企業再生請負人の異名を持つ、経営コンサルタントの冨山和彦・経営共創基盤最高経営責任者(CEO、56)が語る「リーダーの母校」。筑波大学付属駒場中学・高校(筑駒、東京・世田谷)の6年間で、筑駒的な価値観を育んだ冨山少年。その価値観は、その後の冨山氏のキャリアや生き方に大きな影響を与えたという。
筑駒は東大進学率が高いのですが、授業では受験対策を一切やりません。だいたい、どの先生も、学習指導要領を全然守らない。教科書は一応、机の上に置いてあるのですが、一度も教科書を開かずに学期が終わるという授業もありました。例えば、日本史の授業は、担当の先生が「大津事件」の研究者で、毎回授業で話すことといえば、大津事件のことばかり。そのまま1学期が終了しました。
生徒も、途中から学校に来なくなる人もいます。先生もいちいち出欠をとらないので、問題は起きません。授業に出ている生徒も、前列に座っている人は真面目に聞いていますが、だいたい7~8割の生徒は内職していました。難しい数学の問題を解いている生徒もいれば、将棋の棋譜を研究している生徒もいる。音楽の話をしている生徒もいれば、勝手に弁当を食べている生徒もいる。ほとんど、学級崩壊です。
それでも3分の2が東大に入れるのは、みんな力の入れどころを分かっているからでしょう。高校3年になると、運動部も引退して暇になるので、受験勉強しかやることがなくなります。11月の文化祭を過ぎれば、いよいよ受験モードに突入。それまで何年間も先輩たちの姿を見続けているので、どこで集中力を発揮すればいいのか、みんな肌で知っている。競馬に例えれば、第4コーナーを回り、いつ馬群の中から抜け出すか間合いをはかっているという感じです。
法学部を選んだのは、理系だと自分の才能では最高レベルで勝負できないとわかっていたから。あとは、正直、深く考えず、偏差値順で選びました。
司法試験を受けたのは、完全に父親の影響です。父はサラリーマン経営者でしたが、いつも「サラリーマンの世界では能力のあるやつが偉くなるわけではない。運と上司の好き嫌いで人生が決まるんだ」とサラリーマンの悪口を聞かされてきたので、普通の大企業に就職する気はまったくありませんでした。
しかし、かといって、筑駒時代の先輩で高校時代からスーパースターだった、劇作家の野田秀樹さんのような飛び抜けた才能もなかった。何をしたいという具体的な青写真もなかったので、だったら、とりあえず司法試験を受けておこうかなくらいの考えでした。
ところが、司法試験に落ちた時のすべり止めにと就職活動をしていたら、経営コンサルティング会社の存在を知り、興味を持ちました。経営コンサルタントは、プロフェッショナルな仕事で、いわゆるサラリーマンとは違うな、と。正直、司法試験の勉強を2年間、根を詰めてやったことで、法律の勉強も飽きていました。そこで、ボストンコンサルティンググループ(BCG)の入社試験を受けたら、司法試験の合格発表の前に内定が出て、BCGに就職することに決めました。
当時は、東大を出てコンサルティング会社に入るなんて、完全に変な人だと思われていました。でも、大企業に入って経営者に上り詰めることをイケていないと見る筑駒的な価値観に照らせば、変でも何でもありませんでした。
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