学びの量と質。その二兎(にと)を追うという。文部科学省が公表した小中学校の次期学習指導要領の改定案だ。高度な理念にはうなずけるが、先生の裁量を狭め、創意工夫の余地を奪うようでは困る。
昨年十二月の中央教育審議会答申に基づき、文科省が改定案づくりを進めていた。新指導要領は二〇二〇年度から順次実施される。
学校が編成するカリキュラムの基準となる。現行要領までは、学ぶべき知識や技能を中心に定めてきた。それを転換して、身につけるべき資質や能力に主眼を置いた構造に見直す。
何を学ぶかに加え、何ができるようになるかという到達目標をより明確にし、自ら学びに向かう力や態度を養うという。「個性重視の原則」を打ち出した一九八〇年代の臨時教育審議会答申の集大成と評価する向きもある。
知識の詰め込みか、ゆとりかと教育論争を繰り広げる間に、人工知能が人間に取って代わる社会が到来した。インターネットは大量の知識を蓄えている。もはや「知っている」だけでは、人生を切り開くのは難しいかもしれない。
いわば教科書のない世界とどう向き合うか。問われるのは、多面的に見たり、柔軟に考えたりできる力、豊かな感性だろう。それを言葉で伝える表現力も大切だ。
そうした力や態度を育てるために、新指導要領案は「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善を求める。世間で「アクティブ・ラーニング」と呼ばれる能動的な学び方を意味する。
例えば、集団で調べたり、討論したりして結果を発表する。子どもの参加意識を高め、やる気を引き出すのに効果的という。
日本の子どもは、自尊心が低く、受動的とよくいわれる。教育風土や学校文化が影響しているなら、その改善にも結びつけたい。
心配なのは、先生の多忙を解消できるかだ。事務を削り、部活動の縛りを緩めなくては、授業の準備や研究に専念できない。ただでさえ、授業時間が満杯なのに、英語やプログラミング教育などを押し込んで消化できるか。
教え方や評価の仕方まで細かく押しつけては、子ども不在の形式ばかりの授業が広がりかねない。現場の積み重ねを尊重し、先生にも学ぶ時間を与えたい。
小中学校の教育理念を高校へつなげ、その成果を問うための大学入試へ、と改革が同時に進んでいる。旗を振る文科省は財政面、人材面でしっかりと支えるべきだ。
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