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【政界徒然草】
明治~平成の元号秘話 くじ引きで決まった元号 東京日日新聞の大誤報「光文事件」とは
「日本年号史大辞典 普及版」(雄山閣)によれば、宮内省は図書寮編修官の吉田増蔵氏が考案した「昭和」「神化」「元化」の3つに絞り込んだ一方、当時の内閣も「大正」を考案した国府種徳氏に命じ、「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」の5案を作成させていた。
こうして宮内省から3案、内閣から5案が出されて精査した結果、「光文」を含む国府案はすべて姿を消し、吉田案の3つが残った。中でも「昭和」が最有力候補として枢密院に提出され、これがそのまま決定されたという。
こうした経緯を踏まえ、同事典は「『光文』が枢密院で内定していたけども某紙にスクープされたから再度審査して『昭和』に変更したということはありえない」としている。
光文事件は、東京日日新聞社長が辞意を表明するまでに発展したが、編集幹部が責任を取る形で事態が収拾された。
「昭和」から「平成」に改められたのは、平成元年(1989年)1月8日。竹下登内閣の小渕恵三官房長官が「平成」と書かれた台紙を掲げるシーンを覚えている人も多いだろう。
平成は「国の内外にも天地にも平和が達成される」という意味が込められている。また、平成が選ばれる際、「修文」と「正化」も候補にあったが、いずれも頭文字のアルファベットが「昭和」の「S」と同じで紛らわしいとの意見もあったことから「平成」になったとも言われている。
最近では、西暦表記が増えて元号は忘れられがちだが、こうして元号の歴史を調べてみるとなかなかおもしろい。(政治部 広池慶一)