1. 研究の目的
 子どもたちの体力が低下する傾向は,1980年頃より歯止めのかからない状態が続いている。平成16年度の体力・運動能力調査報告書16)によれば,子どもの体力は,親の世代が子どもだったころ(20年前)より低下し,運動やスポーツをしている時間も親の世代に比べて大幅に少なくなっている。

 その要因のひとつとして,すでに数多くの識者が指摘しているように,小さな画面の中に身をおく遊びが,感受性豊かな子どもたちの心や体を様々な形で蝕んでいることは否めない事実といえる。最近話題の「ゲーム脳」18)は,その恐ろしさを示す事例である。この造語を考え出した森昭雄によれば,長時間,ゲーム漬けになっていると,意欲,判断,情動抑制など,人間らしさを保つために重要な働きをする大脳の前頭前野が平常時から機能しなくなってしまうという。「キレる」子どもたちを生み出している背景には,テレビゲームに浸り続ける子どもたちのライフスタイルがあると指摘している。

 また,正木ら13)は,1978年から定期的に子どもの体の調査を実施し「椅子に座っている際に,背もたれによりかかったり,ほおづえをついたりして,わずかな時間でもきちんと座っていられない」いわゆる「背中ぐにゃ」を子どもの体のおかしさとして報告している。1978年の調査では保育所で1割,小学校で4割程度の指導者が「背中ぐにゃ」を実感していたが,2000年には保育園・小学校ともに7割以上の指導者がこれを実感するまでになった。この他にも「つまずいてすぐ転ぶ」や「転んでも手がでない」など子どもの体のおかしさは非常に深刻な問題であり,まさに「人間そのものの危機である」と警告している。姿勢悪化の直接的な原因として,姿勢保持に必要な抗重力筋の機能の弱化,体幹筋力の低下などが指摘されており,このような中で,正木は「子どもを取り巻く生活環境は豊かになった反面,子どもの体を蝕み,体を自然に成長させる作用が弱くなっている」13)と説いている。情報機器へののめり込みの他にも,知識を過度に重視する大人の意識や,利便性ばかりを追う生活様式など,様々な要因が複雑に重なり合って子どもたちの身体活動の場が奪われていると言っても過言ではあるまい。

 こうした子どもたちの心身の発達への影響が心配される事態に対応して,姿勢の矯正体操や体力づくりのための運動プログラムなどは数多く考えられてきた9)21)26)。特に,背骨まわりの体幹筋強化を中心とした姿勢づくりの重要性は指摘されており,体幹と四肢の安定性を高めるトレーニング方法であるスタビライゼーショントレーニングもそのひとつとして注目を浴びている7)。しかし,これらの運動プログラムはどれも単調なものが多く,そのまま子ども達に指導することは,むしろ運動に対する意欲を減退させてしまいかねない。このことは,一向に低下傾向を止めることができないない子どもたちの体力について,中央教育審議会が「子ども自身が体を動かすことの楽しさを発見し,進んで体を動かすことによって体力が向上するなどのプログラムを開発・普及する」と答申していることからも容易に推測できる。今こそ,子どもが主体的に取り組むことのできる魅力溢れる運動内容を創意・工夫する必要があると考える。

 日本と同様にスイスにおいても,背中に障害を持つ子どもの割合は増え,10-13歳の学童時に三人に一人,14歳以上で二人に一人の割合で,背部に痛みを持つといった調査報告がなされている4)。こうした状況の中で,1984年にスイス学校体育連盟(Schweizerischer Verband fuer Sport in der Schule)は,Ursillをリーダーとして「動き豊かな学校(Bewegte Schule)」というプロジェクトを立ち上げた。ここでは,学校において長時間固定的に課せられる座位姿勢そのものを問題とし,これが体にとって実は大きな負荷になっていることを指摘している。その対応策のひとつとして,体育の授業の枠を越えて,学校生活全体で動き豊かな授業(Bewegte Unterricht)を推奨している。具体的には,子ども達は教室内の座学授業において椅子の代わりに大きなボール(Gボール注1)に座る試みがなされている(写真1)。

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写真1 動き豊かな授業の様子(スイス)
動画(QuickTime形式296KB) 

ここでは,学習する子ども達の姿勢を固定的なものとしてとらえず,よりアクティブな観点から子ども本来の生活スタイルそのもののあり方を問い直している。現在,このプロジェクトの活動はスイス国内で5000を越える教室で実践され,国を超えてドイツやアメリカなどでも普及の輪が広がりつつある。現在,日本の教育現場においては,先駆的な教師らによって「体つくり運動」や「体ほぐしの運動」の教具としてGボールを活用した実践研究25)27)29)が紹介され始めた。

 これまで筆者らは,座位姿勢におけるGボールの効果に着目し,主に大学生を対象に,通常の椅子とGボールを用いた座位やGボールによるバウンド実施後の座位姿勢の変化を比較する研究を進めてきた3)5)。その結果,大学生を対象とした場合,Gボールには座位姿勢において円背傾向を是正させる効果があることが明らかになった。しかし,現在,社会的に問題となっている発育期の子どもたちを対象とした研究はいまだ手を付けられていないのが現状である。

 そこで本研究では,小学生を対象にGボールを用いた座位バウンド運動を行わせ,運動の前後ならびに運動中における姿勢変化について動作分析を行い,Gボール運動が児童の座位姿勢に与える影響について基礎的な知見を得ることを目的とした。