マレーシアで殺害されたと報じられた北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏は、北朝鮮の故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の長男で、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の腹違いの兄だ。正男氏は1990年代後半から2000年代初めまでは北朝鮮の権力の後継者と目されていたが、父の金正日総書記から見放されて後継者候補から完全に脱落し、その後は中国や東南アジアなどを転々としていた。
しかし、金正日総書記の死後、弟の金正恩氏が権力を継承すると、正男氏は北朝鮮に戻ることもできず、弟による暗殺の危険に常につきまとわれていた。金正恩氏にとっては、異母兄の正男氏の存在は目障りだった。これまで中国当局が正男氏を保護しているといわれていたため、自分の権力の座を脅かす可能性が常にあると考えていたからだ。
正男氏は1971年5月10日、北朝鮮の平壌で故・金正日総書記と故・成恵琳(ソン・ヘリム)氏(2002年死亡)の間に生まれた。80年代に旧ソ連のモスクワを経てスイスのジュネーブに留学。IT(情報技術)分野への関心が高く、88年には北朝鮮のIT政策を指揮する朝鮮コンピューター委員会委員長を務めた。
正男氏は95年、朝鮮人民軍の大将の階級に昇進するなど、一時は金正日総書記の後継者に浮上していたが、96年に伯母の成恵琅(ソン・ヘラン)氏が米国に亡命すると、立場が揺らぎ始めた。また2001年4月、ドミニカ共和国の偽造旅券で日本に密入国しようとして摘発され、中国に追放されると、父の金正日総書記から見放され、後継者争いから外れた。
その後、正男氏は主に中国とマカオに滞在し、金正日総書記から直接指示を受けて武器輸出の総責任者の役割を担ったほか、金正日総書記の秘密資金の管理責任者としても活動した。
海外で放浪生活を続けていた正男氏は、2010年には「3代世襲に反対する」と発言したり、日本メディアとのインタビューに応じたりするなど、不穏な行動が目立ったため北朝鮮当局から要注意人物として目を付けられるようになった。11年12月に父の金正日総書記が死去し、異母弟の金正恩氏が最高指導者の座に就くと、ますます困難な立場に追い込まれていた。