母ちゃんです。
母ちゃんが時々出会う人に、気を遣いすぎる
人がおる。
気を遣うというのは本来、相手の気持ちや立
場に配慮するということであって、良い意味
で使われることが多い。
今からする話は、気を遣う人じゃなく、
気を遣いすぎる人の話。
このちょっとの違いが、実は大きく人付き合
いを左右することになる。
気を遣いすぎてしまう人は、色んなことを、
気にしすぎてしまうとこがある。
今日は、その話しよか。
母ちゃんの友達にも、誰に対しても何に対し
ても気を遣いすぎる人が何人かおる。
例えば、どこかに旅行に行くとしたら、自分
が関わっている場にいる人全員に、お土産を
買っていく。
お菓子をちょこっとだけというわけでなく、
二個や三個お菓子や物が入っていたりする。
もちろん、もらった人はみんな喜ぶ。
後に、その人が旅行に行く時には、みんなが
期待するようになってしまった。
お金があんまりない時でも、無理して買って
きてくれようとする。
さらには、「こんなおみやげでごめん。」
などと、謝っている。
何も悪いことはしてない。
後に聞いてみると、旅行に行くと伝えたの
に、おみやげを買ってかんのはやらしいし、
何より、もう今さらやめたくても、やめれや
んのやと言う。
それから、みんなが期待した顔しとるのは、
本当に嫌やって言っとった。
たった一度おみやげを買っていったために、
後々まで自分を苦しめることになってしまっ
たんやな。
そして、これだけでは終わらん。
こういったケースには、続きがある。
あまりに気を遣いすぎたり、気にせんでいい
ことを気にしすぎてしまう人は、嫌な人から
利用されることがある。
嫌な人からすると、何か物をくれる人という
ことになる。
利用価値がある人やな。
きっと最初は、なるべく喜んでもらおうと、
一生懸命考えてくれとったやろな。
何で買ってかなあかんのやろ、と思いなが
ら、それでも買おうとしてくれたんやろな。
大事なお金を使ってくれて、家族との大切な
時間の中で、おみやげのことをどこかで頭に
置いとってくれたんやろな。
そうやって過ごしてくれとったんやろう。
本当はおみやげなんてもんは、大事な人や、
喜ぶ顔が浮かぶ人だけに、買えばいい。
それからお金は、もっと自分のためや家族の
ために使えばいい。
自分を大切にしてくれる、心から喜んでくれ
る、そういう人にだけ買っていけばいい。
ちゃんと感謝してくれやん人にあげる必要は
ない。
別に買ってかんでも、やらしくはない。
そしてこれには、もう一つ理由がある。
人付き合いの上手な人なんかからすると、
あまり親しくない人や、心許す人でない人か
らもらうおみやげは、実は迷惑や。
人付き合いの上手な人ほど、それが迷惑やと
分かっとるので、そういう間柄の人に買って
いくことは、ほとんどせん。
お返しせなあかんでな。
人付き合いの上手な人は、それを隠すのも
上手やな。勘の悪い人は気づかへんかもな。
母ちゃんも上手やぞ。
そんなに気にせんでも、ええんやけどな。
物なんかなくたって、おみやげなんか買って
かんくたって、あなたがおってくれるだけで
嬉しいという人と付き合ったらいい。
人に利用されるのは辛い。
その人には、これからは一切買ってかんくて
もええし、気にする必要もないと伝えた。
その人は、それから2回ぐらいはやらしいと
思ったらしいけど、3回目以降からは純粋に
旅行を楽しめることが、心から嬉しいと言っ
ていた。
それから、嫌な人とええ人がはっきり分かっ
て良かったと言っとったな。
嫌な人は、おみやげがないと分かると、
スッとどっか行くようになったんて。
その人がおみやげを買う人は、母ちゃんだけ
らしい。
「いらん。」と、どんだけ言っても、なぜか
しつこく買ってくる。
何の動物か分からんけど、そんなんが跳び箱
飛んどる変なキーホルダーやら、こけしみた
いな無表情な顔がついた鉛筆なんかを、おみ
やげとしていつも買ってくる。
ニマニマしながら持ってくる。
「このおみやげのコンセプトは何や?」
と聞くと、
「何に使うんや、コレ!」
「こんなん、どこに売っとるんや!」
などと、母ちゃんがつっこんでくるやろうと
いう物を選ぶのをモットーにしとるらしい。
毎回、面白おかしくつっこんどったせいで、
こんなことになった。
でもこの迷惑は、結構好きや。
また違う人の話。
何かをあげたりすると、どんなに親しい間柄
の人であっても、「頂いた」という表現をせ
なあかんと思っとる人がおる。
お礼などは、誰が聞いても見ても最高の喜び
方をせなあかんもんやと思っとる。
この人は、いろんなことを気にする。
人の表情、それから言葉、自分が人からどう
思われるか、失礼な人やと思われやんか、
これは許されるやろか、許されやんやろか、
いつも自分をがんじがらめにしている。
その人とは、もう7年ぐらいの付き合いにな
るけど、いつまでも心配し続けたことがあっ
た。
母ちゃんは、気を遣うのも、遣われるのも、
好きじゃない。
だからこそ、母ちゃんとおる間はそのままで
おられるように、何よりそこに神経を使う。
安心して、そのままおってもらえるように、
何も気にせんとおれるように、それはその人
らじゃなく、母ちゃんの仕事やと思っとる。
その人とは、長い付き合いでありながら、
深い核心の部分には触れんとここまできた。
やっと、半年前あたりにようやく伝えた。
その人を傷つけてしまわんためには、たくさ
んの年月が必要やったでな。
「何か人からもらったときは、頂いたじゃな
くて、もらったでええんやで。
相手が頂いたって言っとったら、自分も言わ
なあかんと思うやろ?
それは相手を疲れさすんやで。
仲良くなれへんやん。
一緒におる人らは、いつも気を抜けへんくて
気を遣いすぎなあかんくて、疲れるんやで。
気持ちがあったら、言葉なんて何でもええん
やで。そんなんで評価されたりはせんしな。
それは、母ちゃんを大切にしてくれとるんと
ちゃって、自分を大切にしとるんや。
気を遣うんじゃなくて、気を遣いすぎとる。
母ちゃんはいつも、気を遣われるの好きじゃ
ないって言うやろ?
そろそろ、もうええんちゃう?
そんなん、もうええやんか。
自分の言葉で、思ったまんま言ってみよに。
そのほうが嬉しいで。
母ちゃんも楽なんやで。」
その人は子供の頃、ものをハッキリ言い過ぎ
て、お友達にとても嫌われてしまって悲しい
思いをしたことを、話してくれた。
それからは、思ったことをそのまま伝えるの
が怖くなったんやって。
そうやってここまできたんやと、そう泣きな
がら話してくれた。
「それはな、ものをハッキリ言ったから嫌わ
れたんとは、ちゃうかもな。
相手の気持ちがちゃんと見えてへんくて、
それで怒らせたり悲しませたりしたかもな。
相性が悪いということもあったやろな。
自分の思いを一方的に押し付けてしまったの
かもしれへんしな。
気にしすぎてしまって、事実がちゃんと見え
てへんかったんかもしれやんな。
母ちゃんはな、ものをハッキリ言うのは、
ガッツリ仲良くなったら普通やと思うで。
そんな人じゃないと付き合えへんしな。
ハッキリ言ってくれるからこそ親友やしな。
だからそれは、ちょっと寂しいな。」
母ちゃんは、その人の心に惹かれたんや。
その人の心は、出会った時から変わらずに、
いつもハッキリと何でも言っとったでな。
下ネタから悪口まで、隠すことなく面白い。
いつ、心と言葉が合ってくるやろと、その時
を待ち続けた。
結構待ったけどな。
でも多分これは、母ちゃんが動かなあかんな
と思ってな。
7年越しや。
今は、何でもそのまんま言えて、もっと会話
が楽しくなった。
何より、とても楽になった。
大切にすることと、気を遣いすぎることは
全く違う。
大切にするのは人を集め、気を遣いすぎるこ
とは人を離す。
そんなに気にせんでも、そんなに頑張らんで
も大丈夫や。
気を遣いすぎてしまうこと。
気にしすぎてしまうこと。
そのどっちもが無くなること。
母ちゃんの親友になったということ。