新興宗教の二世信徒として生きる苦しさ

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世間で話題になっている、女優・清水富美加の出家報道に、とても心がざわついています。
はじめて読者投稿する「のあ」と申します。

なぜ、私がこの報道に敏感になっているかというと、私の身に起こってもおかしくなかったことだからです。私が報道から知った情報によると、清水富美加は、親から信仰している2世とのことで、私も同じ立場になります。私の親が新興宗教を信仰しています。
(一言言っておくと、「のあ」というのはHNで、ノアの箱舟に関連する宗教と私は、一切関係ありません。)

こちらは、読者投稿として投稿しますが、編集のわかり手さんに読んで欲しいと思っています。
わかり手さんが、このようなツイートを投稿されていたから。

そして、できれば読者の方にも知って欲しいです。これから自分が気持ち悪いことを書くと自覚しています。でも、そういう気持ち悪い中でずっと生きていること、救われなかった側の人間のこと(救われている人もいるかもしれませんが)、新興宗教を信仰するというのはどういうことかということを知って欲しいです。

特定の団体を批判することを書いてはいけないとのことなので、結構ざっくりしています。

親が、子供が幼い頃、また子供が生まれる前から信仰し、そこの家に生まれるのがどういうことか知っていますか。それは、宗教の自由などないに等しいです。

誰しも、親からの教育・躾によって、信じていることはあると思います。
それが正しいと信じて疑わないことがあると思います。

おそらく、その中に無宗教の人のなかでも「神様から罰を与えられる」と信じて生きてきた人もいるかと思いますが、親や神が恐怖の対象として存在し、生きていくことの苦しさをご存知ですか。(自分で書いておきながら、とても気持ち悪いし、頭がおかしいと思います。)

それと、清水富美加の件に関しては、子供の頃から信仰していたのに、なぜ自分の思うような事務所に入れなかったのかという、素朴な疑問があります。信仰しているのに、全然幸せな道を歩んでないじゃん、という気持ちです(修業が足りないからとか、世の中にこういう実態があることを知らせるためとか、反論は、受け付けません。あっそで終わらせます)。

 

私の場合は、生まれた時点ですでに親が信仰していたため、幼い頃から教団の集まりなどに参加していました。

普段、遊んでいる同級生や近所の子たちには秘密にしながら、よくわからない施設に通った時期がありました。この隠す行為自体が、罪悪感になりました。だからと言って、打ち明けることなど、恐くて言えませんでした。

そこはプレハブでできた建物でした。ちょうどその頃、違う宗教の大きな事件も報道されていました。私のいる場所は、そういう場所なんだ、自分もそういう風にみられる人間なんだということを感じるには十分すぎました。

そういえば、私が3歳の頃、私1人家に残してお留守番をさせ、親は宗教活動に行ったりもしていたそうです。そのことを上の人にも褒められたと、とても誇らしく語ってくれました。私はその話を大きくなってきいたとき聞いて、まじで頭いかれてんなぁ〜って思いました。3歳の私、よくがんばった。……今も頑張ってるけど。

 

結論から言うと、私は、教団内でも世間でも居場所をみつけることはできませんでした。

特に新興宗教を信仰することは、世間のコミティを捨てることにも成り得ます。世間と全く違う方向を見ることになるからです。

だからと言って、私の知っている新興宗教がセーフティネットとしての機能を果たしているとは思えません。つらいだけでしたから。少なくとも、私の身には、わかり手さんがツイートしたような内容のことは起こりませんでした。

 

幼い頃から、年の近い子たちと話していて笑顔になっても、みんなここにいることをどう思っているんだろうと思っていました。大人のお兄さんやお姉さんも、どうしてこんなところにいるんだろうと思っていました。今思えば、一緒に連れて行ってくれた兄弟も不安だったのではないでしょうか。私は年下だったから、頼りにならなかったでしょう。

私が高校生の頃、宗教を通して出逢った同級生の女の子がいました。
彼女は3世で、どっぷり浸かって生きている子です。親も信仰を通して結婚しているくらいですから。

彼女と一緒に、みんなが食べ終えた食事のお皿を、いらない布で綺麗に拭っていたんです。私は不器用なので、一生懸命必死に拭っていたんですね。そのとき、彼女に言われたことがあるんです。

「のあちゃんなんかに、負けない!!」

…私はこのとき、思ったんです。なんかにって..所詮こんなもんなんだって。
「3世」に言われた言葉に、私は結構、堪えました。すごく恥ずかしかった。ひどく傷つきました。3世ってことは、それなりに人徳があるものだと思ってました。善行を積んでいくものだと思ってたんですね。….これって、もしかして善行だったんですかね。当時の私にはわかりませんでした。今も、もちろんわかりません。

私は、そこにいるとき、いつも気が張り詰めていました。普段、接することのない小さな子たちがたくさんいて、その子たちを傷つけないように、いつも笑顔で対応していました。すがりたいのは、救われたいのは私なのに、おもしろくない話題にも、笑顔をたくさんつくってました。こういう行為によって、私が満たされることはありませんでした。

私は、信仰を通して、劣等感だらけになりました。もう限界でした。

その3世の彼女は、普段からそこまで笑うような子ではありませんでした。その姿は、普段の私と同じだったでしょう。彼女もまた、劣等感に苦しんでいたのでしょう。3世でも、です。彼女はリーダー的な存在でまとめ役でしたから、思うようにならない出来事で苦しんでいるのに、その原因になっている子たちと私が笑っていて、おもしろくなかったでしょう。だから、私にあんな言葉を投げつけたんだと思います。全然、セーフティネットなんかじゃありません。こんなことを書くのは気が引けますが、彼女のお母さんも疎まれてましたから。

一緒に行っていた私の兄弟も、行き帰りいつもムスッとした顔をしていましたし、ときには怒り、私もその怒るには十分な話を聞き、同じ場にいるのに救えなかったこと、ひどく哀しく、今思い出しても涙がこぼれます。私は、この頃から、教団から徐々に距離をとるようになりました。

 

20歳ごろ、青少年向けにと言われて、兄弟と一緒に教団の講演会に行ったことがあります。親が喜ぶならと。そういう思考を植え付けられてますから、私たち。
それで向かった先には、150人くらいだったかなぁ、若者たちが集まっていました。

そのとき、

「お母さんが娘の貯めていた100万円を、勝手に寄付した」

というテーマでの講演がありました。寄付した先はもちろんその宗教団体です。(もうこの言葉つかいたくない。)その講演をしているのは、もちろん宗教団体の職員です。圧倒的な自信を持った20〜30代男性職員が話していました。恐いくらいに、目をぎらぎらさせて。

それで続きは、

母「あなたは、教団とのつながりが薄いから、あなたのために100万円寄付したのよ」
娘「ずっと、ひどいという気持ちが抜けなかったけど、お母さんは私のためにしてくれたんだ。私のことを思ってしてくれたんだ。」

もう、意味不明でした。

 

あとは、「布教活動で、困っている人がいないか団地を訪ねて、5階とか、もう上りたくないなぁって思う。だけどね、そこを頑張って行くんですよ。そしたらね、話を聞きたいって人がいてね。云々かんぬん。だから、みんな、頑張りましょう!!!」

あっ、これって「私たちにも同じことをするように」って求めるための会だったんだ、ってそのときはじめて気付きました。

でも話が全て終わったとき、私はばかだから、意味不明ながらも、なんか多幸感に包まれていたんです。(宗教をしている人の明るさって、こんな感じだと思います。私は、この感覚が今はとても嫌いです。)たしか、隣にいた兄弟に「すごかったね」とか、なんとか言った気がします。

そしたら、返ってきた言葉が、「営業がうまそう」。それだけでした。無表情で冷静に言われました。親が喜ぶなら、と言って来たわりに、全く影響されていませんでした。そう見えました。

でもそんな風にクールに流しているように思えても、宗教の中であったこと、信仰していても世間で上手く生きられなかったことが、兄弟にも影響を与えているように見えてなりません。よく死を考えるそうです。

同じ状況で、私のように感じ生きていく人が全てではないと思います。家族や宗教など、境遇に恵まれなかったと感じる私の問題でもあるかもしれません。

でも新興宗教の中には、たちが悪く、一度所属すると抜けるのがとても難しく、いやがらせも半端じゃない宗教もあります。精神的に不安定で、なにかに救いを求めやすい人たちも多いであろうサイトをされている方に、安易に宗教がセーフティネットなどと言って欲しくないです。宗教で苦しむことになって欲しくないのです。

死ななければいいという話ではありません。このサイトを訪れる多くの方はみなさん、生きるのが苦しくて、死にたいと思っていると思います。自殺しなくても、生き地獄なら宗教に属する意味がありません。

2世でなく、自ら信仰した人がいたとしても、たとえ、自分は幸せだと感じることがあっても、それは錯覚で、周りを不幸にして成り立っている場合もあることを知って欲しいです。

 

大人になってから知ったのですが、親が「勉強会」などといって近所の人を集めていたことがあるんです。もちろん近所の人は宗教だなんて知りません。私は、この行為を知ったとき、本当に愕然としましたし、そこに問題があると思わない親に、ひどく絶望しました。親も同じような経緯で信仰するようになったからでしょうか。このやり方自体、非常に嫌悪をいだきます。子供の頃、必死に隠していたけれど、知っている人は知っていたのでしょうね。最悪。

あなた一人が信仰することで、家族、特に自分が親の場合は子供を巻き込むということ。私も親が信仰したいというなら、私が口出すことではありませんが、私には関係ないところでして欲しいというのは叶わないことです。家族ですから。

あと、信仰していても、病気になります。手術をするような障害が治るということもありません。太ったままだし、はげるときははげます。家族が病気になり、すがったものの、治ることなく亡くなり、連絡先を変え、それっきりという方もいました。あっけなく終わります。

怒りにまかせて、コミニティに関してだけじゃなく、家族を巻き込むことだということを、思い出したことで書けることを書いたので、まとまりのない文章で申し訳ないです。

 

こういう宗教を批判するようなことを書くこと自体恐怖です。罰せられるという恐怖。関係ない人にとったら、笑い話でしょう。私の人生そのものが罰せられ続けているのではないかという気もしますけど。

実際、命を狙われる人もいますし、なによりも、やはり私の中で恐怖の対象として染み付いているからだと思います。

こんなことを書いていることを親が知ったらどう思うでしょう。
自分を責めるでしょうか。
私を責めるでしょうか。
もっと、宗教にのめりこんでいくでしょうか。

今は私自身、関わっているつもりはありません。ですが、これでもし、私があっけなく宗教を信仰したら笑ってください。これだけのことを書きましたが、信仰と世間との間で揺れて生きていることを自覚しています。信仰をしていなくても、思考に染み付いているものから抜け出すのは、大変なんです。

それぐらい八方塞がりになっています。

宗教施設に住み込んでいた若い女性の、その死んだ目を覚えている限りは大丈夫でしょうか。


【投稿者】
のあ さん

【プロフィール】
生まれたときから、新興宗教を信仰する家庭で育った30代

 

 

【編集後記】

編集長のわかり手です。

のあさん、投稿ありがとうございます。

親の信仰が原因で幼少期からつらい思いをしてきたこと、「恐怖の対象」として神や親が存在する息苦しさ、とても強く伝わってきました。書いてくれてありがとうございます。同じような境遇の方にも届く文書だと思います。

いちおう、釈明めいたものを書かせて頂くと、僕が新宗教を「一種のセーフティネット足り得る」と発言したのは、「新宗教がセーフティネットとなってしまうほど、社会の基盤が崩れている」という文脈からの発言でした。

会社、家族、地域、福祉などのかつて「セーフティネット」として機能してきた諸々が崩れ去りつつある。

芸能界というブラックな「居場所」から新宗教という新しい「居場所」に足を移した清水富美加さんの出家報道は、まさにそれを象徴するものだと思います。

ですので僕が上のツイートで言いたかったことは「新興宗教最高!」的な話ではなく、「新興宗教がマシに見えるいまの社会ヤバくね?」ということでして、だからこそ

「宗教以外のセーフティネットが必要だ」という結論に結びつくわけです。

のあさんと違って、僕は宗教にそこまでアレルギーがありません。救世軍の社会鍋や、伝統宗派の僧侶が主体となって行っている臨床宗教師など、社会的に良い影響を与えている活動を多く知っているからです。

しかし宗教が今の社会の息苦しさを解決する「銀の弾丸」になるとは、とうてい思っていません。

若者の貧困、自殺、精神疾患の増加、現在社会の「息苦しさ」はますます強まっていると思います。

メンヘラ.jpは、そういった息苦しさ抱える人のためのセーフティネットの役割を、神様やお経に頼らず、少しでも果たせれば良いなと思っています。

文責:わかり手




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