小中学校の学習指導要領の改訂案を文部科学省が公表した。

 2030年ごろまでの学校教育の基準を定めるものだ。小学校は20年度から、中学校は21年度から、順次実施される。

 知識を教え込むのではなく、子どもがみずから問いを立て、多面的・多角的に考え、問題を解決する力を育てる。

 改訂案がめざす、この方向自体に異論はない。

 しかし、「質」も「量」も追求するという欲張りな方針のもと、あまりに多くの事柄が盛りこまれてはいないか。

 子どもが主役になり、他者との対話を通じて教科の本質を学ぶようにする。小学校は高学年で英語を教科と位置づけ、成績評価の対象とする。プログラミング教育を必修にする――。

 現行カリキュラムからすると極めて挑戦的な内容である。

 多くの公立学校の先生は、貧困と格差の現実に向き合い、学ぶ環境に恵まれない子たちに基礎学力をつけさせることで一生懸命だ。時間割も既にいっぱいになっている。新たなテーマをどこまでこなせるだろうか。

 文科省は「カリキュラム・マネジメント」と称して教育課程の工夫を学校に求めるが、人手も時間も限られるなか、それだけで解決するわけではない。

 改訂案のもう一つの特徴は、「どんな力を育てたいか」の目標を全教科で具体的に掲げたことだ。全体の記述量は今の1・5倍に増え、一部ではどんな場面でどんな学習活動を用意するかにまで言及している。

 各地の学校はベテランが次々と退職し、若手が増えている。経験の浅い先生に指導要領の狙いを伝えるのに、丁寧な記述が必要なことは理解できる。

 だが、指導要領に書いてあることに従っていれば間違いない、下手に独自の教え方をしてにらまれたくないといった考えが広まれば、授業は金太郎アメのようになり、教室から生気が失われることになりかねない。

 それは改訂の本来の趣旨と相いれない。教えるプロとしての先生の力も育つまい。

 学校は一つひとつ抱える問題が違い、子どもたちの状況も異なる。それぞれの実態にあわせて教える重点を絞り、指導方法も工夫できるよう、文科省と各地の教育委員会は現場の自主性を最大限尊重すべきだ。

 先生の創意工夫を引き出せなければ、指導要領の文字面をいくら整えたところで実はあがらない。先生一人ひとりに、新たな発想を生み出す時間の余裕と研修の機会を保障するのは、教育行政の責務である。