「チームは仲間集めからはじめよ」
いきなり人集めて「我々はチームです」ってやるからうまくいかないんじゃないの?という話を考えてみた。
さっき風呂入ってる時に思いついたので書いてみるけど、最初から人を集めてチームを作るっていうのがそもそも不自然なのではないか。
本来は、中心となる人物が、何かを成し遂げたくて、そのために必要な仲間探しからはじめないと行けない。そして、仲間を集めるのは、一気に増やすのではなく、ゲームや漫画のように、一人づつ口説いていかないといけない。
つまり、チームという人の組織体自体も、いきなりではなく徐々形成されるべきであり、いきなり集まってってやるから話が複雑になるということなのではないか。
人を集めてから「僕らはこれをやるために集まりました。じゃぁチームを作りましょう」とやるから「集まった中で、バスに乗る人・降りる人」とか「キックオフで目的の共有」とか余計なことが必要になる。想いのある人が、一人づつ、夢を語り、必要性を語り、仲間として迎え入れないのが、うまくいかない原因じゃないのだろうか?
仲間を集めるということは、何かことを成し遂げたいという思いがあり、一人ではできないからこそ、足りない部分を補ってくれる仲間集めを行う。なので、そもそも、そこまでの想いがないのに、会社で人だけわーっと集めるからうまくいかない。スタートアップも、最初は仲間集めからやるしね。
それゆえ、POや中心となる人は、自分で仲間集めからやること。一人ずつ、ことを成し遂げるために必要と思われる人に会い、夢を語り、相手の思いも聞いて、納得の上で仲間に引き入れること。
仲間集めが面倒だったりする程度の想いなら、最初からやらないこと。そうすれば、チーミングについての初期のよくある失敗(目的が共有されてない、多様性が足りてない、必要な人がいない、etc)は防げそうな気がする。(もちろん、分裂のリスクは当然あるし、機能不全についても別で補う必要はある)
この発想の根底にあるのは、「自然な形成プロセス」であり、アレグザンダー的に言えば、構造保全変容。チームには、少しづつビジョンや価値観に共有する人、そしてももちろん自分のできること・得意なことがそのチームに貢献できる人が集まり、ある目的を達成するという全体としての一貫性を保持したまま発展する。
(ソニックガーデンの人材採用ってそんな感じかもしれない)