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【正論】日本にもマッドドッグが必要だ 無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では「悪」である 東京国際大学教授・村井友秀

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日本にもマッドドッグが必要だ 無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では「悪」である 東京国際大学教授・村井友秀

正論更新

 今回の日米首脳会談でも同盟強化が確認された。強い同盟は共通の価値観によって支えられている。日米は共通の価値観を持っているのか。

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 2月3~4日、「マッドドッグ(狂犬)」マティス国防長官が来日した。日本で嫌われる狂犬がなぜ米国で尊敬されるのか(議会承認で反対票は1票だけだった)。優しさを重んじる日本に対して米国は力を信奉する社会であり、マッドドッグは力の象徴である。

≪無視されてきた軍隊本来の任務≫

 現在の世界には、テロや虐殺を防ぎ外国の侵略から自国を守る「正義の力」が存在する。正義の力は強ければ強いほど良い。

 ところが、第二次世界大戦後の日本では戦争が徹底的に否定され、軍隊は国民を害する存在と見なされて「軍隊からの安全」だけが議論された。「軍隊からの安全」のためには軍隊は弱いほど良い。他方、軍隊の本来の任務である外国の侵略から国民を守る「軍隊による安全」は無視されてきた。日本ではなぜ「軍隊による安全」が議論されないのか。戦後教育の結果である。戦後の日本は戦争を深く反省し、戦争に関係あるものを全て否定した。その結果、日本人の思想が世界の常識からずれていったのである。

 人間が行動する基準である道徳には、戦争時に必要な道徳と平和時に必要な道徳がある。戦争に必要な道徳とは、「戦友は助けよ、自身は死すべし」というものである。平和時に必要な道徳は「優しさ」である。戦場で勇猛果敢であることは善であり、敵に対して狂犬であることは悪いことではない。悪い奴と戦うときに「悪い奴を殺すのは楽しい」と言っている人間はよく戦うだろう。戦時に狂犬は役に立つのである。「優しさ」では悪い奴と戦えない。

 ≪平和主義は無抵抗主義か≫

 勇気や自己犠牲といった「軍事的徳」といわれる道徳は、世界中の国で戦争時にも平和時にも必要な道徳とされている。しかし、日本では戦後、戦争に関係のある道徳として「軍事的徳」は学校教育の中で否定された。「強い国より優しい国」が戦後日本の道徳の基準になった。優しさと平和主義が教育とマスコミを支配した。

 しかし、平和主義には問題がある。今、世界中の多くの国では、平和主義は無抵抗主義と同義であると見なされている。野蛮な軍国主義に抵抗しない無抵抗主義は、現代の国際社会の常識では悪である。現代の世界で正義とされている「反軍国主義」は軍国主義に抵抗する。悪に抵抗しない平和主義は正義ではない。国際社会が平和主義を否定するのは、「平和主義者が暴力を放棄できるのは、他の者が代わりに暴力を行使してくれているからだ」(ジョージ・オーウェル)。

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