ロシアのプーチン大統領と中国の習近平国家主席が肩を並べて軍事パレードを見守った5月9日の対ドイツ戦勝70年記念式典。会場となったモスクワ・赤の広場に、世界的注目を集めるもう一人の国家指導者の姿はなかった。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記。出席すれば約3年前の権力世襲以来、初めての外遊となったはずで、待ち構えた記者たちは肩すかしを食った。旧ソ連時代からロシアと北朝鮮の関係は深く、また複雑だ。式典の9日後、モスクワ西部の墓地の片隅に供えられた謎の白菊も、そのことを暗示していた。【モスクワ真野森作】
モスクワ中心部から約15キロ西にある「トロエクロフスコエ共同墓地」。自然豊かな森のような敷地に、顔写真や十字架を彫り込んだロシア人の墓が並ぶ。その中に一つ、ハングルと数字だけが刻まれたシンプルな墓がある。葬られているのは北朝鮮の2代目指導者、金正日(キム・ジョンイル)総書記(2011年12月死去)の最初の妻(パートナー)、成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。
北朝鮮の2代目指導者、金正日総書記の最初の妻、成恵琳(ソン・ヘリム)氏の墓。2区画分を占め、周囲の墓より少しゆったり造られている=モスクワ西部の共同墓地で2015年5月18日午後、真野森作撮影
横長の長方形で黒い墓石の表側には、ハングルで「成恵琳の墓 1937.1.24−2002.5.18」と刻まれている。裏側には「墓主 金正男(キム・ジョンナム)」とある。金総書記と成氏の間に生まれた長男で、01年に日本に不法入国しようとして拘束されたことでも有名だ。金第1書記の異母兄に当たり、海外生活を続けているとみられる。
墓の存在は数年前に韓国紙が報じた。金総書記は若き日、女優で人妻だった成恵琳氏を見初めて「略奪婚」したとされる。成氏は長くモスクワで療養生活を送り、そのまま異国の地で死去したという。もし正男氏が後継者に選ばれていたら、母親の墓も違った形になっていたかもしれない。
戦勝記念日の余韻も消え去った5月18日、成氏の命日に記者(真野)は一人、墓を訪ねた。鉛色の雲が垂れこめる夕方、墓地は人影もなく静まり返っていた。成氏の墓を見つけた瞬間、小さく息をのんだ。真新しい白菊十数本が供えられていたのだ。式典前の7日に訪ねた際には茶色く乾いた古い花束が残されていたので、命日に合わせて「誰か」がやって来たのは間違いない。
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在ロシア北朝鮮大使館の外部向け展示コーナーに飾られた金正恩第1書記の写真=モスクワで2015年5月7日午後、真野森作撮影
共同墓地からモスクワ中心部へ約5キロ戻ると、ハンガリー、ドイツなど旧東側諸国の大使館が並ぶ通りの一角に北朝鮮大使館が門を構える。鉄柵からは前庭が丸見えで、思いのほか開放的だ。塀に設けられたガラス張りの展示コーナーには、金日成(キム・イルソン)主席、金総書記、金第1書記と最高指導者3代の国内巡察の写真がロシア語の説明付きで何枚も飾られていた。ギリギリまで実現可能性のあった金第1書記の訪露に備え、大使館内では改修作業が行われていたとされる。
9日の戦勝式典には結局、高齢の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が出席した。日露外交筋は「ロシアは今回、欧州諸国よりも韓国、北朝鮮の首脳が来なかったことを気にしているとみられる。ロシアはソ連軍こそが朝鮮半島を解放したと考えているからだ」と指摘する。
ソ連軍は1945年8月、日本の敗戦を受けて朝鮮半島北部に入って日本軍の武装解除を行うとともに、スターリンの指示に基づいて「かいらい国家」として北朝鮮の形成を始めた。金主席もソ連軍人だった経歴を持ち、息子の金総書記には「ユーラ」というロシア名も与えていた。だが、北朝鮮はその後、ソ連の思惑から外れ、独自路線を突き進んでいった。
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現代に目を転じると、プーチン政権が進めるアジア重視の対外政策は北朝鮮をも包含する。
ロシア科学アカデミーのジェビン朝鮮研究センター所長は「ソ連崩壊後、縮小した露朝関係が再び拡大に転じている。ロシアは12年に極東ウラジオストクでアジア太平洋経済協力会議(APEC)を開催したころから関係強化に努めてきた。ロシア経済にとって北朝鮮は物流ルートとして大事だ。北朝鮮側も対露関係強化への関心は大きい。ロシアは人道問題など政治的条件を付けてこないからだ」と語る。
核開発問題についてジェビン氏は「北朝鮮にとってやむを得ないものだ。(米欧の軍事介入で体制が崩壊した)イラクやリビアの例を彼らはつぶさに見ている。彼らの安全保障問題であり、経済支援では決して解決しない」と強調した。
「核抜きに国家体制は守れない」とする北朝鮮指導部の思考様式は、核大国ロシアがウクライナの政変に乗じてクリミア半島を奪った国際的事件によっても強化されたに違いない。
一方、モスクワ国際関係大学の日本専門家、ストレリツォフ教授は「ロシアにとって北朝鮮との関係は、アジア政策の中でかなり価値がある。北朝鮮の核問題に関する6カ国協議が止まっている中、露朝関係強化はロシアが国際社会で発言権を取り戻す一つの手段になる」と分析する。
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さて、金総書記の妻、成恵琳氏の寂しげな墓に花を供えたのは誰だったのか。よく観察すると、白菊の下に隠れて赤いカーネーションも数本ささげられていた。5月のカーネーションといえば、母の日を思わずにはいられない。亡き母を思う息子の正男氏本人が来たのだろうか。異母弟・正恩第1書記は来なかったモスクワへ。それとも信頼できる知人に頼んだのだろうか。墓の掃除や草むしりがされた形跡はなく、雨で湿った地面には細巻きタバコ「Vogue(ボーグ)」の吸い殻が2本落ちていた。
北朝鮮の2代目指導者、金正日総書記の最初の妻、成恵琳(ソン・ヘリム)氏の墓。命日の5月18日、白菊と赤いカーネーションが供えられていた=モスクワ西部の共同墓地で2015年5月18日午後、真野森作撮影