校」と呼ばれている。
チャータースクールは建前上は私学であるため、学区長のアンダーソンが管轄する公立学区とはまったく関係ない。だから、チャータースクールの誘致、拡大はアンダーソンではなく、サーフ州教育長官が行っていた。
そしてサーフの指示のもと、ニューアークのチャータースクールは一気に拡大した。それに伴い、公立校の生徒がチャータースクールに流出した。数年もしないうちに、市の3人に1人がチャータースクールに通うようになる見込みだ。
ここで、チャータースクールは従来の公立校と何が違うのか説明しておきたい。端折って解説するので、詳しい方には物足りないかもしれないが。
なぜ「チャータースクール」と呼ばれているのか
そもそも、「民間が税金を使って運営する、学費無償の私立校」がなぜ「チャータースクール」と呼ばれているのか。
日本語でもあるように、「チャーター」とは「バスをチャーターする」など「借り切る」という意味である。
1988年、アメリカ教育学者のレイ・ブッデ氏、教育者のアルバート・シャンカー氏らは、「教育の質をあげるには、公立校の先生が、公立校の枠組みの中で、実験的な取り組みを行えるような仕組みを作らなければいけない」と考えた。
そのためには、一部の先生たちが、学校から教室を借り、そこで一部の生徒たちを相手に実験的な取り組みを行えば良い。学校という資源の一部を、実験的な取り組みをしたい先生たちが「チャーター」し、学校のなかに新しい学校をもう一つ作る。これが、チャータースクールの発祥である。
このような「学校の中にある実験校」は拡大を続け、規制緩和によって民間事業者が参入し始めた。「学校すべてが実験校」であるケースも増え、日本の予備校のようにチェーン展開するチャータースクールも生まれた。
チャータースクールがアメリカで話題になったのは2005年、アメリカ南部の都市・ニューオーリンズでのことだった。
2005年、ジャズの発祥地であるニューオーリンズを大型のハリケーン「カトリーナ」が襲った。1000人以上が亡くなり、町の8割が水没した。学校も8割以上が破壊され、授業がしばらく行えなくなり、学区の教職員全員がクビになるという非常事態が起きた。
ニューアークと同じく、ニューオーリンズでは以前から生徒の学力が絶望的に低かった。学校がボロボロになったことで、「ちょうどいいから、全部ぶっ壊してイチからやり直そう」という声が出始める。やがて、なんと街のすべての公立学校が公設民営化され、チャータースクールになったのだ。
ニューオーリンズには全米から民間教育事業者が集まり、次々と新しい学校をオープンさせていった。
チャータースクールの特徴
事業者の数だけチャータースクールがあるので一概には言えないが、どのチャータースクールにも共通する特徴は「規制が緩い」ということである。税金で賄われてはいるのである程度の規制はあるが、従来の公立校に比べて、民間事業者がより自由に運営できる。
たとえば、従来の公立校だと授業時間が定められているが、チャータースクールなら授業時間を長くしても良い。
従来の公立校だと予算の使い道に制限があるが、チャータースクールなら「デジタル教材に予算の大半を使う」という選択もできる。ぼくはシリコンバレーのチャータースクールを訪問したことがあるが(下の動画)、チャータースクールのほうが教室でのITの活用率が高いと感じる。
従来の公立校だと先生には教員免許が必要だが、チャータースクールでは必要ないことも多い。だから、「キャリア教育を充実させたいから、地域のレストラン経営者を1ヶ月先生にする」といったことも可能だ。
従来の公立校だと先生の採用・解雇が自由にできないが、教職員組合がないケースがほとんどのチャータースクールだと、先生の採用・解雇は校長の自由だ。
このように、チャータースクールは、民間が創意工夫し、切磋琢磨して教育の質を上げ、それを税金でサポートしようという取り組みなのである。まさに、アメリカ的新自由主義の象徴ともいえる。
ニューアークにあるチャータースクール
具体例をあげよう。2009年、全米展開しているチャータースクールチェーン「KIPP」がニューアークに進出し、「スパーク」という名前の幼稚園・小学校一貫校が設立された。
進出したてでまだ小規模なチャータースクールは、従来の公立校の校舎の一部を「チャーター」することが多い。スパーク校も、ニューアークにある公立小学校の校舎に入居していた。
ニューアークのほとんどの公立校と同じく、スパーク校も、貧困が生徒に及ぼす影響と戦った。しかし公立校と違い、スパーク校は予算配分が自由である。
それを活かし、スパーク校は、幼稚園の全クラスに先生を「二人」配置した。ひとりは授業をすすめ、もうひとりは授業についていけなくなった子の面倒を見る。
また、幼稚園の全クラスに「助手」が配置され、教育以外の雑用をこなした。この「助手」は教員免許を持つどころか、大卒でなくても構わない。従来の公立校では、規制のせいで不可能なことだ。
さらに、スパーク校はソーシャルワーカーを3人配置し、問題行動を起こす生徒の面倒をみた。従来の公立校ではソーシャルワーカーに予算はあまり割かれない。
ニューアークの公立幼稚園から、スパーク校に転職した先生はこう語る。
— 前の職場では、心にトラウマを抱えている生徒がクラスで騒ぎだすと、授業を中断せざるをえませんでした。しかしスパークでは、助手の方がすぐソーシャルワーカーの方を呼んでくださり、別室に子どもを移動させ、何が騒ぎだす原因だったのかを探ってくれるんです。
加えて、スパーク校は「親の援助」のスペシャリストも雇った。不安定な子の親は不安定なことも多い。その親を安定させ、家で子どもの学習を見てくれれば、子どもの学力も上がる。公立校では「教員が授業以外のことをやるなら業務時間外にしろ」という規制があるが、スパーク校では「親の援助は業務時間の一部」という扱いなのだ。
スパーク校の「親の援助」は下っ端から校長まで徹底されていた。
ある日、生徒の母がDVの被害にあい、全身アザだらけで学校にやってきた。そこで校長が自ら母親を病院に連れていき、次に警察に連れていき、最後には裁判所に連れていき、弁護士を雇う手続きをしてあげた。その弁護士は「裁判所まで生徒の親に付き添う校長は初めて見た」と感心していた。
結果は
スパーク校は結果も出した。とある幼稚園のクラスでは、入学前に年相応の読解力がついていた子は6人に1人だった。しかし、スパーク校で一年を過ごした子どもたちは、ほぼ全員が年相応の読解力を身につけ、3人に2人は平均以上のスコアを取ることができた。
ニューアーク全体のチャータースクールでみるとどうか。スタンフォード大学が2012年に行った調査によれば、ニューアークのチャータースクールに通う生徒はそうでない生徒に比べ、卒業時に平均で半年分から一年分ほど、学力で先行することがわかった。
しかし、ニューアークでは大失敗するチャータースクールも少なくなかった。あまりに生徒の学力が下がったため、閉鎖されるチャータースクールもあった。公立校より規制が緩いので、結果がピンキリになるのはある意味当たり前なのだ。
ちなみに日本では
日本でも、「子どもの貧困」対策という文脈で、ソーシャルワーカーを学校内に増やそうという取り組みがはじまっている。2015年、文科省が発表した「学校をプラットフォームとした総合的な子供の貧困対策の推進」という資料によると、スクールソーシャルワーカー向けの予算を、前年の4億円から6.5億円に拡大するという旨が記されている。
第十一章: チャータースクールの闇
ここまで読まれた方は、「チャータースクールは良さそうな取り組みだ」「日本でもやるべきだ」と思ったかもしれない。だがもちろん、チャータースクールは良いことずくめではない。
鋭い読者ならお気づきかもしれないが、ひとつ触れていなかったことがある。
従来の公立校ではなく、チャータースクールに子どもを行かせるには、いったいどうすればいいのだろう。
大前提として、ニューアークのように公立校とチャータースクールが混在する都市だと、子どもはデフォルトでは近所の公立校に通う。チャータースクールは公設とはいえ「民間の実験校」であるから、子どもが自動的にチャータースクールに入学することはない。子どもが、自動的に実験台になってしまったらひとたまりもない。
チャータースクールに子どもを行かせるには、親が申請することが必要になる。もちろん人数制限があるので、ほとんどのチャータースクールは抽選制だ。そして、実はここがチャータースクールの一番の問題点なのである。
優良なチャータースクールが必要な子ほど、チャータースクールに行かない問題
さきほどのスパーク校のように、ニューアークには優良なチャータースクールがいくつかある。ソーシャルワーカーが多くいるチャータースクールは、難しい家庭の子どもにとっては貴重な存在だ。
しかし、そんなチャータースクールに入学するには、親がその存在を知らなければいけない。説明会などに足を運ぶ必要もあるし、入学申請の方法もそれぞれの学校で違うことも多い。公立校と違い、学校が徒歩通学圏内にあるとは限らないので、親が車で送迎をしないといけないことも多い。
つまり、いろいろと親にとって面倒くさいのである。
そして、難しい家庭の子の親ほど、そのような面倒くさいプロセスを避け、「デフォルト設定」である近所の公立校を選びがちになる。結果として、優良なチャータースクールが必要な子ほど、チャータースクールに行かない問題が発生してしまうのだ。
ただ、解決法がないわけではない。ニューアークで展開する優良チャータースクールチェーン「KIPP」は送迎バスを用意し、とくに苦しい家庭を積極的に訪問営業している。
その結果、ニューアークのKIPP校の生徒の7割は、貧困ライン以下で暮らす子たち、すなわち優良校が最も必要な子たちになっている。
また、ニューアークはチャータースクールの入学申請を専用ウェブサイトを用いて一本化した。それぞれの学校に別々に申請を出す必要が無くなり、親にとっての障壁が下がったのだ。
悪いプレーヤーの規制は必要
似たような話で、優良なチャータースクールが必要な子ほど、チャータースクールに「嫌われる」問題もある。
チャータースクールの宣伝材料のひとつは「その学校に行くことで、生徒がどれだけ成長したか」である。つまり、「成長が見込みにくい生徒を入れることは、チャータースクールにとってマイナス」というわけだ。
とくに、発達障害などで特別支援学級にいる子たちは、チャータースクールに入学を断られることも多い。
それのせいで、全学校がチャータースクール化したニューオーリンズでは、どの高校にも難癖をつけられて入学できなくなる学生が続出した。ニューオーリンズではやがて政府が介入し、「どんな難しい子でも、抽選に通ったら入学させないと許さん」と規制が強化された。
また、ニューアークよりもさらに貧しい都市・デトロイトでは、チャータースクールの8割が営利目的で規制も緩い。その結果、情報弱者の親を騙して生徒を集め、過剰なIT化とアウトソーシングでコストを極限まで削減し、荒稼ぎするチャータースクールが多くなった。現在、デトロイトのチャータースクールの質はアメリカの中でも悪いことで知られている。
チャータースクールの良さは規制が緩いところだが、なんでも自由にさせておけば良いという話ではないのだ。
余談だが、多くの識者は、トランプ政権下で新しく教育大臣になったデボス氏に警鐘を鳴らしている。彼女はチャータースクール信者で、過剰とも言える規制撤廃を支持しているからだ。
ちなみに全米平均で見ると、チャータースクールのパフォーマンスは、公立校のそれとあまり変わらない。
日本における学校選択制
ちなみに、日本でも2000年代に公立校のあいだで学校選択制が流行った。しかし、実情に即しておらず見直し・廃止する自治体が続出した。そもそも通学圏内にある公立校の数が限られていたり、生徒数の急増・急減に現場が翻弄されたり、地域のつながりが弱まったりした、という理由が挙げられた。
チャータースクールの、もうひとつの問題
チャータースクールにはもう一つ致命的な問題がある。
さきほども触れたが、ニューアークでは2010年から2015年にかけて、生徒が公立校からチャータースクールへと流出した。
じつは、この流出の仕組みが問題なのである。
かりに公立校が4つあったとして、それぞれから5%の生徒が新設のチャータースクールに流出したとする。
公立校が使える予算、すなわち収入は生徒数に比例して学区から配分される。よって、学校の収入は5%減る。では、それぞれの学校の支出はいくら減るだろうか?
答えは、大抵の場合「5%以下」である。
生徒が5%減って、たとえばクラスの人数が35人から33人になっても、先生の数は変わらないから人件費はそのままだ。校舎の維持費も変わらないし、他にも据え置きになる経費は多い。公立校は生徒数が減ったとき、支出を同じ割合で減らすのは難しいのだ。
収入の減少幅が支出の減少幅より大きいと、当然学校は赤字になる。つまり、チャータースクールが公立校の生徒を奪えば奪うほど、公立校の経営が厳しくなるのだ。
もちろん、ニューオーリンズのように全学校をチャータースクールにしてしまえばこの問題は発生しない。しかし、ニューオーリンズがそれを成し遂げたられたのは、ハリケーンでほとんどの学校が破壊され、公立学区の教職員が全員クビになったからだ。
ニューアークや多くの都市にとって、全校チャータースクール化は現実的な話ではない。ニューオーリンズでは、政治的に不可能なことを、自然災害が可能にしたのだ。
日本における学校統廃合
ちなみに日本では、チャータースクールのせいではなく、少子化のせいで生徒数が減っている。
生徒数が減れば、学校も閉鎖・統合されてゆく。すると教育予算が減る。これは日本の財政にとって良い話だから、財務省は「もっと学校を統廃合するべきだ」と主張した。
ふだんは少人数学級を支持する文科省も、今回は一定の理解を示した。「あまりにも一学校あたりの生徒数が減ると、集団での学習が成り立たなくなるから、その場合は学校を統合していくべきだ」と考えたのだ。
そして2015年、文科省が約60年ぶりに学校統廃合のガイドラインを新しくした。このガイドラインにしたがって、今後も学校統廃合は進んでいくだろう。
ただ、地域の存続に学校が必要だったり、統合先の学校が遠すぎて通学が難しくなる可能性もある。よって、「無理な統廃合はしないように」という文科省の配慮がガイドラインには記されている。
第十二章: 四面楚歌
チャータースクールが公立校の生徒を奪えば奪うほど、公立校の経営が厳しくなる。ニューアーク新任学区長のアンダーソンは、まさにその問題と格闘していた。
学区に属さないチャータースクールは、学区長のアンダーソンの管轄ではない。アンダーソンができるのは、チャーター校拡大の悪影響から公立校を守ることだけだ。
リニュースクール
2012年に入ると、生徒流出による公立校の赤字が止まらなくなり、学校を統廃合しなければ立ち行かなくなった。
アンダーソンは苦心の末、最も学力の低い12の公立校を閉鎖し、あたらしく8つの公立校を作った。それらは「リニュースクール」と呼ばれ、アンダーソンのお眼鏡にかなった校長と先生が配属された。
もちろんのこと、住民は大いに反対した。
「リニュースクール」はチャータースクールではなく公立校なので、「教育の民営化」という反対は無かった。しかし、学校の数は4つ減るので、そのぶん教育事務局の雇用は減る。また、今までより通学距離が長くなる生徒が多く、「登下校中、ギャングにうちの子が襲われたら責任を取れるのか」という親の声が後を絶たなかった。
なかには、アンダーソンと住民のあいだでこんな会話もあった。
— みなさんの懸念はわかります。しかし、閉鎖する12校はどれも上手くいってません。新しくつくる8校の「リニュースクール」では、お子さんにとってより良い教育を約束します。
— アンダーソンさん、うちの娘は閉鎖される予定の学校に通っていますが、それでも良い成績をとっていますよ。たしかに、悪い先生が多いです。だから、うちの娘が悪い先生のクラスに配属されたと知ったら、わたしがクレームをつけてほかの先生に変えてもらってるんです。
これも、学校選択制が機能しない理由のひとつだ。
教育熱心な親には、「モンスターペアレントに変身する」という裏技がある。そして、子どもの先生を無理やり変えてもらうことにより、低迷する学校の悪影響を避けることができるのだ。そうすれば、べつに学校選択制など必要ない。他方で、教育熱心でない親は、そもそも学校を選択する気にならない。
アンダーソンに寄せられた意見には、「ザッカーバーグがあんなにお金を寄付したのに、なぜ予算を削る必要があるのだ」という指摘もあった。寄付金の多くは「仕組み改革」とチャータースクールに使われ、学区の予算には回らなかったのだが、それがさらに住民を怒らせた。
リニュースクールへの期待
最終的に、アンダーソンは住民の反対を押し切って12校を閉鎖し、8校の「リニュースクール」をスタートさせた。
リニュースクールの校長や教員たちは、アンダーソンの期待に応えようと歯を食いしばって頑張った。
チャータースクールと違い、公立校のリニュースクールにはソーシャルワーカーをたくさん雇う余裕はない。その代わり、トラウマを抱えた生徒がリラックスできるようにと、先生が放課後にヨガやダンスを教えたりした。
また、リニュースクールはカリキュラムを一新し、同時に教員研修を充実させた。新しく配置された教員支援員たちが、先生たちの授業を観察し、適切なフィードバックを与えた。校長も、先生を評価する際には建設的な意見を言うように心がけた。
誰がどう見ても、リニュースクールはその前身より「良い学校」になっていた。
良い先生に、良い校長を
結果を出さなければというプレッシャーから、リニュースクールで働く先生は、連日遅くまで残って仕事をした。
しかし、ニューアークの公立校では、残業代は時間換算ではなく一律で支払われていた。つまり、リニュースクールで働く先生は、残業が少ない他の学校の先生よりも、給料面で割を食っていたのだ。
それでも、リニュースクールで働く先生たちは文句を言わなかった。とあるリニュースクールの先生はこう語る。
— ニューアークで30年教師をやっていて、こんなに上司(校長)や同僚に恵まれたのは初めてです。今まで働いてきた学校では、校長にいじめられたり、教員研修もあってないようなことが多すぎました。
とある研究によると、先生に「良い校長がいて、充実した教員支援がある学校」か「良い結果を出せばボーナスが出る学校」のどちらで働きたいか訪ねたところ、「良い校長がいて、充実した教員支援がある学校」を選ぶ先生が圧倒的に多かったという。
また、先生へのボーナスの有無は、生徒の学力向上と相関は無いことが明らかになっている。
筆者の友人にも、アメリカで先生をしている日本人の方がいる。その人の愚痴を聞くことがあったが、給料が低いという愚痴よりも、上司(校長)の愚痴を聞くことのほうが圧倒的に多かった。
ザッカーバーグは「良い先生に、良い給料を」という「仕組み改革」を掲げて1億ドルの寄付をした。しかし、「良い先生に、良い校長を」のほうが効果的ならば、ザッカーバーグの寄付には別な使い道があったのではないか。
日本における先生の残業代
もちろん、「良い先生に、良い校長を」のほうが効果的だからといって、残業代を支払わなくてもいいというのは間違っている。それなら、「やりがい搾取」が得意技のブラック企業と変わらない。
ちなみに日本は、先進国(OECD)のなかで教員の平均勤務時間が最も長い。そのぶん残業代が出れば少しはマシだが、ニューアークと同じく、日本の教員の残業はすべて「サービス残業」なのである。日本の他の公務員は、残業時間に応じた残業代を貰えるにもかかわらずだ。
日本では1960年代に、多くの教員が「残業代をもっと払え」と訴訟を起こし、行政側が次々と敗訴した。慌てた政府は、1971年に関連法を通した。
その内容は「残業代は支払わない。そのかわり、当時の教員による月の平均残業時間と同じ『8時間』分の給料を、全員に一律に支払う」というものだった。ニューアークのリニュースクールと似ている。
そして、これを教員側は「不服なし」と受け入れてしまった。
その後、残業時間は増加の一途をたどった。文科省が約40年後の2006年に再調査を行ったところ、平均残業時間は月「42時間」と5倍以上になっていた。
では一律に支払われる残業代も5倍以上になったかというと、そうはならなかった。2~3兆円の予算がかかるため、改正しようにも財源が足りないのだ。泣き寝入りとは、まさにこのことである。
タイタニック
つぎつぎと押し寄せる公立校閉鎖の波は、アンダーソンを疲労困憊させていく。
どうすれば、公立校に取り残された子たちにも良い教育を授けられるか。どうすれば、学校の閉鎖が地域の衰退につながらないようにできるか。どうすれば、先生のクビが次々と切られるなか、良い先生を引き止められるか。どうすれば、長期的に公立校の財政を安定させることができるか。どうすれば、本当に支援が必要な子をチャータースクールに引き渡せるか。
アンダーソンは全てに答えを出さないといけなかった。
前にも触れたが、「教師をクビにするなら、『若い』順からクビにしなければいけない」という法律が守られたせいで、公立校が閉鎖されても先生をクビにはできない。そのせいで「窓際族」になっていた先生の数は、初年度の80人から2年で270人まで増えた。それらの先生に支払う金額は年間2200万ドルを超えてしまった。
ニューアークの公立校は生徒の流出という氷にぶつかり、ゆっくりと沈んでいく。あるとき、アンダーソンはクリスティー知事にこう伝えたという。
— わたしは、タイタニックのデッキの椅子を並び替えるために、ニューアークに来たんじゃない。
アウトサイダーが住民を無視して好き勝手やっている
アンダーソンは当初、公立校を閉鎖する際、その都度住民に向けて集会を開いていた。しかし、反ブッカー市長・クリスティー知事派の活動家たちも集会に現れ、そのニュースを政治的利用するために邪魔をした。活動家たちはアンダーソンに罵声を浴びせ、住民たちが乗じて一時は暴動騒ぎに発展した。
それに滅入ったアンダーソンは次第に住民の前から姿を消し、公立校は静かに閉鎖されていった。それは「アウトサイダーが住民を無視して好き勝手やっている」という脚本に沿うもので、住民の不満はさらに増し、負のスパイラルが止まらなくなった。
学力テストの結果は
犠牲を払っても、成果を見せれば住民はついてくる。そう信じていたアンダーソンは、州の学力テストの結果が出たとき、絶望の淵に追いやられた。
あれだけ先生が努力したリニュースクールの8校は、それ以外のニューアークの学校より学力テストの点数が悪かった。さらに学区全体の平均点は、アンダーソンが来てからの2年間で、すべての学年において国語・算数ともに下がったのである。
どうしてそうなったかは分からなかった。
アンダーソンの到来後、ニューアークの学校環境が良くなったことに疑う余地はない。しかし、環境が良くなったとはいえ、それが2年間で「学力テストの点数アップ」という形に繋がるとは限らない。生徒も先生も、新しい環境に慣れるのには時間がかかるのだから。
学力テストは信頼できるのか
アンダーソン自身は、「学力テストが、生徒の学力を正しく測るよう設計されていないんだ」と言い訳をした。
「成果を出せば住民はついてくる」と考えたアンダーソンは、成果が望ましくないと分かったとたん「成果は学力テストでは測れない」と主張したのだ。さすがに身勝手極まりなく、住民の心はさらに離れてしまった。
ただ、アンダーソンの批判は的外れではない。
アメリカではブッシュ元大統領の時代から、学力テストの点数が学校閉鎖の基準になることが多くなった。すると学校は、なんとしても生徒に良い点数を取らせるべく、教室で教えるのはテスト対策一辺倒になり、芸術や体育などの授業時間が削られた。問題を効率的に解くテクニックばかりが教えられ、本来の教育が行われているとは言い難かった。
日本で2007年に復活した学力テストでも、最近は学校内で過去問対策が行われるようになったらしい。元文科相の馳浩氏がそのことを嘆いて「本末転倒だ」とコメントしたこともある。筆者に言わせれば、それは学力テスト制度を設計した文科省の責任だと思うのだが。
ふつうの自由競争のもとでは、みなが利益の最大化を目的にすればいい。しかし、学校間で自由競争が行われ、学校が学力テストの点数を最大化を目的にすることで、失われるものは多い。
教育の質を測る物差しとしては、学力テストは及第点を取っているとは言えない。かといって、他に使える物差しも見当たらない。
四面楚歌
2013年10月。改革の旗振り役だったブッカーはニューアーク市長の座を退き、ニュージャージー州の上院議員になった。
ブッカーにとっては、将来的に大統領選に出馬するための動きだった。「ニューアークはどうなるんだ」とアンダーソンは心配したが、ブッカーは「サーフ教育長官とクリスティー知事が実権を握っているから大丈夫」と安心させた。その後しばらく、ニューアーク市長は暫定の人間が務めた。
2014年3月。ブッカーやクリスティーの右腕で、チャータースクールの推進役だったサーフ教育長官が、マンハッタンにある教育×ITのベンチャーに転職した。
アンダーソンにとって、残る味方はクリスティー知事だけになった。
2014年5月。ブッカーのライバルだったバラカ校長・市議が、なんとニューアークの市長に当選した。「教育を取り返す」という掛け声のもと、クリスティー知事から教育行政の実権を奪い返そうと主張した。
クリスティーは2016年の大統領選に出馬する予定で、そのためには支持率をキープしないといけなかった。だが、その頃に暴かれたスキャンダルのせいで彼の人気は下降気味だった。ゆえに、住民から絶大な人気を誇るバラカ市長は無視できなかった。
そしてついに2015年の夏、クリスティーはバラカの要求に屈し、教育行政の実権をニューアーク市に明け渡した。
これによってクリスティーではなく、住民の代表である教育委員会が、学区長を任命することができるようになった。
クリスティーは、アンダーソンに引導を渡した。
— 3時間やる。自ら辞任するか、クビを言い渡されるか、好きな方を選んでくれ。
アンダーソン学区長は辞任を選んだ。
ザッカーバーグのヒーロー初体験は、こうして幕を閉じた。
第十三章: 反省会
貧困の連鎖を止めようとしたら、子どもの学力が下がりました。働き方から変えよう、地方から変えようとしたら、何も変わりませんでした。
ザッカーバーグは現在、フェイスブック本社にあるイースト・パロアルトのヒーローとして、慈善活動に勤しんでいる。
ある日、イースト・パロアルトに1億2000万ドルを寄付したザッカーバーグに、教育ジャーナリストがインタビューを行ったとき、こんな質問が飛び出した。
— イースト・パロアルトへ寄付されるとのことですが、ニューアークへの寄付と何が違うんですか?
— ニューアークでやったこととは、真逆のことをやりたいと思っています。
— というと?
— 自治体や住民の意見を聞き、自治体や住民と一緒に教育を良くしていくこと。ニューアークでは敵を作りすぎました。イースト・パロアルトでは、味方を作るところから始めたいと思います。
2億ドルはどこへ行ったか
「金持ちの集会」の大口寄付者たちはニューアークに1億ドルを寄付し、ザッカーバーグはその上乗せ分として1億ドルを寄付し、合計2億ドルがニューアークに流れ込んだ。では、そのお金は最終的にどこへ行ったのか。
約9000万ドルは、雇用改革に使われた。組合の買収、教員の退職金などである。
しかし、「教師をクビにするなら、『若い』順からクビにしなければいけない」という法律が守られるなど、抜本的な改革はできなかった。そして、組合買収の効力は3年で切れてしまった。
約6000万ドルは、チャータースクールの初期投資に使われた。チャータースクールは充実したが、従来の公立校は逆に衰退した。
約2000万ドルは、コンサルタントの報酬に使われた。
ちなみに日本でも、地方創生の分野でコンサルタント代が無駄になっているらしい。悪質なコンサルタントが、「おたくの地域でも、成功した他の地域と同じことをやりませんか」と自治体をそそのかし、補助金をかっさらっていくらしい。地方創生において、成功事例のパクリが成功する確率は少ないにもかかわらず、自治体は「うまい話」に乗ってしまうらしい。
話を戻そう。2億ドルの残りは未使用か、その他の小さなプロジェクトに使われたが、現場に届くことはなかった。
そして2億ドルは、ニューアークの学力向上にほとんど寄与しなかった。寄与するどころか、公立校の学力テストの点数は下がっている。雇用改革も中途半端に終わり、「成功モデルを作り、アメリカ全国に広める」ことも、掛け声に終わった。
もしもこの2億ドルが現場に使われていたら、ニューアークの子どもたちの人生は、いったいどう変わっていたのだろうか。
ニューアークの反省会
ニューアークの話は、誰にも悪気が無かった話である。しかし、計画は誰にも悪気がなく失敗していくものだ。
では、ニューアークの失敗の本質はどこにあるのだろう。
月並みな感想だが、教育を変えるには、やはり時間がかかるものだ。
「達成できるか分からない無茶な目標を立て、それに向かって邁進したところ、ギリギリのところで達成できた」というのは企業経営ではよくある話かもしれない。受験ドラマや部活ドラマでもお決まりのシナリオかもしれない。
しかしニューアークのように、「数万人規模」の子どもを対象に無茶な目標を押し付けて、大多数がついてこれると思ったら大間違いだ。
「こんな劣悪な環境にいては、子どもがかわいそうだ」と思う気持ちは分かる。「一刻も早くなんとかしなくては」と思う気持ちも分かる。でもそれは、「教育を変えるには時間がかかる」ということを忘れていい理由にはならない。
また、教育は経路依存性が高いところがあり、すなわち「過去の負の遺産」を引きずる傾向が強い。それに気づかず、「みんなおかしいと思っているのだから、すぐ変わるだろう」と思い込むのは愚の骨頂だ。
そして、全てが上手くいって教育環境が良くなったとしても、喜ぶのはまだ早い。それが子どもの学力となって現れるのにもまた、時間がかかるからだ。
安定が大事
最後にもう一つ。日本ではよく、フィンランドの教育が話題になる。宿題やテストが少ないのに学力が世界トップクラスであることで有名だ。
そのフィンランドの教育学者・パシ・サールバーグ氏が著した本「Finnish Lessons」によると、フィンランドの教育が成功した最も大きな理由は、すべての政党が40年近く、教育を政府の最重要課題に指定したからだという。
フィンランドでは、教育レベルが低迷していた1970年代から、20以上の政権が生まれ、約30人が教育大臣を務めた。だが、全政権・全大臣が「公教育の質を向上させよう」と目線を合わせ、教育行政の方向性がずっと安定していた。教育を変えるには時間がかかるということを、フィンランドは政治と行政レベルで理解していたのだ。
世論に揺さぶられて「ゆとり」と「詰め込み」を行ったり来たりし、英語教育やICT化で右往左往する日本の教育行政とは大違いである。
刺激的か、地に足がついているか
ニューアークで「金持ちの集会」がお祭りムードだったころ、ブッカーはこう言った。
— ニューアークを、全米で最も教師にとって刺激的な都市にしよう。
ザッカーバーグの寄付も、テレビ番組で発表されたり、1億ドルという大金であったり、とにかく刺激的だった。
ザッカーバーグもぼくも、シリコンバレーで働いている。シリコンバレーで働いていると、自動運転・仮想現実・人工知能と、連日のように刺激的な取り組みを耳にする。その多くは地に足がついていないように見えるが、それでもいずれ世の中を変えていくのだ。
けれども教育において、取り組みが「刺激的」であることは重要なのだろうか。
ぼくは、教育においては、刺激的な取り組みよりも、地味だけど地に足がついている取り組みのほうが大事だと思っている。
それは仮説にすぎないが、少なくともニューアークの失敗を見るかぎりは正しい仮説だと思う。
というわけで、次の最後の章では、日本でぼくが取材した「地に足がついている」教育の取り組みを紹介しよう。
第十四章: 地に足がついている取り組み
ヤフーニュース個人の「オーサーアワード2016」を受賞された、社会活動家で法政大学教授の湯浅誠さんは、子どもの貧困対策を「1ミリでもいい。動かすことが必要だ」と説いている。
ぼくが2016年末~2017年始にかけて訪問させてもらった以下の団体も、地に足をつけながら、教育を1ミリでも前に進めている。
- キッズドア
- ティーチ・フォー・ジャパン
- エル・システマ ジャパン
- モリウミアス
キッズドア
日本では最近になって子どもの貧困が話題になった。しかし、なんと10年前の2007年から子どもの貧困問題を解決しようと活動している団体がある。それがキッズドアだ。
キッズドアは、学校外の居場所がない子どもたちに居場所を提供したり、お金がなくて塾に通えない子たちに無料の学習塾「タダゼミ」を提供している。足立区などの自治体とも提携済みだ。
「タダゼミ」参加者の高校進学率は100%と、教育機会が乏しい家庭の子たち相手に、素晴らしい結果を出している。
理事長の渡辺由美子さんの、こんな言葉が印象に残っている。
— たしかにお金がないとつらい。うちの無料学習塾でも、昼食の予算が100円しかないのでおにぎりも買えず、数十円のうまい棒で腹を満たしていた子もいます。目が悪くてもメガネを買うお金がないので、席替えで後ろの席にならないよう、先生にお願いしている子もいます。
— なるほど。
— しかし、家にお金がない子たちは、仕事にたいするイメージを抱けないことも大きな問題です。そういう子たちにとって身近な仕事といえば、「学校の先生」か「パートのお母さん」しかありません。オフィスビルに行って、セキュリティーゲートをくぐって・・・とか、ドラマの中にだけある世界なんです。
— 「パートのお母さん」・・・母子家庭の問題ですね。
— 母子家庭の貧困は、男女の賃金格差、正社員と非正規雇用の賃金格差の問題でもあります。パートだったら、ダブルワーク、トリプルワークをしないと暮らしていけない。でも、それって身体を壊したらアウトってことです。身体を壊された方々の話も聞きますが、本当につらい話ばかりです。
キッズドアが運営する、低所得者層の子向けの無料学習塾「タダゼミ」も見学させてもらった。八丁堀のビルの一室で、中学生の子たちが、高校受験に出る問題を大学生ボランティアの子たちに教わっていた。
大学生ボランティアの中には貧しい家庭で育った方々も多く、そういう大学生たちは当事者意識を持って一層熱心な先生になる。しかし、本人たちも貧しい大学生活を送っていることが多く、バイトに追われ、タダゼミでボランティアし続けるのが難しいというジレンマを抱えている。
また、日本は貧困を隠そうとする文化が強いため、日本の子どもの貧困は「見えない」という。実際に現場を見て、まさにその通りだと思った。
ぼくが行った日は、中学生の男の子たちが「どのイヤホンが音質が良いか、ノイズキャンセリングの性能が高いか」という話をしていた。「ああ、こういう会話がテレビに取り上げられたら、またNHKの報道のようにバッシングされるんだろうな」と思いながら聞いていた。
ここからはキッズドアではなく、ぼく個人の見解である。
もし、「貧困層の中学生が、ノイズキャンセリングのイヤホンを買うなんて贅沢だ」と思う方がいたら、あなたは平均的な公立中学生が学習塾にかける金額を知っているのかと問いたい。
文科省が2014年に公表した「子供の学習費調査」によれば、公立校に通う中学3年生の学習塾費は月平均「3万3000円」である。BOSEのノイズキャンセリングイヤホンの最高機種が毎月買えてしまう金額だ。そしてタダゼミの子たちは、ふつうの学習塾に来れないから、タダゼミに来ているのである。
貧困層の子が何年かに一度、1~2万円するイヤホンを買うのは「少しの贅沢」かもしれない。しかし、毎月それ以上の金額を支払うのが当たり前の学習塾は、それと比較にならないくらい贅沢品なのだ。難しい家庭で育った子ほど、そういう学習支援を必要としているにもかかわらずである。
ティーチ・フォー・ジャパン
ティーチ・フォー・ジャパンは、教育への情熱を持った多様な人材を、教師として学校現場へ派遣するNPOである。
ぼくと同い年のユキちゃんは、早稲田大学を卒業し、伊藤忠商事で3年働いたあと、ティーチ・フォー・ジャパンと文部科学省の非常勤職員を経て、奈良の公立小学校で先生になった。
2017年2月、ぼくは彼女の小学校のクラスを訪れ、今流行りの「プログラミング教育」の実習をさせてもらった。
実習にはOzobotという、ペンで書いた線の上を歩くロボットを使った。ペンの色を変えることでロボットに指示を与えることができ、コードを書かないでプログラミングを学べるのだ。
Ozobotが動いている様子はこちら。
ちなみに、この学校もどちらかというと裕福でない家庭の子が多いのだが、みんな元気いっぱいでロボットと遊んでいた。
「公立校の教室でロボットプログラミングの実習をしたい」という無理を聞いてくれたユキちゃんに感謝である。子どもたちと食べた給食も、17年ぶりだったけど、とても美味しかった。
エル・システマ ジャパン
この記事も終わりに近づいてきた。ここから冒頭で触れた、東北の話になる。
エル・システマ ジャパンは、東日本大震災の被災地、福島県相馬市で2012年5月にはじまった。41年前に南米ベネズエラで始まった教育プログラム「エル・システマ」の理念に基づき、音楽をはじめとする芸術活動での子どもの自己実現の場を拡充することを目的に活動している。
原発事故の影響で子どもたちの尊厳が失われている福島県相馬市で、オーケストラや合唱など、集団での音楽教育を自治体とのパートナーシップのもとに無償で提供している。将来的には日本各地に展開する予定だ。詳しくは、下の動画を観てほしい。
相馬では、5〜18歳からなる約180人が参加するオーケストラとコーラスの活動を実施している。2016年3月には、代表メンバー37名がドイツ公演ツアーに参加し、ベルリンフィルハーモニーのメンバーと共演した。
代表理事の菊川穣さんはこう語る。
— 相馬市では家が流されて仮設になり、もともとあった地縁が無くなってしまいました。学校も仮設になって人数が少なくなり、学校で部活をやるのが困難になってきた。そういうときに、オーケストラで地域の横のつながりを生むというのは大事だと思ったんです。
— なるほど。ぼくは中高とトランペットをやっていたのですが、バイオリンってハードル高くないですか?
— コンクールで優勝することを目的にするのではなく、楽しむためにやるのであれば、それほどハードルは高くありませんよ。年齢層が幅広いので、高校生の子が幼稚園児の子を教えたりしています。
— 年上の子が年下の子の面倒を見る。保育という意味でも良いですね。
— はい。仮設暮らしの子が多いので、練習場所は課題ですが。公園で練習したり、防災備蓄倉庫の会議室で練習している子もいますよ。
菊川さんは、自治体との関係が大事だとも語ってくれた。ドイツ公演に行ったときも、子どもたちは学校を休まないといけないから、教育委員会に掛け合ったそうだ。ニューアークでも、寄付金でこういう取り組みができたら良かったのかもしれない。
モリウミアス
もう一つ、東北の話を。
モリウミアスは、宮城県石巻市雄勝町にある子どもの複合体験施設である。豊かな森と海に恵まれた町だが、東日本大震災によって町の8割が壊滅し、人口が3000人から1000人以下まで減ってしまった。
そこで復興への想いから、高台に残る築93年の廃校をリノベーションし、「モリウミアス」という学び舎として再生させた。
学校のすぐ裏は山、目の前は海という自然を活かし、子どもたちはサスティナブルな暮らし方を学ぶ。たくさん写真を撮ったので、百聞は一見にしかずということで見て欲しい。
代表の油井さんによるモリウミアスのツアー動画はこちら。英語でやってもらった。
ちなみに、モリウミアスは先ほど紹介したキッズドアの子たちや、熊本で被災した子たちも受け入れている。どちらも、クラウドファンディングに少額ながら寄付させてもらった。
おわりに: 議論の質を上げよう
ニューアークでも日本でも、現場で教育を良くしようと活躍されている方々のことを知ると、自分が情けなくなる。ぼくは教育ベンチャーで4年と少し働き、教育のブログを書いていたとはいえ、ほとんどの時間を机に向かって過ごしていた。やっぱり自分は口だけの人間だなと思う。
でも、口だけの人間でも、やれることはある。それは、教育の議論の質を上げることだ。教育については誰もが一家言を持っているが、それを一方的に主張するだけでは何も良くならない。ものごとを良くするには、議論をしなければいけない。
どうせ議論をするのなら、質の高い議論をしよう。そして、質の低い議論はやめよう。
こないだも、NHKで子どもの貧困が取り上げられたとき、ネットでは「貧困層の子どもの交際費が月2万円と書かれていたが、それが高すぎるかどうか」が議論されていたらしい。枝葉末節にとらわれるとは、まさにこのことだ。
そして、質の高い議論には、刺激的な言葉は必要ない。「保育園落ちた日本死ね」という記事が話題になったが、刺激的な見出しも必要ない。必要なのは、地に足のついた言葉と、少しの思慮深さだけだ。
最後に、貧困をはじめとする難しい環境と、現在進行形で戦っている方、もしくは戦っていた方へ。
あなたが経験した辛い経験は、マイナスの面のほうが圧倒的に多いだろう。そして、それは死ぬまで忘れられないかもしれない。でも、忘れられなくても構わない。たとえ辛い経験だったとしても、それが導いてくれたプラスの面は必ずあるから、プラスの面を探すのに時間を使えたらいいなと思う。
プラスの面が自分ひとりでは見つからなくても、いつか、一緒にそれを見つけてくれる人や環境と出会えるはず。ぼくはたぶん、あなたにとってそんな人になることはできないけれど、それでもあなたのことは応援しているし、味方でありたいと思っています。
長文を読んでくださり、ありがとうございました。
あとがきなど
【ご報告/ブログ更新のお知らせ】4年と3ヶ月働いたシリコンバレーの教育ベンチャー・@EdSurge社を退社しました。良い区切りなので記事を書きました。よければどうぞ!
— Shu Uesugi (@chibicode) February 22, 2017
↓
「シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話」https://t.co/d4gECwgzeg
【ご報告と、しばらくは最後になるブログ更新のお知らせ】 2017年1月31日をもちまして、4年と3ヶ月勤めさせていただいたシリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurge社を退社しました。まだまだやることは多かったのですが、ぼくも29歳にな...
Posted by Shu Uesugi on Tuesday, February 21, 2017
お礼: The Prizeの著者のDale Rusakoffさん、記事の下書きを読んでくださったMari Sukegawaさん、Maiko Ishikawaさん、Kurumi Aibaさん、Susumu Uchidaさん、ありがとうございました。
ぼくが以前書いた教育の記事はこちら (★は多く読まれた記事):
- ★ アメリカの学校現場でプログラミングを教える女性教員100人のプロフィール / (2016年10月23日)
- シリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurgeは、エドテックの「選択肢が多すぎ」問題を解決できるのか / (2016年9月12日)
- アダプティブラーニングの「選択肢が多すぎ」問題 / (2016年9月12日)
- 教育×ITと「選択肢が多すぎ」問題 / (2016年9月12日)
- 教育xITの「ハイプ・サイクル」に負けないために / (2016年7月5日)
- ★ 「プログラミング」と「プログラミング的思考」の違いを、分かったつもりになれるヒント / (2016年7月5日)
- いたるところでプログラミングを学べる未来に、輝く先生のすがた / (2016年7月5日)
- ★ 「新しい教育」の話をしよう / (2015年11月2日)
- EdSurgeとはどんな会社か?とある教育メディアがシリコンバレーで生まれた話 / (2015年6月28日)
- ★ アメリカの教科書はなぜ重たいのか / (2015年2月2日)
- 教育とカネの話 / (2015年1月23日)
- ★ 大阪府立天王寺高等学校での講演「アメリカの大学について」 / (2013年7月19日)