すみれお嬢さまも、ゆりお嬢さまも、喜代さんは一度も抱きしめていないんですよね。彼女たちには、はなさんというすてきな母親がいますから、女中であることをわきまえて支え続けよう、とずっと思っていました。だけど、悩んだり苦しんだりしているのをずっとそばで見ていましたから、宮田圭子としては抱きしめてあげたかったんです。
芳根さんは、撮影現場に入るといつも「すみれ」になっていました。気づけば「すみれ奥さま」になって、もう「すみれお嬢さま」とは呼べないくらい“働く女性”であり“母親”になっていましたね。だけど、実際の彼女は19歳なんです。
忠さんは旦那さまのことをずっと旦那さまと呼んでいらしたけど、私は楽屋なんかでは、あえて「京子ちゃん」って呼ばせてもらってたんですよ。彼女が、芳根京子として笑っているのを見ると、“あぁよかった”って。無理せずにそこにいてくれることが、私はうれしかったですね。
すみれお嬢さまが「太陽」なら、喜代さんはその周囲を回る「惑星」のようにいましたけど、さくらお嬢さまとは、おばあちゃんと孫のようでしたね。だけど、あっという間に年頃の女の子に成長して、家にいても心ここにあらずだったりして。喜代さんとしてはね、ちょっぴりさみしかったのよ。
そんな頃に、忠さんと冒険の旅へ出ることになりました。私、喜代さんがうらやましい。誰もがそう思うんじゃないかしら?気持ちが分かり合える昔なじみの男性と、余生を共に過ごすなんて。
神戸と近江で離れていたけど、忠さんはずっと「心の友」だったんでしょうね。近江で幼き日の恋心を告白されたシーンは、驚きました。忠さん、かわいかったですよ(笑)。少年時代の忠さんが思い浮かんだし、聞いている喜代さんも少女の気持ちだったかもしれない。おかしかったわぁ、あの忠さん。
思い出はたくさんあるけど、すみれお嬢さまが小さかった頃、坂東家のお屋敷でのイキイキとした生活が思い浮かびます。あまりエピソードはなかったけれど、喜代さんははなさんが好きだったと思うし、きっと心に温かいものを与えてくださったと思うんです。
このドラマを通して、「人を想う」ってすてきなことなんやなぁ、とつくづく思いますね。喜代さんに家族はいなかったけど、ご縁がたくさんあって。人を想う気持ちはつながって、広がって、「頑張ろう」と生きる力になって。人はひとりで生きてないんだなぁと改めて思いました。
これだけ長く演じると、役に引っ張られることってあるんですね。みんなに「喜代さん」と呼ばれるたびに、逆にエネルギーをいただいて、現場に入るとパッと喜代さんになって。私も喜代さんでいる間は、心穏やかでしたよ。でもまだ喜代さんの気分だから……ちょっと寂しいですね。
喜代さんに会えてよかった。つくづくそう思います。