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カンピースさまのおっしゃる通り

 投稿者:情報係  投稿日:2017年 2月18日(土)18時52分53秒
  創価学会の会長は、三代で終わり。

その後の会長はゴミカスであると言う事です。
これを覆すために、会則前文を設けて、やたらと権威付けをして体制維持を目論んでいる。池田先生無き創価学会を標榜する昭和54年と瓜二つです。

宗門の権威を怖れ、池田先生に嫉妬心を燃やしていた牧口・戸田門下も加担して『池田追放!!』

今は、政権政党の後援者団体と成り果て、毒まんじゅうをたらふく食べさせられてブヨブヨの事務体制護持と社会的名声維持に汲々とする。後戻り出来ない地獄への一本道をひたすら突き進むケダモノの道。会長以下、本部職員・外郭職員、よせば良いのに役職好きで高位に居るために付き随うしか立場が無いアイヒマン地方幹部、みなさん、ごく近い将来にどん底に堕ちていきます。

それは、嘘と保身と虚偽の世界を好んで生活してきた結果です。誰のせいでも無い、あなた方が池田先生を追放し、辱め、その思想を足で踏みにじり投げ捨てて、頂いた揮毫も恩も全て今世の自らの名誉・保身と財力のために捨て去った事に端を発しています。既に手遅れなのです。
 

臨終の時

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 2月18日(土)18時36分44秒
  嫉妬や自分のやった悪事を隠すため真面目な会員さんを虐めたり、ほかしたり・・

解任したり、除名したりすれば・・間違いなく、その幹部は・・・

まさに、臨終を御覧じろです。

 

死後の世界は存在する?・研究結果

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 2月18日(土)18時01分30秒
  世界最大規模で行われた研究・・

<54年問題とは少々外れますので?・興味ない方はどうか飛ばしてくださいませう>

4年間にわたって世界の15の病院、2060の臨死体験者を元に行われた研究結果・・

https://www.sciencedaily.com/releases/2014/10/141007092108.htm

臨死している間に見たものは、蘇生後、記憶からほぼ消えるそうです・・

英文ですが、グーグルの翻訳でほぼ正確に翻訳?・日本語で読めます。

グーグルの人工頭脳翻訳能力、日々磨きがかかっています?・驚き・・

地獄の命?・で逝ってしまえば・・どのくらいの期間、苦しむか計り知れません。

裏切り?・これが、一番酷い・・・

五逆罪?・恐ろしい~

やはり、成仏?・綺麗な命のまま、仏の生命のままで・・・






 

思い出した!

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 2月18日(土)15時58分33秒
編集済
  同時放送で、先生は
「(宗門への謝罪文)あれは私が書いたのではない
私は、知らなかった」
と言われた事がありました

辞任の前年の11月
聖教新聞に先生の顔写真付きで「謝罪文」が掲載されたそうです
しかし、それは「先生が書かれた」 のではなかった
「掲載される」事も知らなかった
と先生は同時放送で言われました
同時放送で話されていたので、たくさんの人が聴いていると思います
(記憶違いでしたら、どなたか訂正お願いします)

先生の「了承なし」で先生の顔写真入りで「謝罪文」が聖教に掲載された
しかし、既に「聖教」に掲載されているので、
先生も、「撤回」出来なかった
と言うこと?

もし、そうだとしたら?
なんだか、似ていますね…笑



 

54年問題から幾星霜・・・そして今!

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 2月18日(土)15時22分6秒
  54年当時と今がいかに似通っているか、「随筆、新・人間革命」から学んでみたいと思います。

私は思った。
宗門と結託した学会錯乱の悪辣なペテン師達は、これで大成功したと思い上がったにちがいない。
彼らは「これで、計画は着々と準備通りに進んでいる。これでよし!これで完全勝利だ」と計算し、胸を張っていた。

その陰湿さと傲慢さが、私には、よく見えていた。私は狡賢き仮装の連中の実像を、その行動から見破ることができた。

この陰険極まる狡猾な連中には、断固として従ってはならない。いかなる弾圧を受けようが、「忍耐即信心」である。

学会は蓮祖の仰せ通りの信仰をしている。死身弘法の実践である、柔和な忍辱の衣を着るべきである。
学会に敵対する彼らは蓮祖の姿を借りて真実の仏の使いを道具にし、利用し、破壊しているのである。

これが恐ろしき魔性の荒れ狂った現実の実態であった、あまりにも悲しく、あまりにも情けなかった。
本来、宗教は人間の幸福のためにあるものだ。それが坊主の奴隷になり、権威の象徴の寺院・仏閣の下僕になってしまうことは、根本的に間違いである。
(随筆、新・人間革命80、昭和五十四年五月三日、獅子となりて我は一人征くから引用)


「蓮祖」を池田先生、「坊主」を執行部に置き換えて読んでみたらいかがでしょうか?

先生の名前を使い、改竄しまくったものを発表する。先生の名前を利用して、会員を真実の仏の使いから、
単なる集票マシン、集金マシンに仕立て上げている、まさに破壊そのもの。
大誓堂詣でを推奨し、執行部の権威の象徴の下僕にしようとする。まさに当時のままではないでしょうか?
 

先生のスピーチ(2008年)②

 投稿者:匿名希望  投稿日:2017年 2月18日(土)15時13分13秒
  【創立78周年記念最高協議会でのスピーチ 2008-11-14】

 牧口先生は、よく語っておられたという。

 「人生には、何回か、必ず試練の時がある。その時が一番、大事である。そういう時にも、生きて、生きて、生き抜くのだ。
 弱気を出してはいけない。そうすれば、必ず、人生の春が来る」

----------------

 山岡荘八氏は小説『徳川家康』の中で綴っている。
 「人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない」

 もちろん、疲れた時に休養を取ることは大切だ。しかし、心まで退いてはしまってはいけない。

----------------

 私は戸田先生の指導を大事に記録し、残してきた。
 まだ、カセットテープさえない時代である。学会本部にも、十分な機材はなかった。

 私は自分で録音用の機材を手配して、後世のために、先生の教えを記録した。そういう弟子だった。妻も戸田先生の指導を筆記して残した。

 一つ一つの戦いが、どれほど大変だったか。何もないところから、すべてをつくりあげていったのである。
 こうした苦労も知らないで、できあがった組織のうえに乗っかって、威張る。自分は特別だとカン違いして、ふんぞり返る。そんなことは絶対にあってはならない。

【創立78周年記念最高協議会でのスピーチ 2008-11-14】
 

Twitterより。あれ?やっぱり「新・人革」「大山」の章の書きぶりは変。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 2月18日(土)14時46分27秒
    「当時、学会は隆々たる発展を遂げていた。いわば「絶頂期」である、これからが本当の総仕上げという大事な時期であった。
 その時に、非道な迫害の嵐の中で、第3代会長を辞めざるを得なくなったのである。」
2009-4-14【全国代表者協議会】
池田先生の発言から
 

螺髪さんへ

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 2月18日(土)14時35分22秒
編集済
  お久しぶりです。
しばらく姿が見えなかったので、どうしているのかと思って居たところです。
元気になられた様でよかったですね!

私の投稿へのレスありがとうございました。

 >この「あまり、神経質になってもいけない」という点がこの後の池田先生の指導にあったように記憶しています。
この十四謗法についての留意点ではないでしょうか。「浅深あるべし」「上中下雑の謗法あり」を踏まえてを、
むしろ重点に考えるべきだと思います。<

螺髪さんはいつの入信がわかりませんが、草創期の頃は、この14誹謗は少し違う方向から提示されていたものです。

まず、1~10の「法」に対する誹り、つまり、「謗法」とは全く他宗(邪宗)の事であり、学会教学には全信頼を置いていたので
時代が過ぎていく中で、何かがおかしくなっていると気づいても、それを心の中で打ち消す作業を続けてきたのです。
つまり、学会教学が「謗法」に陥ることは永久にない、だから、疑問をもつことは許されない、、という事です。

次に11~14は、別しては大聖人への誹謗への戒めですが、総じては正法を信じ修行している会員に対する誹謗つまり、「謗人」
でありますが、問題はこれはあくまでも学会教学が正しいとした上での、その信心活動をしている人達に対する誹謗に気をつけなさい
という警戒です。
これが、典型的な14誹謗の解釈でしたし、
たぶん今でも基本的に日本の多くの会員はそう思っていると思います。

しかし、逆に学会教学が「謗法」に陥っていた場合は、その教学に執着する人達に警戒を促すのは、「謗人」には当たらなく、
まさしく「建設的な意見による問題提起」です。
ですから、逆に、それを怠る事が、与同罪に当たる事になります。

しかし、ここまできてしまった学会の現状を見るに、この問題はかなり複雑化しています。

一つは、まず「大聖人の仏法の解釈に正邪はあるか」という問題です。
これはこの国では「正邪はない」というのが公式の結論であり、前理事長は、彼が行う講義の中で、その事を
10年近くもちらつかせてきました。
「正邪はない」「どういう風に解釈してもいい」となると、14誹謗というのは最初からなりたたなくなります。
(しかし、現実には彼らなりの、ある形での信仰はあり、裏ではそれを教えているのですが、、)
教学の勉強を長い間阻害されてきたメンバーは、もう麻痺してしまった状態ですから、そう考えたほうが友好活動をやる上
で気楽です。

2つ目は、では、意見が分かれている(大聖人の仏法の解釈に正邪がある派とない派)の対話は必要か、という点です。
もちろん、私は「必要派」であり理事長以下全員は「必要なし派」です。
私はこれは深刻な、謗法の罪に相当するかもしれないので一刻の猶予もできない、というのに対して、彼らはどうせ「謗法」の罪
というのはないという考えです。
これも、もう勝負は決まって居ます。
彼らのバックには、日本の学会幹部が控えているからです。
前理事長が私にいったことは、自分の考えは、日本からのお墨付きだ、です。

そして、それが本当だったことは、その後の私の多くの体験が物語っています。
「14誹謗に関してあまり神経質になってはいけない」から一人歩きを始め、100歩進んでしまったら、
「14誹謗というものは存在しない」に変貌したのです。
しかもみなさんには知られない内に。


 >「形式の勤行」――むしろ、こちらの方に留意すべきだと思います。<

そうですね。
「信」とは「信頼」の信でもありますから、御本尊を信頼する心をおしえるのが先決でしょう。
御本尊が罰を与える訳でもないのですから(笑)

>おてもやんさんは、拝見していると、自問自答の多い方だと思いますよ。惑わされてはいけません。「問題提起」です。<

話の内容から、きっと真面目な方だと見受けました。
もうメンバーではないとしたら、基本的には、私と同じ立場です。
しかし、信心は続けていこうと思われているのでしょう。
 

大石寺の歴史

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 2月18日(土)12時31分55秒
  誰か私を呼んだ?様

勤行の短縮について   投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2017年 2月18日(土)02時58分56秒 http://6027.teacup.com/situation/bbs/64637

勤行の短縮ー大石寺の歴史の資料、ありがとうございました。

歴史を正しく知る中で、物事の本質、又は枝葉が分析できる事はよくあることですね。
コピペして資料として残しておきたいと思っています。

>そこに引用されている日寛上人の「報福原式治状」には、仕事に行く日は、方便自我偈でも三唱でも良いと書かれています。<

この言葉には、日寛上人の在家の信者への理解が伺え、その言葉の裏には、在家の信者に「信心の確立」を指向させたいという深い思いが読み取れると思います。

>「御文に云く此の経を持ち申して後退転なく十如是自我偈を読み奉り題目を唱
へ申し候なり」(「松野殿御返事」)<

初めて読みました。
やはり、時代に即して変化は必要、、だといっても、御書に照らして間違いはないか、というのが基準ですよね。
でなければ、いくら化義だといっても、やはり「我見」の謗法の入り口に立つことになるのでしょう。
 

検索機能を使おう!

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2017年 2月18日(土)11時39分54秒
  ★★師弟不二ARCHIVE★★
http://sgi-shiteifuni.com/

検索機能があります♪

→「54年」 または 「漢字で五十四年」 「4.24」

のキーワードを入力して検索してみてね。
 

お礼-蘭夢様

 投稿者:  投稿日:2017年 2月18日(土)11時27分31秒
  生命論からの考察ありがとうございました。
私も体感できるまで、唱題し対話して参ります。
今後とも宜しくお願い致します。
 

随筆 新・人間革命147 先駆の港・横浜

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 2月18日(土)11時05分2秒
  進め!波越え 希望の海へ
師弟の心は いかなる嵐にも不動

 一九七九年(昭和五十四年)の五月三日、木曜日であった。
 私は、会長の”辞任式”となった、創価大学の中央体育館での本部総会を終えて、まっすぐに、横浜の神奈川文化会館に走った。
 そして、この訪問では、文化会館の八階より、海を見つめたり、山下公園を見つめながら、さまざまなことを思索した。
 彼方の静かな青い海には、白波をあげながら、何隻かの船舶が行き来していた。
 空は、五月の太陽が眩しいほど輝いていた。
 何人かの同志が、笑顔で、私を迎えてくれた。気さくに、いろいろなことを語り合った。
 皆、大切な私の同志である。いな、弟子であるといってよいだろう。
 記念に一緒に写真を撮ろうと言って、文化会館の脇の階段を使って、笑いながら撮影したことも、思い出の一つである。
 この折り、開港百二十周年の横浜では、”みなと祭り”の大パレードなどが、文化会館前の大通りで行われた。
 妻が、「あなたの歓迎をしてくれているわ。すばらしい行事ね。お祝いになったわね」と笑って言ったことも、懐かしい。
 ともあれ、私の胸中は、一段と深い決意を刻み、高鳴っていた。それは、誰もわからなかったにちがいない。
 毛筆で「正義」と認め、わが魂魄をとどめたのも、この時の訪問であった。
 戸田先生が、「君は、世界に行くんだ! 狭い日本でなくして、世界に大いに羽ばたいて、一生を終われ!」と言われた、世界広布の使命への厳命の言葉が、耳朶から離れない。
 恩師は、二十五歳の私に、こう詠んでくださった。
 大鵬の  空をぞ かける  姿して
       千代の命を  くらしてぞあれ

 私には、情けない宗門の見苦しい嫉妬も、反逆者たちの陰険な悪口罵詈も、そして、あらゆる非難も覚悟の上であったがゆえに、永き未来に対して、いささかも動揺などなかった。
 妻も、いつもと少しも変わらぬ笑顔であった。会長辞任という重大な事件に対しても、まったく眼中にないように、春風そのものの微笑みであった。
 私のことを、一番、知悉している妻は、今回の事件がいかなる暗い策謀であったかは、十分に知っていたのである。
 共に海を見つめながら、将来への世界広布を展望した。
 恩師から最も可愛がられた二人、最も信頼された二人、最も頼りにされた夫婦であったことを、最大の自負としていたのである。その事実は、十方の仏菩薩が照覧のことである。
 これが仏法の法理だ。
 二人して、にこやかに、大いに広宣流布のために、学会のために働こうと、目と目で合図し合っていた。
 「いつも変わらぬ心、いつも変わらぬ使命、いつも変わらぬ決心、いつも変わらぬ人生。これほど尊く、偉大なものはない」。これは、ある哲学者の言葉である。

 文化会館の八階から、山下公園の全体がよく見える。
 若い人が動いている。若いカップルが、楽しそうに歩いている。
 老いたる人も、ベンチに座って思索している。そして、中年の紳士たちも、タバコを吸いながら、何かを考え、語り合っていた。
 賢そうな人も、寂しそうな人も、悲しそうな人も、質素な身なりの人も、親子連れも、少年少女たちも、皆、それぞれの魂をもって、動いていた。
 人生は、さまざまである。だから楽しい。
 窓辺に立っていた私たち二人を見つけたのであろう。
 山下公園から、婦人の方々が手を振ってくれた。七、八人の婦人は、ハンカチを振っていた。
 あちらにも、こちらにも、学会員の姿があったのである。
 私と妻は、手を挙げて合図をした。それを、とても喜んでくださっている笑顔が、まばゆく見えた。
 妻が何を思い出したのか、「小学校時代の先生の名前を覚えていますか?」と突然、聞いてきた。
 それは、自分の小学校時代の先生に似た人を、山下公園で見かけた衝動からの反応であったようだ。
 私は、即座に答えた。
 「一年生は手島先生、二年生は日置先生。どちらも女性の先生だった。
 三年生、四年生は、竹内欽吾先生、そして五年生、六年生は、檜山浩平先生だよ」
 「よく覚えてますね」と、妻は感心していた。
 妻は、学校の成績が大変に良かったようで、私の成績を追及するのかと思ったが、その質問ではなかった。

 五月五日の午後、地元の学会員の方が、自分の船で湾を一周してくれるというので、三十分ほど、乗せていただいた。
 その「二十一世紀号」という船で、種々、雑談をしながら、海から見た神奈川文化会館のすばらしさに、皆が感動した。私は嬉しかった。
 案内してくださった、この親子の方も、今もお元気で活躍されている。

 私が初めて横浜での会合に出席したのは、一九四九年(昭和二十四年)であった。
 鶴見区内で行われた座談会に、確か、新来の友も五人来ておられ、全員が入会を決意されたと記憶している。
 以来五十余年。私は、幾度となく、この進取の気性と活気に満ちた港・横浜に走った。
 一回また一回の小さな会合が、そして一軒また一軒の地道な家庭指導が、いかに広宣流布に確実につながっていくかを、思い知らされた修行であった。
 ここに一切がある。これが同志の幸福の道であり、世界に広がりゆく広布の道だ。
 華やかな大会合や、賑やかな大結集の姿の前で、偉そうに指導していることが、真実の広宣流布の深い一歩といえない場合もある。
 人気取りの幹部の挨拶など、口のうまい政治家の話と同じで、御仏智にかなっていないこともあるからだ。
 思い起こせば、戸田先生が、私たち青年門下に対して、不滅の「原水爆禁止宣言」を叫ばれたのも、横浜・神奈川区にある三ツ沢の競技場であった。
 あの時、先生は、「いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい!」と鋭く叫ばれた。絶対に忘れることのできない、厳しき遺訓である。
 その遺言の通り、私は、先生の平和思想を、堂々と全世界に訴え続けてきた。
 師の教えを必ず実行する――それが、真の弟子の道であるからだ。
 戸田先生が打ち込んでくださった平和の熱き信念は、二十一世紀という新時代を迎えて、いよいよ偉大なる光を放ち始めたと、私は確信する。

 会長を辞任する直前の四月二十日、私は、旭区にお住まいの功労者のお宅を訪問した。ご主人が病床に伏しておられると耳にしたからであった。
 若き日に、私が、師匠の命により、文京の支部長代理として派遣された時、その方は、保土ヶ谷地区の、栄えある初代地区部長であった。
 「東海道五十三次」の宿場で有名な、この保土ヶ谷の地名もまた、私には懐かしき思いが多い。
 一九五四年(昭和二十九年)の七月、私は保土ヶ谷地区に走った。
 地区拠点は金沢文庫に移っていたが、意気高く二百人の友が参加し、大賑わいの座談会であった。
 ――そんな思い出を胸に抱きながら、私は、そのお宅にお見舞いに伺ったのである。
 私は、心に誓っていた。
 ”何があろうと、いかなる立場になろうと、私は尊き学会員を励まし続ける! 庶民と共にどこまでも歩み続ける!”

 神奈川の同志は、大場好孝副会長を中心に、二十余年の激しき波濤を乗り越え、勝ち越えてきた。
 正義に立て! 横浜よ!
 獅子と立て! 神奈川よ!
 と、私は今再び、叫びたい。
 もう大神奈川は、「日本一」といってよいほどの、広宣流布の大陣地になっていることを、私たちは誉め讃えたい。

2000年5月5日(金)掲載
 

おてもやんさんへ

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 2月18日(土)10時58分30秒
  投稿者:おてもやん  投稿日:2017年 2月18日(土)05時55分52秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64640


おはようございます。 回答ありがとうございました。

まず、勤行の短縮についてですが、創価学会の公式発表によれば

「池田第三代会長の就任以来、世界広宣流布が大きく進展し、
現在、世界190カ国・地域にSGIの同志が活躍している。
広宣流布のために真剣に戦う各国の同志からは、各国の弘教を更に進展
させていくために必要な措置として、五座三座よりも簡潔な勤行形式の
正式な採用を要望する声が多く寄せられてきた。

そこでSGIでは、従来から会館等で用いられていた『方便品・自我偈の読誦と唱題』
による勤行を海外における入会基準としていくことを認めるなどの暫定的な措置を
とった後、昨年9月には、SGI常任理事会並びに理事会での検討・決定に基づき、
『方便品・自我偈の読誦と唱題』による勤行を海外における勤行として認定した。
この一年間、SGI各国の同志からは多くの喜びの声が寄せられてきている。

この間、日本においても、本格的な世界広宣流布の時代の到来という『時』のうえから、
『方便品・自我偈の読誦と唱題』による勤行について正式な制定を要望する声が
強く寄せられた。そこで、師範会議、総務会で慎重に審議したうえで、『方便品・自我偈
の読誦と唱題』による勤行を創価学会の正式な勤行として制定することになった」
(2004年(平成16年)9月10日付聖教新聞)

とあります。さらに

「勤行・唱題の意義ですが、御書やさまざまな文献資料を見ると、
大聖人も日興も御在世中、方便品・寿量品を読誦され、勤行していたことが
記録に残っています。

在家門下の修行の中心は唱題行であったようですが、大聖人は場合によっては
方便品と寿量品の読誦による勤行を勧められています。

ただし、方便品と寿量品の読誦といっても、大聖人の在世には、当然ですが、
まだ五座三座の形式はなく、また、どこからどこまでを読誦すべきかを定めた
定型があったわけではありません。

御書によれば、ある時は門下に方便品の長行と寿量品の長行の読誦を勧め、
ある時は方便品の十如是までと寿量品の自我偈の読誦を勧めるなど、

相手と時と場合に応じた種々の例を拝することができます。

御書には
「自我偈少少よみ奉り」(915㌻)
「正行には唯南無妙法蓮華経なり」(1367㌻)

とあるように、根本は題目にあることは言うまでもありません。

だから、題目だけでも、五座三座の勤行も、短縮した勤行も
大聖人の仏法における勤行の本義と目的が欠けるところなく具わっている。

これらを踏まえたうえで、創価学会は
「方便品・自我偈の読誦と唱題」をもって、正式の勤行として実践していく
ことを定めたのです。

なお、参考までに
五座三座の勤行形式は、上記にもありますが、大聖人・日興の時代にはありません。
後世に大石寺で伽藍が整うにつれて、本堂・御影堂・天壇・客殿・六壺といった
堂をめぐりながら、僧侶が勤行を行うようになっていきました。

そして大聖人滅後、400年ほど経た江戸時代(17世紀から18世紀初め頃)に、
それまで五つの場所を回って行われていた朝の勤行(丑寅勤行)を一括して
一か所で行うようになり、やがて五座三座の形式として整備され、当初は
僧侶の修行として、やがては儀式として形式化されて行われてきたのです。

それを戸田先生の時代に、単なる儀式としてではなく、一生成仏と広宣流布
という先に述べた勤行の本義の上から仏道修行として捉え、実践してきたのです(趣意)」(同)

とあります。これが創価学会の公式見解です。

あなたのいう「池田先生がそのことに関与してたか否か」などは、枝葉の議論です。

ここ(宿坊板)は、学校ではありません。
あとは、あなたが池田先生の思想を学び、御書を学び抜いて

上記の公式見解が「正しいか、正しくないのか」自身で答えを出すべきではないでしょうか。

次に

>民音など数々のノルマ主義の指導に私に私の父がどう答えたかというグリグリ様の興味についてお答えします

あなたとご両親の会話を読んでいて、二つの感想があります。

一つは「あなたのご両親は、なんて素直で健気なのだろうか、すばらしい」です。
もう一つは「あなたのご両親はなんて無智な人なのだろう。かわいそう・・・・」です。

>成果主義、ノルマ主義の学会の末端の現場はこんな感じでした

どこの地域でもそうだと思います。グリグリの地域でもそうです。

しかし、成果主義・ノルマ主義などという仏道修行は、三代会長や日蓮大聖人の「思想・指導」にはありません。

それは、あなたが真剣に学べは分かることです。
自分で努力して自分で学んで「答え」を出してください。

そうやって努力してつかんだモノには、確信が持てるものです。

親のせいでもなければ、学会のせいでもありません。

ところで、あなたは

「学会に籍はあるが、活動や信心はしていない」ということですか ?

それとも「学会自体を退会した」ということですか ?

よろしくお願いします。
 

広宣流布は、どこまでいっても結局は御本尊の仕事である

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 2月18日(土)10時42分37秒
  広宣流布は、どこまでいっても結局は御本尊の仕事である

この戸田先生の言葉について
少しだけ生命論の観点から考えてみたい。

まず、御本尊とは何であろうか
各家庭の仏壇に御安置している曼荼羅。

それは仏界の生命を顕したと説明されている

また、御書や先生の指導を学んでいけば
御本尊とは、外にあるものではなく、我々凡夫の胸中にあり
これを開けば元品の法性となって仏となり
これに迷って、わからないのが凡夫であり、その智慧なきを無明という
つまり元品の無明。

さて、禅問答のような話であるが紐解く鍵を考えてみよう。


「広宣流布は、いつするのかな」

聞かれた彼は、しばし考えて答えた
「広宣流布は、学会の100周年には、頑張ります」

再度聞く
「広宣流布は、いつするのかな」

彼は、うーんと唸りながら、はっと気づき
「広宣流布は、先生の師匠の生きているうちに・・・」

言葉をさえぎって再度聞く
「広宣流布は、いつするのかな」

追い詰められた彼は
「広宣流布は、いっ、今、します」

「ほほぅ、今、なんだ。それは、君がするのかい」

さらに追い詰められた彼は

「あの、その、みんなで、僕ひとりでは、その」

「よくわからないな、広宣流布は誰がするのかい」

彼の額に汗が噴き出してきた
「せっ先生がぁ、じゃなくて、あの、その、ぼ、僕が、します」

「声が小さくて、よく聞こえなかった。誰がすると言ったのかね」

酸欠の金魚のようにパクパクしながら、彼は答えた

「僕がします」

「できるのかい」

彼は石のように硬直した

「どっ努力します」

「努力したら、できるものなのかい、それは、努力したら、いつかできるものなのかい」


さて、何を求められているんだろうか、どういう答えが正解なのだろうか

ここで改めて
「広宣流布は、どこまでいっても結局は御本尊の仕事である」
と言われた真意を考えてみよう。
たぶん、少し捉え方が変わったんではなかろうか、何か気づくものはないか

広宣流布とは地涌の菩薩の仕事でもあるという。

では、地涌の菩薩の広宣流布の仕事は、いつ終わるのか、終わりがないのか

菩薩と仏。

菩薩は、簡単に言えば、苦しんでいる人を救いたいという生命だ。
であるが故に、菩薩の悩みとは、人を救おうとして悩む。

その悩みは、実に尽きることはない。境涯が上がれば上がるほど、見える世界は果てしなく広がり
果ては、時間を超え、過去の苦しむ人々、未来の苦しむ人々を感じ、それを救いたいと願い
その悩みは、無限に深く広がり、それは永久に仏にはなれないことを示唆する。

それは、言葉を変えれば、「広宣流布は永久にできない」ということを示唆する

だから、「広宣流布とは、いつするのか」
その答えは、
「広宣流布とは、いつするのか、ではなく、すでに、その瞬間、すでに広宣流布はされていたんだと気づくこと」

言葉だと、さらりと言えるが、これって悟りなので難しいのかも。
考えるのではなく、感得するものだから

御本尊と境智冥合して、仏界を開く。菩薩ではなく仏界を
人々を救う悩みを抱える菩薩の生命、その悩みを解決してこその仏
つまり、仏とは、「広宣流布しきったとかんじられなければ、仏になれない、菩薩のままだということ」

だから、生命の実相に迫り、
既に、広宣流布はされていたんだと生命で感じた、その瞬間が仏ともいえる。

何も変わらないありのまま、そのままで仏とは、そういうこと。

何かが変わるというものではない、凡夫そのままで、ただ、気づくだけ
されど、その違いこそが、すべてでもある。

何かの気づきなればと、少し生命論の観点から、投稿させていただきました。
 

Re:賢人  ジョーカー様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 2月18日(土)10時15分58秒
  >憎悪や怒りは感情モードなので、それを基にした言動では、人の心を動かすことは難しい。実に対話というものは、理性モードと理性モードの間よって成り立つものです。<

ご返信頂きまして、誠にありがとうございました。
まさに仰るとおりです。

54年問題を知らない会員に語る時の注意点が御座います。
それは、54年問題を知らない会員は、執行部に対し憎しみも怒りも持っていないという事です。
そのため、語る側が憎しみと怒りの感情を前面に出しても、かえって拒否反応を起こしてしまいます。

そのため、ジョーカー様の仰るように「理性的」に対話をしています。
54年問題の事実を正しく知る事が大切です。
「随筆 桜の城」や、秋谷氏の「五月三日へ私の誓い」などを読んで頂いています。
事実を知った会員は、今の新・人間革命を読むと「内容が変です」「内容がおかしい」と言ってくるようになるのです。

>無血革命(会員を苦しめない)は、理性モードによって成し遂げられる。感情モードは戦争を巻き起こし、疲弊させる。理性モードの対話による無血革命こそが、創価学会変革の道です。<

仰るように「会員を苦しめない」事が大切です。
会員は守るべき人だからです。この点を踏み外せば、執行部と同じになってしまいます。

創価三代の精神を受け継いでゆけるよう、現場会員の再折伏をしています。
目的は、池田先生を永遠の師匠とした、正しい信心を継承するためです。
正しい信心を継承できなければ、最終的に会員が不幸になってしまうからです。
どこまでも、池田先生を守りきり、会員の幸福のために対話を続けてまいります。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/64598
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、「新・人間革命」6000回の掲載、おめでとうございま~す

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 2月18日(土)09時47分31秒
  おはようございます。原田怪鳥様、あいも変わらず、都内の座談会への御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

少しは都内を離れ、地方の座談会へ、御出席されたらいかがですか~(笑)都内に範囲を絞る理由は何でしょうか~(笑)

地方においても、座談会は毎月開催されていま~す、ゼヒ怪鳥様の御尊顔を仰げば、皆喜んで、東京に飛んでいくんじゃないデスか~(笑)


それはともあれ、「新・人間革命」6000回、おめでとうございま~す。

反面、非常に残念で~す。
>広布を永遠ならしめるために、真実の師弟の道を示す<
(2月18日政教珍聞3面より引用)

確かに、師匠が御健在の時は、この想いで、師匠は綴られていたと思います。しかし、印象操作にひた走る今の「人革」にはガッカリで~す。

>皆”山本先生は宗門の学会攻撃を収めるために、一切の責任を背負って辞任された”と思った<
(新・人間革命、大山四十より引用)

皆、そんなこと思ってませ~ん。「勇退」ではないとか、「納得しかねるのだ」どころではありませ~ん。それ以前の問題で~す。

小生も当時のことを思い出しても、「何故、先生が辞めねばならないんだ」という怒りの声が満載でしたよ~。

怒りの声と同時に、辞任が決定された今となっては、一会員である自分には覆す力が無い、師匠を守れなかった自分はなんて非力なんだ

という、あちらこちらで怒りと後悔と慚愧の想いが感じられた記憶がありま~す。

「小説」だからナニを書いてもいいというものではありませ~ん(怒)

もう一点、「真実の師弟の道を示す」ならば「難」を示さねばなりませんが、それがナニもない・・・

表面だけの上っ面で、印象操作にひた走る「珍・人間革命」・・記念すべき6000回の掲載がこんな印象操作となったのは残念で~す。(呆)
 

6000回目の言い訳

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 2月18日(土)08時06分21秒
  第一の理由 19年という長い在任期間のため、体の限界も感じている。
→ 私は、八王子の創価大学で『会長辞任の本部総会』を終えた後、学会本部へは戻らずに、そのまま神奈川文化会館へと向かった。
 当時、学会は隆々たる発展を遂げていた。
 いわば「絶頂期」である、これからが本当の総仕上げという大事な時期であった。
 その時に、非道な迫害の嵐の中で、第3代会長を辞めざるを得なくなったのである。(2009-4-14 【全国代表者協議会】幹のご発言)

第二の理由 機構改革 → 和泉覚総務会議長、秋谷栄之助中央会議議長、辻武寿師範会議議長、小泉隆参事会議長(議長職を増やしただけ)

第三の理由 多くの執筆活動も進めていきたい → 宗門に指導は禁止されたのではないですか。
(引用)それは、会長を退任して一年余りが過ぎた、昭和55年の夏のことである。
私は、小説「人間革命」の第11巻の執筆を再開した。一生涯、どういう立場であれ、学会の正義を書いて、書いて、書きまくって、会員の方々に学会の仏法と正義を知っていただきたかったからである。(2004年3月12日人間世紀の光より)
 

お礼-ジョーカー様

 投稿者:  投稿日:2017年 2月18日(土)08時02分18秒
  お忙しい中ご返事を頂きまして、ありがとうございました。
全てが理解できておりませんが、お題目をあげ対話を重ねつつ思索して参ります。
また、新たなる気付きを頂きました。ありがとうございます。
今後とも宜しくお願い致します。
 

わが友に贈る 2017年2月18日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 2月18日(土)07時15分42秒
  今日の課題に勝て!
今日の自分に勝て!
この信心即生活の
たゆみなき挑戦の中に
偉大な未来は築かれる!
 

六難九易の客観的原理

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 2月18日(土)06時53分52秒
   おはようございます。
 ちょっと、ハードタッチになのかも知れませが……。
 かつて池田先生は、学生部の代表に「六難九易(ろくなん くい)の客観的原理」という話をされたことがあります。
 原田会長なんかは、この講義を直接聞いた人ではないのでしょうか。私は、先輩から聞きました。確か、小冊子にもなりました。

 「六難九易」とは、法華経見宝塔品大十一に説かれる六つの難しいことと、九つの易(やさ)しいことです。
 細かく言うと、それこそ難しくなりますから、簡潔にいきましょう。

 「六難」は、仏滅後の悪世に、法華経を説くことが難しい「広説此経難」、法華経を書き、あるいは人に書かせることが難しい「書持此経難」、法華経を少しでも読むことが難しい「暫読此経難」、法華経を一人のために説くことが難しい「少説此経難」、法華経を聴き受けることが難しい「聴受此経難」、法華経を受持することが難しい「受持此経難」――六つです。
 どれも、比較的容易であるように見受けられるところがポイントです。

 そして、「九易」とは、法華経以外の無数の経を説くことが易しいとする①「余経説法易」、須弥山をとって他方の無数の仏土に擲(な)げ置く②「須弥擲置(やくち)易」、足の指で大千世界を遠くに擲(な)げる③「世界足擲易」、有頂天に立って無量の余経を説法する④「有頂説法易」、手に虚空を把(と)って遊行する⑤「把空遊行易」、大地を足の爪の甲に置いて梵天に昇る⑥「足地昇天易」、枯れ草を背負って大火に入っても焼けない⑦「大火不焼易」、八万四千の法門を演説して聴者に六通を得させる⑧「広説得通易」、無数の衆生に六神通備える阿羅漢位得させる⑨「大衆羅漢易」――の九つです。
 こちらは逆に、どれも常人にはとても出来そうもないことで、それを「易」としているところがミソです。

 この「客観的原理」ですから、この娑婆は「万人成仏」を説く法華経を弘めさせまい、聞かせまいとする邪悪な“原理”が働いている、常時ある、ということになります。

 簡潔にいきましょう。嫉妬です。邪念です。上慢・我慢・無慚の「三失心」です。内・外に“渦巻く”この三失心、突き詰めれば他を自分の思い通りに動かそうとする“第六天の魔王”こそ、その“客観的原理”の正体なのではないでしょうか。

 なるほど、小樽問答では、確信の司会により身延の邪念をそぎ取りました。しかし、手を変え、品を変え、正面から戦うことを避け、既存の勢力と手を組み、「もの言う」創価学会を亡き者にしようというのが、現下の状況だと俯瞰できます。欧州でカルト教団とのレッテルを張られてしまったのも、そうした“創価学会包囲網”のなせるわざだと観ることもできます。既存勢力が、目障りなものを排除しようと、手ぐすねを引いているのに、呑気に構えているからそうなるわけです。

 根本的にその戦略を間違えた、といっていいのではないでしょうか。いや、戦略ではなく、大聖人仏法の精神、池田思想の放棄だといえます。権力になびいて、いっときは、いいように見えても、根こそぎにやられてしまうのは、もう目に見えています。

 「日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり、天台・伝教の跡をしのぶゆへなり、彼の人人は天台・伝教に帰せさせ給はずば謗法の失脱れさせ給うべしや、当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし、大海の主となれば諸の河神・皆したがう須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし」(御書223㌻)
 と仰せです。


 

勤行が化儀で短くなった件

 投稿者:おてもやん  投稿日:2017年 2月18日(土)06時37分5秒
  ★螺髪様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64624
はじめまして、そしてありがとございます!
14誹謗には、「浅深あるべし」「上中下雑の謗法あり」という池田先生の指導があったわけですね。
私も古い書籍をわずかですが持っているので、自分でも探してみなくては。(反省)
ただ、螺髪 様の
"「勤行」は、「行」ではありますが、むしろ「信」と捉えた方がいいというのが最近の私の実感です。"
という感想は螺髪様個人の感想という事で解釈いたします。


★一人のSGI 様
重ね重ね恐縮です。それからこちらこそこんな板に出入りできる身ではないのに、誠実に対応していただいて恐縮しています。ありがとうございます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/64616
>私が[化義]と言ったのは、あくまでも「読経の形式の部分」はその意義を踏まえるなら、
>時代にあった変え方もありではないかという意味です。

「時代にあって変わる程度の形式」が五座三座の勤行だったという認識で間違っていませんでしょうか。

>おてもやんさんは勤行の短縮に関しては賛成の立場で書かれていますが、もしそうならどうして
>誰が変更したかなどを知りたいのかな、、と不思議に思いました。

もちろんあんな苦行は短いに越したことはないのですが、なにしろ在家だろうが私は出家したのと同じくらいの信心をしようと思っていたので、勤行が短くなって素直に「やったーー!」と喜ぶことはむしろ恥ずかしいことだと感じていました。
ところがこちらで伺うとどうやら、「時代にあわせて変えても良い形式的なもの」であった・・・
じゃあ、風邪で寝ていても布団の中で勤行をしたり、修学旅行に行く前に三日分の勤行をさせられたのはなんだったのか?と。正直なところ「おいおいおいおい、今までの私の30年間の苦行は、やらんでもよかったことをさせられてきたのか?」というのが感想です。でも、ただの感想なので笑って流してください。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/64634

>勤行の短縮の件は、かなりの数の上層幹部で協議し、全員の署名でもって決議したのを大百でみた覚えがありますよ。

その上層幹部の協議の席には池田名誉会長はいらっしゃったのでしょうか。
ここからは、単純な事実確認です。
というのも、この掲示板を見ていると、54年問題やら現本部体制への疑心暗鬼や批判が多い。
どこからどこまで学会が打ち出した教義変更で池田名誉会長の本意に沿っていたのかいなかったのかの線引きがわからないのです。
私がここまで教義の変更が気になるのは学会指導の賜物でして、何百年も続いた宗教は、一滴の汚れが混ざってもいけない!と教わってきたからです。
池田名誉会長も、本尊や教義がコロコロ変わる他の新興宗教を指して「宗教的誠実さがない」と批判していました。
その指導をそのまま新興宗教を信心していた友人らにぶつけてきてしまったので、正直言うと私の立場がありません。

>僧俗和合の名残りと、長年続いた儀式をそう簡単には変える訳にはいかなかったのだとはと思います。

思うに、そもそも日蓮正宗創価学会という形が良くなかったのではないでしょうか。
「時代にあわせて変わる教義もある」それが価値創造であるから「創価学会」という名前だと思いますから、日蓮正宗の看板は掲げず、1つの新興宗教として立ち上げておけばよろしかったかもしれませんね。
当時は、「創価学会は750年も続いた信仰だ、そこらの新興宗教とは違う」と言って折伏せよと言われてました。
こういう事実もあるので、創価は日蓮正宗の750年続いた既成仏教という看板を利用したと言われても仕方がないような。

>御観念文をかえたのは、わたしは同意はできませんが。

私は今の御観念文がどう変化したのかを知りませんが、「創価学会仏」とかいう言葉を耳にします。
何か新しい本尊を作られたのでしょうか?
小樽問答では散々身延派を「大御本尊がない」ということでボコボコに叩きのめしていた創価学会なので、いくら時代に合わせて・・・でも、「創価学会仏」とかどうなんだろう?と思っているところです。

長くなりましたが、こちらこそ淡々と書いていて、論調が冷たくなってないか気にしています。
(^_^)実際はこんな顔でにこやかに書いておりますので、どうぞご容赦ください・・・

 

おはようございます。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2017年 2月18日(土)06時14分46秒
  一人のSGI様、赤胴様ありがとうございます。  

大仏のグリグリのとこ様

 投稿者:おてもやん  投稿日:2017年 2月18日(土)05時55分52秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/64611

おはようございます!そして初めまして!大仏のグリグリのとこ様(^_^)
最初こちらでとても誠実な対応をしていただいのでついつい長居をしていますおてもやんです。

「誰の判断と決定で勤行が短縮されたか?という点」
ここ(宿坊掲示板)では、なにやら聖教新聞が池田大作名誉会長の意と反しているとか、原田怪鳥が~・・・とか、人間革命が誰かの代筆だという話になっているようなので、もしかして「勤行が短くなったのも池田名誉会長の意と反していたのかな?」と素朴な疑問を持ったのです。
それで池田大作名誉会長も大賛成で勤行は化儀だから短くしても良いだろうとしたと認識を確かにするにも、「想像」ではなく「事実確認」がしたいのです。歴史が想像で作り上げれては学問にはなりませんからね。

次に民音など数々のノルマ主義の指導に私に私の父がどう答えたかというグリグリ様の興味についてお答えします(^_^;)
言っていいのかな。

私「なんで聖教新聞5部もとるの?」
父「わしの稼いだ金だ、どうしようと勝手じゃ!」

私「えー?この民音のクラシックチケット2万もするの?」
父「誰も買わんから、わしが買った」
私「ラッキー」(当時の私はクラシックファンだったので喜んではいた)
父「民音も統監も、誰もなり手がおらん・・・・はぁあ・・・(ため息)」
私「・・・・・。ねえ母さん、民音って誰も買わないとうちが買うことになってるの?」
母「・・・そうだよ・・」(悲しげでした)


父「金が無いんじゃ、貸してくれんかの?」
私「貸してあげてもいいけど・・・・」
父「貸して‥・・くれるんかの?」
私「あげるんじゃなくて、あとで返してよ????」
父「な~んだ・・」
私「信心でなんとかしなさいよ」
父「はぁ・・母さんが財務にみ~んなつぎ込んじゃってしまったからのぉ・・・」
私「衣食住に困らん信心って言ってたじゃん」

成果主義、ノルマ主義の学会の末端の現場はこんな感じでした(^_^)

 

さすが大聖人様というべきか

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 2月18日(土)05時54分55秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/64601

>法華経の行者を迫害した個人や団体は、必ず滅ぶ――とは、日蓮大聖人の言。<

さすが大聖人様というか、僕のリアルでは見事にその状況が起こってます。
普段から福運を食い潰して、その場所に留まれぬほど福運をなくして「自分で自分を流罪」してしまってる人が過去にたくさんいたし、中にはウチから他へ移った後に命まで失った人まで複数人いますよ。

実をいうと、今も起こってます。
僕へだけでなく、他にもたくさんの人を利己目的に利用しようとしてきた人が、「頭破作七分」というのか、支離滅裂な態度と言動となっていて、おそらく他へ移動しそうな感じ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

誰か私を呼んだ? さんへ。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 2月18日(土)03時26分57秒
  誰か私を呼んだ? さんへ。

日妙聖人御書 P1216
男子女人其の性本より別れたり火はあたたかに水はつめたし海人は魚をとるにたくみなり山人は
鹿をとるにかしこし、女人は物をそねむにかしこしとこそ経文にはあかされて候へ

この御文は、男と女の性分が違うことを教えられて、例として海人と山人(やまかつ)?を引かれ
たところです。
仕事としての海人と、身分としての海人とは、解釈が少し違うと思います。

このブログは、このような、教学を論じる場ではありませんから、これで終わります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御義口伝講義録より、データは赤鬼氏より・・・氏へ感謝です。
普門品五箇の大事 第四二求両願の事 0777
竜女は愚癡であり、提婆は怨嫉である。竜女の成仏は色法の成仏であり、提婆の成仏は心法の成仏と
いえるのであろう。
 かつて、戸田前会長は「竜女は女のヤキモチ、提婆は男のヤキモチである」と申されたが、まさに
そのとおりである。女の嫉妬は、顔だちや着物や、持ち物等に関することが多い。男の嫉妬は、才能
や智慧、力に関することが大部分である。関心の的の違いともいえる。

 謗法の人は、所詮、竜女であり、提婆である。一見、仲のよい友だち同士も、心の底では、互いに
妬み合い、憎しみ合っている例は、実に多い。五濁悪世の習いともいえよう。

 しかも、それは個人と個人の間にとどまらず、企業間同士においても、国家間においてすら、憎しみ
の炎を燃え上がらせ、激しい闘諍の姿を露呈している。
・・・・・・・・・・
現執行部や北条、山崎、山友等は、先生の才能や智慧に嫉妬して、大学も出ていないと侮辱して54年
会長職より引きずりおろしたことを、決して忘れてはいけません。

五濁悪世です、金 正男氏暗殺、韓国大統領からみで、大企業のトップが逮捕されています。
他人ごとではありません、戦争の危機と私は思っています。

私たちは、ご本尊様を持っていますから、恐れることはありません、火を噴くような祈りで平和な世界を
築きましょう。
祈れば仏国土です、祈れば我此土安穏です。

 

勤行の短縮について

 投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2017年 2月18日(土)02時58分56秒
編集済
  ご参考までに
http://www.nichiren.com/nkt/122.html

また、そこに引用されている日寛上人の「報福原式治状」には、仕事に行く日は、方便自我偈でも三唱でも良いと書かれています。
 

再・追加情報有り 【新・人間革命30巻 大山の章】と【先生直筆の随筆】との比較

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 2月18日(土)02時52分26秒
編集済
  【新・人間革命30巻 大山の章】と先生直筆の随筆との比較

先生の書かれた随筆を読み直してみると、54年問題とは師と弟子の問題であることがはっきりと分かります。

正義の旗様の54年問題についての投稿(プロジェクトX様の再掲)
も併せて読むと、当時の最高幹部が池田先生を追放し保身に走ったことは明確です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【随筆 新・人間革命 80 昭和54年5月3日 獅子となりて 我は一人征く】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64487

【随筆 新・人間革命 嵐の「4・24」 (1999年4月27日)】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64486

【随筆 人間世紀の光2 創立80周年へ創価の上げ潮 (2004年9月3日)】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64591


《大仏のグリグリのとこ》
>>新・人間革命30巻「大山の章」もまだ途中ですが、ここで今までのところまでを山友裁判対策で学会の法務局が作成した「総合経過年表」と比較していきましょう。<<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64319

《正義の旗》
【54年①】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64470

【54年②】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64471

【54年③】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64473

【54年④】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64474

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*ご参考:虹と創価家族様の投稿より
【今の新・人間革命は54年当時を繰り返しています】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64596

【昭和54年(1979年)4月26日(木)聖教新聞2面、3面より 】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64595


※執行部の罪について
【保存用文証】「五月三日へ私の誓い」会長 秋谷栄之助
http://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/58665

※当時の執行部の実名
【保存用文証】聖教新聞から抜粋した54年問題の真実
http://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/58664

 

寝たきりオジサンさま、愉快な仲間達さま、有難うございます

 投稿者:リボンの騎士  投稿日:2017年 2月18日(土)01時39分13秒
編集済
  唱題会、何があっても継続することに挑戦していきますね!  

再び、おてもやん様へ

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 2月18日(土)00時51分9秒
  おてもやん様

質問をお借りして長々と14誹謗のことを書きまして失礼しました。
先ほどの投稿も口調がきつくなってしまってどうもすみません。
私の説明が足りなかったのでしょう。

勤行の短縮の件は、かなりの数の上層幹部で協議し、全員の署名でもって決議したのを大百でみた
覚えがありますよ。変更した年がわかれば、調べられると思います。謝罪に関しては分かりませんが、、。
もっと早く変えて欲しかったと腹も立つ、とありましたが、僧俗和合の名残りと、長年続いた儀式をそう簡単には変える訳にはいかなかったのだとはと思います。
最も、御観念文をかえたのは、わたしは同意はできませんが。

私が遺憾に思うのは、逆に、変えているもの(基礎教義)を、長い間、変えてないふりをしている事です。
これは、信仰の根幹にかかわる事ですから、メンバーへの考慮という大義名分は立てられないでしょう。

いずれにしても、秘密裏にいろいろ事を運んでいる様ですが、会員の意見を反映する機構がないのが残念です。

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 2月17日(金)23時45分13秒
  今晩は、皆様
ありがとうございまし
春一番が吹きました
毎日
顔が変わる位、真剣に題目を唱えて行こう
思います
おやすみなさい
 

同盟題目23時より開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 2月17日(金)22時57分57秒
  よろしくお願い致します。一切を開いていくのは題目をあげることです。  

御本尊の仕事

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年 2月17日(金)22時56分33秒
  桜様
>突然で誠に申し訳ありませんが、ジョーカー様に質問があり投稿させて頂きました。

ジョーカー様が仰った「なぜならば、どこまでいっても広宣流布は御本尊の仕事だからです。」と言うところです。
広宣流布は地湧の菩薩の使命かと思っておりました。
御本尊の仕事との意味を教えて頂けますでしょうか。<

::::::

戸田先生
「広宣流布は、どこまでいっても結局は御本尊の仕事である。 ゆえに、いつ、いかなる場合も、透徹した信心が要請されるのだ。 それで、我々の凡夫の眼も、仏眼の一分となることができる」

元々は、戸田先生の指導の中にある言葉です。その上で、「御本尊の仕事」とはいかなることかを、私なりに解釈させていただきます。日蓮仏法は因果?時の法です。それは、原因と結果が同時の、不可思議な法です。即ち、題目を唱えれ(一念を変革)ば、すべてが変わる(結果が変わる)ということです。自身の一念と仏の一念が合致すれば、とてつもない功徳が生じる。信心とは、題目を唱えることであり、題目に始まり題目に終わる。題目の中で決着が着くが故に、御本尊(南無妙法蓮華経)の仕事となります。

仏法は一切法を包含しています。すべての法則は仏法の範疇にあり、南無妙法蓮華経によって動いている。御本尊には、生命が顕されており、日天・月天・明星天等、宇宙も包含されている。つまり、御本尊の中にすべてが収まっています。また、諸々の諸天善神も南無妙法蓮華経を源とするので、題目を唱えることにより機能する。自分の力でやっているようでも、根底にある南無妙法蓮華経(御本尊)の力が働いている。よって、結局のところは御本尊の仕事となる。

御書に、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(P1360)とあります。大聖人と同じ一念の人が地涌の菩薩であり、広宣流布を成し遂げる使命の人です。「大地を的とするなるべし」(P1360)とあるように、広宣流布は必ずできると御本仏はお約束です。自分が地涌の菩薩として生きると決めた人が、最高に尊貴な人です。その人が、仏(大聖人)に代わって広宣流布を推進するのです。凡夫が如来の事を行ずるからこそ、大功徳があるのです。その人は広宣流布にとって必要なものはすべてそろい、不求自得します。

仏の使いとして御本尊の仕事を行じる人は仏眼が具わり、見えないものがみえるようになります。人材もいないのではなく凡夫の眼には見えないだけです。仏の一念と合致すれば、広宣流布はできるようになっている。そこにズレ(魔)が生じると、人災となって広宣流布(仏の仕事)を妨げる働きとなる。

戸田先生が75万世帯の折伏を宣言したのも、御本尊と境地冥合させたからこそ出た数字(御本尊の仕事)なのでしょう。凡夫の発想では、ありえない数字です。御本尊に南無すれば、自分にしかできない仏の仕事(使命)が見つかります。それをやるかやらないか、決めるのは自分自身です。

 

北朝鮮撲滅の法戦!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 2月17日(金)22時36分5秒
  異母兄を異国で暗殺して恥ない独裁者のいる国、北朝鮮。閉鎖的で独善で傲慢な日顕宗と全く同じだ。国際社会の仏敵を討伐する法戦は米国との集団的自衛権行使による予防戦争の先制攻撃である。我らは銃後の祈り、丑寅の題目で、仏敵を調伏しませう。  

「六」

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 2月17日(金)22時27分48秒
編集済
   そうですね。6000回目です。少し前に気づきました。

 「六」は「具足」の意味です。「妙」の意味でもあります。(御義口伝講義から)。「六即」にも通じます。
 さてさて、きちんと具足させていただけるのでしょうか。


 

私の御祈念項目

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 2月17日(金)22時19分29秒
編集済
  1. 御本尊様、どうか私の目の前に54年問題の真実を聞いてくれる人を現してください。
2. 名誉会長池田先生を守る為の、勇気と力とスピードを100倍、1000倍にしてください。
3. 明日の6000回目の新・人間革命で、54年4月24日について「真実が正しく」書かれますように。
 

池田名誉会長の〔世界との語らい〕

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月17日(金)22時16分37秒
  【第17回】ブラジル・ロンドリーナ大学リジア・ルミナ・プパト前総長

2006年2月4日

女性は太陽その力は無限!
社会に春の勝鬨を告げる

「春の初の御悦び木に花のさくがごとく・山に草の生出ずるがごとし」(御書1
585ページ)最愛の家族に先立たれ、人生の試練の冬を勝ち越えてきた一家に
贈られた御聖訓である。2004年(平成16年)の春、ブラジルから、一人の
女性教育者が希望の香風を運んでくださった。リジア・ルミナ・プパト氏。名門
の誉れ高きパラナ州立ロンドリーナ大学の総長である。「池田会長の『21世紀
は女性の世紀』との提唱に、私は諸手を挙げて賛成します」

満面の笑みに弾ける勇気。毅然とした瞳に光る鋼のような意志。この人は正義の
ために戦ってこられた方だ。人間の尊厳のために戦ってこられた方だ。風雪に耐
え、戦い抜いてきた生命にのみ脈打つ「春」の歓喜の躍動を、私は感じ取った。
「私の学生時代は、軍事政権の真っただ中でした」1964年に軍政が成立して
以来、ブラジルでは言論・思想統制の嵐が吹き荒れた。ロンドリーナ大学も例外
ではなかった。当局は、学生たちの連帯を恐れ、わざと校舎と校舎を遠く離して
建設した。

講義の休憩時間は15分。次の授業を受けるためには、走って移動せねばならな
い。学生たちが話し合い、意見を交換する時間を奪おうとしたのだ。同じころプ
パト氏も、多くの友と、民主化を求めて敢然と立ち上がった。それに対し、牙を
剥き出しにした権力は、“見せしめ”という暴挙に出る。ある日、仲間の一人が
忽然と姿を消してしまったこともあった。苦難と戦ってこそ恐怖の時代は、実に
20年以上続いた。「池田会長を、理不尽にもブラジルに入国させまいとしたの
も、この政権です。

深い深い憤りを感じています」74年、入国ビザが発給されず、私は訪伯を断念
せざるを得なかった。66年の訪問の際にも、行く先々で政治警察の監視の目が
光っていた。プパト氏も、学生を守るために戦い、大学の講師を解雇されたこと
がある。だが卑劣な圧迫の烈風も、正義と信念の炎を吹き消すことはできなかっ
た。むしろ、いやまして燃え上がらせた。“自由と民主主義と人間の尊厳を守る
ため、生涯を捧げるのだ!”御金言に、「冬と春とのさかひには必ず相違する事
あり」「賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)と。人間は、苦難に
鍛えられてこそ光る。

ブラジルの太陽のように晴れやかな氏の笑顔も、困難と戦うなかで輝きを増した
のだ。不正と抑圧に対する戦い――軍事政権から民政に移管した後も、彼女の決
心は微塵も変わらなかった。長く教育労組の活動を続けたが、正義の理想を強力
に具現化していくため、決然と政界に進出された。大学教員を続けながら、パラ
ナ州の州議会議員、ロンドリーナ市の市議会議員を歴任。苦しめられた権力の側
に大胆に分け入って、今度は、その権力を、市民の幸福実現のために正しく行使
させていったのである。

「暴力・差別・偏見――虐げられてきた女性たちを、社会的にも、法律的にも、
精神的にも、あらゆる角度から守りたい」。市議会で女性局の設置を強く訴えた
。熱意が実って、市にブラジル初の「特別女性局」が誕生する。局長には、請わ
れて氏が就任した。はるか歴史を遡れば、古代インドのアソカ大王が、仏教を根
底に福祉政策にも力を入れ、新設したのも、「女性のための奉仕者」と呼ばれる
役職であった。

プパト氏は、常に弱者の視点に立ち、現場を歩きに歩いて、生の声を聞くことか
ら出発した。ドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)に関する法整備や心
のケア。低所得にあえぐ女性のための職業訓練コースの設置等々――。女性なら
ではの、きめこまやかな思いやりと誠実な行動が、放っておけば動脈硬化してし
まう政治に、柔軟さと活力を生んだ。優しさと清潔さを脈動させた。「議員の半
分は女性に!」とは、恩師・戸田城聖先生の先見であった。

真っすぐな正義感と献身性を兼ね備えた女性たちの声を、強く大きく反映させて
いくことこそ、真の民主政治を取り戻す大直道であろう。ともあれ、社会に希望
の春を告げゆく太陽は、女性である。40年ほど前、ブラジルの婦人部の同志に、
私は申し上げた。時代を変えていく真の原動力は、女性の祈りである。生活に根
差した女性の活動である。女性の力は、大地の力である。大地が動けば、すべて
は変わる。権威の王城など簡単に崩れ、不動のように見えた山をも動かしてしま
う。その力は無限だ。そこに不可能はない――と。

母は言動で模範を

平和と文化と教育、そして環境の保護を、促進するための源泉は、いったい何か
――。私に名誉博士号を授与してくださった式典で、プパト総長は明快に指摘さ
れた。それは「多様性の尊重」である、と。文明、信条、民族、性別などの違い
を尊重することから、寛容の精神と友好的な対話が生まれ、精神の武装が解き放
たれると言われるのである。さらに「そのための鍵は、仏法の人間主義にある」
との深い共感を語ってくださった。

こうした多様性の尊重を、父母の姿から学んだとも、感銘深く伺った。人種デモ
クラシーの先進国ブラジルでも、不当な差別が残っていた時代、ご両親は進んで
肌の色の異なる子を養子にされ、他の兄妹と何一つ変わりない愛情を注いで育て
られた。総長は、世界の女性たちへ、エールを贈る。「今、必要なことは、母親
自身が、自分は未来の世界市民、すなわち人間主義に立った市民を育てていると
いう自覚をもつことではないでしょうか。

言葉だけではなく行動で、自分が模範となって人間主義を示していくことです。
私も、そういう決心で娘を育ててきました」世界市民の育成、人間主義の実践―
―その最先端を走り進んでいるのが創価の女性であると、私は誇り高く明言した
い。

胸中に力と智慧が

プパト総長は、私の宝である関西創価学園にも訪問し、学園生と語り合ってくだ
さった。「冬の植物を見ると、花もありませんし、葉もありません。まるで生き
ていないように思いますが、そうではありません。自分が花を咲かせる時を待っ
ているのです。自分にとって一番いい時期を待っているのです」高名な植物生理
学者ならではの洞察だ。日蓮仏法にも「木中の花」の譬えがある。

冬枯れの木に、花の気配はない。しかし、春が巡り来れば、万朶と花を咲かす。
それと同様に、目には見えねども、いかなる人にも、宿命の冬を越えて、自他共
に幸福の花を咲かせゆく、仏性という尊極の生命が具わっているのだ。総長は続
けて、学園生に語りかけた。「私たちも、このような植物の生き方を手本にして
いきたい。自分自身の中にある力と智慧を信じ、発揮して、どんな困難をも乗り
越えていくことです」私たちも、晴れ晴れと確信する。

人間が秘めた無窮の可能性を!

胸中に宿る自在の力と智慧を!

生命に漲る勝利の春の律動を!

きょう、日本は「立春」。暦の上で「春が立つ」日である。冬の闇将軍に向かっ
て、春の旭日のスクラムが快活に反転攻勢を開始する日だ。ゆえに私たちは、出
会いの時のプパト総長との約束を思い起こし、心新たに出発したい。
「さあ、魂から湧き出ずる歓喜の前進を!民衆の勝鬨が轟く世紀の春に向かって
!」


プロフィール
リジア・ルミナ・プパト(1954年~)
ブラジル・パラナ州の科学技術高等教育長官。パラナ州立ロンドリーナ大学前総
長。サンパウロ州生まれ。79年、ロンドリーナ大学教員に。同大学動植物生物
学科長などを歴任し、2002年、初の女性総長に就任。大学の教員を続けなが
ら、92年にパラナ州議会議員、翌93年にはロンドリーナ市議会議員に。20
01年、ブラジル初の市の特別女性局長に就任する。
2004年4月、ロンドリーナ大学総長として池田名誉会長に、東洋人初となる
同大学の名誉博士号を授与した。



 

池田名誉会長スピーチ

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月17日(金)21時57分18秒
  聖教新聞2006年3月3日


男性幹部は婦人部女子部を大事にしたい、そうでない者を許してはいけない
また大聖人は仰せである。

「法華経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている」<注>

<注> 此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたりとみえて候(御書1134頁・四条金吾殿女房御返事)

真剣で聡明な女性の声が、「新しい時代」を築くのである。幹部はもっともっと、婦人部、女子部を大事にし、女性の皆さんが持てる力を自由に発揮できるようにしていかねばならない。

もしも男性の幹部のなかに、女性を下に見たり、アゴでさしずをするような態度の者がいれば、とんでもないことだ。絶対に許してはいけない。

女性の目は鋭い。悪を許さない純粋さがある。女性の声が「権力悪の歯止め」になるのだ。女性の声を最大に尊重し、その声に謙虚に学んでいこうという心を持てるかどうか。ここに学会の「万代の勝利」の道がある。この点を男性幹部は強く自覚していただきたい。

大事なのは、女子部を増やし、育てていくことである。婦人部、壮年部など各部が、「女子部を育てよう」という気概をもってもらいたいのだ。

女子部が健在であれば、学会は微動だにしない。希望の未来が洋々と開けていく。私はそう確信している。
 

中国方面と池田先生(中国長・熊谷信孝)

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月17日(金)21時51分6秒
  聖教新聞2006年4月26日


昨年、「21世紀への対話――トインビー・池田大作展」を広島で開催した。この展示には10万人の来場者があった。政界をはじめ、中国方面のあらゆる分野の方々から、先生の足跡に讃嘆の声がやまなかった。

与党のキーマン。「池田先生は、44歳でトインビーと対談されてから、今日まで1600回を超す対話! すごいですね。それも世界的に有名な方々ばかり」

野党の有名政治家。「名誉会長は、ノーベル賞をもらってもおかしくない人です。これだけ世界的に通ずる人は少ない。日本人では、いない」。池田先生の海外からの名誉称号の一覧の前に立って、感慨深げだった。

1956年に、池田先生が中国方面の開拓闘争を展開されてから、今年で半世紀になる。当時、山口の会員は、わずか四百数十世帯にすぎない。ほとんどが、家族が反対の中で続々と信心していた。しかも新入信者ばかり。

その中に先生は飛び込まれた。皆といっしょに勤行し、御書を教え、弘教に励み、歴史を刻んでくださった。上下など全くなかった。その結果、会員数は、短時日で四千数十世帯へ。何と10倍に飛躍したのである。歓喜は中国各県へと波及し、戸田先生の願業であった75万世帯達成への原動力となった。

維新回天の揺籃となった山口県は、明治政府に長州閥を築いた。同県の7人を筆頭に、中国各県は日本の宰相となった政治家を多く輩出してきた。日本の政治風土の原型をつくった地ともいえる。

不思議なことに、創価の三代会長は、中国方面の歴代首相らと親交を深めてこられた。岡山出身の犬養毅氏。創価教育学会の初期の支援者として牧口先生と親しかった。山口の岸信介氏。戸田先生の友人だった。

池田先生がお会いになった政治家も多い。池田勇人氏(広島)、佐藤栄作氏(山口)。そして現官房長官の父親・安倍晋太郎氏(山口)……。

池田先生は指導されている。

「民衆が根本である。民衆が主人である。民衆の幸福が目的である。そのために民衆が立ち上がれ!」。この哲学を先生は徹底的に打ち込んでくださった。
 

インフルエンザ!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 2月17日(金)21時44分10秒
   “流行”(時流ではありません、笑い)に遅れては、と今月初めにもう何十年ぶりかのインフルエンザとなり、一週間以上、寝込みました。
 大丈夫です。ネットではうつりません。この機会に今月いっぱいぐらいは“ロム専”を決め込むかとも思っていましたが、孤軍奮闘の方も見えますし……。ロムしていると、また違ったものが見えてきますね。


 一人のSGIさん

>……によって、罪業のレベルにも重軽浅深があります。
「謗法は多種なり」p428
「謗法に至って浅深あるべし」p1307
「謗法に上中下雑の謗法あり」p458
ですから、あまり、神経質になってもいけないのです。(投稿者:一人のSGI    投稿日:2017年 2月17日(金)09時16分9秒   編集済
)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64597

 この「あまり、神経質になってもいけない」という点がこの後の池田先生の指導にあったように記憶しています。この十四謗法についての留意点ではないでしょうか。「浅深あるべし」「上中下雑の謗法あり」を踏まえてを、むしろ重点に考えるべきだと思います。

>私がこちらの人達を折伏するのに大変なのは、やはり勤行を教える事です。
ローマ字でふられた文字をよむのですが、慣れない発音をするだけでも大変です。
28年前に主人を折伏し、あの長い勤行を教えて居た時は、主人は時々爆発していました。(笑)
いわんや外人の子供達が、あの様な形式の勤行をできる子がどれだけいるか、、。<

 「形式の勤行」――むしろ、こちらの方に留意すべきだと思います。「勤行」は、「行」ではありますが、むしろ「信」と捉えた方がいいというのが最近の私の実感です。「勤行」によって、実際には自身の胸中に「信」を打ち立てているのではないでしょうか。

 おてもやんさんは、拝見していると、自問自答の多い方だと思いますよ。惑わされてはいけません。「問題提起」です。


 

リボンの騎士様

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 2月17日(金)21時10分46秒
編集済
  素晴らしい!
大福運が開けますね
おめでとうございます!

2010.5.3
先生は「大福運開く年」と言われました
8は開く義という事だからと思っていました
しかし、先日のジョーカー様の投稿を読み、目から鱗がポロリと落ちました
「三世永遠に消えない大功徳を頂戴する、ビックチャンス到来の今世なのです
その事に感謝出来れば、組織はガラッと変わります」
先生が公式会合を欠席され、組織が不思議な方向に進んでいる今
この時に
「先生直結の学会に
   会員が先生直結の信心が出来るように」
祈り、奮闘できる事の「大福運」
歓喜の中の大歓喜です
あゝ今のこの時の為に、先生がたくさん教えて下さっていたのか!
今なのか!

平成2.4月 先生のスピーチ
「この10年で誰人も想像しなかった勝利の春を勝ちとった
全部、広布の為、同志の為との一念であった」
この10年とは?
54.4.24からの10年である

また、先生は
「多くの門下は大聖人が赫赫たる栄誉の立場になられると期待していた面があったようだ
所が実際には、難また難の連続である
日本からの悪口と嘲笑、圧迫が息をつぐひまもなく襲ってくる
自分も偉くなれると思った目算が外れて、退転、反逆の徒となるものも現れる
彼等は権力者の手先となって、かつての師匠と同志を虐める為に暗躍する…
(尼の夫は)どんなにか大聖人の凱旋のお姿を夢見ていた事であろう
また、裏切りの徒の卑しい心根を、どんなにか、悔しく思っていたことであろう
大聖人は、そうした門下の心を、全て汲みとっておられた
一切を知っておられた
その上で、いささかも悪と妥協することなく、敢えて大難の中へと進まれた」

「いささかも悪と妥協することなく」そして「勝利する」
これが大聖人の精神であり、池田先生の精神であると思う
悪と妥協し、難を避け、「勝利!勝利!」と宣伝して、何なろう!

「勝利とは世間的な外見とか表面的な名誉ではない
一人の人間として、信仰者として、我が人生の使命を晴れ晴れと、堂々と総仕上げしていった、その無冠にして偉大なる境涯の実像こそ、真実の勝利なのである」
そんな人生を歩んで行く事を選んだのが、宿坊の皆さんだと心から敬服しています
そして、自分も、これから先ず10年、そんな人生を歩んで行きます

 

聖教新聞"自爆"啓蒙

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 2月17日(金)21時07分1秒
  と云う訳で3か月で、10部購読を申し込みました。何しろ伝統の2月です。地区部長は30部、支部長は50部の"自爆"啓蒙です!ブロック長の私は10部なのです。自爆テロを行わずして、如何に目標を達成できようか、と云うことです。婦人部には、100部、200部の猛者が山のやうにいます。北朝鮮撲滅の法戦、伝統の2月は成果主義なのです~!  

Twitterより。何の為にやるの?数ありき?なんかおかしくない?上がだめだと現場にも影響する例かも。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 2月17日(金)20時47分20秒
  毎年のことながら、2月は聖教新聞の大啓蒙月間。
「目標達成まで、あと○○部!」と婦人部が躍起になっている。
ただ、外部啓蒙も、多くが贈呈。
内部も、未活動の会員の名前で、活動家が負担している。
 

リボンの騎士さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月17日(金)20時12分41秒
  すごいですね!大きな第一歩ですね!心を動かされました!素晴らしい!  

元気出てきました!

 投稿者:リボンの騎士  投稿日:2017年 2月17日(金)20時09分24秒
  宿坊見て、真実の情報をに触れ、とても勇気づけられました。自宅で友人と毎週一回正義の唱題会を始めることにしました!  

本日の聖教新聞第一面記事について

 投稿者:情報係  投稿日:2017年 2月17日(金)19時54分58秒
  宗祖御聖誕勤行会の写真について、或る方から連絡が有り『あの写真は使い回しで、実際は会合自体も無かったのでは?』との話が入りました。

さも有りなんの執行部ですから、何でも出来ます(苦笑)
写真の使い回しは、聖教新聞紙面で何度も有ったそうで、時差海外報道は特に顕著だとの事です。

確かに、日本人なら他国の方々は、皆さん外国人。
どこの国の方かさっぱり分かりません。何とでも写真は流用できますね(苦笑)
 

語学出版社の白水社から

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 2月17日(金)19時34分23秒
編集済
  フランス語で読むレミゼラブルがいよいよ発売になります。2月21日。対訳版入門書のようですね。一度フランス語を学んで挫折した方、是非に再挑戦しませう。主人公ジャン バル ジャンの人間性の勝利を歌い上げた怪作、レミゼラブルを原語で是非に味わひませう!  

おてもやんさんへ

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 2月17日(金)17時46分6秒
  >勤行は所詮「化儀」である<<

まず言葉使いですが、「所詮」とはずいぶん見下した印象を受けますが、私は、「所詮」などと言う言い方はしていません。

信、行、学、のうちの;行;の中で、勤行は欠かせない自行の実践です。
特に唱題行がないと、まず、大聖人の仏法が成り立ちません。

なにせ、一番大切な部分なので「勤行」の行為自体は「教義」の一部分です。

私が[化義]と言ったのは、あくまでも「読経の形式の部分」はその意義を踏まえるなら、時代にあった変え方もありではないかという意味です。

まず、誤解を招かない様お願いします。
私の説明が不足だったのなら、お詫び申しあげます。

おてもやんさんは勤行の短縮に関しては賛成の立場で書かれていますが、もしそうならどうして
誰が変更したかなどを知りたいのかな、、と不思議に思いました。
普通は反対の意見の場合に、意義申し立ての感覚から、そういう事も思うと思いますが。
 

十条さん

 投稿者:フラフラ  投稿日:2017年 2月17日(金)17時44分8秒
  めちゃめちゃ嬉しそうじゃないですか~!!
万感の思いがこみ上げ、喜びを爆発させた。というかんじだね。
 

Twitterより。「54年問題を学べ、忘れるな。」と池田先生は仰っていた。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 2月17日(金)17時16分9秒
  2010年5月に先生が倒れる前にずっとおっしゃっていたのは54年問題を学べ  忘れるなだったはず。なぜそのように繰り返しておっしゃったのかが今わかる。  

虹と創価家族様

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 2月17日(金)14時51分41秒
編集済
  写真の再掲ありがとうございます
百聞は一見にしかず
この写真を見ると一目瞭然です

大山37
「(学会員は)新たな決意に燃えた」

大山39
「(会長辞任)この瞬間、誰もが息を飲んだ
耳を疑う人もいた
愕然とした顔で十条を見つめる人もいれば、目に涙を浮かべる人もいた」
会員は新しい決意で出発し、幹部は愕然として、息を飲んでいたということになります

「辞任」を以前から考え、周到に先生が準備されていたならば、普通逆ではないですか?
以前から聞いていた幹部は「新しい決意に燃え」
何も知らなかった会員は、「愕然とする」
なんだか、執筆チームはかなり「迷走」しているように思います
「愕然とした」という言葉を入れないとこれまでの先生の御指導と「整合性」がとれない
何よりも当時の事を鮮明に覚えている会員から疑問の声が上がる
推測すると、そんな状況で不思議な展開になっているのでしょうか?

大山39
「十条も万感の思いが込み上げ、胸が詰まったが、自らを励まし、言葉をついだ」

そんな殊勝な十条さんが、翌日、満面の笑みとは!
そして、十条さんを取り巻く、大学出の、自分達は「特別」と思い、大学を出ていない先生を見下していた幹部の面子が勢揃いしています

先生の大変さ、改めて感じます
「貧乏人と病人の集まり」と馬鹿にされながら、会員を、庶民を守り抜かれる先生
そんな先生の心が分からない大学出の最高幹部達
大学は、大学に行けない人達に尽くす人材を作る為にあります
この師匠の心も分かっていなかったようで…

4.25 付 写真
北条新会長始め最高幹部の皆さんの満面の笑顔に、会員への思いを微塵も感じることが出来ないのは、自分だけでしょうか?

追伸
「新・人間革命」の前書きか、何処に「新・人間革命」執筆を助けてくれている人ということで、数人の名前を先生が載せておられました
先生は「弟子の頑張り」を見逃さない
その時のメンバーが今も担当しているのか、不明ですが…




 

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