敬体と常体の使い分けを考えるの巻
ぜーたです。お久しぶり。襖の奥の奥からPS2を引き出し、ゲームを買ってやっているので、こっちに回す時間が少なくなってきてるところがネックです。
ずーっと悩んでるんですが、このブログ。敬体か常体に統一したいんですよ。でも結局どっちにしようかよくわかんなくなっちゃって。
身バレ覚悟で友人に敬体と常体の記事をいろいろ見せて意見を聞いて回ったんですが、「敬体だと長ったらしくなるな」「常体はカタくて読みにくい」「敬体のほうが語りかけてる感ある」「常体は新聞みたいでかっこいい」「キモい」などが出て、結局どうしようもなくなっちゃったわけなんですね。
いやそれこそ、検索で来てそのまま読んで帰ってくれる人なら別にいいんだろうけど、その後何本か連続で記事を読む方にとっては、敬体と常体が統一されてないのってかなりウンザリだと思うんですよね。たまーにいらっしゃいます。嬉しいです。
だからどっちかにしたいなぁ~とは思うんですが、上のように友人もいろいろ言うし、ネットにもいろいろ書いてあるしで、よくわかんなくなっちゃった、ってのが正直な感想。
あ、「そんなの自分が決めろよカス死ね」「毎回のなげえ前置きいらんのじゃアホ」「こんな記事、どんな顔すればいいのかわかんないの」「予防線張るついでにエヴァネタ出すな末代までの恥」とか思った方は、そのままバックすることをお勧めします。
特に予防線の張り方は異常ですからね。精神衛生上よくないですよ。
とりあえず、自分の整理のために、敬体と常体、どっちで書くべきか……?ってのをまとめていくんで、悩んでる方いたら参考までに。
読みたくない人用に要点だけまとめてるんでどうぞ。
敬体のメリット
ていねいな印象を与える
親しみやすい
主張に歯止めがかかる
常体のメリット
主張が伝わりやすい
簡潔に見える
敬体と常体
敬体・常体とは何ぞや から始めましょう。
敬体というのは、
~です、~ます、およびその変化形をいいます。
~ですか、~ましょうか、も敬体に入ります。
で、こういう使い方は丁寧語とも呼ばれ、敬語の一種なのはご存じでしょう。
敬語を使う場合、学校で習ったと思いますが、ある種の暗黙の了解が成立します。
それが「立場」です。我々日本人はいっつも主語やら目的語やらを省略しますが、これは敬語のおかげ。
例えば、
「嬉しいんです」という一文がありますね。この主語は何だと思いますか。当然「私」ですね。だって、"~です"という丁寧語(敬体)は、いつも
自分から(対等か目上の)話し相手に向けて発される
のですから。
英語ではこれをどう表すか?
"I am glad".でしょう。英語は準孤立語と言ってもよいほど語順が厳密に決まった言語であり、文型をしっかり守る必要があります。易しく言えば
"I am glad."という語順を少しでも変えたり、省略したりすると、通じなくなる
ということ。だから主語やら目的語を勝手に省略することはできません。
"Am glad."とは言えないのですね。
他の言語で嫌というほどIとかyouが使われる場面でも、日本語は敬語を使うことによって、うまくそれらをかわせます。
この了解がある限り、私たちは日記や独り言を敬体ではしません。一人専用という属性がついたものに丁寧語はソリが合わないのです。そこに話し相手はいないのだから。
常体は強い言い切り、~だ、~であるの文章です。論文とか新聞はこの形で書いてあることが多いですね。敬体のような立場の問題は生じ得ません。
だいたい、
事実をそのまま伝えることが求められる場では、常体による伝達がなされます。
それだけに、カタいイメージがあるのも常体の特徴。
それでは、敬体と常体のメリットについてみていきます。
敬体のメリット
先ほど、敬体は「自分から話し相手に向けて」と書きました。つまり、自分と話し相手の間で、そういう了解が半ば暗黙的に交わされているということになります。
ブログではこれが「書き手―読み手」の関係に変質します。難しい言い方をすれば、ブログに敬体を持ち込むことで、両者はこの関係に否が応でも縛られます。
すなわち
書き手は読み手のことを敬っているのだ
という意識が両者の心の中にあることを意味します。
ですから敬体はまず「ていねい」という印象を読者に与えます。読み手側に配慮した言葉遣いの一つですね。自分を目上に見てくれている、とわかるわけですから。
難しい問題、主張が二分される問題なんかでは、敬体を使ったほうがいいでしょう。
自分と反対意見の人にも「ワタシはあなたたちの敵じゃないんですよ」という印象を与える必要があるからです。敵だと思われれば、態度が硬化して、伝わるものも伝わらなくなります。
メリットその1:ていねいな印象を与える
これは当然か。次いこう。
敬体だと常体より親しみやすい、ってのはありますね、体感的に。
まあ、タメ語よりはそうじゃないけど。
例えばはるさめ(id:minoruharu)さんのブログ 「み」 ですが。
結構カタい話題とか小難しいことを記事にしてらっしゃいますが、全然その感じがしないのは、まさに敬体のもう一つの顔を上手く武器にしているからなのではないでしょうか?こんなわかりやすい文章を書ける才能が欲しいです。嫉妬で狂い死にます。末代まで呪い続けます。あ、嘘だよ。
もう一つの顔ってのが、親しみやすさね。
なんで丁寧とされる敬語が親しみやすさにつながるのか?
その答えは「関係性の意識」です。(造語)
常体は自分の主張を、相手に関係なくただ述べるのに対し、敬体はいくらかの接触を読み手側に持ち掛けます。つまり、敬体を使うことによって「読み手と接触を試みているのだ」または「読み手との関係性を持とうと試みているのだ」と、読み手が意識できるんですね。だいぶ抽象的になってきた。
対して常体は「関係性断絶の意識」です。読み手のことを配慮してるんじゃなくて、ただ自分が書きたいことを書いている……ように見えてしまう。書き手がそうかどうかは別として。
例えるなら、モノを手渡しで「はい、どうぞ」とされるのか、ぽ~んと投げられるのかの違いみたいなもんでしょう。
もっと極端な例を出せば、
こちらは言わずと知れた熊さん。はてな界でその名を知らぬ者はいない!レベルの超有名人なので、言及飛ばしてこっちに来てもらうのも烏滸がましいというか、
私のブログを焼き払ってください!!
な、アマゾンの集落の農民たちもベトナム戦争の米兵たちも裸足で逃げ出すレベルの申し訳なさなんですが、なんかいろいろ騒動もあったみたいなので、一応飛ばしておきます。有名人も大変だなあ。
で、ポジ熊さん、今ははてなブログ初心者に向けたアドバイスをする……ブログアドバイザーなる仕事をしてらっしゃるようなのですが、彼の文体もやはり敬体ですね。
これがずーっと常体だったら、と考えてみましょう。
いやもちろん、敬体であっても成功しなかった人もいっぱいいますし、常体ですごい人もいっぱいいますよ。(踊るナンタラの方とか。タイトル覚えてないけど)
ただ、初心者へのアドバイザーという地位を手に入れるためには、それなりの親しみやすさが必要だと思います。必要条件です。その親しみやすさはどうやって生み出されてるか?というと、その答えの一つが彼の文体です。
~ですよね?
~ですからね
~ですね
~ですよ
~でしょう?
のような形、問いかけたり同意を求めたりするような形が、結構多く使われていることに気付きます。これを全部常体に置き換えるとどうなるでしょうか。
~だよね?
~だからね
~だね
~だよ
~だろう?
うーんどうもしっくりこない。~だ、~であるという流れで来て、突然「~だね」とか言われても。~です~ますの流れから「~ですね」は違和感がないのに。
そう、常体は問いかけにはあまり向かないのです。
これを上手く解決してくれるのが敬体です。
ブログを始めたばかり、右も左もわからない頃に、優しく語りかけるように自分にアドバイスをくれる人がいたとしたら、そりゃあ人気になるはずだ。
敬体(丁寧語)に備わる関係性の意識を(知ってか知らずか)上手く文章に組み込むことで、ポジ熊さんが初心者からの人気を得られた……
と考えることは、一応可能です。まあ、記事自体の価値や更新頻度の高さもあると思いますがね。
彼がすごいのは、その親しみやすさを利用し、アドバイザーの地位を手に入れちゃったことです。才能なのかな。
ともかく文体における親しみやすさというのが成功の上での一つのファクターなのかな?と考えることは可能ですね。
それを手っ取り早く手に入れたいなら、敬体+問いかけを多用してみるのはどうでしょう。
メリットその2:親しみやすい
次。
三つ目。これもやはり「関係性の意識」が原因ですが、今度は読み手じゃなくて書き手が意識します。
敬体で書いたものを読み返すと、あれ、こんなにマイルドだったっけ?と思う現象。
「暴走したがるからプリウス運転奴は滅べ」なんて思ってても、敬体でコトバにすると「暴走する車って、いやですね」ぐらいまで落ちちゃうというか。
逆に私がつけてる日記はこのブログの5倍ぐらい過激です(日記は常体)。
もっとすごいこと書いてます。公表したら炎上不可避。
この原因はつまり、敬体を使うことによって、書き手が、自分の文章を読む相手を意識(関係性を意識)し、汚い言葉だとか過激な主張をためらってしまうことにあるのではないか?というのが、私の分析です。
まあこのブログにもたまに「〇〇という立場の人のことも考えて書いてほしかった」みたいな意見が来るので、完璧かと言われればお口チャックなんですが。
メリットその3:主張に歯止めがかかる
常体のメリット
常体が論文とか新聞に用いられるのは、それらが事実や論理的推論のみを必要とするからです。これらでは確かに「読み手にもわかりやすい文を書くこと」は求められますが、「読み手の立場に配慮した文を書くこと」は求められません。そういう意味で、敬体と比べ関係性が断絶された文体と言ってよいでしょう。
ですがその分、事実や自分の主張は相手に伝わります。
現在も女性差別は、日本からなくなっていないのではないでしょうか。
現在も女性差別は、日本からなくなっていない。
どっちが事実っぽいでしょうか。信頼度が高そうでしょうか。
下ですよね。
もともと断定の~だ、~であるは事実を述べるときに用いられますが、これを意見の主張に使うのはなぜでしょうか。それは強い確信を抱いているからです。そしてその確信を読み手も必ず意識します。書き手が自信をもってその主張をしているのだと、読み手側も理解することができます。
敬体より常体のほうがなんとなく説得力が高そうなのは言うまでもありません。
明日は雨が降るのではないでしょうか。
明日は雨が降るかもしれません。
明日は雨が降るでしょう。
明日は雨が降るだろう。
明日は雨が降る。
下に行くにつれ、文章は短くなり、要点だけを捉えています。「明日」「雨」「降る」という3点の情報を最も無駄なく伝えきれているのが一番下、常体の文章です。
メリットその1:主張が伝わりやすい
そして。
これに関連した話として、文章の簡潔さがあります。決して簡潔さと信頼度は無関係ではないはずです。
何らかの可能性や自信のなさを表すために、常体だった表現にいろんな飾りが加わっていった、と。逆に言えばこうなりますね。
可能性や自信のなさを排した表現こそ、常体である、と。
これが全ての言語について成り立つなんてことは言えませんが、私がかじった数か国語では全部こうでした。「必ず」とか「絶対」なんて表現を使わない条件下なら、断定系が一番簡潔で、そこに可能性を表す助動詞を入れたりしていきます。
おそらくそういう感性は人間に共通なのでしょう。
だから、常体で表した文章は、必然的に敬体よりも簡潔になります。
クドクドしたのが嫌いな方は、ぜひどうぞ。
メリットその2:簡潔である
使い分けを悩む原因
オマケです。どうして私がこんなに使い分けを悩むのか。
それはたぶん、このブログの方向性が未だに定まってないから……でしょう。
「難しい問題(社会問題など)を論じてみるわ」系の記事
「わからんこと解説するよ~」系の記事(上が楽しすぎてほとんど書いてないが)
「自分の主張メッチャ伝えたいねん」系の記事
がゴッチャになってて、自分でも何が言いたいかよくわかんなくなってきたのかな?と自己分析してます。
とりあえず瞑想迷走しながらがんばります。
現在は、この記事を書いてみて「あっワタシは敬体のほうが書きやすいのかな?」なんて、ちょっと気持ち敬体に傾きつつありますが。
だから、ブログはじめたての方におきましては、まず方向性をはっきりさせてから、敬体常体を選ぶようにしましょうね。私を見ててわかると思いますが、そっちのほうが楽ですよ。
今日も5000字でした。いつもこんなクドいの読んで頂いてすごくありがたいです。