ファミリー・レストランに入ると、テーブルごとに店員を呼び出すためのコールボタンが置いてある。私はあれが気に入らない。あのボタンがあるために、店員はパブロフの犬のごとく、ベルが鳴らぬかぎり、何の反応も示さなくなった。客への気配りというものがなくなったのである。こっちも癪にさわるから、意地でもボタンを押さない。近くにいる店員の方を向いて、コップの水がなくなったぞ、注ぎに来ないかといったメッセージを目配せで知らせようとするが、いっこうにおかまいなし、あげくの果てには、客にそっぽを向いて厨房の者と談笑を始める始末。ベルの音なくんば客に用無しと思い込んでいるらしい。ついに根負けして、ボタンを押してしまう。何せ、こっちが食べている鍋焼きうどんは煮えたぎっているのである。
荘子に「機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心あり」という名句がある。機械はたしかに便利であり、目もあやにさまざまなことを現出してくれるが、その魅力に取り憑かれてうつつをぬかしていると、万事機械的となり人間的な心を喪失して、とんでもない結果を招いてしまうぞという警告であった。くだんの店員など、たかがボタン一個で客への心を見失ってしまった。ましていわんや複雑精妙な機械においてをやである。ゲーム脳、ケータイ依存症、ネット殺人など、昨今の先進技術にまつわる凶事の数々、はるか二千年も前から予見されていたことになる。
ケータイメールを速く打てるようになればなるほど漢字を忘れ、パソコンゲームに興じれば興じるほど人間味を失う。現代人は、今一度先人の教えるところにしたがい、「機心」を払い去り正気に返るべきではないか。
(堀勝博) |