「韓民族はどこから来たのか」 韓国社会史研究の大家が導き出した答えは…

「韓国民族は、韓半島の石灰岩の洞窟から始まった」

「韓民族はどこから来たのか」 韓国社会史研究の大家が導き出した答えは…

 「10代のころ、同じ民族同士で争う6・25戦争(朝鮮戦争)を経験したことで民族問題に初めて関心を持ち、大学に入ると、気になっていたことを解決するため努力した。今、60年を経て韓民族の歴史的展開過程を総整理することになり、感無量」

 韓国社会史研究の大家、ソウル大学社会学科のシン・ヨンハ名誉教授(80)が、『韓国民族の起源と形成研究』(ソウル大学出版文化院)を出版した。シン教授は、還暦を過ぎて集中的に掘り下げてきた韓民族のルーツに関する自らの研究を集大成し、韓国民族が5000年かけて歩んできた履行と進化と発展の過程を、社会学的観点から解釈した。

 韓民族の起源については、北から韓半島(朝鮮半島)に入ってきたという学説が支配的だ。どこからやって来たかについてはバイカル・カフカス・アルタイ・モンゴル・シベリア・中国北部などさまざまな見解があるが、ユーラシア大陸を出発したという点は共通している。しかしシン教授は「韓国民族の祖先が『空いた場所』だった韓半島に入ってきたという既存の学説は、歴史的事実と一致しない。韓民族の胎動の地は新義州以南の韓半島だった」と主張した。

 シン・ヨンハ教授は、地理的・気候的環境が歴史に及ぼす影響を重視するフランスのアナール学派の研究方法論を借用した。人類の発生地たる東アフリカから出発してユーラシア大陸に入った旧石器人は、およそ5万年前に最後の氷河期がやって来たとき、凍土にならない北緯40度以南の洞窟に入った少数だけが生き残った。東アジアで石灰岩の洞窟が最も多い韓半島に集結した人々は、およそ1万2000年前、気候が温暖になると洞窟から出て新石器時代を開いた。この人々は食料を求めて散らばり、韓半島に残った鳥のトーテムの韓族、遼西地方に進出したクマのトーテムの貊(ばく)族、遼東地方に定着したトラのトーテムのワイ(さんずいに歳)族と大きく三つに分かれた。

 およそ5000年前、遼西地域の降水量が急減したため、貊族は再び韓半島北部へ移動して韓族と婚姻同盟を結び、ワイ族も自治権を持つ侯国としてこの同盟に加わった。韓族の君長と貊族の女族長の間に生まれた檀君が都邑(とゆう)を阿斯達に定め、東アジア初の古代国家・古朝鮮を建国した。韓国民族の「原民族」は韓・貊・ワイの3部族が結合したものという説もまた、従来の学説とは異なる。シン教授は「前近代には中国人、近代には日本人が韓民族の起源について枠組みを定め、かなり歪曲(わいきょく)があったので、基準の枠組みを完全に変えてしまわなければならない」と語った。

李先敏(イ・ソンミン)記者
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