オードリー若林に認められた“伝説のハガキ職人”の「人間関係不得意」な生き方

ツチヤタカユキ:著『笑いのカイブツ』

「生きる才能がある」

オードリー・若林正恭は、相方の春日俊彰をそんな風に評している。

お金もなく、ファンもいない、事務所さえにも見放されていた下積み時代もずっと春日は楽しそうだった。

貧乏暮らしの中にも悦びを見つけ、幸せそうにしている。

そんな春日を見て、自分の現状に焦燥感を感じていた若林はイラ立ちを募らせていた。

だが、オードリーが売れてもその構図は変わらなかった。

春日はずっと楽しそうで、若林はずっとつまらなそうだった。

状況がどうであろうと、春日はその中からポジティブな要素を切り取り、若林はネガティブな要素を切り取ってしまう。

つまり、若林には「生きる才能」がなかったのだ。

だが、そんな若林以上に「生きる才能」が皆無な男がいる。

それがツチヤタカユキである。

あるときを境に、『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に何度となく、そのラジオネームが読まれるようになった。時には、コーナーで読まれる投稿のほとんどが「ツチヤタカユキ」だったときもあったほどだ。

その投稿は決まって早朝5時ころに、毎日30通くらい届いていたという。その狂った量はもちろん、質にも若林は驚いたという。

まさに“伝説のハガキ職人”だ。

その後、ツチヤは若林に“スカウト”される形で、オードリーの座付き作家的な立場となり漫才を若林とともに作っていた。

若林は、『ダ・ヴィンチ』の連載コラムに3回にわたり彼のことを綴った他(『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』に収録)、ラジオで何度となく彼の話をし、『アメトーーク!』(テレビ朝日)でも彼のエピソードを披露したほど、ツチヤを“買って”いた。

そんなツチヤタカユキは一体どのような人物なのだろうか。

若林のコラムや、ツチヤがこのたび上梓した『笑いのカイブツ』をもとに振り返ってみたい。

最初にツチヤが投稿を始めたのは『ケータイ大喜利』(NHK総合)だった。

友達がまったくいなかった高校1年の時に「レジェンド」になると決意したツチヤは、まず番組で紹介されたネタをすべてノートに書き起こした。すると、採用されるネタのパターンが分かってきた。おおよそ13パターンだったという。それから、その13パターンをもとに、1日100個のボケを考えるというノルマを自分に課した。最初は1分で1個というペースだったが、日を追うごとに早くなり、高校を卒業する頃には、1日のボケのノルマが500個にまで増えていた。

19歳の頃、番組に初めて採用されると、その後もボケのノルマを増やし続け、日に2000個にまで達した。そして21歳の頃、ついに「レジェンド」になった。

その後、ツチヤの投稿先がラジオと雑誌に変わっていったのだ。

若林は、ある日の放送で「プロになればいいのに」と呼びかけた。

すると、ツチヤから一通のメールが届いた。そこにはたった一言、こう書かれていた。

「人間関係不得意」

実はツチヤは、『ケータイ大喜利』で「レジェンド」になった後、吉本の劇場の作家になっていた。

しかし、そこはツチヤの理想とはかけ離れていた。作家はその笑いの才能よりも人間関係のうまさが重視される世界。

一部の人からは笑いの才能を認められたものの、人間関係を顧みないツチヤは周囲から疎まれ浮いていった。

そしてわずか3ヶ月で劇場を半ばクビのような形で追われることになったのだ。

彼がラジオの投稿に走っていくのはその後だった。

そんな彼に信じられないことが起きる。

何気なくテレビで『アメトーーク!』(テレビ朝日)を見ているときだった。

「ツチヤタカユキっていうハガキ職人がいて、放送作家にスカウトしたら、“人間関係不得意”って断られた」

若林がそんな風に話したのだ。

時間にするとたった3秒程度。だが、「その3秒のために、僕はずっと、このどうしようもない日々を生きてきたような気がした」(※1)とツチヤは言う。

ツチヤは誠心誠意、若林に宛て手紙を綴った。そしてかつて若林がラジオで口にした言葉を思い起こし、こう締めくくった。

「『漫才を一緒に作りたい』と言って下さっていましたが、もし、あれが本気で、もしまだ可能でしたら、漫才を一緒に作らせて下さい」(※1)

そうしてツチヤタカユキはオードリーの漫才作家として、彼らの単独ライブの漫才を書くために上京した。

連日のように2人は顔を合わせ、ネタを作り続け、その成果が2013年の単独ライブ『オードリーのまんざいたのしい』となった。

そんな中で若林はツチヤを放送作家として独り立ちさせようと、挨拶や人付き合いの重要性も教えていた。するとツチヤが言った。

「能力よりコミュニケーションが優先されるんですか?」

「そうだとしたら、どう思う?」

若林が問いかけると、ツチヤはまっすぐこう答えた。

クソだと思います

若林はその場が凍りつくかと思った。だが、そうはならなかったという。同席していたスタッフたちも目を見合わせて「懐かしいな~」と笑い合った。

若林もスタッフたちも「かつてそういった想いを飽き飽きするほど通過してきたから」だ(※2)。

ツチヤタカユキは「初期衝動」そのままなのだ。

「初期衝動」をぶつけることにしか興味がない。それ以外の努力は時間のムダだし、それを邪魔する要素はすべて「悪」だった。

あまりにも純粋。だが、純粋さは先鋭化すると周囲や自身を傷つける凶器になってしまう。そうなると、ほとんどの人は離れてしまう。そうならないために人は折り合いをつけていく。それが社会であり、人間関係というものだ。

けれど、本当は「初期衝動」のままでいたい。そう思うのが表現者というものだ。

だからこそ、それを貫こうとするツチヤに若林は過去の自分を見たのだろう。

ツチヤが人間関係や企画書を書くなどという作家仕事が嫌になり、東京での作家生活を辞め大阪に帰ると言い出した時も、若林は必死に説得した。

俺たちみたいな人間こそ経済の中で我慢しながら好きなことにしがみついて、その先で市場からお金を巻き上げてやるべきなんだ」

だが、ツチヤの心にその言葉は響かなかった。

「いろんなことを我慢しながら好きなことをやろうとしている皆さんほどお笑いを愛せていませんでした。それと、金持ちになんてなりたくないです」(※2)

彼のあまりあるほどの笑いの才能の中に、ほんの少しでも「生きる才能」があれば、と思う。

『笑いのカイブツ』は、彼の「好き」を守るための戦いの記録だ。それを人は「青春」と呼ぶのかもしれない。

彼のむき出しの初期衝動は、世界と正面衝突した。

けれど、『笑いのカイブツ』を読むとこう思わずにいられない。

どうか、世界を憎まないでほしい。その世界の中にこそ、あなたが愛し、人生を捧げた笑いがあるのだから。

(引用元)

※1 ツチヤタカユキ:著『笑いのカイブツ』(文藝春秋)

※2 若林正恭:著『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』(角川文庫)