ネパールのことならなんでも

 
~日本にはないネパールの魅力に惹かれた23歳、大学院生のブログ~

 2016年4月から大学を休学し、1年間ネパールに滞在。
 目的は言語取得、そして将来を見据えて、この一年たくさんのことに挑戦していきます。
 そう、「ネパールのことならなんでも」という勢いで。

 ネパールでの日々の生活や体験を紹介し、ディープなネパールを伝えていけたらと思います。

ネパールの複雑すぎる乞食事情


突然ですがみなさんに質問です。


道を歩いていたら、道に乞食が座っていました。
乞食はあなたに向かってお金を恵んでほしいという表情とそぶりをしました。
あなたはお金を渡しますか?


これは人によって答えが違うので、
「絶対にあげない!」という人もいれば、
「困っているんだからあげるよ。」という人もいますし、
「考えたことがないのでわからない」という人もいると思います。


でも僕が直感的に思うのは、多くの人は自分の中で明確な答えはでておらず、いきなり乞食を前にしたらどうしたらいいのかわからず、その場を無言で後にすると思います。僕が初めてネパールを訪れたときはそうでした。明確な答えを見つけるのは正直難しいですよね。。


そこで、今回はみなさんに乞食に遭遇した時の対処を自分で考えてもらえるように、ネパールの乞食の実態について書いていこうと思います。少し長くなりますが最後まで読んでいただけると嬉しいです。



まず物乞いにはお金を要求してくるパターン食べ物を要求してくるパターンがあります。多くの場合はお金を要求してきますが、時々食べ物を要求してくる人がいます。


まず、この食べ物を要求してくる人について。
僕は以前こんな話を聞きました。
ある日、道を歩いていると小さな赤ちゃんを背負った女の子が近寄ってきて、「赤ちゃんにミルクを買って」と言ってきました。お金をあげるよりかはいいか。と思い、子供の後についてお店に連れて行ってもらいました。お店に着くや、そのお店で一番高い粉ミルクを要求され、お金を渡すわけじゃないからいいかと思い購入。そこで子供たちとは別れたそうです。しかし別れた後、ふとポケットを確認すると未開封のビスケットがあったのでさっきの子供にあげようと思い、再びお店の方に戻ったそう。すると、さっきの女の子が買ってあげた粉ミルクを同じお店で売っていたのでした。おしまい。


この話はタメル地区でも有名な話で、良く行われているそうなんです。
以前ぼくがブログで紹介した「泣き落とし案内人」もこれと同じですね。高そうなものを買わせて、同じところですぐに売る。

かなり頭を使った頭脳派の手口です。お金ではなく食べ物を要求してくるけど、結局行きつく先はお金ということです。


次は、お金を要求してくるパターンについて。
みなさんも道を歩いているとよく見かけたり、時には声をかけられたりすると思います。それは大人の女性だったり、高齢者だったり、子供だったり、、、


以前僕が道を歩いているときに偶然こんな光景を見かけました。
よく子供がお金をちょうだいと、ずっとついてくることがあると思いますが、子供たちの上には多くの場合、この写真に写っているようにその子供たちを束ねる中年女性の親玉がいます。これは子供たちからお金を回収しているところ。


最近こんなこともありました。
タメル地区を歩いていたとき、小さな男の子を担いだ女の子が僕に近寄ってきて無言で一枚の紙(役所で書かれたような紙)を渡してきました。中身を友達のネパール人に聞いたのですが、どうやらお家が火事で燃えてしまったと書いているそう。ただ、実はこの紙は裏の業者が500ルピーくらいで作った偽物の紙なのだそうです。


また、こんなこともありました。お店にいると同じように一枚の紙を無言で渡してきました。この紙には、「彼は耳が聞こえません。彼は生活するのが大変なので、100ルピーか300ルピー、500ルピーを渡してください」と書いていました。よく見ると、彼の手にはたくさんの100ルピー札が握られていますね。


これもよく見ますね。ちっちゃな子供が路上に一人でポツンといる光景。



よく考えてみると乞食のほとんどが障碍者&子供&赤ちゃんを背負った子供or大人の女性なんですよね。
男性健常者はほとんど見かけませんがこれは同情を買いづらいからだそうで、男性よりも女性、女性よりも高齢者や子供、障碍者の方が、より効率的にお金を集められるとされています。男性健常者の乞食には中々お金は集まらないので、同情を買うために自分の体をわざと傷つけ障碍者となって乞食をするという人もいます。


カースト制度が根強く残り、日本の様に国が助けてくれるわけではない社会の中で、生きていくための手段として自らの体を傷つける。日本に生まれ育った私たちからすると到底想像もできませんよね。


また、最近こんな記事を読みました。
「インドのあるグループは健常者の体を傷つけて障碍者にさせ、路上においてお金を集めるビジネスをしていました」
ダルバールスクエアやラトナパークなどでよく見かける絵描きのアナンダさんという方もそうだったんじゃないかと言われています。


生活していくために自らの体を傷つける人ともいれば、それを利用してお金稼ぎをする組織もある。そしてもともと生まれながらにして障碍を持つ人もいる。複雑ですね。


じゃあ、そもそも乞食は悪いことなのでしょうか?


ただでさえ仕事のないネパール国内で、体が不自由な人や体に何らかの問題を抱えている人、高齢者などはお金を稼ぐことは本当に難しいと思います。
そういった誰の手助けもない本当に生活に困っている人は、物乞いをする道以外に選択肢はないと僕は思っているので、そんな人たちには僕は積極的にお金をあげたいです。


当たり前ですが、乞食をビジネスにしてはいけないです。
でも、乞食をしていかなければ生きていけない人も絶対にいるので、そういった人のために物乞いというものは存在しなければいけないんじゃないかと思っています。


そして、乞食をしている人は働き口がなく、どうやってお金を稼いでいいのかわからない人が行っていることが多いので、彼らに働くためのスキルと機会を誰かが提供しなければいけないんです。


難しい問題ではありますが、実際に乞食を目の前にして、お金をあげた方が良いと思えばあげるべきですし、あげるべきではないと判断したときには無言でその場を離れればいいと思います。
ただ、「乞食には関わりたくない」という考えを持つのは旅行の安全上、仕方のないことかもしれませんが、個人的にはそういった考えは持ってほしくないですね。

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