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寝たきりオジサン様

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 2月15日(水)23時22分54秒
  「女性に贈ることば365日」の御投稿は

きっと応援のお気持ちなのだと思っておりました。

それが本当なので、嬉しかったです。

勇気が出ます。

うちは家族全員寝たきりオジサンの御投稿を楽しみにしてるんです。

体験と、実証のお話ほど、元気が出るものはありませんね。

今、現場には、こういうダイレクトな「魂の触発」が不足しています。

いつもありがとうございます。



板をみている婦人部の友人達も同じ事を言っていますよ。

なぜなら、体験も、御書も、もちろん先生の御指導も、そして現与党や国会の問題まで、

宿坊から情報を得ているからです。

甘いイチゴ農園には人が押し寄せるのと同じで、口コミは放っていても、広がります。

現場では、問うても答えが得られず、歓喜がないのですから、自然とそうなります。

執行部や工作員には、日ごろの妨害努力が水泡ですので、皮肉でしょうが、それが事実です。




 

不甲斐ない弟子

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 2月15日(水)23時01分52秒
  ただ一言様のこの文章は、とても重い。


…………………………………………………………………………………………………………

今でもひとつ、心残りがある。

先生のスピーチが終わり、先生が退場される。
普通の本幹なら先生の退場と共に、参加者のどこからか先生を慕い声があがる。「先生」「先生」と…

しかし、池田講堂には数千人もいたはずなのに私を含めて、誰一人声をあげなかった。拍手はあった。先生が寂しく退場して行った。会場の荘厳な雰囲気はあったのだか…なぜ「先生」と声が出なかったのかと。

そして、ふと思った。54年もこんなだったのか…と。

…………………………………………………………………………………………………………


あのころ、私はバカだったのだ。

「池田先生にお応えしましょう!」という「幹部の号令」に

ただ素直に従う事を「使命」と勘違いしていたのだ。

それを疑いもしなかった。

「池田先生にお応えする」と信じながら、

本当の池田先生のお気持ちを慮ることが決定的にできていなかった。

悔しい。


自分がホサレて、やっと気づいた。

やっと池田先生のお気持ちがわかるようになれた。

というか、わかりたいと思うようになれた。

それは宿坊の掲示板のおかげである。

感謝してもしきれない。









 

同盟題目23時より開始!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 2月15日(水)22時57分59秒
  よろしくお願い致します。任意参加です。途中離脱もOKです。
池田先生のご健康を祈ります。
 

ものすごく大切!!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 2月15日(水)22時52分31秒
  信濃町の人びと様
如是我聞の情報を集めること、ものすごく大切だと思います!!
ありがとうございます!!

本幹本会場や各種人材グループ等で、池田先生から直接指導頂いたことなどを、職員達は各現場に伝えなくちゃいけないのに・・・。
結局、伝えなかった。
残念極まりないですね。

それにしても先生の編集前の映像記録を廃棄しているなんて!!
学会本部は何をやっているんだ。
 

足立区より様

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2017年 2月15日(水)22時31分34秒
  私は勇気ある投稿だと思いますよ。

地区婦人部長が降りる現場の荒れ様に比べたら 板が荒れる事など 大した事ありません。

事実ならこの板も大した影響力です。
 

暗黒の10年間は・・・・

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 2月15日(水)22時20分44秒
  会長辞任後の暗黒の10年間はどのように書かれるのでしょうね。

大御本尊様
御法主上人ゲイカ様
を連呼していた時代を。

10年間をすっとばして第二次宗門問題がはじまるか?

四国のサンフラワーは外さないでほしいですね。
 

裏情報ですが、、、

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 2月15日(水)21時48分16秒
  池田大作先生が会長辞任をされた時に、牧口門下生はどう動いたか?具体的には故和泉、故辻、故柏原氏等々。ある人は「裏切り」であったと断じました。私はこの話を耳にした1999年当時、激しく内心反発しましたが今になってみれば、「さもありなん」。大山の章ではどのように描かれるのでしょうか?  

「十四誹謗」4/5

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 2月15日(水)21時48分8秒
編集済
  講義

本抄は、弘安3年(1280)2月、日蓮大聖人が聖寿59歳の御時、身延から新池左衛門尉に与えられた書である。

内容は、正しい仏道修行の在り方などについて、御教示されている。
初めに法華経流布の末法に生まれたことを喜び、法華不信の人々を嘆かれている。
そして法華経を受持・読誦し、讃めても、経の本意に背けば、悪道に堕ちることを述べられ、法華経を持つ僧に供養する功徳を説かれている。

次に世間の無常をとおし、名聞名利に執着する心を戒め、謗法の者との交わりを与同罪として戒められている。

さらに、仏の三徳を明かし、日本の諸人は仏に背く仏敵とされ、たとえ賤しい身分であっても、正法護持の者を尊敬しなければならないと述べられ、信心が成仏の肝要であり、
三宝を尊重すべきことを勧められている。

また、禅宗等の僧について触れ、彼らが慢心を重ねるのは天魔の所為であると批判されている。最後に、これらの法門をよく理解して信心に励むよう諭されている。

 最初に「末法流布」とは、法華経の薬王品第二十三に「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、竜、夜叉、鳩槃荼等に、其の便を得せしむること無かれ」と説かれたその時であることを仰せられている。

もとよりこの末法に流布する法とは本尊抄に「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249)と仰せられるように、下種の南無妙法蓮華経である。
 この時に際会できたということは、成仏の大果報に恵まれたわけであり、最高の喜びにほかならないのである。

 これに対して、大果報の時代に生まれ合わせていながら、妙法を信ずることのできない人々がいるというのは、一生成仏の機会を逃すばかりでなく、悪道の苦海に沈むことであり、これ以上の悲しみはない。
 妙法の生命観は、人間としてこの世に生をうけることがまれであると教えている。しかも、今世の人生は無常にして短い。
この人生を悔いなき一生とするためにも「後世のつとめ」すなわち妙法に帰依して、成仏のための仏道修行に励むことが肝要である。
 今世の人生における仏道修行が、一生成仏の境界を開き、永遠にわたる生命の満足と安定を決定していくからである。

 世間では「口には此の経を信じ手には経巻をにぎる」というように、一往は法華経の信仰をしていても、すでに過去のものとなった釈尊の文上の法華経であり「法華の心」たる下種の南無妙法蓮華経を知らないでいる。
しかも、法華経の譬喩品第三に説き示している「十四謗法」の一つか二つでも犯せば、罪障消滅はむずかしいのである。

 すなわち、十四謗法のなかに軽善・憎善・嫉善・恨善があるが、法華経の行者である日蓮大聖人を軽んじ、憎み等しているならば、いかに「法華経を持ち読み奉り讃むれども」法華経の心に背いているのであるから、
釈尊・十方の諸仏を殺すことになり、地獄等に堕ちると戒められているのである。

以上引用終わり
 

「十四誹謗」3/5

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 2月15日(水)21時17分25秒
編集済
  十四謗法
 妙楽大師が法華経譬喩品第三の「憍慢懈怠……結恨を懐かん」の文をよりどころとして立てた十四種の謗法のこと。
法華文句記巻六下に説かれる。

   ①憍慢 きょうまん  増上慢と同意。慢心して仏法を侮ること
   ②懈怠 けたい    正法を修行するのを怠ること
   ③計我 けいが    我見と同意。自己の考えで正法を判断すること
   ④浅識 せんしき   自身の浅薄な知識をよりどころとして正法を批判し、
              あるいは求めようとしないこと
   ⑤著欲 ちゃくよく  欲望に執著して正法を求めないこと
   ⑥不解 ふげ     正法を理解せず、自己満足していること
   ⑦不信 ふしん    正法を信じないこと
   ⑧顰蹙 ひんしゅく  顔を顰め、正法を非難すること
   ⑨疑惑 ぎわく    正法を疑い、惑うこと
   ⑩誹謗 ひぼう    正法を謗り、悪口をいうこと
   ⑪軽善 きょうぜん  正法を信受する者を軽蔑し、馬鹿にすること
   ⑫憎善 ぞうぜん   正法を信受する者を憎むこと
   ⑬嫉善 しつぜん   正法を信受する者を嫉み、妬むこと)
   ⑭恨善 こんぜん   正法を修行する者を恨むこと)をいう。

 この十四誹謗は一切衆生にわたって悪果・悪報の業因となる。
 

「十四誹謗」2/5

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 2月15日(水)21時03分3秒
編集済
  http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/157/newpage1.html#0063

新池御書    弘安三年二月    五十九歳御作

うれしきかな末法流布に生れあへる我等・かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人、 抑人界に生を受くるもの誰か無常を免れん、さあらんに取つては何ぞ後世のつとめを・いたさざらんや、 倩世間の体を観ずれば人皆口には此の経を信じ手には経巻をにぎるといへども・経の心にそむく間・悪道を免れ難し、 譬えば人に皆五臓あり一臓も損ずれば其の臓より病出て来て余の臓を破り 終に命を失うが如し、爰を以て伝教大師は「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す」等云云、 文の心は法華経を持ち読み奉り讃むれども法華の心に背きぬれば還つて釈尊・十方の諸仏を殺すに成りぬと申す意なり、終に世間の悪業衆罪は須弥の如くなれども此の経にあひ奉りぬれば・ 諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし、 然れども 此の経の十四謗法の中に一も二もをかしぬれば其の罪消えがたし、 所以は何ん一大三千界のあらゆる有情を殺したりとも争か一仏を殺す罪に及ばんや、 法華の心に背きぬれば十方の仏の命を失ふ罪なり、 此のをきてに背くを謗法の者とは申すなり、 地獄おそるべし炎を以て家とす、餓鬼悲むべし飢渇にうへて子を食ふ、 修羅は闘諍なり・畜生は残害とて互に殺しあふ、 紅蓮地獄と申すはくれなゐのはちすとよむ、 其の故は余りに寒に・つめられてこごむ間せなかわれて・肉の出でたるが紅の蓮に似たるなり、況や大紅蓮をや、 かかる悪所にゆけば王位・将軍も物ならず・獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利・我慢偏執有るべきや。
-----―
 なんとうれしいことか、末法の正法流布の時に生まれあえた我等は。なんと悲しいことか、このたびこの経を信じない人々は。
そもそも人界に生を受けた者でだれが無常を免れることができようか。そのような者にとっては、どうして後世のための努力を
しないでいられようか。よくよく世間のありさまを見てみると、人は皆、口にはこの経を信じ、手には経巻を握っていると
いっても、経の心に背いているので悪道を免れがたい。たとえば、人にみな五臓がある。一臓でも損なうときには、その臓より病が起こってきて他の臓を破壊し、ついに命を失うようなものである。このことをさして伝教大師は「法華経を讃嘆するといっても、かえって法華経の心を殺している」等と言っている。この文の意味は、法華経を持ち読誦し讃嘆したとしても法華経の心に背いたときには、かえって釈尊や十方の諸仏を殺すことになってしまうという意である。世間の悪業や衆罪は須弥山のようであったとしても、この経に値つたときには諸罪は霜や露のように法華経の太陽に値って消えるであろう。
しかしながら、この経で説く十四謗法のうち一つでも二つでも犯したときには、その罪は消えがたい。理由はなぜか。
三千大千世界のあらゆる有情を殺したとしても、どうして一仏を殺す罪に及ぼうか。法華経の心に背いたときには、十方の仏の命を失う罪となる。この定めに背くのを謗法の者というのである。地獄は恐れるべきである、炎を家としている。
餓鬼は悲しむべきである、飢渇に飢えて子供を食う。修羅は争い合う。畜生は残害といって互いに殺し合う。紅蓮地獄というのは紅の蓮と読む。その理由は、あまりに寒さに責められて屈(かが)むことにより、背中が割れて肉が露出したのが紅の蓮に似ているからである。ましてや大紅蓮においてはなおさらである。そのような死後の苦悩の世界に行ったときには、王の位や将軍もものの数ではない。獄卒の責めにあっている姿は猿回しの猿と異なるところがない。この時はどうして
名聞名利や我慢偏執の心でいられようか。
 

「十四誹謗」1/5

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 2月15日(水)20時55分48秒
編集済
  赤胴鈴之助 様
御義口伝の懺悔についての講義ありがとうございました。
私達個人的な過去の謗法の罪の懺悔は御観念文から消えているので、
私達も心して題目をあげなくてはいけないですね。

さて、草創期と呼ぶのか分かりませんが、私の若い頃の学会では、新入信者には必ず、「14誹謗」を教えたものです。。
いくら功徳をつんでも、これらの誹謗があれば、ざるから水が漏れる様に功徳が消えていくので気を付ける様にと厳しく教わりました。

しかし、昨今の学会ではこの教義を学ぶことは不要とされています。
「謗法」とは正宗のことだけだという感覚です。
数年前には副会長から’謗法の勉強をすることは広宣流布とは関係ない’と何度も言われましたし、意思のあるメンバーに呼びかけて「14誹謗」の勉強会をしようとしたら、支部婦人部長の方から、州婦人部長と支部のグループ長以上のリーダー全員に、私にあてた批判のメールが流れました。
私をかばおうとした一人のメンバーが、あるSGIの方面部長に報告したところ「あれは、あれでいいのよ」とのことでした。
つまり婦人部長が私にしたことは正しいという事です。
、、と言う事で、皆さまには勉強してほしいと思い、御書講義を投稿します。

終に世間の悪業衆罪は須弥の如くなれども此の経にあひ奉りぬれば・ 諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし、
然れども 此の経の十四謗法の中に一も二もをかしぬれば其の罪消えがたし、
  新池御書 p1439
 

Twitterより。名聞名利に溺れ、嫉妬に狂い、権力の魔性に屈した人間たちが、第3代の私を追い落とし、迫害し、学会を乗っ取ろうとした。 その陰には、提婆達多のように卑劣な謀略の輩に誑かされた最高首脳がいたことは、よくご存じの通りだ。」

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 2月15日(水)20時48分44秒
  2017.2.10付 聖教新聞
『新・人間革命』大山・34

昭和54年4月24日に、池田先生は創価学会第3代会長を辞任する。

小説では、その2日前が描かれたが…。

「彼にとって法華講総講頭の辞任も、学会の会長の辞任も、もはや未来のための積極的な選択となっていた。」
……

…「しかし、「七つの鐘」が鳴り終わる今こそ、学会として新しい飛翔を開始する朝の到来であると、彼は感じていた。また、これまで十分な時間が取れず、やり残してきたこともたくさんあった。」…

…「世界の平和のための宗教間対話もその一つであったし、功労者宅の家庭訪問など、同志の激励にも奔走したかった。」…


聖教新聞 1999年4月27日
『嵐の4.24』で書かれた先生の思いと違うではないか。

事実はどうであったのか。

随筆 新・人間革命
嵐の「4・24」 (1999年4月27日)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64486


2007.8.9 全国最高協議会での池田先生のスピーチより

「第3代会長を、皆で一生涯、護れば、必ず広宣流布できるーーこれは、執行部が、皆、戸田先生から厳命された遺誡であった。



しかし、名聞名利に溺れ、嫉妬に狂い、権力の魔性に屈した人間たちが、第3代の私を追い落とし、迫害し、学会を乗っ取ろうとした。
その陰には、提婆達多のように卑劣な謀略の輩に誑かされた最高首脳がいたことは、よくご存じの通りだ。」
 

ロマンさま、当たり!!

 投稿者:情報係  投稿日:2017年 2月15日(水)20時08分43秒
  聖教新聞を読むのではなく、見る、または眺める・と言う作戦ですね。だから、新・人間革命も眺め読みさせて頭の中にインプットさせる。

なんとまぁ、コンサルタント会社さまのご享受を受けられているのではないかと案じています。時勢に合わせたマインド・コントロールの手法は、昔からよく使われてきた技術ですが、それは古いのです。ナチスがレコードや拡声器、ラジオ放送を駆使してドイツ国民を扇動・鼓舞した事例と同じですが、それは連絡手段が限られた時代の話です。

ネット・SNSなど多様な情報伝達手段が出来上がった現代に,先生のお手紙と呼称される聖教新聞だけの世界を形作るのは無理な思い込みです。
 

焼き鳥

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 2月15日(水)19時38分5秒
  串は1本じゃ足りないことが多いですね。
例えば、shinjuku otemachi tachikawa
辺りの4本くらい串を刺すと、職場と自宅の両方でおいしい焼き鳥ができます。
 

賢くなりませう

 投稿者:目線  投稿日:2017年 2月15日(水)19時33分54秒
  寝たきりオジサン様

まあこのインターネットの時代、情報を遮断することも不可能ですから、
最終的には、私達一人一人が賢くなって、何が真実を見極めながら、正しい事を行って
いくのみですね。
そうすれば、意図的な誘導には自然とついていかないでしょうから。
 

違い

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年 2月15日(水)18時46分55秒
  引用されましたので、投稿致します。
情報係さんの投稿は、“本年の都議会選挙に絡めた”と率直に思われたのだと思います。

事実、1979年4月8日と4月22日の2回に分けて行われた第9回統一地方選挙において、公明党は前163名から+3名の166名の当選をもって勝利し、4.24の会合を向かえました。
大河小説でありフィクションではありますが、社会情勢や歴史的な背景は事実を掲載しています。
思い違いは誰にでもあるものです。

それを鬼の首を取ったかのようにするのもどうかと思います。
なお、第一巻は1993年に執筆開始で、24年も前です。先生も海外に行かれたり、会合に参加されたりしていましたね。
池田先生のお歳と学会の状況も異なることを付け加えておきます。
すみません、小言です。

我々が知った先生の想いー随筆に綴られ、スピーチで語られた真実がどう描かれるのか。

当時、全国各地の同志は、心ない悪侶からのいじめ、連日のマスコミ攻撃に耐えに耐えながら、選挙戦を戦ったのです。
その陰では、池田会長を辞任させる〝師弟分断の離間工作〟もまた同時進行であった。
『会長辞任』・・・全国の代表幹部はまさに寝耳に水。
全国から集った方々の中には池田先生が責任を取られたーと思ったに違いありません。
表面上は"勇退"。
しかし、真実は"会長を辞めさせられた"ということが後年、池田先生の随筆、スピーチで直接伝えられました。
誰しもが、より深く事細かに記載されるであろうと構えていたに違いありません。私もその一人です。
先生の"ライフワーク"だからこそです。

しかしながら、随筆やスピーチとの乖離がある。
私も信濃町の人々さんと同様の考えで、執筆が師匠の手元から離れていてもおかしくないと考えます。
むしろ、弟子の育成を考えるならば弟子が執筆し、師匠が監修という形が、師弟の姿であると思うのです。
そして、会長辞任という場面を弟子が総括する。師匠の心を心として、弟子自身の手で後世に残しゆくことだと思っています。
従藍而青ー我々は後継を託されているのですから。
 

あっちもこっちも工作員 www

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 2月15日(水)18時24分20秒
編集済
  >不如帰 様、一日も早く懺悔して、ご本尊様にお詫びの題目を、あげることをお勧めいたします。
一切業障海皆従妄想生若欲懺悔者端坐思実相衆罪如霜露慧日能消除の事を学びましょうね。<

屁理屈ばかり
職員だってばれたら残念すぎる~
 

目線さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 2月15日(水)18時19分29秒
  なんか、すんごい深読みされていますがやっぱりバレちゃった?
な~んて冗談ですけど(笑)別に変な意図はありませんよ、

虹と創価家族さまには思いっきり見抜かれましたけどこの板に貢献したい
とは思っています。

「女性に贈ることば365日」は、ひかり様やうーこ様に代表される
素晴らしい女性の同志に対するリスペクトです。

 

懺悔 慧日能く消除す

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 2月15日(水)17時43分50秒
  御義口伝講義録下  普賢経四箇の大事
第四、一切業障海皆従妄想生若欲懺悔者端坐思実相
衆罪如霜露慧日能消除の事
P786

懺悔について
 現代人の多くは、懺悔とはキリスト教独自のものであり、聖職者に
自らの罪を告発することであるかのように錯覚しているようである。

だが、それは、キリスト教の、penitenceを訳するのに、仏教の懺悔
という言葉をあてはめたにすぎない。真実の懺悔は、この「端坐して実相を思う」
ことであり、仏教の本来の考え方なのである。
 キリスト教の懺悔とは、たんに自分の罪悪を人に話すことによって、心に鬱積
しているものを吐き出し、気持ちを楽にしようというだけのことといえよう。

聖職者だからとって、与えて論じても、神でもなければ仏でもない。
凡人ではないか。
そのような人に告白したからといって、罪が消えるわけではない。
またもし、聖職者を通じて神に告白するのだというなら、神に直接告げればよいことである。
もしキリスト教の神が全智全能の神であるならば、聖職者を仲介しなければ、人々の声を
聞くことができないという道理はありえまい。
 仏法の懺悔は「端坐して実相を思う」ことであり、その実相とは、大宇宙の本源の
生命であり、御本仏の御生命であり、かつわが生命に厳然として存在する仏界の生命である。

この信心の一念によって、あたかも、太陽の光に照らされて霜や露が消えゆくように、
一切の罪業は、ことごとく消滅するのである。

 自ら自覚している一つ二つの罪だけではない。
一切の罪が、自然に、消えると仰せである。
なぜなら、われわれは、その生命活動をしている過程において、自分では気づかぬうちに
、無数の罪業を犯しているにちがいない。
たとえば、蚊やアリを殺したりすることも、厳密にいえば下殺という殺生の罪になるのである。

 だが、こうしたことを、一つ一つ気にしても、そのたびに懺悔していたのでは、ノイローゼに
なってしまう。
もし、キリスト教で説く懺悔のように、一つ一つ告白し、許しを乞わなければ、その罪が消滅し
ないのだとすれば何も悪いことをしていると思わなくても、罪をつくることの方が多くて、人間
は永久にすくわれないことになってしまうであろう。

 しかるに「衆罪は霜露の如く慧日能く消除す」とは、御本尊に題目を唱えることによって、
自然に一切の罪業を消滅し、根本的に生命を浄化していくことができると申されているのである。

この一事を考えても、御本尊を受持し得たことは、実にありがたいことであるといわねばならない。

・・・・・・・・・・・・
不如帰 様の申されていることには、賛同できません。

このブログは54年問題総括の場ですが、書き込みの内容が外れすぎていませんか。

なぜ、54年問題について、新・人間革命での記述に事実が書かれていないかを、教えてもらえますか・・・?

光日房御書 P0930
小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、

不如帰 様、一日も早く懺悔して、ご本尊様にお詫びの題目を、あげることをお勧めいたします。
一切業障海皆従妄想生若欲懺悔者端坐思実相衆罪如霜露慧日能消除の事を学びましょうね。
 

再読願います。笑笑

 投稿者:通行します  投稿日:2017年 2月15日(水)17時42分12秒
  ダメだ、この人(爆)  投稿者:通行します
投稿日:2017年 2月14日(火)17時34分16秒   通報
もう、頭がパーン。
グリグリさん曰く、日本語通じない。笑笑

公式発表は代筆なんて言えないでしょうに。
そんな分かり切ったことを偉そうにね。
 

管理人様~工作員対策を~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 2月15日(水)16時48分48秒
  はよwww
厳正に対処願いまする~www
他の方は荒れないでね~
 

串なら削除www

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 2月15日(水)16時44分25秒
編集済
  不如帰は工作員ですよぉ~www  

順序が違います

 投稿者:不如帰  投稿日:2017年 2月15日(水)16時32分52秒
  再読お願いします。
創価学会から正式に池田先生と長男名でこのように文証が出されています。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/64429

>私のライフワークである小説「新・人間革命」もいよいよ30巻に入り、学会の正義の闘争を綴っていきます。
>法のため、友のため、社会のため、未来のための言論戦を戦う聖教新聞です。
>その共戦の「無冠の友」の皆さまの姿を浮かべる時、私のペンを持つ手には一段と力がこもります。
>2017年「無冠」

>前書き(「はじめに」)には、小説の執筆は「限りある 命の時間との、壮絶な闘争となる」と記されています。
>先生は、『新・人間革命』の執筆こそ、人生で果たすべき使命であると定められていると感じます。
>連載を待ってくれている読者、後継の弟子たちに、何を伝え残していくか。
>そこに、先生の人生を懸けた戦いがあるのだと思います。
>2017 2/1 創価新報 池田 主任副会長へのインタビュー 池田博正主任副会長

信濃町の人びと様達は新・人間革命が代筆である確証を得ていると仰せです。
そして、池田先生を利用した代筆が行われているとも言われています。
創価学会の正式文書と辻褄があわなくなるため、その一点だけ追及すれば
正式文書の改ざんが疑われるのですが、新・人間革命を検証するとは順序が違うでしょう。
もしや確証を得られていないために検証しなければならないのすか?
それならば池田先生の新・人間革命を検証するような愚かなことはおやめなさい。
師匠の書かれている小説を糾弾する弟子は前代未聞です。
宿坊の掲示板を読み返したところ新・人間革命の誤読があるのも事実です。
池田先生の構想と貴殿らの境涯のすれ違いは十分に考えられるでしょう。
そうなれば取り返しはつきません。宿坊の掲示板は師匠を貶めていたことに繋がるのです。

>呆れました! 投稿者:情報係 投稿日:2017年 2月15日(水)08時05分7秒
>本日の新・人間革命、「選挙で大きな喜びに包まれ、この朝を迎えた」???
>選挙は手段であって目的では無いと、何度も指導されていたと思いますがね。誰がこの文章を代筆しているのでしょうか?
>何を考えているのか、さっぱり分かりません。

>情報係さん 投稿者:ロマン 投稿日:2017年 2月15日(水)08時41分4秒
>その箇所は先生も随筆で書かれていたと記憶しています。
>法戦の勝利をもって集った会合が、会長辞任の発表の場となってしまい、暗い会合となったー
>というような内容だったかと。
 

大仏のグリグリ様【新・人間革命30巻 大山の章】について

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 2月15日(水)15時25分16秒
  新・人間革命の検証ありがとうございます。
今後の検証にもぜひご活用ください。

また、先生の書かれた随筆を読み直してみると、54年問題とは師と弟子の問題であることがはっきりと分かります。

正義の旗様の54年問題についての投稿(プロジェクトX様の再掲)
も併せて読むと、当時の最高幹部が池田先生を追放し保身に走ったことも明確ですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【随筆 新・人間革命 80 昭和54年5月3日 獅子となりて 我は一人征く】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64487

【随筆 新・人間革命 嵐の「4・24」 (1999年4月27日)】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64486


《大仏のグリグリのとこ》
>>新・人間革命30巻「大山の章」もまだ途中ですが、ここで今までのところまでを山友裁判対策で学会の法務局が作成した「総合経過年表」と比較していきましょう。<<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64319

《正義の旗》
【54年①】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64470

【54年②】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64471

【54年③】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64473

【54年④】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64474
 

役職について

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 2月15日(水)14時47分55秒
編集済
  信行学の実行が伴わない,
上に上がるだけの日本の役職。
300人もいる副会長がその機構を証明していますね。

3人の職員さんの更新ブログ読みました。

役職は、循環させた方が健康的です。
しかし、ここで1番注意しなければならないのは、1番の最高幹部、会長や、各国の理事長なども、
徹底して、1~2年の短期間で循環させることを絶対に例外にしてはいけない事です。
なぜならば、トップを10年も同じ人にさせて、現場のリーダー達を短期間の名目で循環させていると、逆に其のシステムが仇になり、あっという間に国の最高幹部等は理事長の取り巻きで固められます。
任期という大義名分がまかり通っていますから、誰も文句を言う人はいません。
そして、一度この人事ができてしまうと、先生ほどの立場の人が介入しないと、改善はほとんど不可能です。
これが、この国が長年かけて「謗法の国」になる事が可能だった最大の理由です。
その任期制度をたてたのも理事長なら、理事長だけは3期までできる(一期3年)という制度を立てて、現実に9年居座り続けたのも理事長です。
(もちろん、今となっては、SGI本部がその裏にいたのがはっきり見えます。)
ですから、もし今後組織改革をするにしても、二の轍を踏んではいけないと思います。

学会側は6人も弁護士を雇っているとの事。
その費用はどこから出ているのでしょうか???
人のふんどしですもうを取るとは、まさしくこの事でしょうね。

心ある会員をばかにするにも程があります。
自腹をきったらどうですか。
もっとも、その自腹さへも、人のふんどしですね。
 

役職降りる?

 投稿者:通行します  投稿日:2017年 2月15日(水)12時54分41秒
  それって個人の判断でしょ。だからどうしたって感じしますが?

疑うわけではないがアラシの誘い水になりかねないよ。
そんな意味ない投稿はよろしくないね。
 

(無題)

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 2月15日(水)12時49分53秒
  信濃町の人びとさん、随筆の本文掲載、ありがとうございます。  

(無題)

 投稿者:足立区より  投稿日:2017年 2月15日(水)12時35分26秒
  この掲示板を見て地区婦人部長が活動を見直したいと、役職を降りました。勇気ある決断であると思います。また、同じように役職を降りる方が続く気配がします。  

日顕と瓜二つ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 2月15日(水)12時32分23秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

(# ゜Д゜)小日顕秋谷(# ゜Д゜)頭のカッコが瓜二つ
 

八尋(# ゜Д゜)

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 2月15日(水)12時30分23秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

(# ゜Д゜)法匪(# ゜Д゜)ヤ・ヒ・ロ(# ゜Д゜)
 

ブレイクタイム ! 太ちゃんさんへ

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 2月15日(水)12時30分1秒
  「質問」http://6027.teacup.com/situation/bbs/64428
幽霊というものはいない、という根拠のヒントでも教えて頂けるとありがたいです
僕だけでなく、同類の「不可思議なこと」を他の複数の人で最近だけど体験したのですよ。

「所感」
すでに、寝たきりオジサンさんが自身の体験を通して話してくれていますので
もういいか ? と思いましたが、グリグリも結構好きです。そういう話――。笑

まず「幽霊」という言葉の定義から見ていきましょう。
仏教大辞典によれば、幽霊とは

①幽冥界の精霊のこと
②六道の衆生が見ることも知ることもできないもの
③特に人の死後の「霊魂、諸天、鬼神」なども幽霊という

とあります。霊魂とは

①日本では神霊視されて神霊となり、他方では恐怖の対象として「もののけ」「おにし」などとなった
②哲学上の「我・自我」は別として、一般にいう人だまや人に害をする怨霊等の霊魂は仏法上は認められない
③御書でしばしば使われる「たましい」とは霊魂ではなくて、精神や生命の意味である

とあります。

さらに、御書には「幽霊」という言葉が、2か所出てきます。

「今法蓮上人の送り給える諷誦の状に云く「慈父〝幽霊〟第十三年の忌辰に相当り・・・」(1045㌻)
「御願文の状に云く・・・・同状に云く「伏して惟れば先考の〝幽霊〟生存の時弟子遥に千里の山河を・・・」(1420㌻)

というものです。

おそらく、大聖人御在世当時の日本においては
亡くなった人のことを「幽霊」と表現する文化があったのではないかと思われます。

これらの事例から仏法でいう「幽霊の否定」とは、
一般にいう「人だま」や「人を害する怨霊」等の霊魂の否定です。

これらは仏法上は〝認めていない〟ということです。そして、その根拠は仏法で説く「生命哲学による」です。

特に日蓮仏法で説く「大生命哲学」を真摯に探究していけば、それが容易に理解できます。
たとえば、一念三千論・因果倶時論・三諦論、三世の生命論等々、また、池田先生の大我論(我即宇宙・宇宙即我)などです。

上記のことを前提として、グリグリの主観を述べたいと思います。

世の中に、太ちゃんさんのいうように「不思議なるもの」はあるのか、ないのか――。

グリグリは「ある」と思います。
幽霊がいても何ら不思議ではないと思います。

ただ、その幽霊が「見える、見えない」は各人の主観によると思う。

考えてみれば、人が死ねばその生命は宇宙の生命に冥伏するというのも不思議だし、
また、条件がそろえば生まれてくるというのも不思議な話です。

人が睡眠をとっている時、意識はどこにあるのでしょうか。
もしかして宇宙に冥伏しているのでしょうか。

もし仮に、睡眠中に意識は大宇宙に冥伏しているとしたら、
なぜ睡眠をとれば目覚めた時、体の疲労は回復しているのでしょう。

不思議なことだらけです。

我が生命と宇宙の生命を合致させゆくのですから、
我が生命と死んだ人の生命が感応しないわけがないと思うし、
幽霊が見えたとしても不思議ではないし、

見えなくとも、死んだ人の存在や気配を感じたとしても何も不思議ではないと思います。

グリグリもそのような体験はありますし、
死んだ両親や友人とも〝死んだ後〟一緒に題目を唱えたこともあります。

きっと、両親や友人の生命と、我が生命が感応していたのだと理解しています。

その現象が「怖いのか、恐怖に感じるのか」は、各人の主観によると思います。

以上、簡単ですがグリグリの所感を述べました。
 

勃樹(# ゜Д゜)テメーの脳みそはクソか?

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 2月15日(水)12時27分51秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

(# ゜Д゜)ぼっき(# ゜Д゜)
 

原田(# ゜Д゜)何が一番弟子だ笑わせるな(# ゜Д゜)

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 2月15日(水)12時23分59秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

原田(# ゜Д゜)テメーチョーしに乗んな(# ゜Д゜)

 

昭和54年4月・・私は高校1年

 投稿者:匿名メール  投稿日:2017年 2月15日(水)11時02分14秒
  池田先生が第三代会長を退任される・・これは今から振り返っても人生最大の衝撃でした。
当時、行き場を制約された先生は、創立者として学園にも来訪してくださった。先生のお顔を拝見し、涙が流れました。
 私は、数多いる、先生の弟子の中で、最も出来の悪い奴かもしれないけど、決意したことは必ず成就してみせると決意し、死ぬまで、結果を現していきます。
 

役職

 投稿者:フラフラ  投稿日:2017年 2月15日(水)10時54分24秒
  たしかに、総合なんとか、、、なんとか主事とか、、、副なんとかかんとか、、、?
役職おおすぎます。リサイクルしましょう。それでなくとも現場は人手不足で
大変なんですから。ある程度の役職になったら、一ブロック幹部から始めましょう。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、東京から離れないのは一体ナゼですか~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 2月15日(水)10時05分57秒
  おはようございます。原田怪鳥様、あいも変わらず都内徘徊、誠に、ご苦労様で~す(笑)

東京都内での会合、または座談会には原田怪鳥様の御尊顔を拝見できるのデスが、どうして海外や地方には出向かれないのデスか~(笑)

都議会公明も自民と袂を分かつ状態、しかし国政においては相変わらずの蜜月関係、政策にしろ選挙にしろ自主投票が目立つ統制の無さ、

お花畑会員はともかく、今まで支援に応じてきた方々の基盤が揺らいでいるんじゃないデスか~(笑)

自民からの票も簡単にはもらえない状況、都議選は間近に迫ってる、東京都内を徘徊する理由は言わずもがなデスか~(笑)


せっかく一面に鳥取豪雪を取り上げているのデスから、さっさと鳥取に行かれたらどうデスか~(笑)

「直弟子」なんだからぁ~、最前線で会員を励ましましょう、

本部人事も???デスね~(笑)総合〇〇とか〇〇主事とか、ワケの分からない役職の名前だけが飛び交うヘンな人事(笑)

なんでこんなに入れ替えがあるんですか~(笑)逆に、こんなに入れ替えなければならない状況って、どんな状況デスか~(笑)

「新・人間革命」もいよいよ佳境に差し掛かってま~す(笑)執筆チームの皆さ~ん、何回でも言いますが、

「世紀の傑作」とするか「世紀の駄作」とするかは、全てアナタ達にかかっていま~す。

師匠を裏切った弟子との汚名を末代まで残さないように、真実を描かれるようにお願い致しま~す(笑)
 

率先垂範

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年 2月15日(水)09時47分13秒
  元愛読者様
>直感で申し訳ないですが、当板でなされている論は、本当に弟子の総括だとお思いでしょうか。<

::::::

まず、論と云っても様々であり、価値を生む総括(論)もあれば、マイナスや、どうでもいい総括もあるでしょう。それを一括りにしたところで意味もないし、価値もありません。私も論じている一人として心掛けていることは、価値ある投稿をすることであり、自分の文章には、当然責任をもっています。人もそうですが、大事なことは、一面だけをみて全体を判断しないことです。長所も短所も、善も悪も兼ね備えているのが人間であり組織です。

54年を総括することは、創価学会の宿命転換につながります。宿命転換とは、価値に転換するということです。どこまでいっても価値を創造できるかどうかなのです。私の中ではすでに、54年の総括はできており、どうしたらいいかの道筋(ビジョン)も出来ています。また、日蓮仏法は「活の法門」です。それは、すべてを活かしきる智慧です。いかなる投稿であろうとも、価値へと転換することはできます。

宿坊の掲示板総体として、弟子の総括となっているかの判断は、個々の主観によります。率先垂範こそが弟子の戦いですので、総括に不足を感じるのであれば、自らが投稿し補っていくこと。誰かを頼るのではなく、自分がやる。それが「弟子」の総括でしょう。私は私の信念に従い、今ある自分の力の限りの投稿をしています。

 

ロマン様

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 2月15日(水)09時31分22秒
  今日夜半に私の投稿を削除されたので、管理人のご教示待ちです。
ご意見ありがとうございます。
 

情報係さん

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年 2月15日(水)08時41分4秒
編集済
  その箇所は先生も随筆で書かれていたと記憶しています。
法戦の勝利をもって集った会合が、会長辞任の発表の場となってしまい、暗い会合となったー
というような内容だったかと。

別記:元愛読者さん
釈尊亡き後、弟子達が集って「私はこのように聞いた」「そのとおりだ」との弟子達のやり取りがあったわけですよね。
「私はこのように聞いた」「いや、私は反対にこのように聞いたが」といったやり取りもあったに違いないでしょう。
大事なことは、先生の発言が一部の人にだけ伝わり(先生の意図とは別に)、それが明るみにならず、消えていってしまうことです。
その場にいた人々が「そのとおりだ!」という先生の指導を記憶ベースから紡ぎだすことは、その場にいなかった人々にとっても貴重な情報になります。
スピーチに掲載されない→池田大作全集に載らない→絶版。よって、未来に残らない。
信濃町の人々さんは真実が残らないことを危惧されているのではと思います。
 

呆れました!

 投稿者:情報係  投稿日:2017年 2月15日(水)08時05分7秒
  本日の新・人間革命、「選挙で大きな喜びに包まれ、この朝を迎えた」???

選挙は手段であって目的では無いと、何度も指導されていたと思いますがね。誰がこの文章を代筆しているのでしょうか?

何を考えているのか、さっぱり分かりません。
 

池田先生を都合よく利用する原田執行部

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 2月15日(水)07時42分52秒
編集済
  ※「一番弟子」を「直弟子」に修正させて頂きます。

~~~~~~~

9・19安保法制決議の時も、「池田先生がご発言をされないという事は肯定されている」と言った幹部がいた。
2014年11月8日に発表になった会則改定も同様です。
そして今は、新・人間革命も「池田先生がご執筆されているから正しい」と。

思い出して頂きたい。
2010年5月まで、池田先生が自語相違するご発言をされた事があったであろうか。
本幹同中で過去と違うご発言をされたことがあったでしょうか。

近年では、原田会長の事を「直弟子」というメッセージがありましたね。
もし、原田会長が直弟子なら、2006年11月に原田氏が会長就任された時に、池田先生がご発言されているはずです。
しかし、原田氏が会長就任した11月に、池田先生はこのようにご発言されています。

~~~~~~~
【2006年11月22日全国合同協議会】より

・幹部が役職を笠に着て、威張る。大変なことは人にやらせて、自分は楽をする。そんな権威主義の学会になってしまったら、大変だ。一生懸命に戦ってくださる学会員に申し訳がない。
たとえ、会長であっても、特別な存在ではないのだ。
民衆の真っただ中で広布に戦う人が一番偉い。
広布のため、同志のため、だれよりも真剣に祈り、戦う人が会長なのである。
その意味で、全員が会長の自覚で進んでいけばいい。
(スピーチ全文)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29864
~~~~~~~

池田先生が明確に「会長であっても特別な存在ではない」とおっしゃっているのに、なぜ原田会長が直弟子なのでしょう。

新・人間革命も同様です。
『随筆 桜の城』に掲載されている、『執行部の罪』に関する以下の内容は、新・人間革命 大山の章には出て来ません。

~~~~~~~
・なんと、ふがいない幹部たちよ。私を引退させておいて、自分の責任まで忘れ去っている臆病な姿に、私は怒りを覚えた。

・また、登壇した最高幹部は、ほんの数日前の会合まで、私を普通に「池田先生」と言っていたのが、宗門を恐れてか、ただの一言も口にできない。
私をどうこうではない。それは、強き三世の絆で結ばれた、会員同志の心への裏切りであった。

・学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。

・「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。
~~~~~~~

池田先生は自語相違していません。
原田執行部が、池田先生を都合よく利用しているのです。

池田先生に恩を感じるなら「随筆 桜の城」を一読して頂きたい。
池田先生を見失わない慧眼を持って頂きたい。

自分の気持ちは、この句に帰結する。
師の悔しさを我が悔しさとして、声を上げ続けるのみです。

『あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ
  夕闇せまりて 一人 歩むを』



※執行部の罪について
【保存用文証】「五月三日へ私の誓い」会長 秋谷栄之助
http://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/58665

※当時の執行部の実名
【保存用文証】聖教新聞から抜粋した54年問題の真実
http://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/58664
 

池田先生の随筆に学ぶ【随筆 新・人間革命 80 昭和54年5月3日 獅子となりて 我は一人征く】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 2月15日(水)07時32分58秒
  随筆 新・人間革命 80
昭和54年5月3日 獅子となりて 我は一人征く


 その日は、雲一つない”五月晴れ”であった。
 武蔵野の丘は、生命と青春を飾りゆくように、ツツジの花に包まれていた。

 その花々の彼方は、大きな真実の沈黙を漂わせた、新緑に輝いていた。

 妻が、まぶしそうに言った。
「まるで、十九年前と同じ天気ですね……」



 たしかに一九六〇年(昭和三十五年)、私が第三代会長に就任した日も、快晴であった。
 その日の夜、大田区の小さな貧しい家で、二人して夜空を仰ぎ、「あの星は、ホタルが輝いているように見える」と語り合ったことを思い出す。
 この十九年間、絶望の闇を切り開き、無限の平和の大帝国を建設するために、わが死闘は続いた。



 一九七九年、すなわち昭和五十四年の五月三日――。

 間もなく、創価大学の体育館で、〃七つの鐘〃の総仕上げを記念する、第四十回の本部総会が行われることになっていた。
 本来ならば、その日は、私は、偉大なる広宣流布のメッセージを携えて、創価の栄光を祝賀する日であった。

 すべての同志が熱意に燃えて、楽しき次の目標をもち、至高の光を胸に抱きながら迎えゆく、歓喜の日であった。

 尊い広布の英雄たちが微笑をたたえ、共々に、珠玉の杯を交わしながら祝うべき日であり、大勝利の鐘を自由に打ち鳴らす日であった。
 しかし、嫉妬に狂った宗門をはじめ、邪悪な退転者等の闇の阿修羅が、この祝賀の集いを奪い去っていったのである。



 午後二時から始まる総会の開会前であった。

 妬みと滅びゆく瞋恚の魂をもつた坊主を乗せたバスが、大学に到着すると私は、ドアの前に立ち、礼儀を尽くして、彼らに挨拶した。

 ところが、坊主たちは、挨拶一つ、会釈一つ返すわけでもなく・冷酷な無表情で、傲然と通り過ぎていった。

 学会伝統の総会も、いつものように、学会らしい弾けるような喜びも、勢いもなく、宗門の〃衣の権威〃の監視下、管理下に置かれたような、異様な雰囲気であった。

 ある幹部が後で言っていた。

 「冷たい墓石の上に座らされたような会合であった」激怒した声が多々あった。

 会場からの私への拍手も、遠慮がちであった。
 また、登壇した最高幹部は、ほんの数日前の会合まで、私を普通に「池田先生」と言っていたのが、宗門を恐れてか、ただの一言も口にできない。

 私をどうこうではない。

 それは、強き三世の絆で結ばれた、会員同志の心への裏切りであった。

 婦人部の方が怒っていた。
 「どうして、堂々と、『今日の広宣流布の大発展は、池田先生のおかげです』と言えないのでしょうか!」と。

 私が退場する時も、戸惑いがちの拍手。

 「宗門がうるさいから、今日は、あまり拍手をするな。特に、先生の時は、拍手は絶対にするな」と、ある青年部の最高幹部が言っていたと、私は耳にした。

 恐ろしき宗門の魔性に毒されてしまったのである。言うなれば、修羅に怯えた臆病者になってしまったのである。

 しかし、私を見つめる同志の目は真剣であった。声に出して叫びたい思いさえ、抑えに抑えた心が、痛いほど感じられた。体育館を出た直後、渡り廊下を歩いている私のもとに駆け寄って来られた、けなげな婦人部の皆様との出会いは、今も、私の胸に深く、くい込んで離れない。



 会合が終わり、特別の控室にいた高僧や坊主どもに、丁重に挨拶をしたが、フンとした態度であった。これが人間かという、そのぶざまな姿は、一生、自分自身の生命に厳存する閻魔法王に、断罪されることは、絶対に間違いないだろう。

 仏法は、厳しき、「因果の理法」であるからだ。

 私は思った。
 宗門と結託した、学会攪乱の悪辣なペテン師たちは、これで大成功したと思い上がったにちがいない。彼らは、「これで、計画は着々と準備通りに進んでいる。これでよし! これで完全勝利だ」と計算し、胸を張っていた。

 その陰湿さと傲慢さが、私には、よく見えていた。

 私は、ずる賢き仮装の連中の実像を、その行動から見破ることができた。

 この陰険極まる、狡猾な連中には、断固として、従ってはならない。いかなる弾圧を受けようが、「忍耐即信心」である。

 学会は、蓮祖の仰せ通りの信仰をしている。死身弘法の実践である。柔和な忍辱の衣を着るべきである。

 学会に敵対する彼らは、蓮祖の姿を借りて、真実の仏の使いを道具にし、利用し、破壊しているのである。

 これが、恐ろしき魔性の荒れ狂った、現実の実態であった。あまりにも悲しく、あまりにも情けなかった。

 本来、宗教は、人間の幸福のためにあるものだ。

 それが坊主の奴隷になり、権威の象徴の寺院・仏閣の下僕のになってしまうことは、根本的に間違いである。



 私は、重荷を、また一層、背負った気持ちで、皆と別れ、自宅には帰らず、神奈川文化会館に走った。

 「今朝の新聞に・先生のお名前が出ていました」

 神奈川文化会館で、側近の幹部が教えてくれた。
    この三日付の読売新聞には、日米国民の「生活意識」調査の結果が掲載されていた。
 その中に、日本人が「尊敬する人物」に挙げた上位二十人の第六位に、私の名前が出ているというのであった。

 上から、吉田茂、野口英世、ニ宮尊徳、福沢諭吉、そして、昭和天皇と続き、その次が私である。

 「会長勇退」直後の五月三日に、このような記事が出たことに、私は不思議なものを感じた。
 また、同志の皆さまが懸命に私を応援してくださっているようにも思われた。

 数日後、ある識者の方からいただいたお手紙は、この調査のことを非常に驚かれ、こう結んであった。

 「現存する人物では、民間人の第一位です。
 そして、日本の宗教界では、貴方、お一人だけです。まさに宗教界の王者です。どんなに、戸田会長がお喜びになるでしょうか!」



 「大事には小瑞なし、大悪を(起)これば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」(御書一三〇〇㌻)とは、日蓮大聖人の絶対の御確信であられる。

 誰が何と言おうが、私は私の信念で勝つことを決心した。

 そして、ただ一人、今まで以上の多次元の構想をもちながら、戦闘を開始した。

 「獅子は伴侶を求めず」とは、よく戸田先生が、私に言われた言葉である。

 一人、孤独になった私は、無言のうちに、必ずや、真実の伴侶はついてくるであろうと信じていた。

 師弟の両者が一つの姿で、無限に戦い、舞い、走り、勝利しゆく。私は、その新しき時代の、新しき伴侶を待っていた。

 神奈川の地は、世界に通じる港である。
 ここから、私は「一閻浮提 広宣流布」との大聖人の御遺言を遂行する決意を新たにした。そして、「正義」という二字を書き記した。

 この意義を深く留めて後世に伝えてほしいと、側にいた数人の弟子に託した。
 五月五日のことである。



 いったん帰京した私は、東京の開拓の新天地、第二東京の拠点の立川文化会館に向かった。すでに、夕方近かった。

 別な世界を見る思いで、まさに沈みゆかんとする夕日の光景を、しばし呼吸した。

 夕暮れの立川に着くと、その清楚な頬に頬ずりしたいような、憧れの月天子が顔を見せてくれた。

 私は一詩を詠んだ。

  西に 満々たる夕日
  東に 満月 煌々たり
  天空は 薄暮 爽やか
  この一瞬の静寂
  元初の生命の一幅の絵画
  我が境涯も又
  自在無礙に相似たり

 この日、五月十一日の日記に記したものである。

 世界の創価学会は、太陽と同じく、太陽の生命で、永遠に転教を休むことなく、進みゆくことであろう!
 また、断固、勝っていくことであろう!

聖教新聞 1999.5.1 付 随筆 新・人間革命 80
 

池田先生の随筆に学ぶ【随筆 新・人間革命 嵐の「4・24」 (1999年4月27日)】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 2月15日(水)07時25分5秒
編集済
  随筆 新・人間革命
嵐の「4・24」 (1999年4月27日)


    先日、ある著名な学者から、伝言をいただいた。それは、私を励ましてくれる好意的な内容であった。

「これだけ壮大なる創価学会になったからには、苦労も苦難も多いでしょう。
日本を動かす原動力の一つになったことは、まことに偉大なことであります。

    若い時に、身体が弱かった貴方だから、健康のことを心配しておりましたが、この何十年もの間に、いよいよ大偉業を完遂してゆく姿に、心から感嘆し、頭が下がる思いです」

    また、ある高名な方からも、励ましのお手紙をいただいた。

   「これほどまでに、平和勢力を築き上げた大事業に、喝采を送ります。

    戦前戦後を通じて、これほどの業績は、誰も成し遂げることができませんでした。政治家でもない、著名人でもない、一民間人が、戸田会長という偉大な師匠があったことは事実としても、これほどの大業は、とうていできないものです。

    しかも、悪意の中傷を数多く受け、さらにまた、反対勢力の策略と陰謀を撥ね返してこられた。日本狭しと見下ろしながら、全世界を志向してのご活躍、そして、巨視眼と先手を打ちながらの平和活動は、それはそれは、歴史に残ることは絶対に間違いないでしょう」

    また、長年、おつきあいした文化人からは、「奇跡という他ない。誰からも誉められず、嫉妬され、けなされながらも、現実に未だかつてない偉業を創り上げた大芸術は、ナポレオンもユゴーも、きっと賛嘆するであろう」と。

   一九七九年(昭和五十四年)の四月二十四日――。

    この日、私は、十九年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。

    全国の、いや、全世界の同志は、その発表に、愕然として声をのんだ。

    その背後には、悪辣なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。

    なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧であった。

    正義から転落した、その敗北者たちは、今でも、その逆恨みをはらさんと、卑劣な策略を続けている。これは、ご存じの通りである。

  御聖訓には、随所に説かれている。

「法華経の行者は諸々の無智の人のために必ず悪口罵詈等の迫害を受ける」と(御書140ページ等、趣旨)。

    広宣流布の闘争のゆえに、悪口罵詈されるのが、真の法華経の行者といえるのである。

    さらに「佐渡御書」には、「賢人・聖人は罵詈して試みるものである」(御書958ページ、通解)と。<「賢聖は罵詈して試みるなるべし」>

    真実の信仰者は、罵詈され、讒言され、嘲笑されて、初めてわかる。

   畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友たちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。心痛に、夜も眠れなかった。

   私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和合の道を探り続けた。しかし、後に退転した、ある最高幹部の不用意な発言から、その努力が、いっさい水泡に帰しかねない状況になってしまったのである。

  それは、最初から、学会破壊を狙っていた仮面の陰謀家どもの好餌となった。

   坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。

   私は苦悩した。

――これ以上、学会員が苦しみ、坊主に苛(いじ)められることだけは、防がねばならない。

   戸田先生が「命よりも大事な組織」といわれた学会である。民衆の幸福のため、広宣流布のため、世界の平和のための、仏意仏勅の組織である。

    私の心中では、一身に泥をかぶり、会長を辞める気持ちで固まっていった。
また、いずれ後進に道を譲ることは、何年も前から考えてきたことであった。

   ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。
「私が辞めれば、事態は収まるんだな」。

   沈痛な空気が流れた。

やがて、誰かが口を開いた。
「時の流れは逆らえません」

    沈黙が凍りついた。
わが胸に、痛みが走った。

――たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。

   また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。

   しかし、時流とはなんだ! 問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。

   そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。

   宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。

  それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。

   情けなく、また、私はあきれ果てた。

戸田会長は、遺言された。

「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ!
そうすれば、必ず広宣流布できる」と。

   この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。
   ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!

   そんな渦中の、四月十二日、私は、中国の周恩来総理の夫人であるとう鄧穎超女史と、迎賓館でお会いした。その別れ際に、私は、会長を辞める意向をお伝えした。

「いけません!」
″人民の母″は笑みを消し、真剣な顔で言われた。

「まだまだ若すぎます。何より、あなたには人民の支持があります。人民の支持のあるかぎり、やめてはいけません。一歩も引いてはいけません!」

    生死の境を越え、断崖絶壁を歩み抜いてこられた方の、毅然たる言葉であった。

   やがて、暗き四月二十四日を迎えた。火曜日であった。全国の代表幹部が、元気に、新宿文化会館に集って来た。

   しかし、新たな″七つの鐘″を打ち鳴らす再出発となるべき、意義ある会合は、私の「会長勇退」と、新会長の誕生の発表の場となってしまったのである。

   大半の幹部にとって、まったく寝耳に水の衝撃であった。

私は途中から会場に入った。

「先生、辞めないでください!」
「先生、また会長になってください!」
「多くの同志が、先生をお待ちしております!」などの声があがった。

皆、不安な顔であった。

「あんなに暗く、希望のない会合はなかった」と、後に、当時の参加者は、皆、怒り狂っていた。

私は、厳然として言った。

「私は何も変わらない。恐れるな!
   私は戸田先生の直弟子である!
   正義は必ず勝つ!」と。


    あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ
   夕闇せまりて 一人 歩むを


これは、四月二十四日に記された日記帳の一首である。

   わが家に帰り、妻に、会長を辞めたことを伝えると、妻は、何も聞かずに「ああ、そうですか……。ご苦労様でした」
と、いつもと変わらず、微笑みながら、迎えてくれた。
 

わが友に贈る 2017年2月15日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 2月15日(水)07時23分43秒
  勝利の知恵は
組織の最前線にあり。
リーダーは喜び勇んで
同志の輪に飛び込み
現場の声を生かせ!
 

その意図は

 投稿者:目線  投稿日:2017年 2月15日(水)07時10分17秒
  寝たきりオジサン様

あなた様の投稿の端々(ほとんど気づかれない程の巧妙さ)に見られる、組織誘導の意図や財務、選挙活動への奨励

そして、なぜ今、「池田先生の女性に贈る言葉」なのでしょうか。
おまけに今日の言葉は地域友好奨励

婦人部は言わずと知れた選挙の最大戦力

選挙が近いですね
 

管理人さま

 投稿者:元愛読者  投稿日:2017年 2月15日(水)06時43分11秒
  おはようございます。
今日1時過ぎの私の投稿を削除された理由を教えていただけますでしょうか?
 

2002年5月1日の本部幹部会

 投稿者:ただ一言  投稿日:2017年 2月15日(水)06時09分45秒
  再度投稿します。男子部時代に参加しました。
今から15年ほど前のこと。

※敬称略、多少の記憶違いはご了承ください。同中でカットされた部分を中心に。

2002年5月1日。
八王子の創価大学池田記念講堂での第16回本部幹部会。
創立72周年記念の5月3日を祝賀する本部幹部会。天井が高い講堂内は第三層まで埋めつくされていた。
二部形式の会合。
うす暗い静寂の中。第一部がはじまる。世界で一流のSGIメンバーの音楽の祭典。まるでコンサート会場のようだった。
ジャス風にアレンジされた「母」
ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ネスター・トーレス、ラリー・コリエル、そして日本のシュンゾウ・オオノの夢の競演。まったく門外漢の私でも、華麗な演奏に感動して身動きがとれなかった。そのなかでも病を克服されて舞台に立ったパスカル・オリベア夫妻の舞うような「勝利のダンス」ボレロ。その波のように繰り返す伴奏。度重なる苦難を勝ち取った執念を物語り、圧巻だった。

一転し会場が明るくなった。
池田先生が入場され、スピーチがはじまる。

5.3を記念する祝賀する会合。先生はいつも以上にご機嫌のご様子だったと記憶する。

「今日は、おまつりだから…」

後継の未来部を激励する。
青年部の戦いに期待する。
婦人部を讃えて「創価学会の7割は婦人部でもっている」と。壮年部にも言葉をかける。
5.3記念の会合にあたり、戸田二代会長の遺言「第三代会長がいれば、必ず広宣流布はできる。第三代会長を皆で守れ」も紹介された。

この頃なんども言われていたが…
「ここにいる一人一人が、自分が会長の自覚で…」と。外に向けて堂々と勝利の姿を見せていきなさいとのご期待の言葉も。

スピーチの途中。
壇上の一人に目を移す。当時の佐藤全国男子部長その人。

「佐藤、いくつになった。」
「42?です」(43?不明)
「50才まで青年部をやりなさい」
手続き上すぐには無理だかと前置きされ
「会長は青年部から出す」と。


(この会合からしばらくして、谷川青年部長と佐藤男子部長は青年部在籍のままで、突然に副会長に就任)

またスピーチに戻りしばらくして。

それは、晴天の日の突然の雷のような出来事だった。

先生のすぐ隣。
振り向きざまに。
天を切り裂くような一言。

「秋谷、お前は私を守ると言って守らなかった」

膝に手を置いたまま身動きできない。もちろん返す言葉もない。

その返す刀で…


「野崎、お前も私を守ると言って守らなかった」と。
同じく身動きひとつできない。

先ほどまで、あんなにご機嫌だった先生の叱責に講堂は驚き、時間が止まったように静まりかえった。

正直に思った。
「先生は今だに許していないのだ」
会長を辞めさせられた昭和54年から二十数年経っていても先生はあの日のことを…

今でもひとつ、心残りがある。

先生のスピーチが終わり、先生が退場される。
普通の本幹なら先生の退場と共に、参加者のどこからか先生を慕い声があがる。「先生」「先生」と…

しかし、池田講堂には数千人もいたはずなのに私を含めて、誰一人声をあげなかった。拍手はあった。先生が寂しく退場して行った。会場の荘厳な雰囲気はあったのだか…なぜ「先生」と声が出なかったのかと。

そして、ふと思った。54年もこんなだったのか…と。




創価大学の池田記念講堂。100人はいただろうか?壇上の最高幹部と創価大学の職員。
数千人の当時の参加者が証人です。







 

誰が執筆者か

 投稿者:クリスタル  投稿日:2017年 2月15日(水)02時57分51秒
  ご存知の通り、日蓮大聖人の御書には真偽未決のものが沢山あります。
真筆が残っているもの、確実に証明できるものだけを信頼するならば、開目抄、報恩抄アウトです。生死一大事血脈抄、諸法実相抄、問題外になります。そもそも論で法華経の成立過程を云々することになるでしょう。
多くの遺文は、日蓮の志、思想性に合致するからこそ用いられてきた。
力と価値があったのです。
それらを日蓮の権威を利用した偽書、自己の権威付のための日蓮借りと一緒にするのか。
日蓮名義だから出家功徳御書を用いるのか。
池田大作名義なら何でもよいのか。
 

春様昨日のお休み投稿なく

 投稿者:  投稿日:2017年 2月15日(水)01時40分0秒
  心配しております。
あなたの投稿でいつも、安心して、
眠りに入れます。風邪でもひかれましたか
お身体ご自愛くださいませ。
 

「暴虐の限りを尽くしてきた歴史がある。」

 投稿者:感性  投稿日:2017年 2月15日(水)01時09分50秒
  >従軍慰安婦を汚らわしい商売女と罵る婦人部本部長  投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 2月14日(火)19時36分7秒

その婦人部本部長による慰安婦罵倒はにわかには信じられないぐらい池田思想の真逆です。先生のスピーチに加害暴虐については全て含まれています。特定語句の使用・未使用は関係ありません。


>投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月22日(水)21時53分48秒
>池田大作全集75巻より
>第二回全国男子青年部幹部会 (1990年9月30日)

>■権力と戦った詩人・ 尹東柱ユン・ドンジユされたものである。
詳細は
http://sgi-shiteifuni.com/?p=5692

 

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