ブログを休んでいた理由
お久しぶりです。
去年ナコルルのことがきっかけで、アイヌをはじめとする少数民族のことを調べていたら、身近なところにハッとするようなことがたくさんあって、いろいろ考えてしまった。どこかキリのいいところでエントリーを書いて署名の文言を書いて、それから平常運転でブログに戻ろうと思っていたけれど、ぜんぜんキリが晴れない。
年末までに途中経過でいいからとにかく一度書こうと、まとまらないままWindowsのメモ帳に長文を書いたら、書き終えたところでメモ帳が固まった。*2深夜冷え冷えとするリビングでがっくり。そのまま年末進行に飛び込み、親戚づきあいやらインフルエンザやら変な仕事の調整やらしていたらもう2月になってしまったのでございました。
はじめようと思っているブログ
ほいで、2月といえばもちおの誕生日なんですよ。
去年の1月13日にもちおはガンの告知を受け、40歳の誕生日に内視鏡検査手術を受けた。今年の年末年始の間中、去年の今頃はどうだった、それからこうなった、いまはこうだねと二人で振り返っていた。
今年こうしてまた元気に、それも去年よりずっと元気に、考えられないくらいのありがたい未来を迎えられて、このことでまたいろいろ考えた。
去年のいまごろわたしはひたすら免疫を上げる方法とガンが治った人の話を探していた。ありとあらゆるキーワードで掘って掘ってネットの地層を掘りまくり、もちおは図書館からどっさりガン関連の本を借りてきて読んでいた。
それでも、もちおと同様のケースで手術せず、抗がん剤を受けずに、あるいは中断して治ったという例を見つけることができなかった。もちおと同様のケースで手術も受けられず、抗がん剤も中断せざるをえなかった人はいた。その人は闘病ブログで「誰かこのガンで手術も抗がん剤も受けずに治った人、どっかにいないのかな」と書いていた。
いま、今年のわたしたちからそういう人たちに「いるよ」といいたい。
「治った」というと語弊がある。ガンは慢性病だし、健康な人の身体にもガン細胞はある。検査に出ないだけで、もちおの全身のどこにもガンがないとは言い切れない。それでも症状がすべて消え、腫瘍マーカーも基準値におさまり、腹膜播種もリンパ節への転移も、腹水が見られなくなったことは確かだ。不可逆な副作用と断言されていた痺れも消えて、いまでは水に手をつけることもできるし、水風呂に入ることもできる。
このまま元気で3年か5年経ったら書いてみようかと思っていた。書いたらこの奇跡が消えてしまうんじゃないかという迷信的な恐れもあった。具体的な症状やわたしたちの暮らしを書くと身バレするんじゃないかという不安もある。でも記憶が薄れていく前に書いておいたほうがいいかもしれないと最近思う。わたしはそういう話を、去年切実に必要としていたから。
何をしたのか、どんなことを考えていたのか、効果があったこと、いまでは笑い話なこと、読んだものや知ったことを、覚えているあいだに書いてみようかなと思っている。
アイヌと少数民族のことが済んでからと思っていたけれど、ほかのことも書きながら書けるときに書かせてもらうことにする。*3
思い出のガンブログはこことは違うところにするつもり。よかったら読みに来てね。
当時励みにしていたblogと本
偶然たどり着いていまでは探し出せない個人HPも多数。
もちおと同じガンの人。
ゲイツと同じガンの人。
励みになった本
著者である妻の看病がすごすぎて自分と比較して落ち込んだりもしたけれど、治ったという話は希望だった。
治った話百連発みたいな本。不思議な話がたくさんあるけれど、わたしたちも実際こういう体験をした。
医師の闘病体験。膵臓がんサバイバーへの挑戦さんが一押しするだけのことはある。
慢性病とつきあうという現実的な考え方を教えてくれた本。
この本とiharbのリポゾームビタミンCに救われたところが大きい。
続けているもの
アンチエイジングで有名なやつ。溶かしたプラスチックみたいな味がする。これのもっと飲みやすくて安いカプセルがiharbにある。1000mg1錠20円くらい。
コーヒーエネマには諸説あるけれど、元祖美魔女の夏木マリさんが長年「私は毎日口から一杯、下から一杯珈琲をいただいています」とエッセイで書いていたのでいけると確信。予感は的中。