金・順徳(キム・スンドク)ハルモ二の証言を聞く会報告





4月4日、高槻市立総合市民交流センターにて「金順徳さんの証言を聞く会」に行ってきました。その報告です。


まず、ビデオを見ました。ビデオは略。 どんなお話をしてくれたか・・・を。 ナヌムの家に住んでる。83歳。

日帝時代、準看護婦として韓国から連れられた。 「これからどこへ行くのか?」と聞くと、「日本だ」と言われた。 まず、小船で長崎まで行った。長崎から大きい船に乗り換え上海へ。 上海に着いたとき「ここはどこなんだ?」と聞いたら「上海だ」と言われた。

そのとき、「誰が中国に来ると言ったんだ!日本に来るんじゃなかったのか!」と泣き叫んだ。 日本人は聞くふりをしただけだった。 すぐトラックが来て、乗せられた。 上海の街中へ連れて行かれた。 連れて行かれた所は戦いで家が潰されていた所だった。 軍人たちが約50〜100人の女性を小さな部屋が何個もある建物の中に入れた。 上海から南京にかけては同じような(小さな部屋が何個もある建物)光景が続いてた。


15〜17歳の少女たちは性器の所から血を流す。 その度に軍が病院に連れて行く。 何度も何度も病院に運ぶトラックが「痛い痛い」と叫ぶ少女たちを運んでいった。
私自身は、部屋にうずくまって血が出ていた時、日本人が薬をくれた。
薬を飲んだ後、「良くなったか?」と聞かれた。 薬で良くなったのか、病院に行って良くなったのかが分からなかったから、 「分からない」と答えた。 そしたら薬をくれた日本人は「薬の中には中国人の足を焼いたものが入ってたんだ」と言った。
今でも夢に出てくる。足を切られた中国人が襲いに来る夢を。うなされる。


高位な軍人は慰安小屋に並ばない。 高位な軍人のために少女達が集められる。 下っ端の軍人が一番可愛い子を探してトラックで連れて行く。
高位な軍人は年寄りだった。はじめて相手をさせられた高位軍人の名前は「イズミ」だった。 歳は50歳。その時私は17歳。
一つの戦闘があるごとに違う部隊の兵と相手をさせられた。 週に一度身体検査があった。 検査をしに行くために黒い布で覆われたトラックで行った。 隙間から外を見ると人がいないような景色が広がってる。
人らしき物が見えたので「あれは何?」と聞くと、「このトラックに首がぶら下がってるんだ」 と言ってた。
外は軍人だけが歩いていた。酔っているように見えたから「酔ってるの?」と聞けば、 「酔ってるんじゃない。気が狂ったんだ」と軍人は言った。 「人を殺しすぎて。」

当時南京には「人なら誰でも殺せ」命令が出ていた。
「ミナミナコロセ!」「ヒトヒト、シナジン、ミナミナコロセ!」
韓国の学校でもこの言葉が唱えられた。

未だにこの時の南京の夢を見る。
足を切られた中国人の夢と同じくらいうなされる。


週に一度の身体検査に行けば、少女が何人死んだかを教えてくれる。 自殺が多い。薬、首吊り。 いつも下(性器)から血が流れて、首を吊ったことがあった。 しかし監視役がいたので死ぬことは出来なかった。
高位軍人の相手をしていたので2・3人の監視役がトイレに行く時もついてきた。
戦いの度に車に乗せられ高位軍人の相手をさせられに行っていた。
あまりにもつらかったので軍人に「死にたい」と言った。すると、 「日本が勝てば、勉強も出来る」と言われた。

でも耐えれない。

「3・4人で一緒に死ぬと約束した」と言った。

すると”イズミ”がハンコをついた慰問袋(帰郷証)をくれた。 袋をもらった後、韓国に帰れた。袋(帰郷証)を見せるたびに「何でこの人を知ってるんだ?」と聞かれた。
袋があったから韓国まで帰れた。 韓国に帰った後、”イズミ”に手紙を書いた。 週に一回くらいの割合で返ってきた。
唐辛子や、小麦粉も手紙にまぜて送った。 「辛かった。おいしかった。」と手紙が返ってきた。 ”イズミ”との手紙、写真が沢山溜まったけど、朝鮮戦争の爆撃で全部無くなった。


見えない苦労を重ねて生きていた時、キム・ハクスンハルモ二の証言がテレビで流れた。 そしてテレビからも「同じような境遇の方」と呼びかけがあった。
その時、日本政府は知らんぷり。 ハルモニ達は申告した。日本政府に申告をした。
しかし日本政府は受け取らなかった。 日本人も頑張って、「まず受け取れ!」運動をしてくれた。 沢山のハルモ二が申告している。しかし日本政府は10年も無視している。
10年間毎週デモをしている(水曜デモ)。神戸の日以外。 その後神戸に呼ばれて沢山の人からもてなされた。
早く解決しなければいけない問題。 日本全国、アメリカ、など絵の展示、証言をして回った。
日本政府は「死んだらいい」って考えてるかもしれないけど、無視できる問題ではない。

過去にしてきたことが日本の悪いところ。今は日本人が触れに来てくれている。 日本の寺の人、学生、教師が来てくれる。 今日来てくれた皆さんもぜひ来てください。 言いたいことは沢山ありますが時間なので終わります。


<完>


質問コーナー
Q・・このことを伝えていきたいが、私達に出来ることは?

A・・イラク攻撃に反対すること、日本政府に働きかけること。
戦争をしてアジアで一番傷つくのは誰か?と考えること。
戦争は絶対に起こしてはならない。

Q・・ナヌムの家歴史館を見た感想は?
A・・胸が躍って不安な状態。

Q・・”イズミ”について?
A・・”イズミ”が言ったこと。「私は今まで一度も悪いことをしたことが無い」
「今、らんちゃんにしていることが悪いことだ」
※らんちゃん=金順徳ハルモ二
”イズミ”の墓に花をあげたい。



最後にイラク戦争に対して、
韓国ではデモをしている。日本でもデモをしていこう。 上の人間はじっとしてるだけ。




<俺の感想>

なんか今考えてみると、「ナヌムの家」に現在いるハルモ二の数がめっちゃ少ないから、すげぇ貴重な機会やったんやなぁ〜としみじみ感じる。
それに、映画のときにも元気さを見せてて、お話の時も元気な声だった。”イズミ”の話も興味深かった。吉見義明っていうおっちゃんが書いた、「従軍慰安婦」(岩波)って本を読んだことがあるんやけど、「高い位の軍人の相手をさせられる女性は、日本人と美人が多い」と書いていた。
美人をどう定義するかは今んとこ置いといて、やっぱし美人だったんだと思う。
なんか俺は男やけど、想像する限り、苦しみが見えてくる。泣ける映画で泣かないような俺でも、苦しみ、悲しみ、が見えてくる、「実際めっちゃ悲しいことが現実にあったんや」と感じる。
慰安婦問題だけじゃなくて、女性に対する暴力は、歴史上数え切れないほどある。それを一つ一つ見つめなおすのはしんどいけど、一つ一つ見つめなおすつもりで、俺らが考えていかないと、未来をどうつくっていくかは変わると思う。
最後に握手をさしてもらったけど、力強くて、典型的なおばあちゃんの手だった。



終わり。