長谷川豊



 ろくでなし子さんの一件についてはすでに何度かこのブログ内でも話をしているので、繰り返してもしょうがないのですが、改めて恐ろしいなぁ…と思ったことを一つだけ。

 今回のろくでなし子さんの一件では裁判で「わいせつ」について争っているという話なんですけれど、その根拠となっているものが
「わいせつ3要件」
だ、と大真面目に話し合ってるんですよね。個人的にはその話って…

 本気でゾッとするというか、バカじゃないのか?としか思えないです。

 説明しときますね。わいせつ3要件って、
1.通常人の羞恥心を害すること
2.性欲の興奮、刺激を来すこと
3.善良な性的道義観念に反すること
を指します。それだけ言えば、結構分からなくもない話だし、定義づけるのであれば、それでまぁ…どうでもいいというと言いすぎですけど、それでいいんじゃないかと思うんですけれど…っていうか、この話が出たのって…

 1957年だよね(涙)?

 例のチャタレー事案だよね(涙)?

「チャタレイ夫人の恋人」の作者の伊藤整
「チャタレイ夫人の恋人」の作者の伊藤整
 皆さん、正常な思考の持ち主の人に読んでほしいのですけれど、日本の法廷とか司法って、本気でこんなことを言い合って真剣に「論じてるふり」をして満足してる人たちが多いのですけれど、ちょっと『怖い状況』だと思います。なので「ゾッとする」んだけれど…。

 チャタレー裁判って、1951年に、イギリスの「チャタレイ夫人の恋人」っていうちょっとエッチな表現を含む本を訳した本が出版されたわけですね。で、その翻訳した人と販売した人が「わいせつ物頒布罪」っつって裁判で裁かれた件があったんです。

 本気であの時、その程度で有罪判決が出たのだけれど…ある意味、すごいですよね。秋元康さん、気を付けろ!AKBのお嬢ちゃんたちのPVとか、ものすごい勢いで有罪っすよ。極刑レベル。

 で、そこで示された「わいせつ3要件」が「わいせつの定義だ」っつってギャースカ言い合ってるわけ。


 おいおいおい、今、何年だよ?



 裁判官系の人たちの非常識は僕のブログで何度も指摘してきましたけれど、ゾッとするうちの一つがこれ。1957年に示された基準を…2015年に大真面目に話し合ってて、まず恥ずかしくないのかを真剣に問いたい。平成27年よ?戦後のGHQ統治下の裁判の基準で、未だに話し合ってるのって、逆に尊敬します。そこまで成長できないのってある意味「伝統芸」。

 ちなみに、僕がアナウンサーだから言うんですけれど、例の「わいせつ3要件」って…そもそも破綻してる論理です。ホントに。

 何を言ってるのかっていうと、1の「通常人」の定義が確立されていないこと。どうやってアンケート調査を行うのか?どの基準でどの方式でのアンケート調査を行うのか?その調査によって、何%の同意を得られれば「通常人」と表現するのか?何にも書いてないわけです。

 どの年代?
 どの地域?
 どの文化?
 どの宗教?

 何も書いてないわけ。ジジーとババーに取ったアンケートと、今回のろくでなし子さんの作品に同意した人(3Dデータを受け取った人)の価値観は違います。どっちにアンケート取るの?どういう方法で調査するの?何にも書いてないわけ。

 まさか法廷の中でふんぞり返ってるバカ裁判官たちの価値観が「日本全体の価値観」と主張するわけにはいかないですよね?青春時代をつぶしてカリカリ司法試験を勉強してた人なんて、一般的にはむしろ「偏った連中」ですからね。当然。どこを基準にもって「通常人」というのかが示されてないんです。基準が示されていないのに文章が続いてるっていうね、そんな文章…

 成立してないだろ。