十姉妹日和

つれづれに書いた日記のようなものです。

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 北朝鮮による「拉致」の発覚は、当時日本の世論を大いに震撼させることになった。

 

 だが、それではこの「拉致の発覚後」の北朝鮮とどう付き合うか、という問題となると、政府も世論もまだなかなか判然としない状況にあった。


 拉致の「解決」を今後求めていかなければならないのはもちろんだが、かといって北朝鮮との国交正常化交渉をここで打ち切ることも得策とは思えない。
 こうした板挟みの中でなんとなく結論を出し難かったのである。

 

 そうした一方、テレビでは連日これまで「謎の国」とされてきた北朝鮮に関する特集が報道されるようになっていった。
 とくにワイドショーでは北朝鮮の人民たちによる「マスゲーム」などの映像が好んで放送され徐々に「恐ろしい国」というよりは「変な国」という認識が世間では共有されるようになっていく。

 

 以前ならばこうした映像に抗議してきた可能性のある社民党や朝鮮総連も、今や自分たちの弁明に追われているため、マスコミとすれば格好の視聴率のタネを手に入れたというわけである。

 

 しかし、北朝鮮から拉致被害者5名が帰国すると、その扱いをめぐって再び政府の対応に注目が集まることとなる。その最大のテーマは「彼らを北朝鮮に返すべきかどうか」であった。

 

 この問題をめぐり、当時政府内では激しい対立が起きる。

 

 中心となったのは、小泉総理の訪朝の際にも強硬論を主張していた拉致問題とかかわりの深い安倍晋三内閣官房副長官(当時)と、北朝鮮との外交のキーマンとされた田中均アジア大洋州局長(当時)であった。

 

 両氏をめぐっては、2013年にも安倍総理(現)が田中氏を「外交を語る資格がない」とFacebook上で批判をしたことが話題となったが、この二人の確執には小泉政権当時のやり取りが大きく関わっているともいう。

 

 産経新聞政治部編集委員の阿比留瑠比氏は、自身のFacebookで当時の記事をもとに、当時の様子を語っているが、それによると当初北朝鮮は拉致被害者5名を「帰国」ではなく日本への「出張」という扱いにしており、10月末に再開予定の正常化交渉前に5人を再び呼び戻し、あらためて交渉カードとして活用する方針だった。
 
 参考: https://www.facebook.com/rui.abiru/posts/582927171751938 

 

 そのため北朝鮮との交渉窓口を務めた田中氏らも、当時は「一度拉致被害者を北に戻す」べきと主張していた。


 しかし安倍氏はこれに強く反対する。

 

 もともと安倍氏と拉致被害者家族会との交流は彼の政界進出以前にまで遡り、安倍氏が父の安倍晋太郎議員の秘書をしていた頃、事務所に相談に訪れた拉致被害者有本恵子さんの両親から、北朝鮮から恵子さんの夫を名乗る人物から、娘が北朝鮮にいるという手紙を受け取っており、なんとか力添えをして欲しいと頼まれたことははじまりとされる。

 

 韓国の朝鮮日報はこの安倍氏と家族会との関りを次のように伝えている。

 

 「安倍晋太郎幹事長の二男であり、秘書を務めていた人物が父に代わって有本夫妻を外務省・警視庁に自ら案内し、事件の内容を伝えた。その人物こそまさに、
現在の日本の首相・安倍晋三氏(59)だった。この日以来、安倍氏は北朝鮮による日本人拉致問題に関心を抱き、問題解決を「生涯の課題」とした。
 93年に父の後を継いで国会議員になった安倍氏は、97年に「拉致被害者家族会」の発足を主導、日本人拉致問題関連の議員連盟の事務局次長も務めた。拉致問題で独自の地位を確立したのだ。
 
 2002年の小泉政権時は官房副長官として「拉致疑惑プロジェクトチーム」を発足させて日本人拉致問題の指揮を執り、「保守の皇太子」として注目を浴びた。」

 

(「拉致問題とかかわり26年、首相にまでなった安倍氏」
http://megalodon.jp/2014-0531-1503-04/www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/31/2014053100731.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter より)

 

 このように安倍氏にとって拉致はまさに、政治家としての原点のひとつといえる問題であった。

 それだけにこのときも強い熱意をもって北朝鮮には強い態度で臨むべきだとし、本人たちの希望ではなく政府、国としての判断として5人を日本にとどめ置くべきだと主張して譲らなかった。

 

 安倍氏の意見には拉致を担当していた中山恭子内閣官房参与らが賛成したが、一方で北朝鮮との交渉継続を重視する田中氏の意見を支持したのが、田中氏と共に小泉総理の訪朝を取り仕切っていた福田康夫官房長官である。

 

 このとき福田氏は安倍氏を官房長官室に呼び出し「余計なことをするな」と机を蹴飛ばして詰め寄ったとされる。

 

 http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/173?page=4 より

 

 福田氏や田中氏はおそらく、これで北との約束を破ることになれば、北朝鮮との交渉が中断することを恐れていたのだろう。
 この対立はいずれも政府の重要閣僚同士が譲らなかっただけに、政府がどのような判断をするのかネットもマスコミも注目して見守っていた。
 

 一方、左派系の文化人たちからは、政府の決定が遅れているのを好機とばかりに「北との交渉を進めよ」という主張が再び展開されるようになる。
 週刊金曜日の佐高信氏は「かつての日本は〝ならず者国家?だった 拉致問題に揺れる今こそ直視すべき過去」という文章で次のように述べている。

 

 「もちろん、〝ならず者国家?の北朝鮮に事実を明らかにせよと迫ることは必要だろう。しかし、かつての日本も同じ〝ならず者国家?だったと認識して交渉に当たるかどうかで、ずいぶん大きな違いが生まれてくるのではないか。」

 

 こう書いた上で、佐高氏は東京大学教授でしばしば週刊金曜日にも寄稿している姜尚中氏や、大阪経済法科大の吉田康彦教授の主張を引用する。

 

 「姜は痛烈に書く。『(日本)国民は三〇年前の日中国交正常化のようには、日朝国交正常化を待ち望んではいないのです。テポドン事件や不審船事件などの影響もありますが、根本にあるのは根強い朝鮮蔑視だと思います。国民の意識に分厚い層を形成している朝鮮蔑視が、今回のことで一挙に噴出しているのではないでしょうか』」

 

 「大阪経済法科大教授の吉田康彦が同じ号で嘆いているように、『過去』は風化しやすい。『連日の拉致報道で、日本が三六年間にわたって朝鮮半島を植民地化し、朝鮮人の拉致など日常茶飯事としていたことを大半の日本は忘れ去ってしまっている』のである。」

 

 そして次のような文章でしめくくった。

 

 「数字に若干の誇張があるにせよ、朝鮮人の強制連行六〇〇万人、強制労働三〇〇万人、『従軍慰安婦』二〇万人と、北朝鮮は日本の『犯罪』を告発している。日本人の手も決して白くはないのである。」

 

 http://www.logi-biz.com/pdf-data.php?id=1049 より
 
 しかしこうした論調はさすがにもう世論からもあまり相手にされなかったようだ。
 というより、ネット壮士たちでさえ怒るよりも、飽きられるか、うんざりするのがせいぜいのところだったろう。

 

 拉致問題のように現在進行形で日本人が被害者となっている場合でさえも「過去の歴史」と「差別感情」という二つの言葉を持ち出せば、問題を相対化できるのなら歴史問題はもはや国にとってただの足かせでしかない。
 
 むしろこうした「過去の贖罪」という意識を利用されることで、拉致疑惑のような「聖域」を生み、拉致の発覚を遅らせてしまったのではないか。
 そうであるなら、こうした日本に対して長年「罪」を押し付けてきた被虐的な思考こそ、今や改めるべきだろうとネット壮士たちは見ていたからである。

 

 この「歴史問題」というカードが通じないとなると、左派系の人々としては北朝鮮と日本の交渉が、とりあえず継続する中で、戦後補償問題などが議題に上がる機会を待つしかなかった。

 このため、安倍氏と田中氏の対立は徐々に左右の北朝鮮をめぐる「代理戦争」となりつつあった。

 

 当然、この点では保守派に近いネット壮士たちからは北朝鮮との交渉で拉致被害者の返還を約束していた田中氏や、それを擁護する福田氏の態度に批判の声が相次ぎ、安倍氏を応援する声が強まる。
 彼らは北朝鮮を信用していないと同時に、これまで拉致問題を軽視してきた外務省や、自民党をもあまり信用していなかった。


 そのため彼らが政府に望んだのは、こうした従来の「惰弱」な外交から脱却し、しっかりと日本の利益を優先する外交方針を持った政治家に国を引っ張っていって欲しいということにあった。

 そうした中で安倍氏は彼らの期待を集めることに成功した。

 

 一方、北朝鮮との国交正常化を望み、拉致問題でも繰り返し擁護を続けてきた人々にすれば、こうしたネットの強硬論と親和性の強く、求心力のある安倍氏の存在は非常に忌まわしいものとなっていた。

 そのため「保守の代表」とみなされた安倍氏は、その後も一部のメディアや文化人らに執拗に批判されることになった。

 

 この図式はほぼ現在に至るまで続いている。
 

 つまりこのときから安倍氏は一部の熱心な支持層と、根強い批判層を同時に持つようになったのであった。

 

 結局、この政府内での議論は拉致問題に以前から取り組んで家族会からの信頼を得ていた安倍氏の意見を小泉総理が推したことにより、安倍氏らの勝利に終わる。

 

 これによりネットでは政府が日朝交渉を優先して拉致を切り捨てるのではないかという不安が払拭されたことで小泉内閣を評価する声は強まり、世論も概ね好意的にこの判断を受け取ったようだ。


 同時に議論の先頭に立った安倍氏もこの拉致と日朝交渉での活躍から大きく世間に注目され、小泉総理の有力な後継者候補と見られるようになっていった。

 これにネット壮士たちが喜んだのはいうまでもない。

 

 一方で、悔しい思いをしたのはやはり国交正常化交渉を優先すべきと主張していた左派の人々と、ここまで北朝鮮との交渉窓口を担ってきた田中氏らだったのは確かだろう。


 安倍氏に北朝鮮との交渉プランを潰された形となった田中氏は、2002年の12月に朝日新聞のインタヴューを受けた際には次のように述べている。

 

 『(当時の判断は)適切だったと思う。あの時期に5人を返すという選択肢はなかった』
 『日本の一方的な主張だけで問題が解決するかといえばそうではない。 問題解明が北朝鮮にとっても望ましいと、北朝鮮自身が納得しないと結果は作れない』

 

 参考:http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Euro/1880/021227_tanakakin.txt

 

 と、政府の立場としては安倍氏の判断が適切であったことを認めながらも、あくまでも北朝鮮との交渉には北の立場への配慮を忘れるべきではないと注文をつけるなど、二人の考えには大きな隔たりがあることがうかがえる。


 事実、これ以降も両氏の主張は、北朝鮮をめぐってたびたび衝突することになる。

 

 とくに小泉総理が2003年にアメリカを訪問した際には、日米首脳会談で小泉総理が語った対北朝鮮への「対話と圧力」という文言を、田中氏が北朝鮮を刺激すると主張して記者説明用の応答要領から「圧力」の文言を削除したものの、これに反発した安倍氏がこの要領を無視して「圧力」という言葉が会談の中で語られたことを記者に述べるなど、ここでも激しいやり取りがあったという。

 

 こうした田中氏の独断的とも思える姿勢は、産経新聞などで「密室外交」と批判され、ネット壮士たちからも「田中均を更迭せよ」、「売国奴」という書き込みされるなどたびたび批判された。


 これはほぼネットの中で、ひとつの政治世論が形成されはじめた時期であったための過激さのための弊害ともいえるが、当時の田中氏が政治信条から北朝鮮を擁護していたわけではなく、あくまでも外交官として交渉の継続に重きを置いて発言していたことや、それが後の拉致被害者家族の帰国に繋がったことなどはもう少し評価されてもよかったろう。

 

 ただ、ネット壮士たちの求めていたものはもはやこうした外交的な手腕や政治力ではなかった。
 それはむしろ今後日本という国がどう動いていくべきか、というある種の「国家論」といった方がいいものだろう。

 この「変革の可能性」を安倍氏の中に彼らは見たのであった。

 

 (続く)

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