昔、田中康夫の本を読んだ時、“晴れ”と“ケ(=気)”と言う言葉が出て来た。
ところで、自分は、はてなブックマークに特段の価値を見い出していない。
ブックマークを付ける人間は「はてな」という会社の存在を知っている人だが、世の中には、そんなもん知らない人はゴマンといる。
スマホはやるがゲームばかりでパソコンのことは詳しくない若い人もゴマンといる。
はてなブックマークの数を競う価値観は、「はてな」という会社をしっていると言うそうした範疇(カテゴリ)の中のうちわの話でしかない。はてブされるとははてなブログとかを書いている人の中での比較的読まれる数であり、人気度比べであって、「はてな」の会社には、サイトを運営しているモデレーターのような人がたぶんいて、宣伝のために、トピックとして見える所に表示したり、サクラのブックマークを付けているのかもしれないと想う。
あと、自作自演のコメントとかは、はてなの文化にあるのか?(笑)
『ただ、それだけのこと』ウェッブ・ログのサービスなどゴマンとある。
自己肯定感がないと悲しむその人は、価値とはゼロより上にあることだと
幼稚で(=発達障害で)単細胞のその人は、低能だから、向上心と
野心の区別が付かない。野心も向上心も彼女にとってはほぼ同じもの
どうぞ、お好きなだけ、“野”心の欲を抱いて、“ゴミ”砂漠の荒れ“野”に
キャラバンに出掛けて、思う存分“野”たれ死ぬのはまったくの自由です。
ただ、自分の立っている“ステージ”(=舞台)を忠実に極めただけです。
生きるための原動力に、その人は、ルサンチマンを使うという。言い換えると
生きるための活力を、敵討ち(かたきうち)のエネルギーしかそれしか、
支えを持っていないということだ。
アイデンティティ(ID=自己存在証明)がネットでやっていることを見れ
ばわかる、出来ていない。
敵討ちに勝って、相手を殺して、欲しいものを手に入れると考えるが、
相手が死んでは、オマエの自己存在意義もその場で消えるんだよ。(爆笑)
時代劇の敵討ち(かたきうち)には、返り討ちに合うって結末もあるしな。(笑)
それじゃあ、どっちにしろ死ぬほど悲しいだろうな。モンスターさん!。
たぶん、あんたの言うところの「自己肯定感」を一生得ることはなく、あんたは
死ぬのだと私は思う。社会人として働く大人は、自分のアイデンティティ、
(=自己肯定感)を思春期のうちに手に入れて、社会に出て働いているんだよ。
幼稚で単細胞で低能の発達障害の自己肯定感なくて悲しいマンのあんたは
自己肯定感とは、人気者になって人から賞賛を貰うこと、、羨望の眼差しで
見て貰えるほどの成功感、金持ちになること、カッコ良くあることだとたぶん
考えているが、
真の大人の持っている自己肯定感は、周囲の社会の中に混じって存在する私、
ただの立ち位置の中に自分を見い出しているんだ。役割とか守るべきものを
守る使命のために働くであるとかでね。
自分は自分の人生の主人公であるし、じぶんはみんなの中で生きる存在である平たく言えば、ただそれだけのことで、人は生きている。他に特別なものはない。
大人だけが知っている、味わう事の出来る、、人生の“ほろ苦い”喜びも幸せ感も、たぶんあんたは知らないで死ぬのかもしれない。
お子様のあんたは、(毎日が遠足、修学旅行、文化祭、常夏の島みたいで)、
晴れ舞台の花道をずーと歩き続ける事が、人生の成功だと思っているの
かもしれないが、晴れの天気が毎日一生続くなんてことは、この世にはないんだよ。
天国(あの世)にはあるかもしれんがな。パラダイスっていうからな!。
なにもない(ルーティン)の日々が毎日の日常に“ヶ”としてあって、だからたまに見る晴れ着を身につけた、晴れ舞台の日が、表裏一体、対に成って、嬉しさを感じるのさ。
コレを今書いている私は、生活が充実していて、幸せを毎日感じている。
以上です。