世襲反対発言受け正恩氏指令か…金正男氏暗殺を「コリア・レポート」辺真一氏が分析
2017年2月15日6時0分 スポーツ報知
金正男氏は7年前の2010年10月に日本のテレビ局のインタビューに応じて、北朝鮮の3代世襲について「個人的には反対」などと批判し、開放を進めていくべきという考えを示している。ちょうど朝鮮労働党創建65周年の式典が行われているタイミングでのことだった。正恩氏が激怒するのは当然の発言で、これ以降「北朝鮮のゲシュタポ(ナチスの秘密警察)」と呼ばれる国家保衛省は、工作員に暗殺指令を出していたと言われている。
正男氏も身の危険を感じて、マカオ、シンガポール、マレーシア、フランスなどを転々としていた。最後に目撃されたのは、2014年9月29日午前8時、パリのシャンゼリゼ通りのホテルで、黒いジャンパー姿で若い女性と朝食をとっているところを韓国の東亜日報の記者が直撃した時だった。正男氏にとって安全な道は、韓国に亡命することのはずだが、この時は亡命の可能性について問われ「言えない」と口を閉ざしていた。
北朝鮮と国交のないフランスに滞在できたのは、正男氏の息子(ハンソル氏)がパリ政治学院に留学していたからだろう。北朝鮮と国交があるマレーシアやシンガポールよりも彼にとっては安全な居場所だったはずだ。
北朝鮮ナンバー2だった張成沢氏は正男氏のことを心配して「言葉に気をつけろ」と忠告していたが、張氏も13年12月に処刑されてしまった。その後、張氏一族はマレーシア大使だった勇哲氏を始め、大半が処刑されてしまい、マレーシアは正男氏にとって安全ではない場所のはずだった。
父親の正日氏は、世襲した正恩氏に対して「正男の面倒をみてやってくれ」と遺言を残していたと言われている。殺害の情報が事実ならば、それにもかかわらず正恩氏にとって正男氏は、目障りだったということかもしれない。(コリア・レポート編集長)