自民党古賀都議会議員が
都立横網町公園の関東大震災朝鮮人追悼碑について素晴らしい質問をして下さいました。
この活動も漸く一歩前進です。
ぜひ、お読みください。
古賀俊昭都議会議員 文教委員会 質問 傍聴記
平成28年11月8日
(全文は1月中旬に正式発表)
*************
○古賀委員 東京都は平成24年度から全都立高校で日本史を必修にし、独自の歴史科目「江戸から東京へ」を始めた。この「江戸から東京へ」及びこの日本史教育の中で取り扱われている関東大震災に関する件について質問。
今年の8月28日にソウルで、関東大震災で亡くなった朝鮮人の慰霊の行事が行われた。実に93年たって初めて韓国は慰霊を行った。その背景には、韓国は日韓基本条約交渉や請求権協定などで問題にしなかった慰安婦の強制連行の問題がすべて虚偽であるということが明らかになり、次には、この関東大震災における朝鮮人犠牲者の問題で、謝罪や賠償を求めてくる可能性があるのではないかと思う。
都立公園の横網町公園は墨田区にあるが、その中に関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑がある。そこで毎年追悼集会が行われ、今年も9月1日、行われた。
この追悼集会の案内のチラシの中には朝鮮人6,000人以上も当時の天皇の軍隊、警察、自警団によって虐殺されたと書いてある。
この追悼碑は美濃部革新都政時代に朝鮮人犠牲者を6,000名と記して建てたもの。社会党も一緒だった。しかし、この数字には客観的な信頼できる根拠があるものではない。
そこで質問。関東大震災のいわゆる朝鮮人殺傷について、東京都独自科目の「江戸から東京への」教科書ではどのように扱っているのか。また都立高校の教育現場では、「江戸から東京へ」の教科書を使ってどのようにこの件について教えているのか。
〇指導部長 東京都独自科目「江戸から東京へ」の教科書では、朝鮮人犠牲者追悼碑から、大震災の混乱の中で朝鮮人がとうとい生命を奪われたという文言を教科書に転記している。
また都立高校では、「江戸から東京へ」の教科書記述に沿って、大正12年9月1日午前11時58分、南関東一帯を襲った関東大震災の発生状況や下町6区の焼失面積は80%から100%とほぼ壊滅状態になったことなど、震災直後の東京の様子について指導をしている。
○古賀委員 「江戸から東京へ」の教科書の中には、朝鮮人の犠牲者数が6千余名という記載はないこと、それから学校では朝鮮人犠牲者が6,000余名であることを教えてはいないということでありました。
この関東大震災発生時の朝鮮人殺傷については、果たして流言飛語があったのかどうか。当時、大正8年に起きた三・一独立運動家の朝鮮人が日本人官吏殺害しようとして多数来日し、震災発生時に一部の朝鮮人が放火や襲撃を行った。
司法省の報告書、震災後における刑事事犯及びこれに関連する事項調査書では、大正12年11月15日にまとめて関東大震災発生時の朝鮮人の犯罪が報告されている。
この報告書の第3章には、鮮人の犯罪が記されている。例えば、9月1日夜、月島2号地で凶器を携えた不逞鮮人5名が本所区菊川町方面より月島に入り込み、警戒中の民衆にピストルを発射し、うち4名取り押さえられるなどの記述がある。
このように関東大震災時の朝鮮人殺傷については、一般には流言飛語が原因といわれているが、朝鮮人の犯罪が多数あったのもまた事実。
私が文献をいろいろ調べたが、当時の関東周辺、朝鮮人の人口について当時から日本は国勢調査をしていた。
3年前の大正9年の国勢調査。
国籍民籍別人口のうちの朝鮮人の人口について、
東京府 2,485人、
埼玉県 78人、
千葉県 40人、
神奈川県 782人、
合計3,385人。
NHKの番組でも、震災発生前に東京には少なくとも5,000人ほどの朝鮮人が暮らしていたと述べていた。6,000人殺害ということは、どう考えても無理。
私はこの数字に根拠を与える歴史的な事実を発見することはいまだにできない。つまり、6,000余名というのは事実に反する。
この件に関してはノンフィクション作家の工藤美代子さんが著書「関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実」にも書かれているように、大地震の混乱に乗じて、朝鮮独立運動家たちが暴動を起こしていたことは紛れもない事実であることが資料をもって証明されている。
しかし、現に都立公園の中に朝鮮人犠牲者追悼碑、6,000余名が記述されている。
都教委としては、この碑に6,000余名が犠牲になったと書いてあることについては、どのような見解、見識を持っておられるか伺います。
〇指導部長 都教育委員会は、朝鮮人犠牲者数については、6,000余名などの諸説以外にもさまざまな説があると認識しております。
〇古賀委員 諸説あるということで、6,000も含むということになりかねないの
で今後さらに取り上げていきたい。実は千葉県の佐倉市にある国立歴史民俗博物館(国に施設)この歴史博物館でも6,600人を上回る朝鮮人が虐殺されたと書かれていた。が、良識ある市民歴史家の皆さんが、国立歴史民俗博物館側にいろいろ真実の資料を提示して話をした結果、この数字は現在削除されている。
博物館の中でナレーションも、6,600人を上回るという表現も現在なくなった。
私は明治から大正の時代をたくましく全力で生き抜いてきた私たちの父祖、先人をいわれなき誹謗中傷によってその名誉をおとしめることは許されないと思う。
そして、現在に生きる私たち、さらには将来、国や社会や家庭を支える子供たちに辱めを与えるようなことを私たちが放置してはならない。
今度は、おそらくこの件で謝罪と賠償の問題が提起されてくるのではないかと思う。
公園設置者の東京都建設局の公園緑地部がその碑の建設を許しているが、ぜひ今度は一般質問か何かで取り上げていきたい。
ちなみに碑の前で行われている行事に、小池百合子知事は追悼文を寄せている。知事の認識も改めなければならないと思う。
都立横網町公園の関東大震災朝鮮人追悼碑について素晴らしい質問をして下さいました。
この活動も漸く一歩前進です。
ぜひ、お読みください。
古賀俊昭都議会議員 文教委員会 質問 傍聴記
平成28年11月8日
(全文は1月中旬に正式発表)
*************
○古賀委員 東京都は平成24年度から全都立高校で日本史を必修にし、独自の歴史科目「江戸から東京へ」を始めた。この「江戸から東京へ」及びこの日本史教育の中で取り扱われている関東大震災に関する件について質問。
今年の8月28日にソウルで、関東大震災で亡くなった朝鮮人の慰霊の行事が行われた。実に93年たって初めて韓国は慰霊を行った。その背景には、韓国は日韓基本条約交渉や請求権協定などで問題にしなかった慰安婦の強制連行の問題がすべて虚偽であるということが明らかになり、次には、この関東大震災における朝鮮人犠牲者の問題で、謝罪や賠償を求めてくる可能性があるのではないかと思う。
都立公園の横網町公園は墨田区にあるが、その中に関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑がある。そこで毎年追悼集会が行われ、今年も9月1日、行われた。
この追悼集会の案内のチラシの中には朝鮮人6,000人以上も当時の天皇の軍隊、警察、自警団によって虐殺されたと書いてある。
この追悼碑は美濃部革新都政時代に朝鮮人犠牲者を6,000名と記して建てたもの。社会党も一緒だった。しかし、この数字には客観的な信頼できる根拠があるものではない。
そこで質問。関東大震災のいわゆる朝鮮人殺傷について、東京都独自科目の「江戸から東京への」教科書ではどのように扱っているのか。また都立高校の教育現場では、「江戸から東京へ」の教科書を使ってどのようにこの件について教えているのか。
〇指導部長 東京都独自科目「江戸から東京へ」の教科書では、朝鮮人犠牲者追悼碑から、大震災の混乱の中で朝鮮人がとうとい生命を奪われたという文言を教科書に転記している。
また都立高校では、「江戸から東京へ」の教科書記述に沿って、大正12年9月1日午前11時58分、南関東一帯を襲った関東大震災の発生状況や下町6区の焼失面積は80%から100%とほぼ壊滅状態になったことなど、震災直後の東京の様子について指導をしている。
○古賀委員 「江戸から東京へ」の教科書の中には、朝鮮人の犠牲者数が6千余名という記載はないこと、それから学校では朝鮮人犠牲者が6,000余名であることを教えてはいないということでありました。
この関東大震災発生時の朝鮮人殺傷については、果たして流言飛語があったのかどうか。当時、大正8年に起きた三・一独立運動家の朝鮮人が日本人官吏殺害しようとして多数来日し、震災発生時に一部の朝鮮人が放火や襲撃を行った。
司法省の報告書、震災後における刑事事犯及びこれに関連する事項調査書では、大正12年11月15日にまとめて関東大震災発生時の朝鮮人の犯罪が報告されている。
この報告書の第3章には、鮮人の犯罪が記されている。例えば、9月1日夜、月島2号地で凶器を携えた不逞鮮人5名が本所区菊川町方面より月島に入り込み、警戒中の民衆にピストルを発射し、うち4名取り押さえられるなどの記述がある。
このように関東大震災時の朝鮮人殺傷については、一般には流言飛語が原因といわれているが、朝鮮人の犯罪が多数あったのもまた事実。
私が文献をいろいろ調べたが、当時の関東周辺、朝鮮人の人口について当時から日本は国勢調査をしていた。
3年前の大正9年の国勢調査。
国籍民籍別人口のうちの朝鮮人の人口について、
東京府 2,485人、
埼玉県 78人、
千葉県 40人、
神奈川県 782人、
合計3,385人。
NHKの番組でも、震災発生前に東京には少なくとも5,000人ほどの朝鮮人が暮らしていたと述べていた。6,000人殺害ということは、どう考えても無理。
私はこの数字に根拠を与える歴史的な事実を発見することはいまだにできない。つまり、6,000余名というのは事実に反する。
この件に関してはノンフィクション作家の工藤美代子さんが著書「関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実」にも書かれているように、大地震の混乱に乗じて、朝鮮独立運動家たちが暴動を起こしていたことは紛れもない事実であることが資料をもって証明されている。
しかし、現に都立公園の中に朝鮮人犠牲者追悼碑、6,000余名が記述されている。
都教委としては、この碑に6,000余名が犠牲になったと書いてあることについては、どのような見解、見識を持っておられるか伺います。
〇指導部長 都教育委員会は、朝鮮人犠牲者数については、6,000余名などの諸説以外にもさまざまな説があると認識しております。
〇古賀委員 諸説あるということで、6,000も含むということになりかねないの
で今後さらに取り上げていきたい。実は千葉県の佐倉市にある国立歴史民俗博物館(国に施設)この歴史博物館でも6,600人を上回る朝鮮人が虐殺されたと書かれていた。が、良識ある市民歴史家の皆さんが、国立歴史民俗博物館側にいろいろ真実の資料を提示して話をした結果、この数字は現在削除されている。
博物館の中でナレーションも、6,600人を上回るという表現も現在なくなった。
私は明治から大正の時代をたくましく全力で生き抜いてきた私たちの父祖、先人をいわれなき誹謗中傷によってその名誉をおとしめることは許されないと思う。
そして、現在に生きる私たち、さらには将来、国や社会や家庭を支える子供たちに辱めを与えるようなことを私たちが放置してはならない。
今度は、おそらくこの件で謝罪と賠償の問題が提起されてくるのではないかと思う。
公園設置者の東京都建設局の公園緑地部がその碑の建設を許しているが、ぜひ今度は一般質問か何かで取り上げていきたい。
ちなみに碑の前で行われている行事に、小池百合子知事は追悼文を寄せている。知事の認識も改めなければならないと思う。