あまりにもひどい防衛省・自衛隊の混乱ぶりである。

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊をめぐり、防衛省が「廃棄した」としていた日報が見つかった。

 12年の派遣開始以来、すべての日報が電子データの形で残されていた。稲田防衛相は「隠す意図はなかった」というが、これまでの政府の国会答弁の前提が覆る事態だ。防衛省・自衛隊の情報管理に加え、文民統制の機能不全があらわになった。

 発端は情報公開請求を受けた防衛省が昨年12月、日報は「廃棄した」として不開示としたこと。自民党議員らが再調査を求めたのを契機に、電子データが残っていたことが判明した。

 それを防衛省が稲田氏に報告するまで約1カ月かかったのも不可解だ。どの部分を黒塗りするかの判断に時間を要したというが、まず発見した事実だけでも報告するのが当然だろう。稲田氏が省内を統率できているのか、強い疑問を禁じ得ない。

 深刻なのは、報告が遅れた問題について防衛省が調査委員会を設けようとすると、国会審議への影響を懸念する与党が反対し、取りやめたことだ。

 国会審議のために真相究明への動きを封じるとは本末転倒である。与党も与党だが、それで断念する防衛省も防衛省だ。

 情報公開請求された昨年7月の日報は、首都ジュバで起きた政府軍と反政府勢力の大規模な戦闘を生々しく記録していた。そこでは繰り返し「戦闘」という記述が出てくるが、稲田氏らは「戦闘」とは認めず「衝突」と言い換えて答弁してきた。

 「戦闘」と認めれば、憲法やPKO参加5原則に抵触し、部隊の撤退を迫られるためだ。

 驚いたのは、制服組トップの河野克俊・統合幕僚長が記者会見で、事実上、日報に「戦闘」の言葉を使わないよう部隊を指導したと語ったことである。

 日報の意義を損なう行為だ。現場の感覚が反映されてこそ、日報の意味がある。そうでなければ、政府として的確な状況判断に生かすことはできない。

 防衛省・自衛隊は、過去にも同じような不祥事を繰り返してきた。海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」乗組員の自殺をめぐる訴訟では、東京高裁が14年、国による文書隠しを認定。今回、その教訓が生かされていない実態を露呈した。

 稲田防衛相の責任は重大だ。

 真相究明と実効性のある再発防止策を今度こそ、講じる必要がある。そのためにはまず、外部専門家らをまじえた調査委員会の設置は不可欠だ。